4月29日 葉山

2008年04月29日 | 風の旅人日乗
4月29日 葉山、大浜海岸。
今日は、これからセーリングをやってみたいという人たちを相手に、葉山の海岸近くのアウトドア・スポーツクラブで講演。
慣れないパワーポイントを使って、しかもプロジェクターとPCがうまく繋がらず、かなり焦りましたが、なんとか無事終了。
こういうことをきっかけにセーリングというスポーツ&文化に興味を持ってくださる人が増えればいいのだけれど。

写真は、先週の関西で道頓堀に泊まったときに撮った、道頓堀名物くいだおれ人形。7月に姿を消すらしい。発表の機会を逸したもので、こんなところでスマヌ。あと、阪神ファンが飛び込むという橋の横にある消防署の車庫に、船外機付きゴムボートが吊るされているのを見て驚いた。アレで飛び込んだ人を助けるのでしょうか? それとも下から「飛び込むな!」と牽制するのでしょうか?阪神が優勝しない限り出番はなさそうですが…

4月24日 堺

2008年04月24日 | 風の旅人日乗
4月24日 堺。

堺は雨でした。
とても楽しみにしていたハバー800という、ポーランド製のヨットのセーリングだったのに、冷たい雨が本降りで、雨に霞む堺港での、ちょっと悲しい状況でのセーリングになってしまった。

でも、ハバー800は本当に不思議な方向に開発されたヨットで、このヨットを考えた人、造った人、販売する人、たちが本当にセーリングそのものを好きなんだなあ、ということが伝わってくる、心温かなヨットでした。

4月23日 西宮

2008年04月23日 | 風の旅人日乗
4月23日 西宮。

今日は、34フィートクラスの人気モデル2隻、X34とデヘラー34のテスト・セーリング。
どちらも素晴らしい仕上がりのプロダクション艇で、仕事をほとんど忘れてセーリングを心底楽しむことができた。
風のコンディションも良く、懐かしい面々とも一緒に乗ることができて、大満足の1日でありました。
(写真提供:舵社)

4月20日 沖縄・慶良間

2008年04月21日 | 風の旅人日乗
4月20日 沖縄・慶良間。

この数日間、沖縄慶良間列島でサバニに乗ってきた。
新生チームで、初の練習だったが、非常に実りのある練習だった。
サバニを速く走らせることも、楽しく走らせることも、チームワークがなければまったく不可能だ。

チームワークとは、単に技術的な問題ではなく、精神的な問題のほうが大きいと思う。特に、サバニで座間味から那覇まで走りきることは肉体的に苦しい。そのときにチームメイトのお互いの信頼関係がなければ、速く走ることもできないし、楽しく走ることもできない。新生チーム誕生には、多少の痛みも伴った。でも、チームの前進のためには仕方のないこと。
サバニは、人間の中身も鍛えてくれるんだよね。

4月9日の太平洋

2008年04月09日 | 風の旅人日乗
ナイノア・トンプソンの原稿を徹夜で書き終え、まだ、ぼんやりと太平洋のことを考えている。
今、GITANA13という、1隻のフランス艇が日本に向けてセーリングで爆走中だ。
最短時間記録を作ろうとしているのだ。
ぼくが206年に別のフランス艇で作った記録は大幅に破られそうだ。
今日は、明日朝その艇を入港させるための準備に忙殺される。
夜に入ったら、三浦半島城ヶ島灯台に行き、その沖にゴールするその艇のタイムを計測する。
それをイギリスのスピードレコード管理本部に送り、それが世界記録として記録される。
責任重大な任務だ。恐らく今夜も徹夜になるだろう。
いろんなことを考えることができる時間になりそうだ。
画像は、本日朝の、北太平洋の風。

アメリカズカップを考える-BMWオラクルレーシング

2008年04月03日 | 風の旅人日乗
アリンギがトリマランでのトレーニングを開始した(転覆破損事故により、現在は中断中)のと歩調を合わせるように、ラッセル・クーツ以下のBMWオラクルレーシングも、大型トリマランをチャーターしてのトレーニングセッションに入ったみたい。
40フィートクラスのカタマランでのトレーニングから、一段ステップアップだ。
ラッセル・クーツ率いるBMWオラクルレーシングがチャーターしているのは、グロウパーマ2。先日ニュージーランド沖で転覆したグロウパーマ3よりも一回りほど小さいが、最終的に全長90フィートの艇での実艇トレーニングを行なう前段階としては適切な大きさだろう。
レース実施期日に関する裁判所の決定はまだ出されないが、いよいよ両チームの海上トレーニングが熱を帯びてき始めた。ヨットレースは、こうでなきゃね。

ナザニエル・ヘレショフ

2008年04月02日 | 風の旅人日乗
先日、ちょっと特殊なヨットでセーリングを楽しんだ。
そのヨットは96年前に実存した、ある木造ヨットを正確に復元したレプリカだ。

ナザニエル・ヘレショフという、近代西洋型セーリングボートの進化に大いに貢献した天才ヨット設計家が、かつてアメリカのブリストルにいた。
彼は19世紀後半から20世紀前半にかけてのアメリカで、数十年にわたってアメリカズカップの防衛に大きな役割を果たしたことでも知られている。彼が設計し建造した数々のヨットは、アメリカのその時代の海洋文化そのものであり、今でも彼自身と、彼が設計してまだ現存する多くのヨットのことをリスペクトするセーリングファンは少なくない。

先日ぼくが乗ったのは、そのN.ヘレショフが自分の楽しみのために造ったヨットの、精巧なレプリカだ。
過去に存在した艇の精巧なレプリカを造るという行為はとてもエネルギーがいる行為で、そのヨットだけでなくそのヨットを設計し建造した先人たちに敬意を払う心がなければできることではないように思う。現代型の艇を建造するエネルギーの比ではない。

この艇を復元した人たちの努力のおかげで、ぼくは100年前の西洋人のセーリングのスタイルを、その艇を操ることによって身をもって知ることができた。耳を澄ませれば、100年前のセーラーたちの息づかいまで聞こえてきそうだった。大袈裟に言えば、その艇は、ことセーリングに関しては、ぼくにとって100年前へのタイムマシンになったのだ。
最初は1日だけの予定だったのに、ぼくは無理を言って2日もその艇でセーリングをさせてもらった。1日目ではつかめなかったその艇の走らせ方のポイントが、2日目にはつかむことができて、舵棒を介してその艇と楽しい会話をすることができた。このことが可能だったのは、そのヨットがオリジナルに敬意を込めて造られた精巧なレプリカだったからで、もし適当に似せて造られたものだったら、思い入れを込めて過去と心を通わせることは不可能だし、それ以前にまず、そうしようという気になんかなれない。
過去の文化を現代に伝え、そしてそれを未来に繋げていくためには、途切れのない文化継承が必要なんだなあ、と改めて思ったことでした。

このページの写真は、ぼくが乗ったそのレプリカを手配してくれた知人から拝借したもので、オリジナルになった艇の製作現場の写真です。その艇は当時のブリストルの船大工と塗装職人たちが魂を込めて造り上げた力作だった、と資料にあります。

第33回アメリカズカップを考える(エイプリル・フール)

2008年04月02日 | 風の旅人日乗
毎日毎日、無料でセーリング関係のニュースをメールで送って来るスカトルバット・ヨーロッパというサイトがある。
ここは普段、非常にまじめで正確なニュースを作って送ってくる、とても信頼の置けるサイトなんだけど、年に1度だけ大変ないたずらをする。4月1日に、メチャメチャな大嘘ニュースを、いつもと同じ文面で配信するのだ。エイプリル・フールなんである。

これに毎年まんまと騙される日本のセーリング関係者が、とても多い。
嘘のニュースの文面の中に、そのことに詳しい人が読むと少しおかしいな?と感じる事実関係が隠されていて、そこで嘘の匂いを発見できるよう気が配られているのだが、そうでない人は簡単に騙されてしまう。

今年はどんな嘘つきニュースを作ったかな?

まず、アリンギのボスのアーネスト・ベルタレーリが、アメリカズカップの所有権を放棄!その代わりにF1サーキットのボスであるバーニー・エクレストンからF1興行のすべての権利を買い取った、という大笑いネタがトップ・ニュースだ。
「私は海の世界でF1のボスのバーニー・エクレストンになることを目指していのに、今回のBMWオラクルのお陰で、もはやそのチャンスはなくなった。ならばいっそのことアメリカズカップなどくれてやって、F1を買えばいい、と考えた。それでバーニーと交渉して、今日、合意に至った」という、パリのFIA本部で緊急に開かれたという記者会見でのベルタレーリのコメント付き。
フォーブスの世界億万長者ランキングでも上位に顔を出すアーネスト・ベルタレーリだけに、F1を買ってしまう話も有り得ないことではなさそうなので、丸っきりのギャグにもなっていない。

しかし、こういう悪ふざけをしても西洋のエイプリル・フールでは問題ないらしい。日本だと、冗談ではすまなくなるな、きっと。

その次のニュースでは、3DLセールに次ぐ世代のセールとして、ノースセールが極秘で開発していた、形状記憶機能付きセールが、自己を認識する知能を持ち始めてしまい、開発技術者を相手に禅や宇宙について会話するようになってしまった、というニュース。
ここまで読むと、アレ?と気が付く読者も増えてきて、ベルタレーリとF1のトップニュースのことも疑い始める、という仕掛けだ。

それにしても、現在のアメリカズカップは、こういうエイプリル・フールのネタに使われるようになってしまっている。
日本からの挑戦をあきらめていない真剣な人間にとっては、怒っていいのか泣いていいのかさえ、分からなくなってしまう。
正直言って、ぼくはちょっと悲しいよ。