それぞれのものは「法」によって【結果が出ている】訳ですから、様々な煩悩は煩悩そのもの以外では除く事は出来ません。
要は、煩悩は煩悩に成り切る事によって、煩悩と同時に悟りも菩提もなくならないといけないのです。
それを「煩悩が除かれた時」と言います。
不安は、不安をもって不安を除く、その時に安心も同時になくなるから「真の安心、平和」になるのです。
これを間違えると、不安を除く為に様々な手続きや方便を用いて「安心」という結果を得れば、その「安心」が次の「不安」を呼ぶ【原因】になるのです。
「安心」に腰を掛けてしまうとどうしても「結果」が残ってしまいます。
私達衆生は、【結果が得られたというのは途中のものである】という事に気が付かなければなりません。
ですから、「煩悩のまま」「不安のまま」で結構なのです。
要は、煩悩は煩悩に成り切る事によって、煩悩と同時に悟りも菩提もなくならないといけないのです。
それを「煩悩が除かれた時」と言います。
不安は、不安をもって不安を除く、その時に安心も同時になくなるから「真の安心、平和」になるのです。
これを間違えると、不安を除く為に様々な手続きや方便を用いて「安心」という結果を得れば、その「安心」が次の「不安」を呼ぶ【原因】になるのです。
「安心」に腰を掛けてしまうとどうしても「結果」が残ってしまいます。
私達衆生は、【結果が得られたというのは途中のものである】という事に気が付かなければなりません。
ですから、「煩悩のまま」「不安のまま」で結構なのです。