これって変だ、と思うオイラのほうがおかしいのか?

2011年01月26日 | 風の旅人日乗
ここに書くべきことなのかどうか、迷ったまま書く。

例えば、
自分の娘が外国でその国の男に強姦されて殺されて、裸のまま砂に埋められたとする。

人の命は簡単に奪うくせに、その容疑者はやけに生存本能が旺盛で、
周囲を騙しながらその国の隅々まで逃げ回って生き延びる。
なかなか捕まらない。
娘の命を奪われた苦しさのあまり何度もその国を訪れては容疑者逮捕の可能性を模索し続ける。
何年か後にやっとその犯人が捕まる。
許されるのなら自分の手でそいつを殺したいが、その国の法がその容疑者を裁くのを見守るしかない。

努めて心静かに、そいつに裁きが下される日まで、なんとか時間をやり過ごそうとしていたら、
その、憎んでも憎み足りない容疑者が、逃走中の生活をぬけぬけと本にして出版するという。
その本で得た収益を遺族にくれてやりたいのだという。

悪い冗談ならやめて欲しい。
取って付けたようなそんな出版理由で、常識ある人々の批判をかわそうとすることも、あまりに人をバカにしている。
どこまで自分たち家族を苦しめれば気が済むのだ。
常識ある法治国家だと思っていたその国が、人としての、そんな非常識を許す国だったとは…。

極悪非道な犯罪の容疑が掛けられている重要参考人が、
捕まるのが嫌だという理由だけで国中を逃げまくった日々を綴った本を出す。
それが一般書店に並ぶ。
地方の小さな本屋さんでは、その本がこどもの絵本や学習参考書と一緒に並ぶことだってあるかも知れない。

ぼくには、この話の中のどこにも、人の道の『道理』というものを探せない。
道理があるとすれば、出版社のビジネス、つまり『金稼ぎ』という道理しかないだろう。

その出版社を経営しているのはとても優秀な出版人として評価されている人のようで、よくメディアにも登場する。
会社の経営も順調なことだろう。
社員を路頭に迷わせる寸前の状態でもない「優秀な」人が、こういうことを企てるのだ。
なぜだ?
金を稼ぐって、人の心を尊重する以上に大事なことなのか?

1月25日(火)のつぶやき

2011年01月26日 | 風の旅人日乗
06:35 from web
サバニ油塗り予想以上に時間掛かり、後の約束の人を2時間半待たせた。時間掛かったと言うより、掛けた、って言うほうが正しいかな。休館日の薄暗い館内で、サバニに触れている時間を楽しんだ。後の約束の人も笑って許してくれたしな。日が暮れてレインボーブリッジ歩いて帰れなかったのが残念じゃがの

15:24 from web
夕陽の時間に浜をジョギングしていられるように仕事の割り振りを操作しているのだけれど相手もいたりしてなかなか思い通りにことが運ばず。今日はどうなるか


17:34 from web
今日は浜トレ中に伊豆半島の向こうにバッチリ日没。時間管理が上手なみたいで嬉しい。12月中旬には天城山の近くまで南下していた日没位置が、ずいぶん北のほうに上がってきた。透き通った海の中を覗き込むと、ワカメやヒジキの新芽がグイグイと成長している。冬を押しのけて、春接近中。ウシシ。
by KazuNishimura on Twitter