寒いですね、日本。

2013年02月21日 | 風の旅人日乗


仕事を離れて、ニュージーランドを小旅行。
こういう贅沢な時間は、久しぶり。



ある早朝、
ファームステイで泊った農家で目覚めて、
キッチンでコーヒーをいれていると、窓の外に動くものが。



早起きな馬たち。

夜明けの光が、綺麗だな。



ふと立ち寄ったところには、
この島々が火山列島であることを思い出させてくれる光景が。



マオリの人たちの文化も改めて勉強した。
海からやってきた人を、最初は警戒しながら対面し、
そうして敵ではないと判断すると、
自分たちの村に温かく迎え入れ、
そして歓迎の宴を催すところまでを、
時間軸に沿って、再現してくれる。



あるところで、ホビットたちの村を発見。



おー、『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』の映画の中で見たのと同じ光景が!



実際の撮影に使ったオープンセットの中を、歩く。
自分が映画の中に入ったかのよう。
映画好きとしては、こたえられない!

今回の最終日、
オークランドに戻り、
艇を最終チェックしに行ったら、
オープン60クラスがすぐ近くに上架されていたので、
後ろから、2隻とスカイタワーを一緒に写し込んで記念撮影。



そのあと、初めてスカイタワーに上ってみる。



2003年のアメリカズカップのあと、
様変わりしたバイアダクトハーバー。
その向こうにウエストヘブンと、ハーバーブリッジ。



チームニュージーランドのコンパウンドの西側、
ウエストヘブンマリーナに面したところが
イタリアのアメリカズカップ挑戦チーム、
プラダのコンパウンド。



その南側にあるオラムス・マリン、
さらにピア21へと目を移していくと、あった、ありました!
さっき見てきたばかりの赤い日本艇と、黄色いオープン60クラス。
見えないと思いますが、見える人には見えます。

ではでは、
しばしの間さようならニュージーランド。


オークランドで一番標高の高い山(334m?)から眺めたオークランド市内とランギトト島

この旅を、締めくくりに出かけます。

2013年02月11日 | 風の旅人日乗
セミの声がうるさいくらいになっている
ニュージーランドはオークランドの朝。
でも、本日の朝日が出る瞬間の空には、
秋を思わせる高層雲が。



今が盛りだと思っているときには、
実は、終わりが始まっているということなのかな。
ニュージーランドの夏も。
日本の冬も。
もしかして、人生も?

本日、脳みそから汗を流しながら
それぞれのプロたちが集まって数時間討論したのは、
この図面の周辺の案件。



しかし人間、頭を絞れば、
必ず解決策が出てくることも、学んだ日になった。

とは言え、もうぼくの脳みそはそのミーティングで
本日分のエネルギーを完全に使い果たしている様子。

さて明日からの7日間は、日本の次世代たちに
この国を見せてまわる小旅行。

本当の外洋セーリングも、
ボートビルディングも、
セールデザイン&メイキングも、
ぼくはすべてこの国の人たちから学んだ。

それが良かったのだ、
それが幸運だったのだと、
いつも秘かにその人たちに感謝をしている。

そんな人たちが住む国を、
日本の次世代たちに見せてあげて来ようと思います。

星めぐりの歌

2013年02月10日 | 風の旅人日乗
明日でこちらの仕事納め。
珍しく夜遅くまで起きて、
輸出艇の最終船積みまでの引き継ぎのジョブリストを
東向きの大きな窓の前に置いたパソコンで作る作業。

窓の正面右側、
南寄りの丘から、南十字星が上がってきて、
パソコンと格闘している間に
あっという間に空高く駆け上がる。

日本では、与論島まで南下すれば
南十字星が見られる、んだったかな?

今はもう、南十字星は
軒の上まで行って見えなくなったけど、
気が付くとその代わりに、北寄りの東の空に、
日本でもおなじみのさそり座が
空の大きな面積を占領している。


「赤い目玉のさそり、広げた鷲の翼~♪」

さそりの赤い目玉はアンタレス。
ギリシャ語のアンタレスとは、
同じく赤い星である火星(アレス)の敵という意味だとか?
むかし誰からか教わったような気がする。

西洋では、アンタレスはさそりの心臓とされているけど、
「星めぐりの歌」を作った宮沢賢治には、目玉に見えた。
外から押しつけられた解釈ではなく、
自分の感覚を優先させることに、大賛成。

宮沢賢治は、北国の澄んだ空気の星空を見上げながら、
どんな心で、この、ちょっと寂し悲しい歌を作ったんだろう。




オークランド・ドメイン

2013年02月09日 | 風の旅人日乗
本日土曜日も、朝からマリーナでお仕事。
それを早めに切り上げ、午後4時半、
今日もやってきました、オークランド・ドメイン。



週末は、
クリケットやら、タッチラグビーやら、サッカーやらを楽しむ人たちや、
ただひたすら走りまわっている人たちで、ここの公園は賑わう。
写真に撮ると閑散としているけど、
これでもこの国の運動公園としては、大賑わいの部類に入る。



さあ、走りますか、と思いながら
右の木陰で気持ち良さそうに涼んでいる2人連れを見たとたん、
戦意喪失。

なんだか、ここのところくたびれちゃったし、
今日は、ドメインを散歩するだけにしよう、と自分で自分を甘やかせる。

ドメインの、日本庭園的区画の池に、
蓮の花が咲いていたので、カメラでパチリ。



おー、水面に空と雲が写り込んで、
結構おもしろい写真じゃん、
なんて、独り言をボソボソと。
ちょっと、さみしいね。



あれに見えるのはオークランド博物館。
この中には、太平洋の伝統的カヌーも、体高3mの怪鳥モアの復元像も、
零戦も、ポツダム宣言を受諾する日本の「条件付き」降伏状のコピーも
収められている。
もう閉館の時間。

ランニングをさぼりついでに、
ここから、森の中の散策道を通って、
パーネル村のレストラン街に抜けると斜め正面にある
アイリッシュパブのストゥールに陣取って、
うま苦いアイリッシュビールで本日の土曜日を締めくくる。

日本輸出目前。じわじわと最終ミッションへ。

2013年02月08日 | 風の旅人日乗


今朝も日の出を待って、マリーナに出勤。
昨日少しやり残したマスト抜きの準備を終えたあと、
朝7時半からの上架とマスト倒しミッションの前に、
プロペラのピッチを確認するために
エンジンをフルスロットルで回しに、ウエストヘブンの沖に出る。

今日のPRADAは、2隻のAC45でレース練習の様子。
朝6時にはすでに2隻とも水に降ろし、出艇準備中。
その横を、申し訳ないけど、フルスロットルで走り抜ける。



JPN6630。
全長13.50m、幅4.00m、喫水2.60m。
こちらニュージーランドでは、とても好評です。
見学に来る人が絶えません。

「日本の次世代が、本格的な外洋セーリングを通して
海と自然を学ぶための船」
だと説明すると、みんなが、
「この艇のオーナーの考えは素晴らしい!」、と言ってくれます。

そういう目的の艇を造る日本人オーナーがいらっしゃることを、
日本人として、とても誇らしい気持ちになります。

日本での評価はね、きっとふたつに分かれると思うけど、
少なくとも、願った通りに、個性的な外観の艇になったなあ、と思います。
ぼく個人的には、うっとりと見とれるデザインです。



特に日本の次世代の若い人たちの目を惹いて、
セーリングや海への興味を持つきっかけになる艇になって欲しいと、
心から思います。

さて、今回のニュージーランドの日々も残り少なくなってきた。
ニュージーランドのこの朝日を見られるの、
あと何日あるのかな。



毎日、PRADA

2013年02月07日 | 風の旅人日乗
毎日、明るくなるのを待つようにして
マリーナに通う。



やることが次から次に出てきて追いかけられている。
楽しいぞ。

デッキの上で作業していると、
ここのところ毎日、
イタリアのアメリカズカップ挑戦チームの
PRADAが、出港して行くのが見える。



エアバスA380の翼よりも大きいウイングを
クレーンで吊り上げて立てるオペレーションが始まってから
出港するまで、ゆうに2時間はかかる。
航空宇宙用の反射フィルムで覆われているフラップ部分は、
肉眼で見るとキラキラと銀色に輝いているのだが、
写真に撮ると空の色に溶け込むね。

本日はチームニュージーランドの2号艇が初めてテストセーリングする。
沖でPRADAと走り合わせをするらしい。

我が艇のすぐ近くに係留している、米国防衛チームのオラクルUSAの
スパイ用高速インフレータブルボートも、
PRADAの後を追うように、慌ただしく出港した。



男二人のカルボナーラ

2013年02月03日 | 風の旅人日乗
いま、ニュージーランド時間で午前3時前。
朝凪の時間帯を利用して、
今日の朝5時から始める予定のインクライニング(復元力計測)に、
寝坊などしたらまずいぞ、まずいぞ、と思いながらベッドに入ったら、
心配のあまりそのまま眠れなくなった、というお粗末な話。
意識しなくても、いつもその時間には普通に起きているのにね。
ま、こういうこともあるわな。

一昨日の土曜日。
ここのところ作業が遅れ気味なのに、
休みを取ってばかりいるこちらの関係者にイラつきながら、
週末もへったくれもあるもんか、と一人で作業を続けていた。

そんな、気持ちが疲れ気味のぼくのことを心配したのか、
夕方4時すぎに、リチャードが艇まで来て、
「オレの船でさ、これから近くの島までセーリングで行って、
アンカリングしてワイン飲んで、
一晩のんびりしてから帰ってこようぜ」
と誘ってくれた。

そんなことしている場合じゃないのだけれど…
と内心では思いながらも、
息抜きできていないぼくのことをを心配してくれていることが
とてもよく伝わってきたので、
素直に誘いに従うことにした。

寝袋と着替えと歯ブラシと、読みかけの本を取りに
宿に寄ってから、
夕方5時半、男二人でプチ・クルージングに出港。



ランギトト島を左に、ミッションベイを右に見ながら
風上にある、何度聞いても名前を覚えられない島を目指す。

1時間ちょっとで、その、ブラウン島とワイヘキ島の間に浮かぶ島に着き、
2枚のセイルをファーリングして、錨を下ろす。



リチャードがカルボナーラを作るのを見ながら、
冷えたビールを飲む。

カルボナーラ完成後、
お酒をビールからワインに替えて
オークランドの街並の向こうに沈む
でっかい太陽を見ながら
コクピットで晩御飯。



いい歳をしてこういう写真を載せるのは、
とても恥ずかしいんですけどね、
一応載せますね。
こういう感じの男二人飯でした。



何回お代わりしても尽きない膨大な量があり、
味はともかく、量には大満足。上出来。

リチャードとはジャパンカップでも何度か一緒に乗ったし、
海外のレースでは、敵味方で闘った間柄。

ピーター・ブレイクのクルーとして世界一周レースにも乗った
リチャードから、セーリング中のピーターのことや
レースのことをいろいろと聞く。
何回も聞いた話だけど、何回聞いても面白い。

こちらも無尽蔵に出てくるワインの酔いもあって、
日本での仕事の悩みや人間関係の悩みなどを、ついこぼす。
話すことで気が晴れたし、彼のアドバイスも気に入った。

降ってくるような南半球の星空を久しぶりに堪能したあとの、
あるかないかの波に揺られながらの睡眠も完璧だった。

翌朝は、サッポロ一番醤油味とコーヒーの朝食後
錨を上げて、
開催中の『セイル・オークランド』のレース海面で、
ロンドンオリンピック金メダルの470クラスNZ女子チームの
セーリングをじっくり観察。
上手な人たちに操られている船は、どんな艇種であれ、
伸びやかに、とても美しくセーリングするよね。

お昼前には帰港し、仕事好きのニッポン人は、
そのまま自分の船に戻って作業を続けましたとさ。



故ピーター・ブレイク

2013年02月03日 | 風の旅人日乗
オークランドでJPN6630を臨時係留している
ウエストヘブン・マリーナのS桟橋の前には、



日本でいえば日本セーリング連盟に当たる
ニュージーランドのセーリングの国内最高機関、
ヨッティング・ニュージーランドの事務所がある。

その駐車場には、レガッタ開催時の支援車として
ニュージーランド各地のレース会場に持ち込まれる
トレーラーが2台、停めてある。



チームニュージーランドのスキッパーである
ディーン・バーカーや、
ニュージーランドのボードセーリング界の生きた伝説
バーバラ・ケンドールの写真に混じって、
故ピーター・ブレイクが遺した言葉が大きく書いてある。



写真が小さいけど、読めますか?
いい言葉だな、と思う。

2000年の3月末。
ピーター・ブレイクは、
ラッセル・クーツとブラッド・バタワースとチームニュージーランドとの
ゴタゴタをなんとか解決しようと最大限の努力をしながら、
それと並行して、
南極を経由してアマゾン河を源流近くまでさかのぼる
自分自身の航海の準備を進めていたのだが、
そのピーター・ブレイクに、共通の友人を介して
「この航海は無理だが、その次の航海には、乗せてあげることができると思う」、
と言ってもらった。

2000年1月にチームが予選敗退して以来、
日本のアメリカズカップ挑戦のありように、
ぼくはそのころ非常に深い疑問を持ってしまって、
これまでとはまったく異なる挑戦理念が必要であることを痛感していて、
ピーター・ブレイクからも、何かを学び取りたいと考えていたのだった。

その9ヶ月後の2000年12月、
ピーター・ブレイクがアマゾン河で海賊に殺されてしまうことなく、
ピーター・ブレイクの『次の航海』があったなら、
ぼくの人生はその先どんなふうになっていただろう?

いろんな偶然がたくさん作用して、
それぞれの人間の、今の人生があるんですね。



12年前、ここで、ピーター・ブレイクの追悼式典が行われた。
この芝生は、
ごく普通のニュージーランドの人たちで埋まった。

芝生に座るぼくの横を、人目を忍ぶようにして
サングラスをかけたラッセル・クーツとブラッド・バタワースが
通り抜けたことを、まるで昨日のことのように思い出す。

Pogo 12,50

2013年02月01日 | 風の旅人日乗


タウランガから予定通り船台が届いて、細部のチェックも終え
造船所サイドが行なうべき最後のこまごまとした仕上げも
造船所の社長自ら汗をかきかき作業し終えて、

ワタクシも、船尾船底に潜り込んで、
ステアリング・ケーブルをワイヤーからダイネックスに替え、
そのスプライスをやり終えて、

夕方6時過ぎ、いつものSwashBucklersに行って、
この日の仕事終了を二人でビールで祝う。

ニュージーランドでカスタム・ヨットの仕上げ仕事をしながら、
今月5日発売のセーリング専門誌の連載ページに書いた
プロダクション・ヨットの紹介記事は、
フランスで建造されている快速クルージングヨット
Pogo12.50




非常に良心的な価格の、
よくできたクルージングヨットだと思います。