7月12日 東京有明チームニシムラプロジェクト

2009年07月14日 | 風の旅人日乗
7月11日土曜日の早朝にスタートする東京湾での第一回スバル座カップヨットレースに備えて、
前日の金曜日から家族を引き連れて東京に移動。
その日の夕方から2人の友人と新橋のビール専門店『ドライ・ドック』で飲む。
ちょいと一杯飲んでいただけなのに、なんということだろう、気が付いたら、すでに終電がない時間だ。
酔い覚ましを兼ねて歩いて帰ろうとするが、
築地を過ぎたあたりで、翌朝起床までの睡眠時間がほとんどないことに気付き、
翌日のレースを優先して歩きを棄権、残念無念のタクシーに乗る。

土曜日、目覚ましを兼ねてマリーナまで歩く。
出港してディズニーランド沖のスタートラインに着いたあたりで、
シャッキリと目覚める。
ニッポンチャレンジやKARASU、ZERO以来の古い仲間に加えて、新しい世代の若い期待のセーラーたちを交えた、即席混成チームだったが、
全員がそれぞれの持ち場の仕事をキッチリとこなしてくれて、
とても気持ちのいいレースになった。

翌7月12日日曜日。
東京・有明の『船の科学館』で、チームニシムラプロジェクトの一環の、体験セーリングイベント。
心配していた天気も上々。梅雨の合間に神様から最高のプレゼントをいただいた。
インストラクターとしていつも協力していただく東京海洋大学ヨット部OBのメンバーたちは、今日も元気一杯だ。
頭が下がる。
自分用のオンボロ艇を買ってヨット部を1年で退部したくせに、OB会に特別に入れてもらっているぼくとしては、
本当にうれしく、かつ感謝に堪えない。

この日は東京海洋大学OBたちの他に、東京大学大学院生のI藤君も来てくれた。
I藤君は、東京・夢の島マリーナにある外洋レース用のヨットで、ぼくを初めとする東京海洋大学ヨット部OBたちに会い、
特に同世代のI島君と大の仲良しになった。
I藤君は小型艇のセーリングの経験はないので、
イベント開催中は、乗る人たちにライフジャケットの着け方を教えたり、乗る人たちを桟橋に誘導したりする仕事を手伝ってくれていて、
開催時間の前と後に、I島君に乗せてもらって小型艇のセーリングを教えてもらっている。

チームニシムラに入って、セーリングを一所懸命覚えている最中のI藤君だが、
実はI藤君は、日本のオリンピックセーリングチームを陰で支えている人物だ。
北京、ロンドンと続けてセーリングレース会場の海面の潮流情報を分析する東大のWS田先生の元で、学生としてお手伝いをしているのだ。
8月にはそのチームで英国のウエイマスに行き、ロンドンオリンピックに備えた調査を始める。

さて、そんなI藤君も頑張ってくれた
『チームニシムラプロジェクト体験セーリングイベント2009JULY』、
体験者数最高記録を達成。
155人!(これまでの記録は142名)
遠くは九州・大分県から!、近くは地元お台場の住人の方まで。
そうそう、近くの国際交流センターに住む、マケドニア人御家族も。

折角一番乗りしたのに、帆柱に帆がはためく艇を見て、
「ワシたちはシーカヤックに乗せてくれる、ちゅうから来たッ。
ヨットだなんて、そんなもん乗らん!」
と口を尖らせていたおじいさんと、一緒にいたお孫さん。
笑顔が穏やかなM橋さんが
「まあま、そう言わずに、折角ですからー」
と、なだめて乗せたら、
「いんやー、面白かったー。ありがとう。いいもんに乗せてもらったー。
9月もまた来るよー」って、
写真もパチパチ一杯撮って、笑顔で帰って行きました。
お金持ちがふんぞり返って乗っているようなヨットなんかに乗せてもらわなくても、
こんなカヌーのような舟のほうが、セーリングの本質を楽しむことができますよ。
風に乗って水面を走るセーリングって、楽しいでしょ?
また来てください。

横浜のサーファー板前さんは、艇を降りてからも興奮して
どんなに楽しかったかについて、しばらく感想を話してくれました。
板前さんらしい粋な煙草仕草もカッコよかったし、マイ灰皿を携帯していたのも素敵でしたよ。
寿司を握りながら、お客さんにもこの日のセーリング体験を伝えてくださいね。

順番待ちをして2回も乗ってくれた小学生の女の子は、
セーリング中、海面に浮かんでいる発泡スチロールなどのごみ拾いをしてくれた。
次回は、体験セーリングが始まる前に、
スタッフだけでセーリングしながら海面のごみ拾いをして、それを桟橋にまとめておき、
ペットボトルやスーパーの袋などのプラスチックごみがどんなに海を哀しい姿にしているか、
体験セーリングに来てくれる子どもたちと一緒に考えるようにしようかな。

この日は、日本セーリング連盟事務局のT澤さんも取材がてら来てくれて、
日本にセーリングが普及することを目指して、未経験者にセーリングを楽しんでもらおうと頑張っているスタッフみんなの姿や、
セーリングを終えて帰ってくる子どもたちの笑顔に感動して下さった。

この体験セーリングイベントを楽しみにして遠くから来てくれる人たちもありがたいし、
折角の休日なのにインストラクターとして集まってくれるみんなのこともありがたい。
本当に、本当にありがとうございます。
一人でもたくさんの日本人がセーリングの魅力に触れることを目指して、これからもよろしくお願いします。

9時過ぎに集合して片付けが終わったのは17時。
スタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。。
ヘリーハンセン様からご提供いただいているチームウエアとキャップがキマッテいるスタッフ13人(この写真を撮影しているぼくを含む)と御協力者(H川ご夫妻ご令嬢3歳)揃って記念写真です。



今週は恐怖の原稿締め切り週間、それを何とかクリアして週末、逗子から伊勢に回航、
翌週スタートのパールレースへと続くので、ブログのアップはまた途絶えるかも知れぬ。
伊勢志摩のネット環境とワタクシのやる気次第では、
来週前半に、3月のホクレア号のポマイラ環礁-ホノルル航海の様子の続報を
お知らせできるかもしれませんが…。

7月9日 アメリカスカップとサバニ

2009年07月09日 | 風の旅人日乗
アメリカスカップ防衛者のアリンギが新艇を発表した。
アリンギがスイスのビルヌーブで公開したのは、
予想通り、デシジョン35を2倍に拡大したような構造の
水線長90フィートのカタマラン。
デシジョン35よりもさらに未来的で、まるでアメンボを思わせるような艇だ。
これまで挑戦者のBMWオラクルが艇の開発では一歩先んじているという風評が多かったが、
防衛者もかなりレベルの高い艇を開発してきた。

8月7日に防衛者側が発表する開催地で、2010年2月7日に第1レースが行なわれる第33回アメリカスカップは、
これまでのアメリカスカップの歴史にない、2隻の巨大マルチハルによる、
アメンボ対アメンボのマッチレースになる。






船を2隻や3隻横につないで安定性とスピード性能を高めるマルチハルは、元々太平洋のポリネシア人たち発祥の文化だ。
それが西洋に渡り、進化に進化を重ねて、アメリカスカップに採用されるまでになったと思うと、感慨深い。

第31回アメリカスカップの予選決勝に勝ち残ったオラクルの船型を見たとき、
ぼくは、こじつけかもしれないが、沖縄のサバニ船型を思い出した。
船首部のV船型が、船体中央から後半に向かってU船型になだらかに変化していくラインが、サバニそっくりだったのだ。
ニュージーランドはオークランドのバイアダクトベイシンで一般公開されたその船型を見たセーラーたちの中で、
唐突にサバニを思い出していたのは、恐らくぼく一人だけだっただろうけどね・・・



サバニもかつては、ヤギなどの大型の動物とか重い荷物を運ぶときには、2隻、3隻を横に繫いでマルチハルとして使うこともあったという。

沖縄県立博物館に所蔵されている帆掛けサバニの写真を見ると、
艫に正座したおじいが風下側の手で櫂(エーク)を操作して舵を取り、
風上側の手でメインシート(ティンナー)を束ねて直接持ってトリムして、
体の力を抜いて、のんびりとした風情で乗っている。
それでも、船首がたてている波を見ると、少なくとも4ノットは出ていそうだ。

そのおじいのようになりたくて、この数年サバニのセーリングを練習してきた。
冬場の強い北風で、座間味港内で、瞬間的だけどプレーニングも経験した。
そのように風が強いときでも、直接手に持っているシートが重いと感じたことはない。
サバニが風に乗って水に抵抗することなく走るから、シートにかかるロードも小さいのだろう。

昔のサバニセーラーたちが、数本ある竹の横棒(帆桟=フーザン)からシートを取るようにしたのは、
最初は、セールのリーチのツイストをコントロールするためと思っていた。
しかし、実際にセーリングしてみると、
理由はそれだけではないようだ、と思うようになった。
昔は香港でよく見かけたジャンクも、同じように各帆桟からシートを取っていたから、
ハッキリとはまだ分からないが、何か必ず理由があるのだと思う。
例えば、一番下の帆桟だけからシートを取ると、その竹にだけロードが集中してしまい、
その強度に見合う竹竿やロープが手に入らなかったから、とか・・・。

サバニのマストステップは通常前後方向に3つ穴が並んでいて、
マストレーキを3段階変えられるようになっている。
サバニを解説した多くの本には、風の強さに合わせて穴を選んだという、
と書かれているが、
ぼくはその説に同意できない。聞き取り間違いなのではないかと思っている。
その日向かう目的地への相対風向によってヘルムバランスを変えるためかとも考えたが、
実際のセーリングでは、マストレーキよりも、
乗員が乗る位置や荷物を載せる場所を変えて艇の前後トリムを調整するほうが、
ヘルムバランスを簡単に変えることができる。

この数年間真剣にサバニでのセーリングの勉強をしてきたが、
まだまだ分からないことだらけだ。
分からないことを聞こうにも、現役でサバニに乗っていたおじいに会えることは、今ではとても難しい。
文化というものは、何百年、何千年続いたものでも、
一旦途絶えてしまうと、あっけなく消えてしまうものなんだね。

糸満の漁師さんの話によれば、
本島各漁村や渡嘉敷から糸満の沖にある漁場に朝一番乗りを果たすために、
各村からその漁場に行くときの風やうねりの方向に合わせて、
ある村で造るサバニは追っ手性能が良かったり、
ある村で造るサバニはリーチング性能が良かったり、
という違いがあったそうだ。
実際にどのように具体的に船型やリグが違ったのか最早資料は残っていないが、
ぼくたちの祖先は、セーリングと船の科学に非常に造詣が深かったことが分かる。

今週と来週日曜日に放映されるというサバニ絡みのテレビ番組の関係者が乗ったのは、
アウトリガーとラダーが付いたサバニで、本来のサバニではない。
サバニに乗ったタレントが、セールが重くて大変だったと言っているらしい。
アウトリガーを付けて安定性と復元力と重量を増して、
さらに本来よりもセールを大きくすれば
シートに掛かるテンションが重くなるのは当たり前のことだ。
どんなふうにサバニを紹介してくれるのだろうか?
できれば、我々の祖先が遺してくれたサバニという船に
正面から取り組んで欲しい、と思う。

アメリカ人船大工のブルックスさんという人がサバニ造りを勉強して、写真と文章の資料にまとめる、というプロジェクトの進行を個人的に手伝っている。
いくつかまだ懸案事項はあるが、今月中にサバニ大工さんと契約を済ませて、
11月に建造にかかることができそうだ。
こんなに真剣な文化事業には、視聴率崇拝のテレビ関係者は興味を示さないのかな。