「日本文化のユニークさ」6項目にかなり修正を加え、以下の7項目とする。(1)の文章を少し変え、これまでの(4)を二つに分けて(4)(5)という独立の項目とした。
(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。
(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(6)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(7)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
修正前の6項目のバージョンのものは以下を参照されたい。
☆ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)
新バージョンの(6)(旧バージョンの(5)にあたる)は、日本人の相対主義的な価値観はなぜ生まれたかという問いでもあった。前回までこの問いを、これまでこのブログのあちこちに書いてきたものの総まとめの意味で5つの観点からまとめた。それを振返ってもらえばわかるように、新バージョンの(6)の特徴は、その前のすべての項目の結果だといってもよい。その作業を通して、旧バージョンの(4)を新バージョンのように(4)と(5)として独立させたほうがよいと考えた。
この7項目も、まだ暫定的なもので今後の修正もありうるが、とりあえずこの7項目にそって、今度は(1)からの順番で、「日本文化のユニークさ」総まとめをしていく予定である。(1)と(2)は、あえて分けなくともよいのかもしれないが、分けることで母性原理の文化が存続したという点を強調したい気持ちがある。
何人かの方にコメントをいただいていることはとても刺激になっている。質問や批判をいただいたことをきっかけに、では今度はその点を中心に展開してみようと、このブログを書き進めるヒントになったことも多い。自分の考えの不十分なところや説明の足りないところに何度も気づかされた。
あらためて感謝させていただきます。
《関連記事》
☆日本文化のユニークさ37:通して見る
☆日本文化のユニークさ38:通して見る(後半)
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(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。
(3)ユーラシア大陸の穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とも言うべき文化を形成し、それが大陸とは違う生命観を生み出した。
(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。
(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。
(6)以上のいくつかの理由から、宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなく、また文化を統合する絶対的な理念への執着がうすかった。
(7)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかった。
修正前の6項目のバージョンのものは以下を参照されたい。
☆ユニークさ全項目を振返る(日本文化のユニークさ総まとめ01)
新バージョンの(6)(旧バージョンの(5)にあたる)は、日本人の相対主義的な価値観はなぜ生まれたかという問いでもあった。前回までこの問いを、これまでこのブログのあちこちに書いてきたものの総まとめの意味で5つの観点からまとめた。それを振返ってもらえばわかるように、新バージョンの(6)の特徴は、その前のすべての項目の結果だといってもよい。その作業を通して、旧バージョンの(4)を新バージョンのように(4)と(5)として独立させたほうがよいと考えた。
この7項目も、まだ暫定的なもので今後の修正もありうるが、とりあえずこの7項目にそって、今度は(1)からの順番で、「日本文化のユニークさ」総まとめをしていく予定である。(1)と(2)は、あえて分けなくともよいのかもしれないが、分けることで母性原理の文化が存続したという点を強調したい気持ちがある。
何人かの方にコメントをいただいていることはとても刺激になっている。質問や批判をいただいたことをきっかけに、では今度はその点を中心に展開してみようと、このブログを書き進めるヒントになったことも多い。自分の考えの不十分なところや説明の足りないところに何度も気づかされた。
あらためて感謝させていただきます。
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日本においても、アイヌ、琉球、蝦夷、クマソなど他民族?の侵略の歴史があるわけですがどのようにお考えでしょうか?ここでいう日本人は侵略、征服した側だから関係ない話ですかね。
それとも上に挙げた民族はすべて皆殺し的な行為のある侵略、征服の体験がないという解釈でしょうか。
「されたなどの経験がない」だから、関係ない話ですね
人類の歴史は「侵略、征服の歴史」ですからねぇ。欧州に比べて、日本の歴史・国力からしたらむしろ侵略が足りないくらいですわ。
一方、ブログ主様は日本文化の特徴に縄文的な性質を多く挙げています。さて、日本人は侵略した側と言い切って良いのでしょうか?侵略した側が被侵略者の文化に取り込まれたのでしょうか?モンゴルが中華に取り込まれたように。
正直戦前は急速に父性化に進んでいたように見えますね。敗戦がなければそのまま父性化していたのか、それとも一時的なものだったのかは分かりませんが。
>7項目の内、1~6はむしろアイヌの文化、民族性に当てはまりますね。アイヌがより縄文的な世界観を残していると言えるかもしれません。
アイヌの人々が遺伝的にも文化的にも縄文的な特徴を多く残しているのは確かだと思います。沖縄の人々にも同様のことが言えるといいます。
要するに日本列島の北と南には弥生人はあまり広がらなかったということですね。
問題は縄文と弥生の関係ということだと思います。私は縄文文化は弥生文化に駆逐されたのではなく、両者は融合し、縄文的な要素がかなり色濃く残ったという立場でこれまで記事を書いてきました。融合した面があるとして問題はその度合でしょう。これは学問的にはっきりしたことは言えないようです。
この問題は、私なりにまたブログで展開することがあると思います。
もともと母性原理の社会であるのを、戦前は家父長制などで無理やりバランスを取っていたのではないかと思います。だから制度的・体制的な裏打ちがなくなると、父性原理があえなく消えてしまい、本来の母性原理の社会に戻ってしまった。
ただ戦後も西欧文明の影響は日本の社会の深いところまで浸透していますから、その意味では父性原理もある程度働いています。ただ、両者の関係とかバランスとかで言うなら、やはり日本は本来の母性原理が基盤になっているのではないでしょうか。