ちっとも面白くない見積書作りに身悶えて苦しんでいるところに
ヨット専門誌Kaziの編集デスクが
「古いポジフィルムを探して来月号の準備をしていたら
楽しそうな昔の写真をいろいろ見つけましたよ」と
メールで送ってきてくれた
まず最初の一枚は
2000年の第30回アメリカズカップに挑戦した
ニッポンチャレンジ・セーリングチーム選手時代
左のアロハシャツは
開発チームの永井さん
今はKazi誌の新艇紹介レポーター仲間だ
後ろに見えるのは
当時建設中だったプリンセス桟橋のホテル・ヒルトン
二人とも若いな
仕事が終わってこれからパブにでも行くのだろうか?
きっとそうだな
次の写真は
白田正次オーナーのカスタムIRC艇〈ゼネット〉で
ハワイのケンウッドカップのときの
たぶん荒田カメラマンによる激写
後ろ(タクティシャン)と前(メインセールトリム)を
ニュージーランド人の名セーラーたちに囲まれてステアリングする
幸せなレースだったなあ
最終のロングレースで失敗して総合優勝は逃したけど
インショアレース部門では
ディーン・バーカーやテリー・ハッチンソンがステアリングする艇を凌いで
1位だったんだよなあ
もう一枚は
このティラーエクステンションからすると
この写真を見て久しぶりに思い出したけど
ニュージーランド航空がメインスポンサーだった
オークランドでのANZレガッタに
現地の42ftのIMS艇をチャーターして
〈カラス〉チームのNZ合宿として参加したときのもの
斜森オーナーが真面目にランナーを担当している
高野が難しい顔をしてスピネーカーを見ている
アフターガイをトリムしているのは堀江か
まだ髪がフサフサだ カッコいい
ここのところすっかり忘れていたけど
俺たちにだって
活躍していた若い時代があったんだ
もう一息がんばってみようかな
森戸海岸で
HELLY HANSEN主催キッズオーシャンスクールの
ヨット体験プログラムを
セーリング体験活動を今後も継続していく
今回の沖縄での修理回航仕事で、修理終了後に天草に向けて沖縄の与那原マリーナを出港する前日の8月21日。那覇市内にある対馬丸記念館を数年ぶりに訪問した。
対馬丸は80年前の1944年8月21日に那覇を出航後、翌日22日の夜にトカラ列島の悪石島の近くで米軍の潜水艦によって沈められた。
何年か前にホクレア号のクルーたちと一緒にパールハーバーのアリゾナ記念館を訪れたとき、そのすぐ近くの岩壁に、なぜか見覚えのある古い潜水艦が係留されていることに気が付いた。それが、対馬丸を沈めた潜水艦だった。見覚えがあったのは、その写真を、その少し前に対馬丸記念館で見ていたからだった。
対馬丸には、沖縄から九州や本州に疎開させられることになった学童を中心に、1800名近い民間人が乗っていたという。その約8割もの小さな若い命が犠牲となった。
私は相棒と二人で8月22日の早朝に与那原マリーナを出航して、日付が変わった深夜からは、北上してくる台風10号に吹き込む向かい風に苦しめられながら、8月23日の日没後には、悪石島の南を北西に針路を取って、黒潮の本流に向かって帆走していた。
そこは、80年前の同じ日、同じ時刻に、対馬丸の沈没の瞬間から生き延びた人たちが粗末な救命いかだや木片にしがみついて漂流していたと、対馬丸記念館の資料に記されている海だった。せっかく沈没の瞬間から生き延びたのに、漂流中に海水に体温を奪われて力尽きた学童も多かったという。大量に集まってきたサメに命を奪われた学童も多かったという。
その海を走り抜けながら一晩ずっと、80年前のその夜にその海を浮き沈みしながら流されていたその若い命たちのことを考え続けた。
どんなに怖かったことだろう。どんなに寒かったことだろう。どんなに喉が渇いていただろう。
しかし、自分にできることはその若い命たちの冥福を祈り続けることだけだった。その自分の無力が果てしなく情けなかった。
こんな悲劇を、この先の時代に繰り返さないようにするために、我々世代は一体どんな努力をすれば次の世代の役に立てるだろうか。そのことをいつも考え続けなければならない。強くそう思った。
台風対策を施してから天草を出て
熊本に向かう
熊本駅中のお寿司屋さんで
ランチをいただきながら
今後のスケジュールについての打ち合わせ
熊本駅から新幹線に乗って小倉に行き
父のお墓参り
着替えがなくてセーリングウエアを着っぱなしだったので
ホテルにチェックインした後
無印良品に行ってシャツとパンツを買う
ホテルに戻って
お気に入りの大浴場で汗を流した後
真新しい服に着替えて散歩に出る
暮れなずむ紫川のウッドウォークの階段に座り
コーヒーを飲みながらぼんやりする
銀天街を抜けて焼き鳥ハちゃんに行って
高校時代の悪友2人と夕食
八ちゃんの焼き鳥はいつも抜群で
永遠に食べていたくなる
2人との会話もめっぽう楽しい
いい人生の傍にいてくれて
ありがとう