Vite2 プルメリアのセーリング動画

2011年05月31日 | 風の旅人日乗


5月21日に撮影した、葉山マリーナのプルメリア(Vite2。ヴィッテとしては通算14号艇)のセーリング・シーンの動画を仮アップしました。

セーリング専門誌『KAZI』のワタクシの拙連載『KazuImpression』で、
9月号あたりで掲載予定のヴィッテ2に試乗し、
ごきげんのセーリングを堪能中の写真撮影と並行して、
弊社動画制作部門担当役員に撮影してもらいました。

これからナレーションやテロップ、音楽を入れて
ひとつの動画作品として完成させる作業に入るのですが、
それまでの間、まずは編集前の映像だけですが、お楽しみください。

プルメリアのメンバーの方々の
みごとなクルーワークも見どころです。

わー、月末

2011年05月30日 | 風の旅人日乗
今日は、ある大手アウトドアグッズメーカーと一緒に
開発しているセーリングキットの、第2段階の試作品のテスト。
でも、天気が回復しないようだったら、明日に延期するつもり。

今月末は会社の決算期限でもあり、
明日の月末までに税金も納めなきゃいけないので、
今日と明日は慌しい週初めになりそう。

第34回アメリカズカップと、
来年のユースアメリカズカップに関する資料を、
日本セーリング連盟のメンバー全員と共有するための
サイトも早く立ち上げなきゃいけない。
気ばかり焦る。

それともうひとつ大切なこと。
宮城県の高校のヨット部監督に就任した、母校大学ヨット部OB会の後輩が、
大会に出場するためのFJクラスの艇を貸してくれる学校、
あるいは個人の方はいないでしょうか? と困っている。

ワタクシ個人の伝も頼っているけど、
どなたか、貸し出しをお申し出になってくださる方、
あるいはそのような方をご存知の方がいらっしゃいましたら、
コメント欄からご連絡いただけないでしょうか?
津波ですべてを流された高校生たちが、
気持ちを前向きにして、再び海に出て行こうとしています。
彼らの背中を押してあげたい方々、いらっしゃると思います。
よろしくお願いいたします。

魚が出てきた日

2011年05月29日 | 風の旅人日乗
もう40年も前の、
九州の田舎の高校生だったときのことだけど、
水泳部の練習をサボっては、
大好きな映画を観に通っていた。

その頃、
ストライプのシャツにチノパン、そして白いスニーカー
といったアイビーっぽい着こなしがよく似合う
とても知的な顔立ちのキャンディス・バーゲンという女優さんに
憧れていて、彼女が出る映画は、おそらく全部観た。

そのキャンディス・バーゲンが出ているという理由だけで、
『魚が出てきた日』
という映画を観に行った。

何も知らずにキャンディス・バーゲンを観に行ったら、
それは、ある日突然、放射能で汚染された魚が浮いてくる
という映画で、しかも住人には、
魚が大量に浮いてきた理由を一切知らされないという、
それはそれは怖い映画だった。
あんぽんたんな田舎の高校生ではあったが、
その映画を観た後は、しばらく暗澹たる気持ちの日々を過ごした。

さらにさかのぼった小学校の頃、怖がりながらも観に行っていた
東宝映画の『ゴジラ』は、
南太平洋の水爆実験で、海とそこに住む海洋生物が汚染され、
突然変異でゴジラという恐ろしい水爆怪獣が生まれたのだ、
という筋書きだったと記憶する。

そしてそのゴジラは、
なぜかわざわざ日本にやってきて、
こんな醜い姿にされてしまった怒りの叫び声とともに
人間たちに向かって放射能がたっぷり含まれた炎を
口から放射するのだった。

福島第1原発のはるか沖合いの、
岩手から千葉にいたる広い範囲の海底が、
通常の数百倍もの濃度の放射性物質で
汚染されていることが発表された。
この海を泳ぐ魚も、海草も、すべて汚染されていることになる。

『魚が出てきた日』も『ゴジラ』も、現実のものになり、
しかも、作りごとの世界である映画とは異なり、
現実のできごとである今回の大事故を起こした犯人は、日本人だ。

そうして、今、この瞬間も、
昨日、おいしい夕ご飯をみんなで楽しく食べていたあの時間も、
この日本の、福島第1原発から、
大量の放射性物質が、大気と海を介して放出され続け、
世界中に拡散し続けている。
日本全国の放射線量を計測して回っている人の資料によれば、
すでに大阪も東京と同じ放射線量で、
少なくとも日本列島においては、
どこも50歩100歩の状況にあるらしい。

ツイッターを使いこなして、
相互の意思疎通を図っている、
高度な知性を持つ立派な社会人の人たちが、
この日々においてさえ、
ご自分の趣味や興味ごとのお気楽な話題で盛り上がっているのを、
ときどき拝見してしまう。

余計なお世話だ、と言われそうだし、
当然皆さん福島第1原発が、
非常にまずいことになりつつあることも、
ご存知の上で、敢えてお気楽なツイートをしているのでしょうが、
それでも敢えて言わしていただければ、

最新の相互コミュニケーション術を自在に操り、
しかも原発汚染の深刻さについて
正確な見識も持っているに違いない日本人の大人であるあなたがたが、
今は日本国民のオピニオンリーダーとして、
この日本の危機、地球の危機にどう対処すべきかを、
ツイッターを介して知恵を結集すべきときではないか、
と思うのです。

あなたがたが将来も、ご自分の人生を
現在のように楽しく過ごせるためにも、
この問題について、
どうか、今は真剣に考えてみていただけないでしょうか?
皆さんのお力にすがりたい思いです。








5月27日 雨

2011年05月27日 | 風の旅人日乗
今朝も、嫌々ながら、
でも子どもを守るために大切だからと自分に言い聞かせて、
1時間だけ、原発関係のお勉強。

チェルノブイリ事故で、この25年間に、
子どもを中心に98万5千人の人たちが亡くなったという、
医学者たちを中心にしたグループがまとめた
研究報告書が存在することを今日のお勉強で知った。

国際原子力機関(IAEA)はチェルノブイリ事故の
被害者数を4千人と発表してる。
ただしそれは、わずか350の論文を基にした推計であるらしい。

一方、犠牲者数を98万5千人と累計したこの報告書は、
5千以上の論文を基にしたものだという。

チェルノブイリ事故の犠牲者数に関しては、
世界保健機構(WHO)でさえ、
正確な数字を発表できてないらしい。

なぜ?

国際原子力機関(IAEA)は、世界保健機構(WHO)と
協定を結んでいて、WHOはIAEAの承諾なしには
独自の調査結果を発表できない仕組みになっているらしい。

国際原子力機関(IAEA)は、
世界の原子力の規制を設けるところだけど、
その本質は、
世界に原子力を普及させるための機関なのだそうだ。

放射性物質汚染による子どもの健康被害を調べていた学者は、
逮捕、収監されてもいるという。

こういうこと、まったく知らないおバカちゃんでした。
自分に子どもさえいなければ、耳を塞いで
知らなかったことにしてしまいたくなる醜い事実が
原子力の周辺には山のようにある。

お子さんをお持ちだったりして、気になる方は、
こちらが、その研究報告書の紹介動画(2011年4月)です。

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あーあ、朝から憂鬱だじょ。
明日からは、原子力関係のお勉強は、
1日の最後にすることにしよう。

さてと、頑張って気を取り直して、前を向きますか。

今日は雨なので、
東京湾に出ることになっていた
セーリング仕事の予定を延期させてもらって、
デスクワークに振り替えることにした。

自分自身で取ったVITE31の14号艇のデータと、
設計者の横山一郎さんから送られてくる膨大な資料を、
それぞれを関連付けて、
実際のセーリングやレースで
チームの皆さんに助言するときに生かせるように
整理する作業を、
パソコンにへばりついてやる1日になりそう。

明るくなってきた。
雨がやんでいるみたいだから、
ちょいと走ってこよ。

気宇壮大な、大

2011年05月26日 | 風の旅人日乗
朝一番の、毎日の日課、
福島第1原発の状態と放射性物質汚染の現況についての
お勉強を1時間ほど。

本日お勉強したこと。
1、福島第1原発の北西を中心にした600平方キロもの面積の地域が、
チェルノブイリ事故の際の強制移住の基準となった放射線量を
はるかに超えており、
そのレベルの汚染地域は現在も広がり続けているのだという。

2、福島第1原発の原子炉群の事態は、さらに悪化しており、
解決からは、逆に遠ざかっているのだという。

SF映画の中のできごとにしてしまいたいけど、
どうも、現実の日本で、
大変なことが、マジに、進行中であるみたい。

今の日本を動かしている人たちも、
いまさら、悠長に「陳謝」とか「反省」とかを
将来の選挙対策的にしてる場合ではないと思うよ。
他のことをほっぽっといていいから、
全力でこのことに立ち向かわないと、
後の世の外国の人たちに、
「日本を滅ぼした人たち一覧」に
ズラリと紹介されることになるんじゃないかな。


さあて、いつもの日記に戻ろう。



浜名湖に、長く置かせてもらっていたレーザーを取りに行く。
今のレーザークラスの新艇は18万番台だけど、
ワタクシがこの艇を新艇で買った当時は、12万番台。



ぼんやりしている間に、レーザークラスは6万隻も増えたのだな。
ずいぶん時が経ったものだ。

フットベルトやクラムクリートなどを新品に交換すると、
このおばあちゃんレーザーが、
なんとなく、またバリバリと走りそうな顔つきに変わってきた。

整備が終わり、このレーザーでセーリングしていた当時
夕方いつも行っていた簡保の宿の温泉に入り、
食糧を買い込んで合宿所に戻って、
とても濃いセーリングに関する打ち合わせ。
浜名湖湖畔に、寄せる波を音を聞きながら、
すごく実り多い時間になった。

翌日、浜名湖からの帰り、
東名高速の富士川サービスエリアで、
なんとなく選んだトイレ、大、の個室に入り、
パンツを下ろしてスツールに座り、
さあて!、と腹に力を入れつつ前を見たら、
わーお。
この景色がガラス越しに広がっていた!



富士山と、
富士山からの雪解け水で流れを速めた富士川をセットにした雄大な光景を
トイレの個室で独り占め。
思わぬところで、
とても気宇壮大な、大、になりました。

こんなに美しい日本の国土を、これ以上汚すのは許さないよ、
やい! 道徳なき商売をしてきた東京電力!
やい! 理念なき政治をしてきた政治家と行政関係者たち!

ガンジーが遺した言葉、『七つの社会的罪』

2011年05月24日 | 風の旅人日乗
雨だれの音で目覚める朝も、いいものだな。

今日も、セーリングのことに没頭する前に、
福島原発事故の正確な情報を得るためと、
日本の原子力発電政策の実態について、
自分に強いている勉強をするために、
天災と人災』を訪問する。

ふーむ。
大手マスコミが行政や東京電力の発表を
そのまま垂れ流しにしただけの、ここのところの
『なんとなく事態が収集に向かっている』
ような空気に包まれた、ぬるーい情報とは、
まったく異なる極寒の事態が、
現実の日本列島では現在も進行中の様子。

そのブログで紹介されている記録動画の中で、
京都大学原子炉研究所の小出裕章氏が紹介した、
ガンジーが遺した『七つの社会的罪』のうち5つが、
束になって日本国民を苦しめる今回の人災を起こし、
そして悪化させたのだということを
本日お勉強したこととして、心にとどめ、
時期が来たら、子どもたちにも伝えたいと思う。

七つの社会的罪

理念無き政治
人間性無き科学
道徳無き商業
良心無き快楽
人格無き知識
(以下2つ略)

はい、今日の原子力と原発事故汚染の勉強は終わり。
ではセーリングと仕事のことに頭のスイッチを切り替えます。
空気も、土も、海も、
放射能物質による汚染が進行中だという
事実はきちんと認識しつつも、
現実的には子どもたちを日本から逃がすこともできない自分としては、
ほとんどの日本国民の皆様とともに
ここ日本列島での生活に前向きに取り組んでいくしかないのでね。

今日はこれから、夜明けを待って浜名湖へ。



明日はレーザーをクルマの屋根に積んで葉山に帰ってくる予定。
15年以上ぶりに、レーザー・セーリングに復帰しよっかなぁ、
なんて、ゆるゆると考えている。

でもその前に、
14年前に劇症ヘルニアを発症する事故に遭ったワタクシの腰が
レーザーに乗ってもいいくらいまで回復できているのか、
新逗子の『ひだか治療院』の日高先生に診てもらわなきゃ。
日高先生は元セーリングのオリンピック代表だから、
セーリング選手の肉体的故障について
とても理解が深いし、
とても正確に診断して、治療してくれる。

海から東京

2011年05月21日 | 風の旅人日乗
朝から南風が吹き上がってきた相模湾で、
ヨット専門誌KAZIで
ワタクシが担当させていただいている連載の、
セーリング試乗取材。

ヴィッテ14号艇の、葉山マリーナのプルメリア。
オーナーの皆さんの絶大なご協力を得て、
ハワイ、ホノルル沖の海面を、
4分の3ほどに縮小したような波の中、
最高に楽しいセーリング。

午前中の気持ちのいいセーリングで、
海のしぶきをたっぷり浴びたけど、
シャワーを浴びる時間のないまま、
慣れないスーツとネクタイに着替えて、
東京へ。

今年度から日本セーリング連盟名誉会長に退かれた
山崎達光氏の、
これまでの日本セーリング界へのご貢献に感謝する、
有志たちによるパーティー、というか、飲み会。

道が空いていて、予想よりも早く東京に着いたため、
浅草に。
菊正宗の燗をもらって、一息入れて
軽くざるをいただいて、
なんてことを計画していた並木の藪蕎麦が、
なんと、あの由緒正しい建物を壊して新築工事中。
あーあ、またひとつ東京の大切な建物がなくなった。
池波正太郎が座った席が消失してしまった。

ずいぶん思い切ったことをしたものだけど、
どうしてなの?
先の地震で、
建物を壊さざるを得ないくらいの被害でもあったのだろうか。

仕方ないので、蕎麦をスキップして、
田原町の東本願寺まで歩き、
そこにある、ハワイの友人、まこっちゃんの
お墓参り。

本来は、まこっちゃん安らかに、
とお参りしなければならないのに、
ここに来ると、いつもまこっちゃんを安らかにさせずに、
こちらの世界にいる側からの願いごとを強要する。

これからもできるだけ長い間、
オイラがセーリングの仕事を続けられるように、
オイラを守ってね、という、とても自分勝手な願いごと。
悪いね、まこっちゃん。

そのあと銀座に出て、
交詢社クラブで行なわれた山崎さんのパーティー。
とても盛会で、いろんな人たちと話すことができて、
とても幸せな時間だった。

交詢社ビルは新しく立て直されたけど、
ワタクシのヨット界人生のスタートになった記念すべき会社は、
この場所にあった、重厚な旧・交詢社ビル7階に入っていた。

あのころ、仕事の後は、
ビルの一階にあったビアホール、ピルゼンで、
先輩たちに、毎日山のようにビールを飲ませてもらったなあ、
なんて思い出に浸りながら、葉山に帰る。




マイ・トレーニング

2011年05月20日 | 風の旅人日乗
日本中に東京電力の福島第1原発が撒き散らし続けている
放射性物質が飛び交う中、
一昨日、昨日と、東京で、セーリングに関する
実に実りの多いミーティングに
参加することができた。

日本の未来を暗澹としたものにしようとしている
東京電力の福島第1原発と、
この2日間のミーティングで感じた
日本のセーリング界の未来への希望とを差し引きすると、
ちょっとだけ明るさが残るみたいだ、と、そう信じたい。

昨日は東京に向かいながら、
4時間ステアリングホイールの練習をしてみた。
???でしょ?

えへへ。
まず、葉山から逗子駅まで歩き、
次に、逗子から品川までの横須賀線では、電車の一番前で
つり革につかまらずに立ったまま前方の景色を楽しみ、
そして、品川駅から待ち合わせの東京駅まで、日比谷公園経由で歩き、
途中、銀行のATMや本屋さんにも立ち寄って、

計4時間、ずっと座らずに、
4時間のワッチ中、ずっと立ったまま
ダウンウインドのステアリングするための
下半身のトレーニングをしてみた。

以前は平気でそれができたが、
最近はそういう機会がめっきり減ったため、
未来にまたチャンスが来たときに備えて、
自分を試してみた。
まだもうしばらくは、大丈夫な様子。

ごめんなさい、また原発(3)

2011年05月18日 | 風の旅人日乗
ごめんなさい、昨日の約束を破って、また原発です。
もう1回だけ、許してください。

いま、朝の2時過ぎ。
今日こそは朝ごはんまでにひとつの仕事を仕上げなきゃいけないので、
これ以上はブログに費やせないけど、
昨日のブログ「ごめんなさい、また原発(2)」に
コメントしてくださったkoji様から、
今回の原発事故と、いま私たち日本国民が、
次世代の日本人と自分自身とを守るために、
知っておくべき情報を真摯に発信している方の
サイトをお教えいただいたので、報告します。

日本の大手マスコミは、少なくとも今回の原発事故と、
現在の日本国土の放射性物質汚染の状況についての情報発信源としては
当てにならない、と見たほうがいいそうです。

第2次世界大戦を経験した方々によれば、
当時のマスコミは、日本軍の連戦戦勝という
軍部の大本営発表をそのまま伝えるだけで、
それを鵜呑みにしてきた当時の国民は、
まさか、日本軍が長く危機的状況に陥っており
敵軍が日本列島のすぐ近くまで迫ってきていることなど、
敗戦のその瞬間まで、夢にも思わなかったそうです。

現在の、政府と原子力保安院と東京電力による
「大本営発表」をそのまま垂れ流しにする
ほとんどのマスコミは、
そういう状況に陥っていると考えていい、
という主張のブログです。

センセーショナルなアジテーション色の強い情報発信を読むことは
ワタクシの最も苦手とするところですが、
そういう情報発信ではなく、
ワタクシと違ってとても冷静で真摯な方の文章なので、
じっくりと読むことができます。
子どもたちとご自身を守るために最低限必要な情報を得ることに
御興味のある方は、どうぞお読みください。

「天災と人災」というタイトルのサイトです。
私自身でチェックしました。ウイルスサイトではありません。
このサイトをお教えくださったkoji様、感謝します。

では本日はこれにて失礼。
本日は、朝までに提出する仕事を仕上げた後は、
放射性物質汚染著しい葉山を出発し、
放射性物質汚染著しい東京に行って、
非常に楽しみなセーリングの打ち合わせ。
とてもワクワクしています。

ごめんなさい、また原発(2)

2011年05月17日 | 風の旅人日乗
午前2時。
さーて、朝までにひとつ仕事を仕上げてしまおうぜ、
と自分にハッパを掛け、
元気いっぱいで起きて、
パソコンを立ち上げてから、お湯を沸かし、
メールソフトを開いてから、お気に入りの熱いほうじ茶淹れ、
パソコンの前に座って、夕方から夜のうちに届いた
メールをチェックしていたら、
起き抜けの元気が一気にしぼんでしまう情報が、
ヨーロッパと日本を頻繁に行き来している、
ある日本企業の、関西在住の技術者から届いていた。

氏は、特に激しい原発反対活動家ではなく、
ごく普通の会社員であり、ごく普通のパパだが、
チェルノブイリ事故時にも
欧州を仕事で頻繁に訪れていたこともあり、
その当時のヨーロッパ諸国の、
放射性物質汚染への対応をつぶさに見てきた。
その目でもって、今回の日本政府の対応を見極めようとしているお方。

その、ヨーロッパの人たちが日本を見ている目を持つ氏の目で見た
現在の我々日本国民が置かれている事態を、
このブログを読みに来て下さっている皆さんとも
共有いたしたく、
氏のメールを以下に掲載します。

せっかくセーリングの話を楽しむために
このブログを読みに来てくださっているのに、
今日もまた、原発の話題になってごめんなさい。
明日以降は、すごく楽しいセーリング関係の仕事や打ち合わせが続くので、
きっと楽しいセーリングの話題になると思いますので、
申し訳ありませんが、もう一日、原発の話題にお付き合いください。

事実を積み上げただけの、
分かりやすいこのような情報を、
テレビ・新聞などのマスコミは、
なぜ読者(=国民)の側に立って知らせてくれないのだろう?


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チェルノブイリの退避基準に対し約5倍の線量となっている
大館村等の計画避難区域は、
人間だけでなく家畜も対象のようで、
乳牛や肉牛を避難させたい国の要望に、
東京大阪を含む24都道府県が受け入れを表明しました。
口蹄疫で辛い思いをした宮崎は
牛だけでなく豚も受け容れて支援するそうです。

テレビでは何も言いませんが、
この恐ろしいニュースが明らかになったのは先週後半です。

1986年の欧州で、
放出源から1,000km以上離れていながら
線量がわずかでも異常を示した地域の牛を
全数処分したドイツや、
政令で、フランス国境まで全ての牛を強制移動し
エサも管理下においたスイスの賢明な判断と違って、

わが日本政府は放射能の被害を国民皆で分かち合い、
いわば一億総被爆を推進する道を選びました。

世界有数の長寿国ならではの、
実に日本らしい、トンでもない愚かな判断です。

すでに、各牧場レベルでは
相当数の家畜が取引されているとのことです。

これで牛乳もダメ、肉もダメ、
乳製品やクッキー、チョコレート等のお菓子も
全部食べられなくなりました。

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以上が、氏が知らせてくれた、恐ろしい日本の現状です。

原発関係ニュースには
一生懸命目を通すようにしているワタクシですが、
日本における現在の政府の対応が、
チェルノブイリ当時の欧州各国の対応と
これほどまでに乖離しているとは、
まったく認識しておりませんでした。

現在の日本の国を動かしている
でたらめな人たちになんか期待しない、
などと口では言いながら
根っこのところでは、
同じ日本人なんだもの、でたらめはしないよね、
あなた方の能力の範囲内で、
なんとか国土と国民を守ろうとしてるんだよね、
という、淡雪のような期待は捨てていませんでした。

しかし、氏のメールを読むと、
マジで、彼らには期待しちゃならんのだ、
ということのようです。
自分の子どもは自分で守らにゃならん、
ということのようです。

自宅の小さなベランダに、福島の原発の事故以来
ただの観賞用になってしまっているパセリの鉢植えがある。
そのパセリに昨日突然、見たことのない大きな葉っぱが出てきた。

その、絶対にパセリだとは言わせない変な葉っぱは、
半日で、恐るべき成長を遂げている。

パセリのことは、ワタクシ好みのおいしい葉っぱである、
こと以外は知らないので、
この葉っぱは、この季節には当たり前に出てくる
そういう形の葉っぱなのかもしれないけど、

その葉っぱを見ていると、
井伏鱒二の『黒い雨』の中に、主人公が、
原爆被曝直後の広島市郊外で、
常態ではありえない、巨大な葉っぱを付けた植物(名前失念)を見て
静かに驚くくだりの文章があったのを、
つい思い出す。

メールを送ってくれた氏は、
焼肉店で死者を出した牛肉が、
福島県の業者から捨て値で買ったものだったと判明した
というニュースも教えてくれた。

これまで一度も死者を出していなかったO111が、
放射性物質によって性質を激化させた、
という推測もできるかもしれない、と氏は書いている。

文学者・井伏鱒二が目撃し、驚愕し、記録に残している
原爆直後の植物の突然変異のことを考えれば、
放射線量の多寡の問題とは関係なく、
ありえることのようにも思えてくる。

「ただちに健康被害を及ぼすものではない」
なんて、
おちょぼ口で言っているあんたたち、
どれほど放射性物質が動植物に与える研究をしてきたのさ?
神の領域に足を踏み入れてしまった、この科学の恐ろしい分野で、
神様に成り代わったかのような自信たっぷりのコメントをしているけど、
長く長く研究をし尽くした上でのコメントなの?

あー、外が明るくなってきた。
あーあ、もうこんな時間だ。
朝の爽やかな空気の中、
放射性物質を思いっ切り肺に吸い込みながら走りに行く時間だぜ。

仕事はできなかった上、
深夜料金とはいえ東京電力に払わなければいけない
電気代まで無駄遣いした。

同じ日本国民だからね、
なるべく言わないように努めているけどね、
本当言うとね、オイラはとても怒ってもいるんだよ、
やい! 東京電力!

ごめんなさい、また原発

2011年05月16日 | 風の旅人日乗
いつまで経っても危険が終わらず、
目を背けていたいことではあるけど、
原発が日本国や人類を滅ぼす可能性が極めて高いことを
初めて知った無学のワタクシは、
こいつを正面から見据え、
こいつを猫可愛がりしている人たちが
こいつを再び暗闇の中に逃げ込まさないよう
監視し続けなければ、
次世代の日本人に申し訳ないと思う。

大新聞の、気概のある一部記者と編集者が
毅然とした記事を、時々だけど、書いて掲載するようになって、
私たちに原発の真実を伝えようとしてくれ始めた。

そういった事実を、このブログを毎日読みに来てくれている
約400人の方々と、できれば共有したい。
暗く重々しい話題で、本当に嫌なことだとは思いますが、
できればお付き合いください。
明日からはまた楽しい話題に戻しますので。

まずは、
浜岡原発を運転停止にしたからといって、
それでこの原発や、その他の日本全国の原発の危険が
回避されたわけではまったくない、
という
東京新聞の記事


次に、
今回の津波とそれによる原子炉事故発生のシナリオは
公的研究機関がキッチリと想定していて、
そんな馬鹿な高さの津波を想定するわけにはいかないと
独自の論理を展開していたのは、
上級役人と東電だけだった、
という
毎日新聞の記事。


こんなうっとうしい原発の話題から目を逸らして、
スポーツや科学技術などの
もっと楽しい話題で寛ぎたいのは山々なんだけど、
ここはひとつ
これまでの自分の不勉強の猛反省も込めて踏ん張って、
次世代の日本人のために、
今回の事故で尻尾を出した原発の、
その尻尾を決して離さないようにしたいと思います。




ヴィッテ31 14号艇のリグ・チューニング(2)

2011年05月09日 | 風の旅人日乗

5月8日。葉山マリーナヨットクラブ主催の小網代沖ブイ回航レースに参加しながら、
リグのセットアップの仕上がり具合を確認する作業。

レースそのものは、右からのパフと、右へのシフトの可能性の高かった風を意識すれば
フリートの右サイドに居たく、
強い向かい潮から逃れるためには水深の浅い岸寄り(左サイド)を使いたく、
という、判断が難しいレースになり、
見えない潮よりも、見える風のほうを優先して、
パフを丁寧に拾いながらフリートの右サイドを押さえることにしました。
リスクマネージメントからすれば、妥当な作戦だと思います。

干潮に向かっている時間帯に、
長者ケ埼から佐島沖では北に向かって流れる潮が強くなるという現象も、
相模湾の下げ潮=南流というイメージとはまったく逆で、
感覚的にはとても変な感じでしたが、いい勉強になりました。

結果は、右のシフトが来る前の午前中に、途中の亀城根沖でコース短縮になり、
19隻中4着修正4位。
強豪が揃う葉山マリーナヨットクラブのクラブレースデビュー戦としては、
充分満足できる成績ではないでしょうか。

この日は大潮で、午後遅くなるとマリーナ内の水深が浅くなって
レース艇が上架できなくなる恐れもあったため、
コミッティーの判断も的確だったと思います。

レース中ほとんどの時間帯で4~5ノットの風速だったため、
この風域でのリグ・セッティングしか確認することが出来ませんでしたが、
それぞれのタックのメインセールとジブセールのシェイプから、
マストが左右にストレートに立っていることと、
マストが垂直に立ち上がっていることを確認することが出来ました。

セーリング中マストの状態が左右で異なっていると、
それぞれのタックでメインセールの深さや、深さの上下分布が違ってしまいますし、
マストがデッキに対して左右方向に垂直に立ち上がっていないと、
それぞれのタックでジブのリーチの開き方が違ってしまいます。

ヴィッテ31 14号艇では、
少なくともここまではリグ・セッティングが完成したことになります。

レース中、他の艇と併走する場面もあり、走りを注意深く比較しましたが、
ヴィッテは微風が比較的得意だということもあり、
どの艇に対しても満足のいく走りをしていたと思います。
もちろん、ヘルムスマンの集中力と技量が優れていた、
という要素も大きいです。

次にご一緒させていただく機会は2週間後ですが、
そのときにもしもう少し強めの風に恵まれれば、
他艇と走り合わせながら、マストのプリベンド量の最終チューンと、
マストをもう少し起こしてアフターレーキを1°ほど小さくできないかを、
探ってみたいと思います。



この日のセーリング後、元気いっぱいの女性クルーにお願いして、
ノンオーバーラップジブのトリムの目安に使う目盛りを、
スプレッダーにマーキングしてもらいました。

5月6日

2011年05月06日 | 風の旅人日乗
セーリング三昧の数日間のあとは、
朝1時に起きてから、ほぼ一日中デスクワーク。

あれ以来、セーリングのことを考えていても、
仕事のことを考えていても、
常に頭のどこかに存在していて、
ココロに憂鬱をもたらすやつ、
原発。

本日の感想は、敬愛するダイロクさんのブログをお借りします。

戦争推進と、原発推進の根っこが同じだったとは…。
はぁ。

震災復興支援レース

2011年05月06日 | 風の旅人日乗
5月2日、逗子マリーナからシーボニアまで、
東京海洋大ヨット部OBと二人で、
レーザーSB3を回航。


photo by Y.Yabe

5月3日、4日、震災復興支援レース。
成績的には、まったくレースをさせてもらえないままで終わったけれど、
ここのところ日々の仕事で激務に耐えている松井オーナーには
リフレッシュしてもらえた2日間になったのではないかと思う。

4月30日 浜名湖 葉山

2011年05月05日 | 風の旅人日乗
朝4時に起き出し、明るくなるのを待って葉山を出発し、徒歩で逗子駅へ。
極めて個人的な用件のため、経費節減を旨とし、
横須賀線から東海道本線に乗り換え、普通列車で浜名湖に向かう。

大船から静岡までは特急列車用車両を使った普通電車だったため、
テーブル付きのボックス席で、
持参の果物を食べたりコーヒーを飲んだり、
以前から気になっていたダウンウインド・フィニッシュでの
ルームを要求する権利とポート/スターボの航路権の優先順位の解釈について、
ルールブックを丹念に読み返して確認したり、
停車駅の間近に見える富士山の写真を撮ったり、
極めて快適な鉄道の旅を楽しむ。



静岡と浜松の乗り継ぎ時間を使って、それぞれの駅の駅蕎麦も楽しんじゃおう
と考えていたのだけれど、
利用者が便利なように、共に3分しか乗り継ぎ時間がなく、
残念無念、食べられなかった。

浜名湖口を渡って最初の駅が鷲津。その次が新所原。
新所原で降りると、約束どおり小池の哲ちゃんが迎えに来てくれていた。
お昼にはまだ時間があったけど、駅蕎麦を食べ損ねて
お腹を空かせていたので、2人で腹ごしらえ。
浜名湖産のうなぎを蒲焼にしたやつがドカーンと入った、うなぎうどん。
うなぎとうどん。まさかの食べ合わせだけど、
不思議に美味しい。
けど、次は、やっぱり、うな重のほうがいいかも。

懐かしい横山の合宿所では、数人の有志がペンキ塗りや庭造りの最中。
2階建てのテラスまでできている。



ここは、山田潤、寛、真の三兄弟、小林正季、竹本さやか、などが育った浜名湖ジュニアセーリングの虎の穴。
ステアリングの感覚を磨くためにワタクシもここにレーザーを置き、
相模湾から通い続けた。

そんな、自分のセーリングにとっても根っこの場所で、
本日のメインテーマについて、哲ちゃんと話し合い。
二人の夢を確認し合いながら、考えを煮詰めていく。

いい感じに二人の考えが進化していったところで、
自分のレーザーを見ながら、その考えを租借する。



ここに通い詰めて、
目の前に広がるこの海を自分の庭のようにして、
『浜名湖道場』なんて、勝手に自分で名付けて、
このレーザーで走り回っていた頃の、
セーリングへの熱い情熱が再び沸々と湧き出てくる。

翌日は、クルージング途中の大学の先輩の艇で
葉山からベイサイドマリーナまでのセーリングの予定だったが、
南の強風の予想のためそのセーリングを延期するという連絡が入り、
今夜の宴会のほうに参加することにしたため、
帰りは浜松から新幹線に乗る。

逗子駅前でワインを買い、
午後7時前に葉山新港に臨時係留中の北田先輩ご夫妻所有の艇にお邪魔し、



クルージングにご同行しているもう一人の大学の先輩・星野さんカップル
共々の夕飯にご一緒させていただき、楽しい時間を過ごさせていただいた。