活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

現実世界について 1

2015年01月31日 | 法理
元々この現実世界には「善」や「悪」と呼ばれるもの自体が存在しておらず、そこにあるのは立ち位置の違いだけ。

争いは正義がぶつかり合うときに起きる。


聖戦は善として存在が可能なのか。

理屈は立派であっても行い出でねば悪なり。


外国人も日本人もない、外国外国と隔てる心悪なり。


善を思い、死を思うは、死をつくり、生をつくり出すことなり。

過去・現在・未来なくただ存在するものが、生まれに生まれつつある。ただ生まれゆき栄えゆくのみなり。


人間は善と悪の両面に通じ、両面に生活することになる。

そこに人間としての尊さとかなしさが生じてくる。


人間は地上的物質に制限され、物質の約束に従わなければならない。

そこに時間を生じ、距離を生じ、これを破ることは出来ない。