たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

16回忌

2013年06月27日 | 日記

亡妻の16回忌を迎えました。朝から強い雨が降りつづく日になりました。
墓参の前に血液検査・腫瘍マーカーをお願いしていた医院へ結果を聞きに行きました。お陰様で異常はなく、前回同様貧血気味で赤血球が下限値をほんの少し下回っています。受付のお姉さんと「肝がいいかな」、「肝、レバーもいいけれど多すぎると肝臓に良くありません。ほうれん草なども適しています」と、教えられました。

行く途中の 伝・蘇我倉山田石川麿(そがのくらやまだのいしかわまろ)の塚が雨に煙っています。何故かこんな美濃の地にあるのです。乙巳の変(おっしのへん)の重要人物です。解説はWIKIでどうぞ。
日本人の心のふるさと、明日香の里、飛鳥寺前に入鹿の首塚があります。逆賊になったのですね。その後ろの丘が甘樫の丘、蘇我一族の屋敷があった丘です。日本書紀には馬子の屋敷に雷が落ちたと記述され、甘樫の丘の下の交差点も雷(いかずち)と標識がありました。

入鹿は聖徳太子の子息、山背大兄王(やましろのおおえのおう)一族30数人を自害に追い込んでクーデターに遭い、蘇我馬子、蝦夷(えみし)、入鹿とつづく蘇我一族の入鹿が倒されました。蝦夷は悲観して自害し、その前に数々の珍宝、歴史書を焼いてしまったといわれています。歴史書は惜しかった。

脱線しました。その後スーパーの花屋へ寄り、墓参は雨が強く帰宅し、仏壇に花を活け、久し振りに阿弥陀経を上げました。正座は苦しく胡坐をかいて。肺を3分の1取って肺活量が8割になりお経は息もつづきません。つっかえつっかえして何とか勤めました。

仏説阿弥陀経
姚秦(とうしんの)三蔵法師鳩摩羅什(さんぞうほうしくまらじゅう)、詔(みことのり)を奉(たまわり)りて訳す と翻訳者の名が残されています。くまらじゅうさんは西域の人で語学の天才といわれます。キリストも釈迦の説法もすべて弟子が書き残した。自著はありません。

如是我聞 一時仏、在舎衛国 祇樹給孤独園 與大比丘衆 千二百五十人倶 皆是大阿羅漢・・
にょぜがもん いちじぶつ ざいしゃえこく ぎじゅぎっこどくおん よだいびくしゅ せんにひゃくごじゅうにんく かいぜだいあらかん・・ 

かくのごとき我れ聞きたまえき、ひととき、仏、舎衛国の祇樹給孤独園にましまして、大比丘衆千二百五十人と倶なりき。みなこれ大阿羅漢なり・・ぶつと読んでください。

で始まります。 最後は
舎利弗 及緒比丘 一切世間 天人阿修羅等 聞仏所説 歓喜信受 作礼而去。
しゃりほつ ぎしょびく いっさいせけん てんにんあしゅらとう もんぶつしょせつ かんぎしんじゅ さらいにこ。
舎利弗及びもろもろの比丘、一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたまえて、歓喜し、信受して、礼をなして去りにき。 

お経は雨だれ拍子でトントン・トントンと刻んでいきます。雨もようやく小降りになりました。墓参に行ってまいります。