VOR プーマ

2009年01月26日 | 風の旅人日乗
[photo : Rick Deppe/PUMA Ocean Racing/Volvo Ocean Race]

1月24日、南シナ海でブームを折ったプーマは、
そのブームを外して、
デッキに直接メインシートを取り回して、ルソン海峡を北上していたが、
風が落ちてワンポイント・リーフを解いてフルメインにする作業をしているときに、
スキッパーのケン・リードがブロックに手を食いつかれ、
左手人差し指を半分以上失う大怪我をしたようだ。

ケン自身がメールで書いてきているが、
陸上の家族を心配させないよう、ユーモアを交えて書くように努めている。
それが、読んでいて、逆に辛い。

今後順調にいったとしてもチンタオへのフィニッシュまで後数日。
東シナ海に入るともう一吹きありそうだし、
北上して気温が下がると、痛みも辛くなるだろう。
頑張れ、としか言えないけれど・・・・

クラックが入ったバウ船底の修理をルソン島の風陰で終わらせて
アンカーを揚げ、ルソン海峡を北上し始めたグリーンドラゴンだったが、
その修理が思ったような効果を上げてなかったことが判明し、
再びルソン島の島影に隠れ、海況が収まるのを待っている。

しかしこの後、台湾を交わして東シナ海や日本近海に来ると、
海況はさらに悪くなる。
船底が弱いままではその海を風上に走るのはかなり辛い、
というかヤバイだろう、と思う。
テレフォニカブラックに続いてグリーンドラゴンも、
冬のアジアの海を走りきれずにリタイアすることになるかもしれない。

スペイン その3

2009年01月25日 | 風の旅人日乗

ボルボ・オーシャンレースのフリートは、
フィリピンのルソン島と台湾の間に広がるルソン海峡で、最大風速55ノットの北東風を受けて混乱している。
現在その嵐は去ったが、その嵐の最中、
一時トップを走っていたプーマが、
ブームを折って先頭艇団から離れた。

その後トップに立ったテレフォニカブラックは、
船体に重大なクラックを生じてリタイア、マニラに向かっている。

グリーンドラゴンとデルタロイドは、船体の修理とセールの修理のために、
ルソン島北端近くの湾に入ってアンカリングしている。
(グリーンドラゴンは、ついでに中国の正月をその湾で祝ったらしい。
現地の人たちのカヌーに乗って、クルーの一人はルソン島に上陸もしたとか)

そんな混乱の中でトップに立ち、
現在台湾の東海岸を一人北上中なのが、バウワー・ベッキンがスキッパーを務める
テレフォニカブルー。

今日の日記は、
昨年10月にスペインで
そのテレフォニカブルーをステアリングさせてもらってレースをした時の体験記
その3。
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第2レースは上有利にセットされたスタートライン。
バウワーの指示に従った位置とタイミングで最終アプローチに入り、
全艇の一番風上側から、12ノットほどのスピードをつけてスタートする。

このレースは最初に頭を出せたので、
自由に、最初のスターボード・タックを走ることができた。
レースを組み立てるバウワーの指示に合わせて、
10.60ノットから11.15ノットの間で、ボートスピードのモードを変えながら、
クローズドホールドを走る。

パフとラルによるヒール角の変化に合わせて、
バウワーがボタンスイッチを操作してカンティングキールの振り上げ角を変える。
カンティングキールによってヒール角が突然変わると、
その瞬間にヘルムが大きく変わる。
それに落ち着いて素早く対応できるようになるまでしばらく時間を要した。
艇の幅が広いため、ヒール角による喫水船型が大きく異なり、
そのためにヘルムが激しく変化するのだろう。


全艇の一番右から上マークへのレイラインにアプローチしているのが上の写真。
この時点ではレイラインに乗っているのは我々〈テレフォニカ・ブルー〉だけだったが、
この写真の直後に右シフトが入り、
風下のプーマ〈イル・モストロ〉の位置がジャストのレイラインとなり、
プーマがトップで上マークを回航。
そのすぐ後ろで、この写真に写っている4隻でかたまりになって上マークを回航する。

1月22日 緑龍

2009年01月23日 | 風の旅人日乗
[photo: Green Dragon/VOR]

ボルボオーシャンレース第4レグで、
アイルランド&中国からエントリーのグリーンドラゴンがフォアステイを切った。
レースは続行するとのことだが、最後までアップウインドが続くこのレグで、
ハリヤードを使った仮フォアステイで走らなければならないとしたら、
到底上位は望めないことだろう。

カーボン製のフォアステイは、
スキッパーのイアン・ウォーカーが手に持っている切れ端を見ると、
スウェージング部分で切れているように見える。
「レースが始まる直前に変えたのに、なぜ切れたか分からない」と
イアン・ウォーカーがコメントしているが、「レースが始まる前」というのは、
昨年10月にレースがスタートしたときのことを言っているのか、
それとも1月17日にスタートしたこのレグのことを言っているのか不明だが、
もし昨年10月以来変えてないのであれば、
それだったら起りえることではないのだろうか?

第4レグ、勝手の分からない南シナ海で、
各艇は相当苦労してレースを続けている。
この海は測深していない海域も多く、突然の浅瀬に慌ててタックしたり、
流木に激突してスピードメーターの計測部を壊したり。
中国と台湾に囲まれたこの海は、
人工漂流物が山のように浮かんでいる、悪名高い海でもあるのだ。
世界最速のモノハル艇で高速疾走している艇団が、
大型の漂流物に激突して致命的な事故が起きないよう、
幸運を祈りたい。

明日土曜日から48時間、風速50ノットを越える荒天が、
ボルボオーシャンレースのレースフリートが走っている海域で発生する。

頑張れ、福ちゃん

2009年01月15日 | 風の旅人日乗
1月30日から2月14日まで、ニュージーランドのオークランドで開催される
ルイヴィトン・パシフィックシリーズに参加するBMWオラクルレーシングが、
そのメンバーリストを昨日発表した。
チームのCEOでありスキッパーである
ラッセル・クーツが自らステアリングを握るセーリング・チームのメンバー表の最後に、
補欠フォアデッキとして早福和彦の名前が連なっている。
日本人セーラーの代表として、頑張れ、福ちゃん!

The BMW Oracle Racing crew:

Alan Smith (NZL), bow;
Alberto Barovier (ITA), mid-bow;
Carl Williams (NZL), mast;
Jamie Gale (NZL), pit;
Andrew Taylor (NZL), grinder;
Brian MacInnes (CAN), grinder;
Joe Newton (AUS), upwind trim;
Daniel Fong (NZL), downwind trim;
Joe Spooner (NZL), main grinder;
Noel Drennan (IRL), main trim;
Cameron Dunn (NZL), traveler;
Russell Coutts (NZL), helm;
Hamish Pepper (NZL), tactician;
Larry Ellison (USA), afterguard;
Michele Ivaldi (ITA), navigator;
Magnus Auguston (SWE), runner grind;
Hamish Wilcox (NZL), runner;
Kazuhiko Sofuku (JPN), reserve foredeck.

1月11日 荒川

2009年01月14日 | 風の旅人日乗
東京湾。日没近くまでセーリング練習。
練習を切り上げてマリーナに戻るとき、
東京・荒川に掛かる、JR京葉線と東関東自動車道が走る橋の下を、
スピネーカーを張ったまま通り抜けた。

川上からも川下からも、
接近してくる船がないことを確認した上で、
エンジンもスタンバイして、
いつでもスピネーカーとメインセールを降ろせるようにクルーを配置して
ある願いを込めて、セーリングで鉄橋をくぐった。

そうしたら
なんと、願っていた通り、橋の下に差し掛かると、
京葉線の上りと下りの電車が一本ずつ、
その橋の上をナイスなタイミングで通り過ぎた。

あの電車に乗っていた数千人の乗客の内の、
海側の窓から外を見ていた数百人の内の、
数十人くらいはきっと、
羽田の向こうに沈もうとしている夕陽をバックに、
オレンジ色のスピネーカーを揚げて
風に乗って東京湾から荒川を遡ってくるヨットを見てくれた、
と思いたい。

その数十人の内の、
数人が、
その光景を見たことをきっかけに
ヨットという船のことや、海に出て遊ぶことに興味を持ってくれたとしたら、
本日のぼくの企みは大成功。

小さな一歩一歩であっても、
日本の国土に住む日本人たちが、
海やセーリングに興味を持つようになることに役に立つにはどうしたらいいかを、
常に頭に置いて行動したいと、
これまでも、これからも、願っている。

1月10日 ベイサイドマリーナ

2009年01月14日 | 風の旅人日乗
相模湾でセーリングした後、新逗子から金沢八景に出て、
シーサイドラインに乗り込む。
冬の太陽が三浦半島の向こう側に姿を消したところだが、
その上空が、恐ろしいくらい鮮やかなオレンジ色に染まっている。
冬至を過ぎてまだ3週間しか経ってないのに、もう随分日が延びてきた。
年末をひかえていた頃、午後5時はもうとっぷりと暗かった。

鳥浜の駅を降りて、アウトレットからの帰りの人の流れに逆らうようにして、
ベイサイドマリーナに向かって早足で歩く。
まだ人の賑わいが残るショッピングモールを通り抜けて、センターピアへ。

満月を明日に控えた月が、房総半島の上に掛かっている。
内装の木の肌に温もりを感じられるくらい使い込まれて、
オーナーの人柄に馴染んだ36フィートのトローラーのキャビンに入る。

これから、いろんな世界のプロフェッショナルたちの仲間内での新年会。
今夜はその人達の、深遠で楽しい話を聞きながら楽しい時間を過ごす。
夕方から吹き始めた北風が強くなってきた。
その風がフネをゆっくりと揺らし、
美味しいお酒にほんわかしてきた身体に心地良い。

スペイン その2

2009年01月13日 | 風の旅人日乗
[photo Rick Tomlinson/VOR]

〈グリーン・ドラゴン〉がタックして右に行った後、
やっとノーマルのクローズホールドにモードチェンジ。
いい感じでそのまましばらく左に伸ばす。

コースの右に風を見たバウエが、
風上少し後ろを依然並走しているプーマ〈イル・モストロ〉のケン・リードに声をかけるが、
ケンはタックしない。

上マークへのポート・レイラインに接近したところで
〈イル・モストロ〉がやっとタックを返し、
それに合わせて我々もタックして上マークに向かう。
〈テレフォニカ・ブルー〉のジブは一番小さい#4。
これしか積んでこなかったのだ!
だが、〈イル・モストロ〉はオーバーラップ・ジェノアを使っている。
10-12ノットの風で#4を揚げていては、オーバーラップ・ジェノアに敵うわけがない。
なのに、パフのたびに〈テレフォニカ・ブルー〉のほうがほんの少しずつ〈イル・モストロ〉に対して高さとスピードをゲインしている。
バウエが喜んでいる。

しかしその後、大きな左シフトが入って、我々2隻は大オーバーセールとなってしまい、
右風下にいた艇団に上マークで先行される。
そのうち、何人かのゲストが自分も舵を持ちたいと言いはじめ、
その人たちに舵を譲って、結局そのレースは最下位でフィニッシュ。

第2レース。
バウエが、「このレースのヘルムは、最後までKazu」
というスキッパー命令を下し、〈テレフォニカ・ブルー〉は第1レースに比べて真剣モードになる。

風軸は198度から203度。時折2,3分の188度も混じる。
風速は10-12ノット。
#4ジブではアンダーパワーだ。
このジブしか積んでこなかったのをバウワーは悔やんでいる。
(「みんな、ゲストの安全のために小さいジブを使う約束だったのに・・・」)

スタートラインを流す。
10-12ノットの風速で、リーチング14ノット、クローズホールド10ノット後半。
バウを風上に向けてジブの風を抜いても、
6ノットほどのスピードでそのまま風上に上っていく。

日頃乗りなれている30-40フィートクラスの艇での時よりも、
スタートラインからかなり低い位置からアプローチするように意識しなければならない。

バウワーが教えてくれる。
「ラフィングしてもこの艇はどんどん風上に走っていくからな」
「コミッティーボートやマークの風下側を通るときは、キールが風上側に持ち上がっていることを忘れるなよ
(クローズホールドでマークの風下側に船体を寄せすぎると
風上側に上がっているキールバルブがアンカーロープに引っかかる)」

(スペインその3 に続く)

1月10日 スペイン

2009年01月10日 | 風の旅人日乗
[photo: Volvo Ocean Race]

開発費を除いた船価だけで5億円(現在の為替レートだと4億円弱)もする
ボルボオープン70クラスをステアリングしたときの印象を報告します。
これは2か月ほど前にヨット専門誌KAZIに書いたものに、
このブログ用に手を加えたものです、あしからず。

ボルボオープン70クラスをステアリングするのは、
前回のレースで優勝した〈ABNアムロ1〉 にメルボルンで乗って以来。
今回は、ブルース・ファー設計事務所設計のスペイン艇〈テレフォニカブルー〉。ブルース・ファー設計。
かつての日本やハワイでのレースのライバルであり友人であるバウエ・ベッキンがスキッパーであるため、
スペインのアリカンテでのプロアマレースで舵を持たせてもらった。

前回のボルボ・オーシャンレース2005-06で、
参加した7隻の半分以上に当たる4隻を占めたファー・デザインは、
気鋭のデザイナー、ワン・クームジアンが設計した〈ABNアムロ1〉の圧倒的なスピードの前に完敗した。
ファー事務所が設計した4隻のうち1隻では、
カンティングキールのトラブルのために北大西洋で船体放棄、その後沈没、
という事故まで発生した。

外洋レーシングヨットの設計分野で、
長く世界ナンバーワンを自他共に認めてきたファー事務所だが、
ここのところ、マルセリーノ・ボティンや前述のワンなどの才能あふれる若手デザイナー、
そしてライケル&ピューやユーデル/フローリックなどのベテラン勢に押されて、
IMOCAオープン60クラスを除けば、
アメリカズカップや最近のIMS、IRC、TP52など、
ほとんどすべての大型艇レース分野でその名が色あせ始めている。

世界の第一線に留まるための土俵際に追い詰められた大横綱ファー事務所が、
渾身の力を振り絞って開発したVO70クラス第2世代が〈テレフォニカブルー〉だ。
〈テレフォニカブルー〉は第3レグを終えた時点で総合2位。
1位はワン・クームジアン設計の〈エリクソン4〉。ポイント差は4.5ポイント。
今日シンガポールで行なわれるインポートレースで、
このポイント差をどこまで縮めることができるか、
それとも逆に引き離されてしまうのか。
ファー・デザインは、
今回のボルボ・オーシャンレースで復活することができるのか。

2008年10月5日。スペインのアリカンテ。
ボルボ・オーシャンレース2008-09の緒戦となったインポートレース翌日のプロアマレース。
プロアマレースとは言え、各チームのスポンサーたちやメディアが観戦艇で見守る中でのレースだ。
各艇のスキッパーとも、みっともないレースはできないという理由と、
大事な第1レグを前に艇を壊すわけにはいかないという理由で、
自分自身でヘルムを持っている。

[photo: Rick Tomlinson/VOR]

第1レース。下有利のスタートライン。
スキッパーのバウワーに突然指名されて
ぼくがステアリングする〈テレフォニカブルー〉は、
副スキッパーのイッケル・マルチネス(49erクラスアテネオリンピック金メダル、北京オリンピック銀メダル)
のアドバイスで、
アグレッシブではないものの、スタートラインの下寄りでスタート。
ちょっとアグレッシブに行けば一番風下の位置を取れそうだったが、
初めて運転する艇だし、壊してはいけない艇だし、
安全なスタートを示唆していたイッケルとも仲良くやりたかったし、
ということもあり、遠慮して、
イアン・ウォーカーの〈グリーン・ドラゴン〉に一番風下の位置を譲る。

スタート後、風下少し前に〈グリーン・ドラゴン〉がいてちょっと走りにくいが、
すぐ風上後ろにはケン・リードの〈イル・モストロ〉がいるため
タックして逃げることができない。

スピードをつけては上り、スピードが落ちきる前に加速し、
上下2隻の間でゲージを確保しつつ、しかも頭も凹まさないよう、
息を詰めるようにステアリングして、なんとかその位置をキープする。

二回り近く年下のイッケルが、「おまえ、けっこう上手じゃん。完璧!」と褒めてくれる。
ありがと。
(続く)

1月9日 オークランド

2009年01月09日 | 風の旅人日乗
[photo Chris Cameron]

今月末からニュージーランドのオークランドで開催されるルイヴィトン・パシフィックシリーズに絡めて、
2月前半にニュージーランドに行くことを決めて、
そのためにいろんな人たちにご迷惑を掛けたりしながら、準備を少ずつ進めている。

エミレーツ・チームニュージーランドの2隻のACボートと、
BMWオラクルレーシングの2隻のACボートを使って行なわれるパシフィックシリーズには、
各国から10チームが参加することが決まったらしい。
チームニュージーランドも、BMWオラクルも、アリンギも、参加する。

レースエリアは、
オークランド港の内側から、タカプナとランギトト島の海峡に至る海域だ。
確かにこの夏の時期、ハウラキ湾まで出てしまうと風がなく、
オークランド市街から見渡せるそのエリアには風が吹いていることが多い。
しかし、その海域は、オークランド港に出入港する大型コンテナ船がひっきりなしに通る航路でもある。
そこに敢えてレースコースを設置するのは、
風があるからということもあるだろうけど、
それよりも、市民が陸から観戦できるマッチレースを狙っているのだろう。

参加10チームの中には、中国の青島國際ヨットクラブの名前もあるし、
ギリシャやイタリアの無名のヨットクラブも参加する。
日本からは、参加しない。

ぼくがそのレースを観に行ったからといって、
この日本の大型ヨットセーリング界の閉塞感が
なんとかなるわけでもないことは理解しているつもりだ。
しかし、何か行動を起こさずには、
居ても立ってもいられない気持ちだ。

1月8日 ディスマスト

2009年01月08日 | 風の旅人日乗
[PRB photo:Vendee Glove]

昨日、ベンディーグローブレース中に
キールバルブが脱落して艇が転覆したJean Le Camを自艇に引き揚げる際に、
その転覆しているヨットに強引に接近しすぎて接触し、
マストとラダーを痛めたVincent RiouのPRBが、
ホーン岬を通過した後に、案の定というか、その痛めたマストを折った。

PRBに乗っているVincent RiouとJean Le Camは、
潮に流されているボクたちを見守って欲しい、と呼びかけている。
付近を航行中の船舶に、ぼくたちを曳航して欲しい、と求めている。

[photo: Vendee Glove]

最初の転覆事故の時に、
Jean Le Camをすでに救出する直前だった自分たちに最後まで任せてくれれば、
この2次災害は起きなかったのに、
と思っているに違いないチリ海軍は、しかし、
今回もこの2人に手を貸そうとしているように見える。
野太い海の男たちだ。

Vincent RiouとJean Le Camは、
地球をノンストップで回るような究極のレースに参加しているセーラーたちである。
しかも、シングルハンドの世界では名の通ったセーラーたちである。
しかもJean Le Camは前回のレースの優勝者である。
そんなベテランにとって、ジュリーリグ(応急マスト)を立てて
自力帆走することはできないことなのだろうか?

海の上で自艇に何が起きても、自助努力で無事に陸に帰るために、
最後の最後まで粘り強く手を尽くし、努力すべし、
とされたオフショアヨットマンの『武士道』は、
もはや幻のものになってしまったのか・・・。

1月8日 処罰

2009年01月08日 | 風の旅人日乗
ボルボ・オーシャンレース第3レグで、
スリランカの南にレースコミッティーが設置した航行禁止区域に進入したという理由で、
エリクソン3に1ポイント減点のペナルティーが課せられた。

この航行禁止区域は、政情不安のスリランカ沿岸に出没する海賊の危険に
レース艇が遭遇しないよう、レースコミッティーが熟慮の末決めたもの。
エリクソン3がその航行禁止エリアに入ったのは、
GPSに残されたデータによると3分40秒間。
わずか3分40秒の間違いではあるけれど、
セーラーたちの命の危険を避けるための規則を破ったエリクソン3に、
予想以上の厳しい処罰が与えられた。

この審問に続いて、バウセクションを無断で交換したエリクソン4に対して
計測委員会が抗議しているケースの審問が行なわれている。
エリクソン4が減点の処罰を受けることになれば、
2位のテレフォニカブルーとの4.5ポイントの得点差がさらに縮まり、
シンガポールで明後日に予定されているインポートレースが、
とても見応えのあるものになってくるはずだ。

1月8日 抗議

2009年01月08日 | 風の旅人日乗
[photo: Volvo Ocean Race]

ボルボ・オーシャンレースの第5ステージ、
シンガポールでのインポート・レースを今週末の土曜日に控えて、
2隻のエリクソン艇が3つの抗議を受けている。
現在2位のテレフォニカブルーに4.5ポイント差をつけてトップにいるエリクソン4は、
計測委員会から抗議を受けている。
すべてのボルボオープン70クラスは計測を受けなければならず、
各計測ポイントには公式計測員の手で、タッピングボルトが埋め込まれている。
しかしエリクソン4の船首の計測ポイントにそのボルトがなかった・・・・。

シンガポールのエリクソンチームのコンテナの横に、バウセクションが転がっているのを、
たまたま通りかかった計測員が目にしたことからこの案件は始まった。
エリクソン4側の説明によれば、
エリクソン4は計測を受けた後、レースの前のトレーニング中にバウを損傷して、
バウをそっくり取り外し、同じモールドから造ったバウをすげ替えた。
その際に再計測を申請し忘れた、という。

取り替えた古いバウは、修理をした上で、
予備として各ストップオーバーに運び込んでいるという。
コンテナの横に転がされていたその古いバウを、計測員が見つけて
今回のプロテストに至ったというわけだ。

エリクソン3は2つの抗議を受けている。
一つは、テレフォニカブルーから、ひとつはレースコミッティーから。

テレフォニカブルーとのケースは、第3レグの、
マラッカ海峡に入ってからの接戦でのこと。
夜間、スターボードタックでジェネカーで走るテレフォニカブルーに、
エリクソン3がポートタックで接近し、
テレフォニカブルーがベアアウエイして辛くも衝突を回避した、というもの。

しかしこの抗議は、テレフォニカブルーが取り下げた。
スキッパーのバウエ・ベッキンによれば、その理由は、
「よく考えたら、ここでエリクソン3を失格にしてしまったら、
第3レグでエリクソン3のあとにフィニッシュしたエリクソン4の順位が繰り上がってしまい、
エリクソン4のポイントが増えることに気が付いたから」
抗議を出す前に、それくらいのことは分かりそうなものだけど・・・

でもテレフォニカブルーはこれで安心できたわけではない。
エリクソン3に出されているもう一つの抗議は、レースコミッティーからのもので、
「エリクソン3は、第3レグのスリランカ南のウエイポイントを通過してない疑いが強い」というもの。
もしこの抗議が通れば、エリクソン3の第3レグ3位はなくなってしまい、
バウエが恐れるように、エリクソン4が3位に繰り上がり、
ポイントをさらにゲットすることになる。
ただし、それも、エリクソン4の無断船首すげ替えがお咎めなし、となった場合だけど・・・。

この2つのケースの審問は、本日中に行なわれる予定。

『マリンウェザー海快晴』の携帯サイトで、
日本語の解説を加えたボルボ・オーシャンレースの迫力の動画を配信中(毎週1回金曜日に更新)。
http://umikaisei.jp/?afid=nishimura



1月7日 救出

2009年01月07日 | 風の旅人日乗
ホーン岬の200海里西の海上で転覆していたVM Matériauxから、スキッパーのJean Le Camは無事救出された。

チリ海軍のヘリとタグボート、付近にいた僚艇2隻、そして付近を航行中に現場に急行してきた貨物船がスタンバイしての大ミッションだった。
チリ海軍のヘリコプターからの画像では、キールバルブが外れている様子が分かる。
同じようにキールバルブが外れて転覆の危機に直面した、別のシングルハンド地球一周レース参加艇が、
オーストラリアの南で運良く貨物船に救助されたニュースが流れたのは、つい3日前のことだった。



サバイバルスーツを着込んで浮かんでいるJean Le Camを救助するために
チリ海軍のタグボートからはダイバーも飛び込んだ。
陸から200海里という距離は、横須賀から八丈島よりももっと離れている。
チリ海軍のタグボートは、荒れた海の中を、危険を冒して、
かなり無理して突っ走ってきたのだろう。

そのチリ海軍によるミッションの最中、Jean Le Camを最終的に引き揚げたのは、
別のレース艇PRBに乗るVincent Riouだった。
強引に転覆艇に接近したため、PRBはVM Matériauxに接触してしまい、
片方のラダーとマストにダメージを受けた。
これでPRBがレースを続行できるか否かも微妙になっている。

海難救助のプロであるチリ海軍のダイバーが飛び込み、
Jean Le Camを問題なく救出しようとしている最中に、
PRBのVincent Riouは、なぜわざわざ危ない接近を試みたのだろう? 
気持ちは分からないでもないが、その結果、2次災害に近いダメージを自艇に受けている。

PRBが無理な接触を試みてラダーとマストを傷つけたのを知っていても、
Jean Le CamがPRBに引き揚げられたのを確認した後、
チリ海軍のタグボートとヘリコプターはPRBを振り返ることなくすぐに基地に引き返したという。
その気持ちのほうが、よく理解できる。

ベンディーグローブ運営側では、この救出劇を、
選手が選手を助けた美しいストーリーとしてメディアに流しているが、
これから先、別のレースで同じような事故が起きたときに、
チリ海軍の対応に微妙な影響を与えてしまうのではないか?

出走した半分以上がリタイアし、何か根本的なところに問題を内包しているかのように見えるベンディーグローブは、
今後の健全なオフショアレースのありかたに議論を提起してしまうことになりはしないだろうか?
不安を覚えている。

1月6日 ホーン岬

2009年01月06日 | 風の旅人日乗
オープン60クラスで行なわれているシングルハンド無寄港世界1周レース、ベンディーグローブが、大変なことになっている。

30隻がスタートしたものの、次から次にトラブル艇が続出し、一昨日、16隻目がリタイアし、まだ走っているのはスタートした艇の半分以下になった。

そして今朝、17隻めにトラブルが発生。
陸上待機チームに遭難した事実と救助を要請した後、連絡が途絶えている。
遭難信号が送信された時点での艇の位置は、ホーン岬の200マイル西の海域。

近くを航行中の貨物船が救助に向かっているが、
現場は現在夜で、夜が明けるまで発見は困難という状況。

カンティングキールのトラブルで転覆したとしても、もし艇が浮いていれば、
脱出口から船外に出ることはできる。
サバイバルスーツも着込んでいるので、
人間のほうも1昼夜くらいであれば大丈夫だろう。
続報は、追って。

しかし、これほど次から次にリタイアが出るなんて、
かつてイギリスのセーリングジャーナリストのティム・ジェフリーが言っていたように、
オープン60クラスは危険な艇なのだろうか。

1月1日 富士山

2009年01月02日 | 風の旅人日乗
神奈川県葉山の森戸海岸は、東に千元山という小高い丘を背負い、日の出が見えにくい。
その代わり、相模湾の向こうの伊豆半島に沈む夕陽はよく見える。

日の出には、人の気持ちを溌剌とさせる力があるが、夕陽を愛でるのは、
なんだか気持ちが後ろ向きになようで気に食わない。
とは言え、夕陽や夕焼けに、人の思考を深める力があることは、認めざるを得ない。
夏の海水浴シーズンと、暮れから正月は、
葉山・森戸には、その夕陽を見に訪れる観光客の数がぐっと増える。

森戸海岸から見る夕陽は、夏至の頃には富士山の右側(北側)に沈むが、
冬至前後には、伊豆の天城の北の裾野に近い辺りまで南下した位置に沈む。
森戸神社がある小さな岬の先端は、夕陽ウォッチングの名所のようになっていて、
晴れて、そして風が穏やかな日には、結構な数の、平和な顔をした人たちで一杯になる。
フロリダのキーウエストにも、あの島に住む芸術家っぽい人たちが集まる夕陽見物のスポットがあって、
それらの人たちに混じってその桟橋に腰を降ろして夕陽を眺めていると、
ヨットレースの勝ち負けを引きずってトゲトゲしている自分までもが、
なんだか平和で穏やかな気持ちに包まれたことを思い出す。

周りの英語を聞きながら見たキーウエストの夕陽はオレンジ色だったけど、
森戸の夕陽は温州みかんの色だ。

上の写真は2008年最後の12月31日の日没と富士山。さらば2008年。

下の写真は、2009年1月1日の日没近くの富士山。

2009年も、いいことがなるべくたくさん起きますように、と、
寂しい夕陽にではなく、日本一の富士山に祈った。