AC45の0号艇、初セーリング@オークランドNZ

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
2013年に開催される第34回アメリカスカップの、今年度の予選シリーズに使われるAC45クラスが、昨日オークランドで初のテストセーリングを行なった。
特に、若い世代の日本人セーラーにじっくり見てもらいたいので、敢えて大きな写真のまま紹介します。


[Gilles Martin-Raget撮影写真を、水平線を水平にする目的で編集]

古き良き時代のノスタルジックを好む一部アメリカスカップ・ファンが嘆いたとしても、
次世代のための、未来のセーリング・スポーツの道を開拓しようとしている人たちが
熟慮して導き出した高速マルチハルによるアメリカスカップは、
いよいよ現実のものとして近づいてきた。

時代は、次のステージに向かって動いている。
後ろばかり見ていては、取り残されるぞ。
古い世代のセーラーのひとたちはそれでもいいかもしれないが、
君たちのような、未来ある若い世代のセーラーはそれじゃあダメだ。

日本の若いセーラーのみんな、現実を見つめよう。
人間が、技術の進歩についていかなければならないのは、セーリングも同じだよ。

恐れることはない、実力がありさえすれば、どんなヨットも乗りこなせる。
オイラだって、最初はびびったけど、110フィートの高速トライマランで41ノットオーバーのステアリングだってできた。
みんななら、もっとヘッチャラなはず。

みんなの中の、努力をした選手が、このAC45クラスやAC72に乗って世界のトップ選手たちとセーリング界の頂点にあるカップを争うレースができるよう、オイラたち世代(の一部)が交渉事とかで頑張るからさ、できれば、ついてきてほしいな。

ま、映画の『ライトスタッフ』を観て、どちらがかっこいいと思うかは、君次第なんだけどね。

東遊園地公園 希望の灯り

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
16年前の今日は、神戸をあの地震が襲った日。

朝起きてテレビをつけたとたんに、真っ黒な背景にオレンジ色の炎がいたるところで明滅している画面が現れた。
ヘリコプターから撮影している、神戸の辛い早朝の光景だった。

あの地震は、こんなに寒い時期のことだったんだ。

去年の初夏の、ある日の爽やかな早朝。
その日の西宮での仕事前に、三宮のホテルからフラワーロードを通って第4突堤まで散歩した。
学生時代、練習船が神戸に停泊しているときに、神戸で仲良くなった女の子たちなんかとよく行き来した、楽しい思い出が詰まっている道。

散歩からの帰り。
以前からこんな公園あったかな? と思いながら東遊園地公園を歩いているときに、
小さな炎が揺れるモニュメントを偶然目にして、近寄った。

何も考えずに写真を撮り、ホテルの朝食が始まる時間を気にしながら碑の説明書きを見て初めて、
それが震災慰霊碑で、炎は「希望の灯り」と呼ばれるものだと知った。



わずか十数年前の出来事なのに、他人事として忘れかけていた自分を恥じた。
碑に記された文章を読み、被災した人々の苦しみ、無念、辛さ、そして頑張りを思い、
涙が止まらなくなった。

下は、少し正確ではないかもしれないけど、写し取った碑文。

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1995年1月17日、午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの

命 仕事 団らん 街並み 思い出


震災が残してくれたもの

やさしさ 思いやり きずな 仲間


この灯りは 奪われたすべての命と

生き残った私たちの思いを 結び繋ぐ
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自分がまだ生かされていることに感謝し、
生かされているあいだはキチンと自分の人生を貫き、
そしてその人生で学んだことを、
次世代にバトンタッチしていかなきゃ申し訳ないのだぞと、
本日改めて肝に銘じる。

1月16日(日)のつぶやき

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
09:55 from web (Re: @dairoku126
@dairoku126 そういう海を見ながら育ったんで、東京湾は湖にしか思えませんでした、最初は。この強風の中、本日空から相模湾に戻ります。大丈夫かな、ひこーき。
20:03 from web
葉山に、せいかん。大揺れしている翼の下に伊豆大島見て、昔読んだ松本清張木星号事件思い出してびびる。南半球ニュージーランドのオークランドでは、AC45ウイングマスト無事立つ。
21:08 from web
葉山にせいかんし、久し振りに落ち着いてパソコンに向かう。今日のいといさんの言葉に、しばし立ち止まる。最後の一行の前に、どっかと座り込む。そーか。 http://www.1101.com/home.html
by KazuNishimura on Twitter