2月23日 パリ

2010年02月25日 | 風の旅人日乗
沢木耕太郎さんのエッセイに、『走る男』というタイトルの文章があったと記憶している。
早めに空港に行くように心掛けているのだが、なぜかいつも飛行機に遅れそうになって最後は走らなければならなくなる、という沢木さん自身のことを書いたエッセイだ。

パリで、走る男になった。

2月23日、スペインから帰国の日。
バレンシアからは、パリのシャルルドゴールを経由して、成田に帰国することになっていた。
バレンシアからパリまでは、朝7時ちょうど発の便を予約していたが、
空港で時間的にドキドキするのが嫌な性質なので、
空港に余裕を持って着けるよう、朝4時に起き、シャワーを浴び、朝食を摂り、
5時に予約をしていたタクシーに乗ってホテルを出た。

朝7時にバレンシアを飛び立った飛行機がパリに着くのが朝9時。
しかし成田行きの全日空便の出発は夜の19時40分で、空港で10時間40分も待たなければいけない。
それではつまらないので、空港バスが発着するオペラ座まで行って、
その周辺のパリ市内を数時間ブラつこう、と考えた。

実は今回、ヨーロッパ用の財布の奥に、ユーロ切替え時に換金し忘れていた2000フランがあるのを発見して、
大変悔しい思いをしているのだったが、
オペラ座の近くに大きい銀行があったら、そこに行って、
もう本当にフランをユーロに換えてもらえないのかどうかを自分で確かめて、
それでダメだったら、このフラン紙幣のことはキッパリと諦めよう、
そういうふうにパリでの数時間を使うのもいいアイディアではないか、
などと、沢木耕太郎さん風に気取って思ったりしていた。
パリでの時間はタップリあるはずだったのだ、その時点では…

朝5時25分にバレンシア空港に着き、
エールフランス/エアヨーロッパ共同運航便パリ行きという表示が出ているチェックインカウンターに並び、
ぼんやりしていたら、列の前のほうがもめている。

前から順にクチコミが伝わってきて、
どうやらこのエールフランスパリ行きは、ストで運行が取り止めになったらしい。
なにー? 
ルフトハンザがストをするかもしれないというニュースは、
前日かその前あたりからCNNが報道していたが、なんでエールフランスも飛ばないわけ?

あとで知ったところでは、フランスの空港の管制官も、そのルフトハンザのどさくさに紛れて、この日ストをやったらしい。

そのチェックンカウンターに並んでいたみんなで、ぞろぞろと空港内を移動して、
今度はエアヨーロッパのチケットカウンターの前に並びなおす。
窓口とその奥ははまだ真っ暗で人の気配はない。
朝6時、オフィス開く。

この日のバレンシア発パリ行きで飛ぶのは、シャルルドゴール空港行きも、オルリー空港行きも、16時30分に出発して18時30分にシャルルドゴール空港に着く1便だけ、
それ以外はすべて運行取り止め、ということらしい。
問答無用。選択の余地無し。
乗り継ぎ時間は1時間ちょっとしかないが、その便に乗るしかない。
オペラ座も、フラン換金チャレンジ計画も、すべて流れた。

というか、それどころか、シャルルドゴール空港着陸から実際のゲート到着までの時間や、チェックインカウンターでの発券手続き(完全に乗り継ぎ便に乗れなくなった場合に備えて、パリから先はここでは発券しないほうがいいと思う、というチェックインカウンターのきれいなスペイン人おねえさんの言うことを素直に聞いた)にかかる時間、通関、荷物検査にかかる時間を考えると、
乗り継ぎ時間1時間10分は、実際には非常に危険な短い時間で、19時40分の成田行き全日空機に乗れるかどうか、すらが危なくなった。

しかも、バレンシアからの便はシャルルドゴール空港のターミナル2に着き、全日空機はターミナル1から出発する。
シャルルドゴール空港のターミナル1と2は、成田空港のふたつのターミナルよりも距離的にもっと離れているイメージだ。
うーん、これは難しいかもしれない。

バレンシア空港の公衆電話から日本に電話して、
一人の男がパリで難しい乗り継ぎに挑戦しようとしていることを、全日空東京オフィスに伝えてもらう。

9時間をなんとかバレンシア空港でやり過ごし、16時30分、パリに向けて飛び立つ。
パリでは間違いなく走ることになる。パリまでの2時間、足のストレッチを入念に行なう。

18時30分、シャルルドゴール空港の滑走路にタッチダウン。
それからゲートまでのタクシーイングが非常に長く感じる。いや、実際に長い。空港の端から端まで走っている感じ。

18時45分、ゲート到着。
飛行機の扉がなかなか開かない。その間、足踏みをしながら、ウォーミングアップをする。
手に、Eチケットとパスポートを握りしめる。

いつも飛行機から降りるとき、人を押しのけて我先に降りようとするおばさんたちに、
これまで深ーい軽蔑の念を抱いていた。
しかし、その感情を少し訂正することにする。
中には、本当に急がなければいけない人もいるのだね。

18時50分、飛行機の出口を出るまでは、順番を守って、前の人も押さず、神妙に降りて、
そこから先は前の人をすり抜けてダッシュ。

ゲートの入口にいた背の高いきれいな黒人の女性スタッフにEチケットを見せ、
「乗り継ぎ、ワタシ、時間ない」
と急を告げる。
彼女は、手に持っていた何かの名前リストでぼくの名乗った名前を探し、
「OK,これがあなたね、すぐにエールフランスのチケットカウンターに行って」
と、そのカウンターへの行き方を教えてくれて、
「急いで!」と励ましてくれる。

全日空便に予約しているのに、なんでエールフランスの何かのリストに自分の名前が?と、走りながら思うが、
緊急の客には、会社やマイレージプログラムの提携グループに関係なく、航空会社の間でそういう連携プレーをすることになっているのかもしれない、
東京の全日空からエールフランスにも、そういう人がおたくの便に乗っているので助けてやって欲しい、という連絡が行っているのかもしれない、
と解釈し、
教えられたとおりの道順をたどって、階段を駆け上がり、駆け下り、エールフランスのチケットカウンターに向かって全力で走る。

18時55分。
エールフランスのチケットカカウンターには列ができていたが、
風雲急を告げていることを全身で表現しながら全力で走ってきた日本人の男を見て、離れたところで仕事をしていたきれいなフランス人の女性スタッフが手招きをしてくれる。
え?彼女にも、全日空便の客であるぼくの緊急事態が伝えられているのか?
そうなのか、ありがたい! 航空会社の、競争を超えた横の繋がりはこんなにも美しい!

Eチケットを見せながら、彼女にも救助要請の旨を伝える。

ぼくの焦りは彼女に正確に伝わり、
そのEチケットを見ながら彼女は頼り甲斐のある厳しい表情でコンピュータに何かを打ち込んでいたが、急に、
「あら、これはうちの会社の便のチケットじゃないわ」
と驚いた顔でこちらを見上げる。

驚いたのはこちらだよ。

しかしさ、まあ、冷静に考えれば、やっぱり、そうだよね。ありえるわけがない。
さっきのきれいな黒人の女性スタッフは、エールフランスに乗る別の人の名前と間違えたんだ。

無駄な時間を使ってしまったぜ。

でも、そのエールフランスのきれいなフランス人の女性スタッフは、
カウンターから身を乗り出しながら、身振りをまじえて、一緒に走り出しそうな勢いで、ターミナル間を結ぶシャトル・トレインの駅までの道順を非常に正確に教えてくれて、
「急ぎなさい!」と送り出してくれた。
19時00分。

走りました。久し振りに全力疾走を数百メートル。
のんびりと空港内を歩く人たちをすり抜け、最後はエスカレーターを駆け下り、シャトル・トレインの駅に到着。
でも、シャトルがなかなか来ない。
19時10分。
出発まで残り30分。まだチケット発券もしてないし、通関も、荷物検査もある。
うーん、難しいかもしれない。

ターミナル2を出たシャトルは、途中、ターミナル3と、駐車場2つを経由してターミナル1に向かう。
途中の駅の停車時間が、意地悪なくらい、異様に長く感じる。
最終駅のターミナル1にシャトルが到着するや否や、すぐに飛び出して走り始める。
残り20分。
全日空の発券カウンターはどこだ。

と、駅の出口のところで、走ってくるぼくに向かって、ぼくの名前を呼んでいるきれいなフランス人女性がいる。流暢な日本語だ。
急ブレーキをかけ、返事をすると、
「飛行機が着いてからここまで、早かったですねー、だいぶ走りました? 
お待ちしていました。もう発券も済ませているので、大丈夫ですよ。もうすぐ搭乗開始です」
とニッコリ笑いながら、発券済みの搭乗券を手渡してくれた。

全日空のスタッフである彼女は、そのあともなお走り出そうとするぼくを「もう歩いても大丈夫ですから」と引き止めてくれ、
ゲートに向かって一緒に歩きながら、ターミナル2からの間抜けな冒険譚を面白そうに聞いてくれる。

それまで早送りで流れていたシャルルドゴール空港の景色を、
やっと落ち着いて見ることができるようになった。

彼女から、どの便から乗り継ごうとしているのかという情報があったから、こういうことができるんですよ、でも、あと5分で諦めようと思っていたところでした、
と教えてもらった。
日本からの連絡がパリまでちゃんと届けられていたのだ。
ありがとう、全日空東京の担当者のどなたか。
全力で走った甲斐もあった。

努力して、周りも善意でそれを助けてくれて、そしてそのことが最後に報われるって、
こういうちっぽけなことであっても、美空ひばりの『愛燦燦と』が聞こえてきそうなくらい、
嬉しいものですね。

2月21日 バレンシア

2010年02月21日 | 風の旅人日乗
今日は、これからアリンギのコンパウンドに行き、トム・シュネッケンバーグのオフィスで話を聞く。
トムから直接話を聞けるのは、今回は今日が最後のチャンスだ。

トムは、アリンギがアメリカスカップを失った後、ちょうど1週間がたった日曜日の今日も、オフィスに出て仕事をしている。
アリンギは、次に向けてどんな準備をしているのだろう?
ただし、そのことを聞くのはトムに対して失礼になる。
その人が、秘密にすべしと組織から強いられていることを聞いてしまい、
「ごめん、答えられないんだ」、
と相手に言わせることは、相手に不必要な、気まずい思いをさせることになる。
しゃべっていいことなら、トムのほうからしゃべってくれるだろう。


昨日の土曜日2月20日は、仕事は完全オフにした。
バレンシア観光サイクリング。
気温は結構下がったものの、天気は快晴。
この快晴はこの日一日だけ、という予報だから、
この日にめいっぱいバレンシアのアウトドアを楽しむことにする。

朝、トムのアパートに行って、自転車を借りる。
トムのアパートを出る前に、トムが、グーグルアースの画面を使って、
お勧めコースをいくつか紹介してくれる。
自転車道が、市外の遥か遠くまで整備されていて、
自転車愛好家たちが、
自動車の危険にさらされることなく、
歩行者に迷惑をかけることなく、
存分に自転車を楽しめる環境が整っている。
自動車ドライバーにイライラされ、歩行者に冷たい視線を投げられる日本の自転車乗りの人たちの
肩身の狭さと不幸を思う。

いろいろなコースの中から、バレンシア市街を抜け出して、
バレンシア市の南に伸びるビーチに沿って南下するコースに決定。

バレンシアでは、1957年に市内を流れていたトゥリア川が大洪水を起し、
多くの人たちが亡くなったという。
その後、将来の洪水の危険をなくすために、
トゥリア川を、市内を迂回して市の南側を流れるようにする大工事が行なわれた。
そして、それまでの川底をそのまま利用して、全長7キロ、幅200m~500mもの、大きな公園を作った。
その公園は今、バレンシア市民の憩いの場、運動場、サイクリングを楽しむエリアとして親しまれていて、カフェテリアもいくつかある。


まずは、その川底公園に下りて、水のない川を河口に向かって走り始める。
すぐに、素晴らしい噴水を見つけ、記念撮影。



数日前に初めて見て驚いた建築物群のある芸術科学都市(と言うのだそうだ)も、
この旧川底公園の中にあって、朝からたくさんの人たちが遊びに来ている。

その公園で、日本の南天に似た植木を発見。これも記念撮影。



夾竹桃の木も目に付く。
夾竹桃の木を見ると小学校の校庭に生えていた木を思い出して、
日本の原風景を演出する木のように思っていたのだが、
トルコでもスロベニアでもよく目にするから
夾竹桃は地球上全体にはびこっている木なのではないかと、思う。

未来的な芸術科学都市を抜けてすぐ、
近代建築や高架の高速道路に囲まれて、旧スペイン風農家を発見。

この家の周囲には日本の農家の周囲によく似た畑が広がっていた。

すごくたくさんの自転車が走っている。
自転車が当たり前に走っている光景。ヨーロッパだなあ。
おじいいちゃん、おばあちゃんも多い。
自転車に乗っているおじいちゃん、おばあちゃんたちは、
前向きに生きるおじいちゃん、おばあちゃんの顔つきをしている。


ビーチに出て走っていると、
海水浴場の監視員の椅子が、ステンレスのパイプを組み合わせた、
シンプルで素晴らしいデザインだったのに感心して、
パチリ。


ビーチ沿いにあるサッカー場で、
アマチュアらしき人たちがゲームを楽しんでいたので、
休憩がてら、それをぼんやり観ていたら、
そのちょっと前から気になっていた、ピッチの周囲に何本も立っているポールが
ビーチ・カタマランのマストであることに気が付く。
サッカーグラウンドの中に、ヨット置場。
日本では考えられない組み合わせ。


2時間ほど南に走って、自転車専用道がなくなったところで、引き返すことにする。
南西の風が強くなって向かい風になり、走りにくくなったのが一番の理由だけど。
自転車が風に深く関わっていることを再認識する。
ヨットは風が無風の時には無風だけど、
自転車は無風のときでも、走っている限り常に見かけの風を感じているわけだからな。


芸術科学都市の前に出ていたカフェで昼食兼休憩しながら人間ウォッチングを楽しんだ後、旧川底公園を上流の端まで走る。


おばあちゃんと孫2人が、公園の中で貸し出している自転車でサイクリング中、を、
追い抜く前にパチリ。

自転車を2台つなげた、ヨットやカヌーで言えば双胴艇、カタマラン、あるいはダブルハルの発想の自転車。
おばあちゃんとお姉ちゃんの真ん中に乗って、漕がずに楽している少年の振り返りざまの笑顔がよかったんだけど、
うまく写っていなかった。



未来のスペイン・サッカーを背負って立とうとしている少年たちが熱いゲーム中。
寝転がって痛がるジェスチャーで相手の反則をアピールする技だけは、すでにプロ並。

アントニオ君というのが中心プレーヤーのようで、
「アントーニオ!xxx!」
「xxx!、アントーニオ」
という、コーチの声が、石積みの川の護岸でエコーしていた。
でも、もしかしたらアントニオ君のおとうさんの声が大きかっただけかも…。


サイクリングを終えて帰ろうとした矢先に後輪がパンクして、最後はちょっと大変だったけど、
バレンシア唯一の休日は、とても充実した楽しい一日だった。

2月20日 唐突ですが、ワイキキのSam's Kichin

2010年02月21日 | 風の旅人日乗
ホクレア&カマヘレのクルー、サムが経営し、自分で料理も作っている
ホノルル市内、ワイキキのど真ん中にある美味しい食堂を、
ハワイに行く機会の多い人たちに紹介したくて、
唐突ですが、ここで紹介します。



この人がサム。
ホノルルのホテルの部屋のTVで放送されている『アロハ天国』に出演していて、
ホテルを利用する日本人観光客の間ではちょっと顔を知られた、
人気者のようですが、ボクはそっちで活躍しているときのサムは知りません。

サムは、カマヘレとホクレアの大切なクルーです。
ワイキキ近くの、もう知らない人が多いと思うけどクラーク・ゲーブルという俳優が
『風と共に去りぬ』のギャラの一部で建てたスペイン風別荘の向かいの、
古くて小さな家に住んでいます。

サムはホクレアとカマヘレの出港準備のときも、
海の上でも、港に着いて片づけをするときにも、
みんなの先頭に立ってすごく働く。
誰かが困っていたら、すぐに手を貸す。
その上、料理がめちゃうまい。

そういうサムが出しているレストランです。
今はテイクアウトが中心だけど、
今の店舗のすぐ裏のスペースも借りて『小規模ワイキキ再開発』を計画していて、
そこにテーブル席を用意して、ビールや食後のコーヒー、アイスクリームを提供するカウンターも出す予定。



サムズキッチンは、ワイキキのど真ん中、ロイヤルハワイアン通りにあります。
ショッピングが好きな人には、ワイキキのデューティーフリーショッパーズのビル(写真に写っています)のある通りの、
チンチン電車の形の無料送迎バスが留まる目の前、といったほうが分かりやすいですね。



ここが、サムズキッチンの入り口、というか注文カウンター。
ホクレアのマイク・テイラーキャプテンが、
ここのイチオシ、あわびの炊き込みご飯、5ドルを注文してるところです。



これが、その、あわびの炊き込みご飯のサンプル写真。
ハワイ島の海洋牧場で、日本への輸出用に養殖した、
やわらかーい歯ごたえのアワビがたっぷりと入ってます。
日本産の大きめの、コリコリバキバキした歯ごたえの、
年配者にはちょっと辛いアワビと違って、
サクー、と歯が通る、旨いアワビです。

サムはその海洋牧場経営者と一生懸命に交渉して、
かなりリーズナブルな値段で仕入れているらしい。
その経営者もきっと、サムの人柄に惚れてしまったんだろうな。
で、この5ドルという値段が実現した訳ですが、それよりも味がすごい。旨い。
料理を知らないのでうまく説明できないが、醤油と出汁がアワビの旨みを引き立てて、
箸が止まらなくなるよ。



これは、ハワイ島産あわびのバター炒め、8ドル。
ぼく的にはビールか日本酒なしでは、食べるのが非常にもったいないメニューだったけど、
ランチに、大盛りご飯と一緒にこれを食べるのが大好きな、地元の肉体労働者も多いんだそうだ。



ショッピングや、ワイキキビーチで遊び疲れた人たちに人気なのが、この2品。

左は、ハワイ名物『ロコモコ』の、ハンバーグを照り焼きチキンに差し替えた、テリモコ。ボリューム満点の8ドル。
右は、これも人気メニューのミックス弁当、8ドル。
メインのおかずは、照り焼きチキン、ハワイ風マグロ漬け刺身(ポキ)、スパイシー海老マヨ、すき焼きビーフの4点の中から、2つを選ぶことができます。




これは、マグロ漬け丼、8ドル。
ハワイ滞在が長くなるときには、ぼくは、これがなければ生きていけない。
ハワイ近海で獲れるマグロには脂身がない、つまり、トロの部分がない。海水が温かいからだ。
しかし、ハワイ産のマグロの赤身は最高だ。
マグロは赤身に限る、鉄火巻きこそ命、を貫き通しているぼくですが、
サムの作る特製タレに浸したここの漬け丼は、
生のままの赤身よりも味に深みが増していて、これも箸と笑いが止まらなくなる。

ハワイに行くホクレア・ファンの方々は、サムズキッチンにぜひお立ち寄り下さい。
このレストラン経営が軌道に乗れば、サムはホクレアの世界一周航海に参加することができます。
よろしくご愛顧のほどを。


2月19日 バレンシア

2010年02月20日 | 風の旅人日乗
アメリカスカップが終わると、このブログの訪問者数も、
ヒュルヒュルヒュルと風船がしぼむように少なくなり、
おかげで、不思議なプレッシャーからも開放されて、
気持ちが楽になった。

そろそろいつもの日記に戻させてもらうことにする。

でも、アメリカスカップに興味を持っている日本人って、すごい多いのだと、
改めて知ることができた。
ヨット専門誌のKAZIの編集者が言うには、
アメリカスカップ特集組んでも部数はそれほど伸びないんですー、
とのことだけど、
このブログの訪問者数は、怖いくらい増える。
どういうことなのかな。

アメリカスカップが終わったあとも、オラクル関係者などに会って話を聞いたりしていたが、
彼らはカップと一緒にアメリカに行ってしまった。

ここ数日は、アリンギのトム・シュネッケンバーグのお宅で夕ご飯やワインを共にしながら
雑談したり、カフェで会って話を聞いたり、という時間を過ごしている。
トムはまだアリンギのベースに通って仕事をしている。
他の、開発メンバーもまだバレンシアに残って仕事をしているようだ。

トムから自転車を借りて(トムは5台も自転車を持っている)、
バレンシア市内を観光して楽しむ、時間的余裕もできた。
ただ、天気はあまりよくない。

2月14日の第33回アメリカスカップ第2レースを、
レース委員長のハロルド・ベネットがタイムアウトギリギリで敢行したけど、
もしあの判断を遅らせてあの日に第2レースができなかったら、
バレンシアはあの翌日から昨日の18日まで最悪の天気が続いていたから、
少なくとも今日まではずっとレースができなかったことだろう。
しかも、今日は今日で、海には風が吹いていない。

昨日は、人間が吹き飛ばされるんじゃないか、と思うような凶暴な西風が吹いて、恐いくらいだった。
今年のバレンシアは例年になく寒く、荒れ模様で、雨も多いのだという。

トムは、今夜はアリンギのデザイナーたちだけのディナーなんだそうだ。
どんなミーティングが行なわれるのだろうな。

トムには明後日にまた一日、ヨット関係の話に付き合ってもらうことにしている。
そのあと、日本に帰ることに決めた。

アメリカズカップが終わり、
ホテルとポート・アメリカスカップを東西に結ぶ一本道だけを行き来する毎日からやっと開放され、
その道から離れて、ホテルから南の方向に少し自転車を漕いでみたら、
未来都市に迷い込んだかのような、建築物群が現れた。

友達の建築家に送ってやろうと、一生懸命写真を撮った。






【水の中の黒い物体は、人工池の水底の掃除をしている人】

スペイン語がサッパリ分からないから、どういう建築物群だか分からないのだが、どうも、博物館とかが集合しているエリアらしい。

〈USA〉と〈アリンギ5〉という、いきなり未来からやってきたような2隻のヨットを目の当たりにしたすぐ後だからか、
こういう未来形の建築物に、すごくワクワクしてしまう。

大切なのは未来へ残す芸術だ、未来に向かって主張する文化だ、という声がこれらの建築物から聞こえてきそうな気がする。
スペインって、すごい。

街中の市場跡の施設では、チョコレート&キャンディーアート(っていうんですか?)のコンテストが行なわれていた。


いわしのマリネのお鮨(お菓子です)


この、海老のオードブルもお菓子


この楽譜もチョコレート製


これもチョコレートでできた家

こういう文化も大切にしてるんだな。
スペインって、すごい。


話はちょっとだけアメリカスカップに戻るけど、
〈USA〉が風上側のフロートとセンターハルを高々と上げて、
自分のほうに、少し首を下げた格好で向かってくる姿が、とても怖かった。
自分の頭の仲で何かを連想しているらしいのに、その正体が分からなかった。

自分で110フィートの外洋レーシングトライマラン、ジェロニモ

に乗っているときは、大型トライマランなんか全然怖くなかったのに、
なんで自分のほうに向かってくる〈USA〉を見ると、ソワソワして逃げだしたくなるんだろ、
って不思議だったのだが、昨日の夜、やっと思い付いた。
あいつは、キングキドラだ。

(コピーライト不明)

copyright@BMWOracleRacing
〈USA〉がセンターハルを上げた正面顔は、幼い頃観た映画でゴジラと戦っていた、3つ頭のキングキドラを連想させていたんだ。
ゴジラとかモスラとかモスラの幼虫とか、地球由来の怪獣たちが力を合わせて一生懸命戦っていたけど、
宇宙から来たキングキドラは圧倒的に強くて、そして子どもとしてはとても怖かった。あんなんは、地球にはこんでほしいばい(出身・北九州ですから)。

〈USA〉はドジラじゃなく、キングキドラだったんだ。
アリンギのベルタレッリも小さい頃キングキドラを観ていて、
それで第1レースのスタートで、あの顔を初めて正面から見たとたん、金縛りにあったんだ。
違うかな?

2月16日 バレンシア

2010年02月16日 | 風の旅人日乗
昨日夕方、BMWオラクルレーシングのコンパウンドで、次回第34回アメリカスカップのチャレンジャー代表に決定したヨットクラブが、ラッセル・クーツの口から発表された。

クルブノティコディローマ。

クルブノティコディローマが送り込むチームはヴィンチェント・オノラト率いるマスカルゾーネラティーノ。
実際、ヨットクラブのイタリア語読みはラッセルもできず、同席したイタリア人クルーのマックスに、代わりに発音してもらっていたっけ。
昨日この日記で書いた予想が当たって、なんとなく嬉しいな。


アメリカスカップの横で、挑戦者代表について発表するラッセル・クーツ。写真ヘタクソで申し訳ない。カメラのせいだと思う。
カップの手前で光っているのは、ジョン・コステキの頭。
この光る頭の中に、例えば前日の第2レース第1レグでの、左に返してきた〈アリンギ5〉の受けどころ、マークへのアプローチタックの返しどころなど、ゲームの決め所を判断する能力が詰まっている。


そういえば、ラッセルが前にも,アメリカスカップに勝った翌日に、二日酔いの顔でこういうことを話していたことがあったなあ、と思い出す。

2003年、ニュージーランドでのことだった。
久し振りに、そのときの日記を開いてみた。

http://www.compass-course.com/dezicam/index.htm

やっぱり、ラッセルは、二日酔いの顔をしている。
つい、懐かしくて、その、2002年10月から2003年3月まで書いた日記を読み返してしまう。
あれからもう7年経つのか。

そのBMWオラクルレーシングでの記者発表に続いて、
今やアメリカスカップ保有ヨットクラブになった、ゴールデンゲイト・ヨットクラブも、
クルブノティコディローマを挑戦者代表として受け入れ、
今後2者で話し合いながら第34回アメリカスカップの詳細を決めていくことを発表した。


記者会見終了後、クルーたちもカップの回りに集まって来て、記念撮影。みんなすごい二日酔いの顔をしている。
昨日は当然、とんでもないくらい盛り上がったクルーパーティーだったらしく、ジェイムズ・スピットヒルの声もガラガラだった。
スピットヒルは「今日は寒いのでこんな声になってしまいましたが…」と話し始めて、みんなに温かく笑われていた。


これが、あらゆるスポーツの優勝カップの中で最も古い優勝カップ。へたくそ写真でごめんなさい。カメラのせいです。
このカップは、2月20日の金曜日にバレンシアを離れて、サンフランシスコに凱旋する。


さて今日は、バレンシア旧市内で、こちらのアメリカスカップ関係者や、
スペインで仕事をしている、ヨット関係の人ではない日本人の人など、
いろんな人に会う予定を立てた。
暖かい日になることを願う。
昨日は、本当に悲惨な雨の一日だったから。


2月15日 バレンシア

2010年02月15日 | 風の旅人日乗
寒く、惨めな氷雨の振る中を、ポート・アメリカスカップの水面の中にショートコースを作って、どこかのチームがワンデザイン12を使ってマッチレースの練習をしている。若手のトレーニングなのだろうか、ずいぶんへたくそだ。

昨日、アメリカスカップの第2レースで見たことを整理してみる。

まずは、12日の第1レースが終わった後での、記者会見のあとでのことから。
アリンギのベルタレッリは、風が、気象予報チームが予想したよりも強く、艇のセットアップに失敗した、と記者会見で語った。
ウエブ・サイトの「セーリングアナーキー」関係者が、
「今日見た限りでは10%ほど〈アリンギ5〉が遅いことがはっきりしたようだが…」
とロルフ・ヴローリックに質問したときには、ベルタレッリはその質問を奪い取り、答えているうちに激昂してきて、ぼくは、ベルタレッリが壇上から降りて、ぼくの隣に座っているその質問者の胸ぐらを掴みに来るのではないか、と半ば心配になったほどだ。
ベルタレッリは、セッティングのミスばかりを強調した。

その記者会見からの帰り道、アリンギの気象チームのボスのジョン・ビルジャーとすれ違った。ジョンは、がっくりと首を落として、ソシエテドノティークジュネーブのバレンシアにおける仮設本部に向かっているところだったが、こちらから声をかけないと気が付かないくらい、下を向いて深刻な顔をしていた。

ジョンとぼくは、同じ時期にノースセール・ニュージーランドでトム・シュネッケンバーグからセール・デザインを学んでいた。
ぼくは日本から派遣され、ジョンはノースセールオーストラリアのボスのグラント・シマー(現アリンギのデザイン・コーディネーター)の命令で勉強に来ていた。元々はオーストラリア期待の470セーラーだったジョンとはそれ以来の仲だ。御学友、っていうんですかね。

急いでいるようだったので、
「明後日は風の予報を当てろよ」なんて軽口だけで別れようとしたら、
「いや、今日も予想は当てたんだぞ」と、ジョンはちょっとむきになって話し始めた。
詳しく聞いてみると、アリンギにとってこの日の風は完全に想定内だったようだ。

ベルタレッリは、メディアに嘘をついたんだな。それで、記者会見席の横でロルフ・ヴローリックがモゴモゴ口を動かしていて困ったような顔をしていた理由がのみこめた。ロルフは、そういう、とても実直な人なのだ。

そして、昨日14日。

〈アリンギ5〉は、みんなでうたた寝してたらしく、アテンションシグナル(10分前)のときにはスタートラインのずっと左側にいて、本部船のほうにスタートラインの下側を慌てて戻ろうとしたが、5分前までに本部船の右外まで出ることができず、
「準備信号掲揚時(5分前)には、エントリーマークの外側(スターボ艇は本部船の右外、ポートエントリー艇はポートエントリーマークの左外)にいなければならない」
という、セーリングインストラクションだったかノティスオブレースだったかに、自分たちでわざわざ強調して追加した一文に、自分たちで引っかかり、ペナルティーを課せられた。

で、もう、そこからスタートはグチャグチャ。
〈USA〉が見事なタイム・ディスタンスの感覚でいいスタートを見せたから少し救われたものの、
〈アリンギ5〉のほうは、
「アメリカスカップってすごいんだって?」
と純真な興味を持ってくれている新しいセーリングファンには絶対に見せたくないような、スットコドッコイのスタートをしてくれた。

ポートタックでスタートせざるを得ず、〈アリンギ5〉は最初に右方向に走った。(最初から右を狙った、とアリンギサイドは試合後に語った)。
見事なスタートをしてそのまま左に伸ばした〈USA〉に対し、スタート後数分で右海面に強いパフとシフトが入り、そのおかげで(アリンギ5〉はスタートの失敗による遅れを取り戻し、それだけでなく、〈USA〉に対してリードも奪うことに成功した。

そのリードをしっかりとした形にするために〈アリンギ5〉はスターボードへタックしたが、この日のスターボードタックは、東から押し寄せる大きなうねりに向かって走るクローズホールドだった。したがって、両艇とも大きく、激しくピッチングしながらのクローズホールドとなる。

こうなると〈アリンギ5〉のステアリングは、うねりのない平水のレマン湖でのチャンピオンであるベルタレッリの手に余るようになり、外洋マルチハルのフランスの英雄、ルック・ペイロンに、いきなりステアリングを渡してしまう。

しかし、ルック・ペイロンがステアリングしても、〈アリンギ5〉の、パタコン、パタコンと、うねり向かってお辞儀をするようなピッチングは、収まらない。
一方、もちろんピッチングはしているものの、〈アリンギ5〉ほどではなく、風下側のフロートがドルフィンスルーでうねりを突っ切っていく〈USA〉は、ウエイブピアサーバウが大波の中でどんなふうに仕事をするのかを分かりやすくで説明してくれていた。

〈アリンギ5〉は、海のうねりの中を走ることなど考えてもいなかった、レイク専用の、スイス・デザインなのではないのかな、と思った。そして〈アリンギ5〉のウエイブピアサー・バウは、〈USA〉のそれに比べると、うねりの中でほとんど仕事をしていなかった。

ところで、テレビ画面でバーチャルアイが表示する高さの差を見ていると、2隻が反対タックで接近してくると、その差の値がどんどん変化して参考にならない。
今回のマルチハル対決のアメリカスカップでは、バーチャルアイのソフトは、必ずしも正確な真の風向を割り出していないのではないか、という印象を受けた。
3,4週間前に突然、今度バレンシアでやりますのでよろしくね、ってレース運営サイドに言われ、予算的にも準備時間的にも、バーチャルアイは納得できる仕事ができなかったのではないだろうか。

さて、このスターボードタックのときに〈アリンギ5〉が揚げた抗議旗は、スタート・プロシージャーの規則に違反して5分前の時点で本部船の左側にいたのは、観戦艇が邪魔になって戻れなかったから、とコース・マーシャル(これも自分たちの子飼い)の職務怠慢のせいにして、救済の要求をして、被っているペナルティーをチャラにしようと思ってのことだったという。

しかし、その後上マーク手前のオタオタで〈USA〉抜かれ、その後もどんどん差を広げられ、ペナルティーに関係なく着順で負けたんじゃ、救済の要求の意味もなかろう、ということになって、フィニッシュ時に抗議を取り下げた、ということのようだ。
で、ペナルティーターンもしてない。なので厳密にはDNFのはずだけど、記録は5分26秒差のフィニッシュ、となってる。変だけど、ま、もうどうでもいいってことなのかな。

リーチングのレグに入ってからの〈USA〉は本当に速かった。
レース後に、〈アリンギ〉のブラッド・バタワースが、飛行機にヨットは敵わない、みたいなことを言っていたが、ホント、〈USA〉はヨットではなかった。ダガーボードへの揚力を液体からもらうためだけの目的で船体の一部を海水という液体に浸けて飛ぶ、巨大な飛行物体だ。

空飛ぶ〈USA〉を見ていると
「スーパーボートが舞い上がるっ、トーキオっ、トキオが空を飛ぶうー、」
と沢田研二(ええ、どうせ古い人間なんですよ、アタシ)が頭の中で大声で歌い始め、沢田もうやめてくれよと言ってもやめてくれず、困った。

そうして、アメリカスカップは15年ぶりにアメリカに戻ることになった。

思い返してみれば、アメリカからアメリカスカップを奪ったのも、アメリカにアメリカスカップを戻したのも、ニュージーランド人のラッセル・クーツということになる。

ついでに言えば、ニュージーランドにアメリカスカップをもたらせたのも、ニュージーランドからアメリカスカップを奪ったのも、ラッセル・クーツだということになる。

別の言い方をすれば、ラッセル・クーツが行くところにアメリカスカップが行く、ということにもなりますね。

アメリカスカップを私有化しようとしたベルタレッリが敗退し、チャレンジャーみんなが望む形の第34回アメリカスカップを標榜する、と言明しているラリー・エリソンとラッセル・クーツが勝ったことで、これから先、最初から1対1の『贈与証書マッチ』の形態のアメリカスカップは、自分が生きているうちにはもう観ることができないだろう、とボクは思う。

もうちょっと接戦のレースを楽しみたかったなぁ、とも思うが、でも今回このレースを見られたことは、とてもいい思い出になった。
あともう少しここに残って、関係者にも会って話を聞いて、第33回アメリカスカップで見落としたものがないか、再確認してから、日本に帰ることにしようと思う。

マスカルゾーネラティーノのボス、ヴィンチェント・オノラトを、BMWオラクルのベースキャンプでよく見かける。
オノラトは他の挑戦者たちが一時期アリンギになびいたときも、頑としてアリンギを許さず、BMWオラクルと常に同じ側に立つことを貫いた。
ラッセル・クーツのことも信頼していて、RC44クラスの初期のミーティングなどのために、サルディニアのポルトチェルボのコスタスメラルダヨットクラブの隣にある素晴らしい別荘を関係者に解放してくれたりもした。
マスカルゾーネの所属するヨットクラブが次回のチャレンジャー代表になっても、不思議はないかもしれない。

ルイヴィトンのブルーノ・テューブレは、BMWオラクルのクルーたちが出港するときには常に見送りに行っていたし、昨日の勝利の後は、本気で踊って喜んでいた。
ルイヴィトンカップが、アメリカスカップ予選レースとして復活することも、現実的なことのように思える。

2月14日 バレンシア その2

2010年02月15日 | 風の旅人日乗
スペイン時間18時30分少し過ぎに、第33回アメリカスカップ・マッチの第2戦が終わり、BMWオラクルレーシングの挑戦艇〈USA〉が2勝目を上げた。
この結果、アメリカスカップは、15年ぶりに米国に戻ることになった。


【この日の朝、BMWオラクルの〈USA〉がアンカリングしている仮設ベースキャンプに翻っていたアメリカ国旗。下のほうに小さく写っている人は、このアメリカ国旗と〈USA〉のウイングを一緒に撮ろうとして高ーいやぐらの上にいるBMWオラクルの専属カメラマン。この写真の下では、旗をいいアングルではためかせるために、旗に繋がっているロープを持って助手の若者が怒られながら地表を走り回っている】


マッチレースとしては、特にスタートなどは、挑戦艇スキッパーのジェームズ・スピットヒルと防衛艇スキッパーのエルネスト・ベルタレッリの間に力の差がありすぎて、お粗末の一言に尽きるレースだったが、
2年半に及ぶ挑戦者と防衛者の両者の戦いを含めたゲームとして見てみると、全体としてはとても見応えのあるアメリカスカップだった、とも言えると思う。

これから記者会見に顔を出したり、あと数日こちらに滞在して、いろんな関係者たちからできるだけ多くの情報を仕入れたいと思う。


2月14日 バレンシア

2010年02月15日 | 風の旅人日乗
朝、BMWオラクルレーシングのコンパウンドに、出艇のようすを見に行く。

トイレに行く途中で、偶然ラッセルとすれ違う。
すれ違いざま、
「お、元気?」
「うん元気。今日もいいレースを」
と短い挨拶。
今まで忙しかっただろうが、今日勝てば、また忙しくなる。チャレンジャーオブレコードとの摺合せ、次回大会の見通しの記者発表…。

BMWオラクルレーシングのPR職に就いたティム・ジェフリーに、今日の天気予報を聞いてみる。
南東のシーブリーズが安定するかどうかに、今日レースが行なわれるか否かが掛かっている。今のバレンシアは一年の中で風を予想するのが一番難しい時期、とも。

9時20分過ぎに、〈USA〉トーイングで出航。


【インフレータブルボートに乗って、アンカリングしている〈USA〉に向かう、この日のレースクルーたち】

16時14分 AP旗が下がる。
16時25分スタート予定


2月13日 バレンシア

2010年02月13日 | 風の旅人日乗
(第1レース。2月12日からの続き)

ファーリングしていたジブをやっと開くことができた〈USA〉はコントロールを取り戻し、ポートタックでスタートラインに戻ってスタートすることができたが、そのときには〈アリンギ5〉は、すでに風上への高さに換算して400メートル以上も先を走っていた。

〈USA〉が、センターハルを浮き上がらせて猛然と〈アリンギ5〉を追い始める。

〈アリンギ5〉の走りが重そうなのに比べると、僅か6ノットから10ノットの風の中で、〈USA〉は鳥のように軽やかに、しかし怖いような迫力でセーリングする。
何分もしないうちに、少なくともこのコンディションでは、〈USA〉のほうが〈アリンギ5〉よりも圧倒的に速いことを多くの人が理解した。

あっという間に〈USA〉が、400メートルの距離を詰める。
しかも、アウターエンドからポートタックでスタートした〈アリンギ5〉に対して、スタートラインのずいぶん右側で同じくポートタックでスタートした〈USA〉のはずなのに、〈アリンギ5〉に追いついたときには、〈アリンギ5〉のかなり風上側で並んだ。
スピードだけでなく、高さ性能でも勝っているのだ。

そのままのペースをキープして〈アリンギ5〉の前に出た〈USA〉だが、
防衛艇との高さの差が300メートルを超えたところで、
それまでより風速が上がったようには見えないのに、
まるで予定した行動のようにジブを降ろした。

この日の風はシフトもパフも非常に不安定だった。これ以上リードを広げて、相手艇と違うかもしれない風のエリアに入っていくのは危険だと考えた、
としか理由が考えられない挑戦艇の行動だった。

ウイング一枚だけの〈USA〉は、それでもジワジワとスピードで前に出て、高さの差も広げていく。

これはもう、誰が見てもクローズホールドでの勝負はあった。
ダウンウインドで、どういう展開になるか、が次の興味だ。
しかし、ダウンウインドになってもほとんど見かけの風の方向が変わらずに「飛び」続けるこの2隻の大型マルチハルの間に、アップウインドとダウンウインドで劇的な差があるとは考えにくい。

しかも、この日〈アリンギ5〉は微風用のストレート・タイプのダガーボードを装備している。これはクローズホールドを効率良くすることはあっても、ダウンウインドではなんらの利益をもたらさない。

3分21秒差をつけて風上マークを回った〈USA〉は、ダウンウインドではさらに凄みを増す走りを見せ、追いすがろうとする〈アリンギ5〉を置き去りにしていった。
追いかけるのをあきらめたのか、〈アリンギ5〉は風上側のハルからウォーターバラストの水を排水する。

「口をあんぐりとさせて」、この日バレンシア沖にいたみんながこのレースを目撃した。
空飛ぶ〈USA〉は、正直、笑いたくなるくらい速かった。

公式のフィニッシュでの時間差は15分28秒。
〈アリンギ5〉はフィニッシュラインでペナルティーターンをするためにラフィングしたときに、フィニッシュラインのコース側まで完全に戻ることができないままタッキングして、ベアウエイして帰ろうとしたが、ペナルティーを解消したというサインが出ないために、5分ほどラインの近くをウロウロした末に、やっとフィニッシュした。


スタート前、まだ元気だった頃の防衛艇〈アリンギ5〉。観戦艇の間を颯爽と走り回っていた。



怖いほどのスピード性能を見せ付けて第1レースをフィニッシュしたあとの挑戦艇〈USA〉。
ウイングは、前後レーキ、左右カント、自在に素早く変えることができる

2月12日 バレンシア

2010年02月13日 | 風の旅人日乗
2月1日にホクレアのトレーニング航海が終わり、お昼近くにホノルル空港の国際線ターミナルに入った2月2日、ふと思いついてターミナル内にある本屋さんに行った。
創刊40周年になる米国のセーリング誌が出版した2010年版バイヤーズガイドがあれば買っておこうと思ったからだ。

運よくそのムックが置いてあるのを見つけたが、ついでに、その隣にあったその出版社の出している雑誌の2月号を手に取り、パラパラとめくった。
その中に、たった2ページ半の扱いだったが、今回のアメリカスカップについての解説記事があった。
〈BOR90〉(=〈USA〉)と〈アリンギ5〉の比較表が載せてある。

長さとか幅の比較があり、そして
予想セーリング重量の比較
〈BOR90〉25920 ポンド
〈アリンギ5〉33790 ポンド

んー?

表の作り間違いか、校正ミスではないのかい?
 
世間では、〈アリンギ5〉のほうが軽い、だから微・軽風は間違いなく〈アリンギ5〉が速いことが、半ば常識のように語られているのだ。それが、この比較表では、圧倒的に〈BOR90〉、つまりBMWオラクルレーシングの挑戦艇〈USA〉のほうが軽い、と書かれているのだ。

立ち読みしている場合ではない、と思い、すぐにレジに向かって購入し、どこか落ち着いて読めるところを探す。
この本を手に取る前は、飛行機に乗る前にコナ・ブルワリーの美味しいビール、『ロング・ボード』をちょっと一杯、と思っていたのだが、飲み物はコーヒーにすることにして、じっくりと記事を精読する。

書いているのは、イアン・キャンベル。
長くサウザンプトン大学のウォルフソン研究所にいて、アメリカズカップ艇の開発に携わった人で、前回のアメリカスカップではルナロッサに所属していた。
このような記事を書くのに相応しい、信用できる人物だ。

イアン・キャンベルの記事は、面白かった。納得も行った。
そして、ソワソワした気持ちになる。

ぼくが、
『アメリカの挑戦艇〈USA〉。防衛艇〈アリンギ5〉よりも重いはずだと専門家筋は予想している。
同じ長さのヨットでは、微風下では軽いほうが速い。それはマルチハルでも同じ。
しかし今回のレースは、セールエリアの制限はないので、艇の重さだけで2隻の性能予測はできない。
横幅は圧倒的に〈USA〉のほうが広い。マルチハルのデザインでも、横幅はスタビリティーの大きな要素だ。』

という原稿を書かせていただいた日本のセーリング専門誌『KAZI』が、日本時間であと3,4時間もすれば書店に並ぶはずだったのだ。

読者に、「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも重い」という先入観を持たせてしまう一文を入れてしまった。手遅れだ。
うーん、いつもは美味しいハワイのコナ・コーヒーが不味い。

あの記事を読んだ方がいらっしゃいましたら、ここで、ごめんなさい。
「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも軽い」、と断言している『専門家』もいました。

それから10日後。
2月12日のバレンシア。
第33回アメリカス・カップ、第1レース。

〈USA〉の勝利という結果は、イアン・キャンベルが予想したとおりになった。

風速6~11ノットというコンディションで、スタートから20マイル先の風上マークでの〈USA〉と〈アリンギ5〉との差(3分21秒)さえ、〈USA〉のスタートでの出遅れ(1分27秒)とウイングセールの効果(イアン・キャンベルの分析は、〈USA〉がまだウイングを装備する前の段階で行なわれた)を加えれば、イアン・キャンベルはほぼ完璧に当てた。
脱帽。


朝9時30分。この朝も、BMWオラクルのドックアウトに招待され、約束したBMWオラクルのコンパウンドの前で待つ。
出艇は、レースコミッティーからの要請で2時間遅れた後、さらに2時間遅れることになっていた。
だから、この日はぼくも、朝5時45分、7時45分、と2度もBMWオラクルのコンパウンドまで出直したのだった。

しかし、その後レースコミッティーから速やかに海上に出てきて待機して欲しいとの要請がチームにあって、〈USA〉とクルーは急遽出航を1時間早めたらしい。

そのことをBMWオラクルのコンパウンドにやってきた福ちゃんから教えてもらう。
福ちゃんも家でのんびりしていたら観戦艇が先に出てしまったらしく、慌てて家族用の観戦艇に乗せてもらいに来たとのこと。

おかげで助かった。さもなければ、〈USA〉の出艇は見られない、メディアボートにも乗り遅れる、という、みっともないことになるところだった。


出港準備をするアリンギ。ダガーボードは、微風用のストレートなタイプのものに換えられている。
向こうに見える、客船のような船は、オラクルのラリー・エリソン所有の〈ライジング・サン〉。


10時00分 出航直前のメディアボートに飛び乗る。

10時30分 海に出る。ポート・アメリカスカップの出口が、出て行くボートで混み合っていて、水路を抜けるのにえらく時間を食う。


ポートアメリカスカップの水路をふさいで、ライジング・サンが出航する。この船が水路を通っている間は、他の船の通行は不可能だ。


港を出たメディアボートは一路、北東へとひた走る。
東からの大きなうねりが残っている。
風は南西、10ノットほど。

10時45分 沖に出るに従って風は右にシフトしていき、同時に弱くなっていく。うねりは依然大きく、1.5mくらい。時折2.5mくらいの大きなのがセットで入ってくる。

10時50分 風は北まで回った。

11時00分 風がパッチーになってきた。

11時05分 風がなくなった。

11時15分 うねりだけが残る、とろりとした海。南の水平線がキラキラしているのは、来る風ではなく、ちょっと前まで吹いていた北東風の後ろ姿だろう。

11時30分 南西から、弱いが新しい風が入ってきた。
東からのうねりの中、カタマランのこのメディアボートは、派手にピッチングしながら北東に向かって走り続けている。

11時45分 南西風が安定してきた。船内のモニターでTV中継が始まった。

12時00分 南西の風は12、3ノットに上がり、安定してきた。
この風でレースを行なうとしたら、このメディアボートはスタート/フィニッシュエリアにいることになる。そうなればラッキー。
レースができそうな予感。これで、沖から高いマスト2本を含む船団がこちらにやってきたら、決まりだ。

12時30分 2時間走り続けたメディアボートが止まった。
ほぼ同時に、白い色が鮮やかなウイングマストの〈USA〉と、〈アリンギ5〉を囲むようにしてレース運営船団が沖からやってきた。
うれしいな。期待通りの展開になってきたぞ。

〈USA〉のウイングに比べると、ちょっと前まで最先端だった〈アリンギ5〉のスクエアヘッドのカーボン製メインセールが、ひどく時代遅れのものに見える。

12時45分 吹き始めから少し左に回った南南西風が、少し落ちてきた。やだよ、困るよ。頑張って吹いてくれよ。

〈USA〉は、ほとんど止まっているようなスピードでもタックできる。ウイングをすごく後傾させて、ウエザーヘルムで艇を回しているように見える。

近くをセーリングしている普通のヨットの走りから判断して、風速は6ノットから8ノットくらい。

13時45分 風は止まらないが、上がらない。
TVが、コミッティーボート上で、アゴをさすりながら「考え中」のハロルド・ベネット(レース委員長)の顔をアップで映す。プレッシャーかけられてるな、TVから。かわいそう。

14時00分 コミッティーからレース艇やメディアボートにVHFで、
「我々はスターティング・プロシージャーを始めるつもりはない。延期を続ける」
と伝えられる。
風はさらに左に回り、南になった。


これが、今回第33回アメリカスカップのマーク。ちょっと滑稽感があって、重要な任務を帯びている割には、かわいらしい。


14時20分 コミッティーボートから、
「延期信号を14時24分に降下する。
14時25分にアテンション信号
14時29分に予告信号
14時30分に準備信号
14時35分、スタート
の手順になる。
コンパス方位180度でコースをセットする。
繰り返す、14時24分に延期信号を…」
というVHFが入る。
メディアボートや周囲の観戦艇が、歓声と拍手で包まれる。

いよいよ第33回アメリカズカップが始まる。
ドキドキしてきた。

14時30分 〈USA〉がセンターハルをフライさせ、25ノットくらいのスピードで、本部船側から猛然とエントリーする。
「猛然と」という表現が相応しいくらい、猛々しい。空飛ぶ恐竜を思い出す。もはや、これはヨットではない。
イアン・キャンベルは、
「〈USA〉はウォーターバラストなしで、7ノットの風でセンターハルをフライさせることができる。ウォーターバラストを積んでも、8ノットの風でフライする」
と予想したが、まったくその通りのセーリングを見せている。

スタートラインのポートエンドよりも3艇身ほど風下に下げた位置に打たれたポート側のエントリーマーク(この方式はRC44のレースでも使われる。スターボエントリー艇の有利性を少しでも減ずるための方法)から入った〈アリンギ5〉は
その〈USA〉のスピードを見て、逃げ切れないと判断して、バウを上げて〈USA〉に向かうが、
何か、肉食獣の目に射すくめられた草食動物のように、
ポート艇として避航動作をしているフリをアンパイアに見せることも忘れて、
そのまままっすぐ〈USA〉に向かった後、急にラフィングして〈USA〉のステディーコースの正面にポートタック艇としての横腹を見せる。
〈USA〉は数艇身以上前からコースをキープして〈アリンギ5〉に向かう。
そして、風位は越えたものまだタッキングが完全に終わらない〈アリンギ5〉の1艇身前でラフィングし、非権利艇との衝突を避けたことをアピールして、ジョン・コステキがY旗を振り上げる。
このレースのアンパイア・チームだけでなく、マッチレースを知っている者なら全員が納得する〈アリンギ5〉のペナルティーだ。

〈USA〉が思いもかけず転がり込んできたチャンスを生かし、ペナルティーを取ることを優先したため、
スタートライン上での棋面は、〈USA〉が〈アリンギ5〉に近すぎる位置で、頭を出しすぎている、「ダイアルアップ崩れ」の様相となる。
その状態で、双方相手の出方を待つ。
ラフィングするときに、ジブをファーリングで巻き取った〈USA〉だったが、その後プライマリーウインチにトラブルが発生し(詳細は明らかにしてくれなかった)、ジブシートを引いてジブを開くことができなくなり、〈USA〉はコントロール不可能の状態に陥る。

〈アリンギ5〉はその隙に行き足をつけてアウターエンド・マークに向かい、それを回り込んでスタートラインの内側に戻り、ジャイブして、ポートタックでスタートした。


2月11日 バレンシア

2010年02月11日 | 風の旅人日乗
今回のアメリカスカップのレースの予告信号は10時に発せられることになっている。
冬の朝10時6分にスタートとなると、関係者一同、夜明け前からもそもそ動き始め、
レース艇の出艇は、まだ暗い7時前になる。
朝早いことで知られる日本のインカレの学生たちよりも早い。

毎朝見るバレンシアの光景は、だから下の写真のような時間帯になる。



ハワイでのホクレアでのセーリングからずっと、ここバレンシアでも夜明けは見慣れた光景になった。


さて、今日はレイデイ。
アメリカスカップのレースに関しては何も起きません。
ワタクシも、本日は、レースそのもの以外のお仕事関係の調べ事と、
ラッキーであれば、
〈USA〉がセーリングに出て、それをサポートボートに乗せてもらって見る予定。
なので、今日の日記はここまでだけど、これまで記録したことの整理を兼ねて、
もう少しだけ。




これは、昨日〈USA〉のスキッパー/ヘルムスマン、ジェームズ・スピットヒルの話を
BMWオラクルのコンパウンドに行ったときにあった、〈USA〉の精巧なモデル。

すごく精密だ。
この凝り様からすると、きっと、
2007年の横浜国際ボートショー出展用にRC44(ラッセル・クーツ44クラス)の模型制作を依頼した
オランダのメーカーのものに違いない。

あのRC44の模型は、ラッセル・クーツもすごく気に入ってたからね。

あのRC44の模型の制作料が当時2万ユーロ強だったから、
それからすると、この〈USA〉のモデルは、発注主も発注主であることだし、
J24の新艇より高価であることは間違いなさそうだ。


[photo copyright / Yoichi Yabe]

折角バレンシアまで来ているのに、実物を近くで見ることができないので、
仕方なく模型を入念に見ていたら、こんなに険しい顔になってしまった。

でも、おかげで、
ウイングがどのように立てられているのか、
ウイングのフラップをどのようなシステムで動かしているのか、が、
おおよそ理解できた。

となりで、プロセーラー福ちゃんの奥さんのダニエールがニコニコ笑いながら、
ぼくに話しかけるのを待っていたことも気が付かないほど、模型に集中してしまった。


下は、2月8日の早朝に撮った写真で、
〈USA〉が浮かんでいるBMWオラクルの仮設ベースキャンプにあったフロートの船台、
というか、受けの部分。



後ろに案内係のお姉さんがソワソワしながら待っていて、
「もう帰りましょうよ」
とせかすので、ブレた写真になってしまったが、
フロートの断面形状が分かる。
フロート自体も、全長30メートルのトライマランにしては、かなり小さい。

BMWオラクルレーシングでは、技術陣は〈USA〉のフロートのことをAma と呼び、
センターハルのことをVakaと呼ぶ。

「アマ」はポリネシア語でアウトリガーカヌーのフロート、あるいはダブルハルのカヌーの場合は、左舷側の船体を指す言葉だ。

「ヴァカ」、若しくは「ワカ」、若しくは「ワタ」は、広く太平洋の航海民の間では、
カヌー = 舟を意味する。

ついでに言うと、日本神話に出てくる海の神である「わたつみ」は、ポリネシア語では「木のカヌー」の意にもなる。

BMWオラクルレーシングが、ポリネシアの船用語を用いていることが不思議で、ある種の興味が沸く。
〈USA〉のフロートが、ポリネシアのアウトリガーカヌーのフロートを思い起こすほど細くて華奢だからだろうか?


下の写真は、アリンギのパブリック・スペースの入り口にモニュメントとしておかれている
〈アリンギ5〉のS字型ダガーボードの旧モデル。



写真に写っている内側(海中に入っていくと上側になる)面のキャンバーが裏側よりも大きく、
先端部が上向きの揚力を、中間部が風上側への揚力を発する形状になっている。
一人ではとても持ち上げられないくらい重い。



これが、ダガーボード上部にある、ボード上げ下げ用のシステム。
ダガーボード内にセンサーが埋め込まれているらしく、
ケーブルが何本かボード内から出てきていた。

2月10日 バレンシア その2

2010年02月10日 | 風の旅人日乗
アリンギ5。出艇準備を中断し、クルーも陸上に引き上げた。


実はまだ、海に出ていない。
ポート・アメリカスカップの陸上本部に、アンサリング・ペナント、APが掲揚されている。

防衛艇、挑戦艇、ともに出艇していない。
アンサリング・ペナントが降下されてから3時間以降に予告信号が発せられる。
今吹いている北風が落ちてシーブリーズが入ってくる、という予報と、今の北風は落ちない、という、矛盾する2つの予報があるらしい。

また、今の問題は風そのものではなく、昨日から吹き続けた北風によるうねりが大きいことなのだという。

午前10時を過ぎたが、気温は夜明けの頃よりも逆に下がってきているように感じる。
これだけ寒くて、シーブリーズが入ってくるものなのだろうか?


今回のアメリカスカップで、ユーロスポーツのコメンテイターを務めるポール・ケヤードが、
2日も続けて特別番組が流れるのを防ぐために仕事に精を出している。
ポール・ケヤードは自分のブログで、ヨットレースというスポーツの中でも最も重要な試合が、
風のコンディションに左右されすぎることを懸念している。
この時期のバレンシアでヨットレースを行なうこと自体にも疑問を呈している。



メディアボート群も、なすすべなく待機中

2月10日 バレンシア

2010年02月10日 | 風の旅人日乗
今日で2月も中旬に入った。
今月最初の日は、まだ伝統航海カヌーのホクレアに乗ってハワイ沖を航海していたが、
なんだかそれが、ずいぶん昔のことだったように思える。




今日は、防衛者、アリンギのドックアウト(出艇)風景を見に行く予定。

昨日の夕方、レースコミッティーは、
「明日10日、午前11時54分以前に予告信号が発せられることはない」
と発表した。

少なくとも午前中は風が強過ぎて、レースができない公算が強く、
レース艇が無駄に海上で過ごす時間を増やさないため、との理由だ。
ウイングマストを立てている〈USA〉にとっては特に、
ありがたいコミッティー判断だろう。

風が予報よりも長く続いて、午後も強く吹き続けるようなら、本日のレースが再び延期されることも有り得ることになる。

〈アリンギ5〉は、昨日のレイデイを利用して、
長くテストしてきた直線の保守的なストレートな形状のダガーボードを外し、
進水当初に装備していたS字型のものに変えた。

S字型のダガーボードは、風下側の船体を揚力で上方向に持ち上げてよりパワフルなセーリングを可能にする。
その替わり、微風のクローズホールドでのリーウエイは、直線のダガーボードに比べると増える。
微風のクルーズホールドでの性能よりも、より強い風でのリーチング性能を求める、ということなのだろうか?

つまり、今日、2月10日のレースが強風になる(天気予報では、そのように言われている)と確信したのだろうか?
恐らく、自分たちが一方的に設定したレース・コンディション(海面上60メートルの高さでの風速が15ノット未満、波高1メートル未満)では、
直線のダガーボードのほうが優れているのだろう。
しかし、それ以上の風速、波高のコンディションでレースをやらなければならないとすれば、
S字型ダガーボードのほうがいいかも、ということなのだろうか?
朝の出艇時に、このことについて話をしてくれそうなアリンギの誰か(トム・シュネッケンバーグか、グラント・シマーかな?)に会ったら、
まわりの空気を読んだ上で、素早く聞いてみよう。

〈アリンギ5〉がS字型ダガーボードをテストしていたのは、進水後比較的短期間で、
それ以降はずっと直線形のダガーボードでセーリング・テストを続けていた。
S字型ダガーボードの機能(ダガーボードの上げ下げのシステムは複雑で、しかもセーリング中ここには非常に高いロードが掛かる)の信頼性や、
セーリングデータは充分にあるのだろうか?

〈アリンギ5〉のサイズのヨットにとってダガーボードの取替えは、
大型クレーンを使っての大仕事になり、
出艇直前の短い時間でできることではない。

「レースでテストをするな!」という教えは、
オプティミスト・ディンギーでレースをする少年少女たちでも知っている、
ヨットレースにおけるゴールデン・ルールだと思っていたのだが…。

では、続報は海から上がってきてから…


2月9日 バレンシア

2010年02月10日 | 風の旅人日乗
伊勢屋 稲荷に 犬のくそ。

昔の江戸の町に多かった物トップ3だそうだ。

自転車 オレンジ 犬のくそ。

現代のバレンシアの町に多い物トップ3だ。

自転車専用レーンが、歩道にグリーンで色分けされて確保され、
気持ち良さそなスピードで、自転車たちが行き来している。



町全体は平坦だし、車よりもバスよりも地下鉄よりも徒歩よりも、
自転車は最も優れた移動手段だと思われる。
ポート・アメリカスカップに通うセーラーたちも、多くが自転車通勤者だ。
町の至るところにある自転車屋さんのほとんども、レンタル・バイクを用意している。

バレンシア市内では、街路樹のほとんどがオレンジの木で、
鮮やかなオレンジ色をした果実がたわわに実っている。
手を伸ばせば届く高さなのに、誰もそのオレンジを収穫しようとしない。



その街路樹のすぐ横で開店している果物&八百屋さんには、
それなりの値段で数種類のオレンジが並べられている。

無料(だと思われる)オレンジたちが、
揃って「どうぞ、御随意に!」と言いながら、
すぐ目の前の木にたわわに実っているというのに、
おばちゃんたちはそれらのオレンジたちにはまったく無関心で、
店先に積まれたオレンジを、一所懸命選んでいるのだ。

うーん、これは一体どういうことなのか?

昔、葉山が大きな別荘や邸宅が並ぶお屋敷町だった頃、
それらの家々の広い庭には、たくさんの夏みかんがぶら下がっていて、
その黄色の明滅が、佳き時代の葉山の、冬の光景でもあったのだが、
それらの夏みかんはただ実っているだけで、鳥たちさえ見向きもしなかった。
とても酸っぱい果実だったのだ。

それと同じで、冬のバレンシアの街路樹に実っているオレンジは、
やはり、食べられないほど酸っぱいオレンジなのだろうか?
色だけ見ると、とても甘そうなオレンジ色なんだけどなぁ。

酸っぱいとしても、どれくらい酸っぱいものなのか、味を試してみたいのだが、
周りの眼が気になって、それをもぎ取る勇気が、どうしても湧いてこない。
昔はこうじゃなかったのになあ…。好奇心が自分の行動を決めていたのになあ…。
情けないなあ…。

陽が暮れると、町の歩道は犬を散歩させる人で溢れる。
そして犬たちは、暗いことをいいことに小便、大便を歩道にしまくるのだ。
パリよりは少しマシだが、それでも、あー、嫌だ。歩きながらよそ見ができない。
皆さん、気にならないのかな?

第33回アメリカスカップのほうは、本日はレイデイ。
バレンシアは昨日と打って変わって、青空が広がり、
冷たいオフショアの風(北西風)が強く吹いている。

その風が強すぎて、挑戦者も防衛者も、海に出ない。
インフレータブルボートを仕立てて2隻のセーリングを見に行こうという画策は空振りに終わる。

ということで、本日はこれでおしまいです。