10月4日 スペインで、相模湾の航海を振り返る

2008年10月09日 | 風の旅人日乗
地中海に面した港町、アリカンテの素敵なホテルで目覚め、
最上階にあるフィットネスルームに行く。
眼下に広がる地中海から太陽が昇ってくる直前の時間帯。
漆黒から濃紺、そして紫へと色を変えていく景色を見ながらエアロバイクを漕ぐ。
気持ち良さそうな屋外をジョグしたいところだが、
到着したばかりで治安事情が分からない外国の街では、
この時間帯の外出は控えざるを得ない。

こうしてじっくり夜明けを見るのは、先月9月12日の、伊豆大島沖以来だ。

9月12日、伊豆大島の岡田から三浦半島葉山の大浜海岸まで
SUP(スタンドアップパドル)で漕ぐ、と言い張る友人を、
サポート艇で先導した。
この機会にこの航海のことを書いておこうと思う。

SUPというのは、
最近よく相模湾の海辺で見掛けるようになった、サーフボードの上に立った状態で、
長いパドルを使って漕ぐスポーツだ。

SUPは、普通に考える限り、外洋を渡る道具ではない。
サポートを引き受けるに当たって、
その友人デュークとじっくりと話をした。
疑問に思うことはすべて聞いた。
そして彼の全体計画のほぼすべてに納得のいく答えをもらったので、
サポートを引き受けた。

ほぼすべて、だからすべてではない。
すべてではないけど、今回の大島-葉山の計画に限っては、
すべて納得がいったので引き受けた。
こちらから出した一つの条件は、航海計画を必ず海上保安庁に提出すること。
デュークはそれをキチンと実行した。

9月11日の深夜に葉山新港を出港し、大島を目指した。
目的地は、大島到着予定の翌12日早朝の風次第とした。

つまり、予報通り東っけの風が残っていれば、その風の陰になる大島の西側海岸、
大島空港の滑走路沖辺りに取っ付く。
予報よりも風のシフトが早まり、西っけの風に変わっていれば、
その風の陰になる大島の東側海岸、岡田港付近に取っ付く。

そのどちらかの海岸の近くでデュークとボードを降ろし、
デュークが自分でSUPを漕いで海岸に一度上陸し、
そこから葉山に向けてスタートする。
そういう予定だ。

三浦半島では北東だった風向が、
三浦半島から離れたとたんに北西から西南西に回り、
大島を目指す航程の早い時期に、
西風の陰になる岡田港近くを目指すことを決めた。

翌日の大航海のために、デュークには船室に入って寝てもらった。

下の図が、葉山から大島に向かったときのサポート艇の航跡だ。


葉山を出て三浦半島をかわす頃まではコンパスで、
大島北端の風早埼の灯台が見えるようになってからは、
そのちょっと左の、岡田辺りを目指し、
さらに接近して岡田港の灯台が見えるようになったら、
岡田港を目指して、サポート艇をステアリングした。

つまり、潮に流されるままに、
ひたすら船首を風早埼のちょいと東に向けて走った。
なぜか。
それは、このときの航跡から、最新の潮の方向と強さの情報を集め、
それを帰りの、いわば本番の航海に生かそうと思ったからだ。

上の図の航跡を見ると、
三浦半島の南に出てすぐの辺りからずっと、
我々が乗った艇が西に流されているのが分かる。
この辺りの海域には、この8月中旬からだが、
強めの西流(東から西への流れ。潮流の向きは、風と違って、流れていく方向で表す)
が流れている。

その下の部分、航跡が細かく蛇行している部分は、
深夜にもかかわらず走っているものすごい数の大型の船舶を
あっちに避け、こっちに避けしたところ。
即ちこの部分が、大型船舶が往来する本船航路だ。

本船航路を無事横切り、航路の南に出た後、
今度は航跡が大きく東にずれ始めている。
東向きの強い潮流を受けているのだ。
恐らく大島の北側を回り込んでいる黒潮の分流と思われる。

流されて、流されて、最後は岡田に直接船首を向けると前に進めなくなり、
一旦大島の岸に直角で近づけて、その急潮を抜けてから岡田港を目指した。

サポート艇のスピードは6ノット強。
つまり潮の速さは、強いところで、それと同じスピードだということになる。
風向は260度(西南西よりももう少し西よりの風)、
風速22ノットくらい。
パフが入ると25ノットまで上がる。

船室から起きてきたデュークは、この風とこの潮であるにもかかわらず、
この日に決行することを決めた。

葉山を出港する前のミーティングで、
「アドバイスはするが、最終判断はお前が自分で下せ」
と言った以上、彼の最終決定に口は挟めない。
何かが起きて海上保安庁に出頭することになるかもしれない、と覚悟を決めた。

下の図が、大島から葉山へ、デュークを先導した航跡。
すなわち、これが、デュークの偉業の航跡ということになる。


サポート艇はバッテリーに不調を抱えており、
大島からしばらく航跡がブランクなのは、
バッテリー電圧が低下してGPSが使用不可になったため。

岡田近くで受けた強い東流から早く抜けさせるため、
スタート後はしばらく先導艇の進路を真北よりも西、
ちょうど小田原から真鶴辺りに向けて、デュークに付いて来させる。

スタートしてから約1時間、この、東に流れる強い潮から抜けるまでが、
デュークにとって最初の試練だったことだろう。
しかもこの時間帯までは、風もほぼ横からで、
ボードが一方向に流されるので漕ぐのも片方だけになり、
横波を受けるからボード自体も不安定だ。

GPSが復活してからは、
サポート艇のオーナーのSさんに、船内のGPSに付っきりになってもらって、
実際に艇が流されている方向をコールしてもらい、
それを修正して、実際の航跡が直線で葉山に向かうようにサポート艇を操船した。

デュークには必ず複数の人間がデュークから目を話さないことを取り決め、
役目から離れるときは必ず誰かにバトンタッチするよう徹底した。

航跡が直線になるように、つまりデュークに最短距離を漕がせるように努めたが、
図を見てみると三浦半島の南で少し西側に湾曲している。

これは、非常に動きが遅い貨物船が2隻続けて来て、それを避けているときの航跡で、
恐らく、避けなくても2隻の貨物船の前を通ることができたかもしれないが、
無理をして危険を冒してはならないと判断した。

下の図が、葉山大浜海岸への最終アプローチの航跡。

線がヨレている3箇所が、
デュークがボードから落ちて、
デュークが復帰するのを待って,船を風に立てたり、
大きく回ったりしたところ。
成功は目前に来ていたけど、
デュークの疲労は限界に近かったのではないかと思う。

大浜沖から左斜め上側に向かっている航跡は、
それ以上は浅くてサポート艇が大浜に近寄れず、
大浜から出てきたOC1に後を任せて葉山新港に帰っていくサポート艇の航跡だ。

デュークがやったことの意義は、これから評価されていくことだろうと思うが、
まあ、ややこしいことは抜きで、
奴は、スゴイ奴だわ。

これをやったことで果たさなければならない
デュークの責任の最も基本的なことは、
この航海は、デューク自身の絶え間ない努力によって培った能力と、
かなりの幸運によって、達成できたことであることを、皆に伝え、
いい加減な準備で、このようなことを気安くやろうとする人が出てこないよう
方々に気を配ることだと思うな。

窓越しにエアロバイクの前に広がる
地中海の水平線から、
10月4日の朝日が昇ってきた。

10月2日 写真日記 スカンジナビア半島 ロンドン アリカンテ

2008年10月08日 | 風の旅人日乗
ぐっすり眠って目を覚ましたら、
飛行機はスカンジナビア半島をかすめて北海に出るところだった。
この海岸線は、数年前に車でドライブしたところだぞ。

コーヒーをもらってしばらくしたら、
飛行機はグレートブリテン島に到達。


テームズ川が見えてきたところで、
最終着陸態勢に入り、
「すべての電子機器は使用をお控えください」のアナウンスで
デジカメをしまう。
デジカメって、一体どういう仕組みで飛行機の安全運航に支障をきたすのだろう?
マジに知りたい。


ロンドン・ヒースロー空港のターミナル5は、新しくて清潔。
ブリティッシュエアーはこのターミナルに発着するので嬉しい。
有楽町フォーラムや、関空や香港空港と同じようなトラス構造。
お洒落な店も多い。

噴水の前で、ロンドン・ガトウィック空港行きの
ナショナルエキスプレス・バスを待つ。
秋の遅い午後、ロンドンの空気は、気持ちよくキリリと冷えている。


ロンドン名物の大渋滞にほとんど巻き込まれることなく、

ほぼ定刻通りに、バスはロンドン・ガトウィック空港ノースターミナルに到着。
ここでスペインのアリカンテ行きの飛行機に乗り換える。

現地時間午後11時40分、葉山を出てから25時間後、
スペイン地中海岸のアリカンテ空港に降り立つ。
日本から上弦の月が付いてきている。
地中海からの東風が、サラサラと半そでの腕をなでる。


10月2日 写真日記 成田 ユーラシア大陸

2008年10月08日 | 風の旅人日乗
母が九州に帰った後、
9月30日と10月1日を、
東京に出たり、海に出たり、逗子で人に会ったり、原稿を書いたりして
慌ただしく過ごした後、
10月2日、始発のバスに乗って逗子駅に出て、成田空港へ。
11時前に成田を飛び立つブリティッシュエア、
ロンドン・ヒースロー空港行きの飛行機に乗るのだ。

第1ターミナルの、早朝から営業しているそじ坊で朝飯の蕎麦を食べ、
忘れてきた下着の替えをユニクロで買って、
海外からの電話カードをKDDIのカウンターで買って、
トイレ大を済ませ、
クレジットカードお客様ラウンジでコーヒーとジュースを飲みながら
携帯メールをいくつか送って、
そして、イミグレを通ってゲートに向かい
ブリティッシュエアー機に乗り込む。

離陸してしばらくして、ふと窓の外を見ると
左後方に富士山が見える。

好きな古今亭志ん朝の落語で、
愛宕山のことを「地べたが腫れた」程度の山だと言うくだりがあるけど、
こうして上空から見ると、富士山も、
地球の吹き出物のようにしか見えないな。

ちょっとボンヤリしていると眼下に佐渡島が見えてくる。
当たり前だけど、海図で見るのと同じ形をしている。


さらにもうちょっとボンヤリしていると、
飛行機はあっけなく日本海を渡ってしまって、
もうユーラシア大陸の東海岸、おロシア国領土に到達。


周りの雰囲気からして、窓のシェードを閉めたほうが良さそうだったので、
シェードを閉めたら、あっという間もなく、眠り込んでしまった。