8月30日 雷

2008年08月30日 | 風の旅人日乗
昨日今日と、三浦半島では、
夜半から日の出前までの時間帯の雷が、凄まじかった。
それもあって、
今日、東京湾で予定していたセール・チェックを中止にすることにした。

それにしても、
ここ最近の大気の不安定さはどうしたことだろう?
この季節の雷は、
通常、積乱雲が発達する午後から夕方にかけて発生するのが一般的なのに、
2日続けての、夜明け前の雷は、
どういうメカニズムで起きていることなのだろう?

今朝6時の天気図を見ると、まるで、日本列島の身体の中を走る背骨のように、
停滞前線が九州から北海道まで延びている。

落雷注意報を見てみると、これも、その停滞前線に沿って、
沖縄を除く日本列島全域に発令されていて、
日本列島は、ビッシリと稲妻マークで埋まっている。


それだから、今朝早くの三浦半島でも、落雷が凄かったんだろう。

朝5時少し前には、
まるで爆弾があちこちで炸裂しているかのように
(実際の爆弾の炸裂は、幸いなことに経験したことはないけど…)
葉山周辺で雷が落ちまくり、
とても寝ていられるものではなかった。
(家の者は誰も起きてこなかったけど…)

雷マップを見ても、
今朝4時半頃の三浦半島相模湾沿いは、落雷だらけだ。


それが、日が高くなった午前10時には、
突然雷雲も全くなくなり、
伊豆半島、三浦半島、伊豆諸島のどこにも雷は落ちていない。


2日続けての、未明から夜明けにかけての雷は
何か、気象のメカニズム的に特別意味のある現象だったんだろうか?

現在、東京湾の浦賀沖には、
セールチェックに良さそうな10~12ノットのNNEが吹いているらしい。
今年のこの時期の天気の読みは、とても難しい。

早朝、下田に向けてGTタグで伊東を出発すると言っていた、
イラストレーターのタダミさんと、Mさんは、無事下田に着いたかな?




8月29日 相模湾の潮流

2008年08月29日 | 風の旅人日乗
スタンドアップパドルというパドルボードで、
大島から葉山まで漕いでくる男のサポートをすることにした。

快く艇を貸してくれ、仕事を休んで同行もして下さるヨットのオーナーも見つかった。

予定日はまだ2週間先だけど、ここのところ毎日、
仕事の合間に天気の長期予報や相模湾の海流・潮流を調べている。
1年前、ホクレア号の水先案内をしていた頃の、
責任の重圧で、なんとなく胃の重かった日々を思い出す。

天気は、2,3日前にならなければ分からないけれど、
逆に、海流や潮流は、長い間見続けていることで、傾向をある程度把握できる。
海上保安庁の水路部の努力のおかげで、
最近は相模湾に入ってくる黒潮分流や潮流に関する
キメの細かい情報を手に入れることができる。
相模湾を流れている海流・潮流のリアルタイムの情報を、
毎日観察しながら、
2週間先の相模湾を流れる潮流をイメージする。

スタンドアップパドルは、サーフボードの上に立ち上がり、
長いパドルで漕ぐ、比較的新しいスポーツだ。
遠くから見ると一寸法師が海の上を渡っているように見える。
ただ、本来は外洋に出るための乗り物ではない。

不安定なボードに立って漕ぐためには、
当然下半身の筋肉をひどく動員しなければならない。
彼は屈強のパドラーだが、それでも、その疲労の具合は、
波があるかないかで、えらく違ってくるはずだ。
そして、他のパドルスポーツと違って、立って漕ぐわけだから、
向かい風で身体が受ける風圧抵抗は、かなり大きいことだろう。

つまり、彼のスタンドアップパドルでの相模湾縦断航の、
成功・不成功の大きな鍵を握るのは、
まず第1に波、次に風向だ。

風と、その風が起こす波については、
今の時点で心配しても意味がないので、
それについては、しばらく考えないでおくとしても、
決行日の風予報が出たときに、
その風によってどれくらいの悪い波が立つか、
あるいはいい波が立つのかを、
彼をサポート艇に乗せて大島に向けて葉山港を出発する前に、
ある程度予想できなければならない。

それだから、今から潮流の観察を続けておく必要があるのだ。

ここのところ相模湾を流れる潮は、2週間前に比べて強さを増している。
恐らく、伊豆諸島の南を流れている黒潮本流の流域と方向が変わったために、
黒潮の分流が相模湾まで強く流れ込むようになったのだろう。

現在の潮では、西系の風が吹くと、大島-葉山のレグの3分の2くらいまで、
極めて悪い波が立つ海面が続くことになるだろう。

潮の流れが強いと、そのことだけでも波が立つし、
さらにそこに風が吹くと、潮の向きに対する風向によっては、
かなり悪い波が立つ。
つまり、どの方向であれ、潮の流れが強過ぎるということは、
波を嫌う今回の計画にはネガティブファクターだ。


ただ、2週間前、下田から小網代までのヨットレース中に観測したところでは、
大島と城ヶ島との間には、1ノット前後の、穏やかな連れ潮が流れていた。

だから2週間後には、いまの潮は変化している可能性のほうが高い。
これからの観測で、その傾向をある程度予測することができるだろうね。

8月28日 戻っておいで、なっちゃん

2008年08月28日 | 風の旅人日乗
突然今年の夏が、さよならも言わずに行ってしまった。
この幸せは、いつか必ず終わるものだと知ってはいたけど、
こんなに突然別れが来るなんて思ってもなかったよ、夏ちゃん。

君と一緒に過ごした素敵な日々は、もう戻ってこないのかな。
もう一度だけ、ほんの数日でいいから君に会ってみたいよ、なっちゃん。
どこに行っちゃったの? なっちゃん。沖縄? 小笠原?
娘の海水浴用の浮き輪は、まだ膨らませたままなんだよ、なっちゃん。


GTタグで下田を目指すタダミさんは、
8月の秋の海に様変わりした相模湾に、予定通りレグを伸ばせず、
苦しめられている。
8月8日に大島-葉山の単独パドリング航のタイミングを逸した屈強のパドラーも、
8月の相模湾の、秋の波が収まるのを歯噛みしながら待っている。


ある日突然、関東地方から家出したようにいなくなってしまった今年の夏ちゃんの、
大人げないような振る舞いを大変残念に思っているのは、
ぼくも同じだ。

この夏、
シーブリーズの吹く相模湾でもう2回ほどレーザーSB3に乗って、
現在コイケユージが持っているスピード記録、14ノットオーバー
をなんとか破ってやろうと狙っていたのだけれど、
なっちゃんが吹かせてくれるいいシーブリーズに、
なかなか巡り会えない。

もうすでに、3回も予定をキャンセルせざるを得なかった。
2回は風が弱く、1回は、今日こそ!と思っていたのに
江ノ島ヨットハーバーが強風のため出艇禁止になってしまった。

今日も、ストレッチをして準備していたのに、
風が弱くて(しかもしみったれた北東風だ)、スピード記録を敗れそうになく、
セーリングはお流れになり、
来週に賭けることになった。

なっちゃん、
来週はちょっとだけ戻ってきて、
相模湾に気持ちのいいシーブリーズを吹かせてくれないか。


今週末の8月31日に、葉山新港で、写真のレーザーSB3の試乗会が行なわれます。
写真でお分かりの通りとてもカッコいいし、
とても面白いスポーツボートです。

興味のある方はぜひ、今週の日曜日、葉山まで足を運ばれてはいかがでしょうか?
ぼくも、その日に行なわれる別のクルーザーレースに参加した後、
葉山新港まで行くつもりです。

【写真はすべて矢部洋一氏撮影/舵社提供(ですので、転載は不可でお願いいたします)。
6月5日に行なわれた舵誌の『KAZU impression』の取材で試乗したときのもの。
このときは風が弱くてちょっと物足りなかった。
詳しいレポートは10月3日発売の舵11月号に掲載予定です】

8月27日 BMWオラクルレーシング トリマラン進水式

2008年08月27日 | 風の旅人日乗
BMWオラクルレーシングの90ftトリマランが、
アメリカ西海岸アナコートのフィダルゴ湾で進水した。

進水式にはラッセル・クーツも出席してスピーチもしたらしい。

ラッセルは、自分が開発したRC44のプロモーションも手を抜かず、
RC44の次回レースに関する連絡が直接本人から結構な頻度で来るが、
アメリカズカップ挑戦チームBMWオラクルレーシングの
CEO&スキッパーとしての忙しい仕事も順調にこなしている。

BMWオラクルレーシングの新90ftトリマランの進水式の様子を
以下、写真で紹介する。










8月26日 プーマ、アリカンテに出発

2008年08月27日 | 風の旅人日乗
プーマ・オーシャンレーシングからの連絡によると、
スキッパーのケン・リード率いるプーマ・オーシャンレーシングの
セーリングチームを乗せたボルボ・オーシャンレース挑戦艇『イル・モストロ』が、
8月26日、スタート地のスペイン・アリカンテに向けて、
アメリカ東海岸のニューポートを出発した。


『イル・モストロ』は9月上旬にはアリカンテに到着予定。

ボルボオーシャンレース2008-2009の最初のレースとして、
10月5日にアリカンテ沖で行われるインポートレースは、
今回のボルボ・オーシャンレースの各艇の性能と、
クルーのレベルが最初に試される場になる。
レース全体の成績を占う上でも、非常に注目を集めるレースになるだろう。

ぼくも、そのレースを観戦するために、アリカンテまで行く予定です。





8月24日 マストチューン

2008年08月26日 | 風の旅人日乗
8月9日、10日の、下田でのレースで初めて真剣に走らせてみて、
なんとなくしっくりこなかったクローズホールドの走りの原因を検証するためと、
上下方向の深さ配分がいびつだったメインセールの形を整えるために、
たくさんのメンバーを動員して、
今日は一日マストチューニングに費やす。

自分の能力と経験を駆使して、
レースヨットのマストセッティングや
セールシェイプを追求していく仕事は、
とても楽しい作業で、ついつい没頭してしまう。

時々小雨が降る、あいにくの天気だったけど、
風はこの季節の東京湾には珍しく、
終日安定した7-10ノットの北風に恵まれて、
思うさま作業ができ、
セッティングの第1段階としては、マストはほぼ満足できる状態になった。


ところで。

天気予報は強めの南風を予報していたが、
それは東京湾南部や相模湾で吹く風のことだろう。

この日の東京のような低い気温で、
南風が東京湾奥まで入ってきたら、
それこそ異常気象というもので、

気象庁のコンピュータ様、
気圧傾度で吹く風と、温度差で吹く風の、
局地的な優先順位を演算のファクターに入れるようにして、
もうちょっと風予想を細かく正確に出すべく、
頑張ってください。

8月23日 金沢まつり花火大会

2008年08月25日 | 風の旅人日乗
今日は、金沢八景のMさん御家族のお宅に家族揃って御招待いただき、
金沢まつり花火大会&
まぐろ伊勢えび太刀魚それからそれからいろんなお料理&
ビール&極秘ブランド日本酒&極秘ブランド焼酎、
を堪能する会。

17日の日曜日の深川八幡本祭り以来、これでもかこれでもか怒涛のパーティーウイークになった今週の締めくくりに相応しい、大イベントだ。

スケジュール表を見ると、2008年夏の遊びイベントはこれでおしまいだ。
とても名残惜しく、最後のお祭り気分に浸るべく、
雪駄を履いてMさんのお宅にお邪魔した。

この日は時々雨が落ちる非花火日和だったが、
花火の時間帯は、みんなの気合が通じて雨が上がる。
目の前の八景島手前の海面から、
至近距離で花火が打ち上げられるMさん宅の屋上は、
特等席中の特等席。
これ以上有り得ない最上の環境で、
この夏最後の花火大会を堪能する。

ここで使った写真は
横浜金沢観光協会のホームページからダウンロードさせていただいたものだが、
今年はちょっと風があったためか、この写真のようにはならなかった。

数を稼ぐ小玉の花火群が残す煙が、元の花火の形を保ったまま、
ゆるい北風に流されて、夜空を南にゆっくり移動していく。
一瞬輝いただけで消えてしまう自分の存在の証拠を、
なんとか煙に託そうとする、
花火の切ない気持ちを思いやると、
これはこれで美しいものだ。

時折、観客が退屈しそうなタイミングを見計らって、
尺球と呼ばれる大物が連続して打ち上げられる。

尺玉は、勢いよく闇を切り裂いて空に駆け上がり、
他の小玉よりもかなり上空で炸裂する。
夜空に大輪の花が咲く。
ほぼ同時にドシンと身体に衝撃が来る。
それから炸裂音が続く。

ドシンと身体にぶつかってくるのは尺玉が爆発するときの衝撃波かな。
衝撃波は音速よりも速い。
だから身体に空気の波がぶち当たったあとに、炸裂音が聞こえるのかな。

その尺玉の大輪が消えた後の、名残りの煙の大きな輪が、
小玉の煙と違って、時間の経過と共に顔をしかめたようにねじれていく。

アレ、酔ったかなあ、と思ったが、
そうではないことに気が付いた。

小玉が炸裂する高度では、地上と同じく北風なのに、
尺玉が炸裂する、それよりも上空には、ちょうど空気の層の境界があって、
大円の下側の煙は北風に流されて南に移動するのに
大円の上側の煙は南東風に流されて北西に移動しているのだった。

面白い。
ヨットレースでこれを利用する方法は
今のところ思いつかないけど、
ハンググライダーや気球の人たちは、
このような、高度の違いによる風向の違いを利用して、
好きなところに行っているわけだな。

1時間の花火大会が終わると、
こんなややこしいことを考えるのはもちろん中断し、
再び陶酔と楽しい会話の世界に戻り、この夏最後の遊びの夜を堪能した。

M様、奥様、H君、楽しい夜でした。
ありがとうございました。

8月22日 江戸川

2008年08月24日 | 風の旅人日乗
タダミさんが、明日8月23日に、
御自身の夢を形にしたボートGTタグで海の駅を辿る旅に出発する。

売れっ子イラストレーターで、日々忙しい仕事に追われているのに、
自分の夢にきちんと向き合うタダミさんの姿勢には、いつも敬服している。

今日22日は、江戸川の海の駅で、そのタダミさんの航海の壮行会。

壮行会には小笠原父島のMさんも出席していて、
壮行会の席上でいろんな話をしていたら話し足りなくなり、
壮行会終了後、門前仲町まで引き返し、
引越しが迫って人を招くどころの状態ではなくなっているお宅にお邪魔して、
朝3時まで、奥様も入れて3人で話し込んでしまい、
結局のところ葉山には朝帰り。

【写真はタダミさんのGTタグ。この先、太平洋岸、三河湾、紀伊水道、瀬戸内海の各海の駅を歴訪します。もし見かけたら是非激励してあげてください。撮影・山本聖司】

8月22日 BMWオラクルレーシングの90ftトリマラン

2008年08月23日 | 風の旅人日乗
ニューヨーク最高裁判所上訴部局の再審理によって、思わぬどんでん返しの判決が下され、
まだまだ迷走が続きそうな次回第33回アメリカズカップだが、
この時期に、BMWオラクルレーシングが、
出来上がったばかりの90フィートのマルチハル艇を発表した。

やはり、個人的に予想していた通り、
カタマランではなくトリマランだった。
しかし、BMWオラクルレーシングが、
この艇を第33回アメリカズカップの挑戦艇として使うためには、
8月上旬に出た最新の判決を、再び覆さなければならない。

詳細はウエブマガジン [yachting] に書きます。

8月20日 レース検証

2008年08月21日 | 風の旅人日乗
自宅にセーリング仲間が集まり、楽しい夕食。
いろんな会話をする中で、
それぞれが別々の艇で参加した、
先日行なわれた、あるレースを検証し合う時間帯があった。

それぞれが風と潮をどういうふうに読んでいたか、
スタートは、どこから出たのが結果的に正解だったか、
あのときのあの艇のタックは、正解だったのか否か・
相手が乗っていた艇の走りを自艇から見ていて、どのように見えたか、
・・・・

こんな話をしていると、
そのレース中に自分が気が付かないでいた情報や、
レース中、その艇が取った行動の意味や、
自分で気が付いていなかった自艇の走りの問題点や、
あるいは逆に、自分が気が付いていなかった自艇の長所や強み、
などが見えてきて、
結構、タメになる。

ただ、こういうときに最も大切なことは、
大抵の場合こういう夕食はその後酒で盛り上がってしまうので、
それらの大切な情報の記憶が、
アルコールによって薄められるか削除される前に
キチンとメモに書いて残しておいておくことですね。


8月17日 深川八幡本祭り

2008年08月19日 | 風の旅人日乗
3年に一度しか行なわれない、東京は門前仲町の、
富岡八幡宮の例大祭。
通称、深川八幡本祭り。

赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに
『江戸三大祭』の一つだ。
大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、
その中でも大神輿ばかりの56基が勢揃いして連合渡御する。

深川一帯は祭り気分一色になり、
東京下町衆が、3年間溜めに溜めたエネルギーが爆発する。

山本一力や宮部みゆきや杉浦日向子の、
深川下町ものの作品世界を愛する人たちには、
江戸時代の深川がいきなり現代に蘇る、たまらない世界だろう。
ぼくもたまらない。

特に祭りの後半、
クライマックスに向けて
永代橋から永代通りを八幡様に向かって神輿を担ぐときは、
あの永代通りが完全に閉鎖され、
下り車線が56基の神輿と担ぎ手と控えの担ぎ手たちで埋まり、
上り車線はそれを見ようとする観衆で埋まる。

自分で神輿を担いでいても、その光景を見ていて鳥肌が立つほどだ。

今回の「そのとき」は8月17日。

3年前、肩と腰が痛くて思うさま担げなかった反省を胸に秘めて身体を鍛え、
待ちに待った3年に一度のこの日をやっと迎えたというのに、
なんと言うことだ、ちょっと二日酔い。
理由はよく分かっている。

こども神輿を無事終えた、昨日8月16日の夕方、
深川・木場に高級マンションを買って引越す前に自分の手で内装をリフォーム中の、
友人一家を訪ねた。
30年も昔、小笠原諸島父島で、ぼくが一方的に非常にお世話になった御一家だ。

リフォーム中の室内で、軽くビールで始めた飲みだったのに、
ちょっと恐れていた通り、いつの間にか盛り上がり
本祭り前夜の門前仲町に繰り出して、
先方御家族全員が揃う大宴会になり、
楽しくて楽しくて、
翌日の使命の重さを、完全にではないが、少し忘れたのだった。

でも大丈夫。
その二日酔いは最初の一担ぎの一汗で霧消し、
この日は一日江戸人になりきって、
家族ともども、
今年の深川八幡本祭りを完璧にエンジョイすることができた。

ぼくが担がせてもらっている牡丹二・三の神輿は、
今回参加した56基の大神輿の中でも最も古い立派な神輿で、
とても重い。
その重さが、3年前はとても辛かったのに、今年は肩に心地良かった。
祭りから2日経っても両肩は真っ赤に腫れて、擦り傷にかさぶたができているが、
その痛みに顔をしかめつつも、何とも心地良い。

今年は特に、2度通る富岡八幡宮の前で、2度とも担ぐことができた。
このことが、とーっても、うれしい。

神輿が富岡八幡宮の前に来ると、
鳥居の前で各町内の神輿を迎える宮司の方たちに神輿の正面を向け、
われらの差配の笛の合図と共に神輿を一気に差し上げて、
神輿の担ぎ棒を真上に伸ばした片手で支え、
「差せ、差せ、差せ」と掛け声をかけながら、
もう一方の手で担ぎ棒をリズミカルに叩くのだが、
(この瞬間、神様が自分の背中を走り抜けていきますよ、ホント)

このときに神輿の担ぎ手でいることは、とても名誉のあることで、
昨日今日の町内の新入りは、
なかなか担がせてもらえない。
また実際の話、このような、その町内の威勢を見物衆に見せて、
一級の見得を切らなければならない大切な場所で、
特に神輿を威勢よく揉んで、カッコよく担ぐためには、
ベテランの担ぎ手勢が揃ってなければならないのだ。

事情も知らず、礼儀もわきまえないヘッポコ新入りが
この重要なポイントで無理やり担ぎに入ろうとすると、
大抵の場合、町内青年部の警備担当から引っ張り出される。

よその町内だけど、引っ張り出されまいと抵抗して、
殴られている人も見たことがあるよ。

だから今年も、このパートに関しては、
担ぎに入るのは遠慮して、
神輿の横で、控えとして掛け声をかけるだけにしていたのだけど、
毎年の町内の祭りで地道に顔を売っていたのが良かったのか、
富岡八幡に近づく前、門前仲町の交差点辺りで、
2度とも、
青年部の人たちがぼくの顔を見て、
花棒に引っ張り入れてくれたのだ。

嬉しかったなあ。
神輿を取り囲む控えの衆が、
必死で棒の隙間を見つけて、八幡様の前に神輿が着く前に
なんとか担ぎに入ろうとしている中にあって、
その人たちを入れないようにしてまで、
ぼくを選んで引っ張り込んでくれたんだよ、ホント。
嬉しいなあ。

神輿をカッコよく担ぐための戦力としても認めてくれたんだろうなあ。たぶん。
あぁ、思い出すと、今でも恍惚となるなあ。

8月16日 深川でこども神輿

2008年08月18日 | 風の旅人日乗
今年は深川の富岡八幡様の3年に一度の本祭り。
深川の各町内から、合計56基の神輿が出て、
門前仲町、木場、冬木、佐賀町といった深川一帯から
箱崎、茅場町、新川までの、広いエリアを練って歩く。

ぼくは、富岡八幡の境内のお膝元とも言える牡丹町二・三の神輿を担ぐ。

牡丹町は、長くセーリングの世界でお世話になっている先輩が住む町で、
そこの半纏と帯、鉢巻を貸していただけるのだ。
その町内の正式な半纏と帯、鉢巻を着てなければ、
深川八幡本祭りで神輿を担ぐことはおろか、触ることさえできないのだ。

また、半纏の下に着るダボシャツ、半ダコ、地下足袋は、
白でなければ、神輿に触れないし、
神輿を担ぐときの掛け声は、「ワッセイ」でもなければ「ソイヤ」でもなく、
正統「わっしょい」でなければならない。

時々、あちこちの祭りで神輿を担いで遊ぶ、流れの神輿担ぎが半纏を闇で手に入れて
この深川本祭りにやってきて、
つい、恍惚状態になって、どこかの別の祭りと勘違いして、
「わっせい」とか「そいや」なんて言おうものなら、
「アンタ、深川では『わっしょい』って言いなさい。言わないのなら、出なさい」
と、神輿の横で監視しながら歩いている深川芸者か洲崎芸者上がりのおばあさんに
厳重に注意されている。

また、半纏その他一式をなんとか手に入れたとしても、
その町内で一見の人間は、
花棒や先棒など、華やかな位置では神輿を担がせてもらえない。
神輿の周りで警護している総代や差配以下、町内の幹部や青年部の人たちが、
外部の者が潜りこんでいないか、目を光らせているからだ。

長く町内でこの祭りに貢献して、
その町内の人たちに知られる顔になっていない限り、
オイシイとこ取りはできないのだ。

ここのところの当時のこだわりは、山本一力さんの小説『まとい大名』と読むと
もっともっと厳しかったようで、
もし今から285年前の享保8年(西暦1723年)の、
今年から遡ること、95回前の本祭りだったら、
九州出身で相模湾岸在住の、
江戸っ子からしたら
「おととい来やがれ、べらぼうめ」
レベルの田舎っぺのぼくなど、
神聖で、町内の誇りである神輿など、絶対に担がせてもらえなかったのだろうと思う。

とはいえ・・・。
ぼくにとってこれが二度目の深川八幡本祭りだけど、
実は、この本祭りで神輿を担がせてもらうために、
本祭りのない年に毎年行なわれる、マイナーな各町内毎のお祭りにも
必ず顔を出して神輿を担がせてもらい、
祭りの後などに、
牡丹町の青年部や幹部の方々に混じって、一緒にお酒を飲ませていただき、
自分の顔を知ってもらうことに務めるという、
地道な努力を続けている。

今年の深川八幡本祭り本番は、8月17日。
その前日の16日は、
そのプレイベントとも言える、各町内で神輿を揉むドメスティックなお祭り。
翌日の本祭りに向けて集中力を高めていきつつも、
のんびりと下町の夏祭りの気分を楽しめる一日だ。

その一日の中で最も大切な出し物は、町内の子供たちが担ぐ、子供神輿。
子供神輿といっても、
かつては、当時世界最大の都市だった江戸八百八町の普請を支えた、
老舗材木商が並んでいた牡丹町がこしらえた神輿だから、
ミニチュアではあるが、意匠と造りは、ちょっとバカにできない本物仕様。
歳とって、重い本物の神輿が担げなくなったら、
なんちゃって、とごまかしながら担ぎたいような、粋な神輿だ。

青年部を中心にする大人たちが、
総出で地元の子供たちをサポートし、
東京下町に古くから伝わる重要な文化を次の世代に伝えようとしている。

ぼくは九州出身だし、深川に住んでいるわけでもないけれど、
大学に入学して九州から出てきて、
初めて住んだ東京が、寮と大学があった門前仲町だったわけで、
この深川一帯を、自分の第2の故郷のように勝手に思い込んでいる。

だから、自分の子供にもこの深川のお祭りに小さい頃から参加させて、
古い江戸文化、愛おしい日本文化を
21世紀に継承する担い手になって欲しいと願っている。

深川八幡本祭りは、
消防隊員が各所でホースを持って待ち構えていたり、
一般家庭や各商店や各町内会が、通りの前に大きな桶で水を溜めて、
前を通る神輿と担ぎ手に派手にぶっ掛けることでも有名なのだが、
これはプレイベントに過ぎない子供神輿でも例外ではなく、
担いでいるのが子供であっても、容赦なく水をぶっかける。

水を掛けるのは、神輿と担ぎ手を清める神聖な儀式でもあるのだ。

わが子は、
自分の知らない人たちが笑いながら近づいてきて、
頭といわず、顔といわず、身体といわず、
自分に思いっきり冷たい水をぶっ掛けておきながら、
「頑張りな」、
と江戸下町言葉で温かく激励されるという、
日常生活ではほとんど有り得ないような経験に、
小さな声で「冷たい水、キライなの・・・」とか言って
半べそになりながらも、
しっかり神輿の棒を持つ手を離さなかった。

「最後まで神輿を担ぎ切ると、休憩所でお菓子とジュースをもらえるよ」、
という親の言葉だけを信じて耐えていただけかもしれないが、
この子は、セーリングで海に出て冷たい水しぶきを浴びても、
がんばっちゃう子かもしれないゾと、
ひとりの親馬鹿セーラーは思ったものでした。

8月7日 相模湾を見下ろす

2008年08月07日 | 風の旅人日乗
久し振りに、一家揃って九州の小倉に里帰りした。

北九州空港に着いた飛行機の座席にデジカメを置き忘れてしまい、
帰省中に父母が孫と遊ぶ写真を撮ることができなかったが、
そのデジカメは、日本航空が無事確保して
北九州空港で預かってくれていたので、
折角持ってきた手前、帰りの飛行機の窓から写真を撮った。
写真は、房総半島内房沿いから東京湾を見る、の図。

左側窓際の座席から駿河湾、相模湾、東京湾をじっくり見下ろして楽しんだが、
まだ8月上旬だというのに、
なんだか空気が秋の色になっていたのが気に掛かった。

2週間ちょっと前、イスタンブールからの帰りに
同じ航路から見下ろした海と陸の景色は
まだ間違いなく夏だったのに、
これは一体どうしたことだろう?

明日、8月8日には下田に向かい、
9日、10日と、石廊崎レースと、トランス相模レースに出ることになっている。
この空の色は、そのレースでの風に影響を与えるだろうか?
多分そうだろう。
羽田に降りて、葉山に戻ったら、天気図をチェックしてみよう。

今週末は、夏休み気分から、ちょっと離れるよ。


8月1日 2008年7月を総括してみる

2008年08月01日 | 風の旅人日乗
2008年7月が、まるで夢の中だったかのような、
スピード感溢れる時間の流れの中で過ぎ去ってしまい、
ぼくはまたひとつ歳を取った。


でもここのところ、歳を取ることが恐くなくなってきた。
開き直り、ともちょっと違う。
人生の残り時間が確実に少なくなっていく中で、
最近自分の肝が、やっと座って来つつあることを感じる。

人生の夢を実現させるための努力を続けることそのものが、幸せなことなんだ。
最近、それに気がついた。
2008年7月の、トルコとフランスでのセーリングで得たこと、準備できたことを
しっかり次のステップに繋げていこう。