立待ち月

2011年01月21日 | 風の旅人日乗
日没とほぼ同時に上がってくる満月の日の次の日の月は、立待ち月。
つまり、日没後、まだかなあ、もうすぐかなあ、と立ったまま待っているところに、気を揉ませながら上がってくる月だね。

その翌日の月は、居待ち月。
つまり立ったままでは疲れるくらい出てくるのが遅い、もう立ってらんない、座って待つぞ、という月。

そのまた翌日の月は、さらに登場するのが遅くなる、臥し待ち月、あるいは寝待ち月。
座って待っていても疲れちゃったので、もう私失礼して腹ばいになります、と言い訳をして出るのを待つ月。

昨日の満月の月出に比べると、今日の立待ち月は1時間以上も月の出が遅い。
昔の日本人にとって1時間なんてえものは、へいちゃらで立って待つことができる時間だったんだな。
現代日本人、弱くなっちゃったな。

セーリングの仕事がらみで面白い出来事と面白くない出来事があったけど、今日の日記はこんなところかな。

曜を愛でる

2011年01月21日 | 風の旅人日乗
ここのところパソコンの調子が悪い。
日中にシーボニアその他を回った後の夕方、
ご近所に住む、外洋ヨットのオーナーでありパソコン修理のプロフェッショナルでもある方のお宅にパソコンを持ち込み、
診察を受け、治療を施していただく。

パソコンとの付き合いの親密度をどのように設定すればいいのか、へっぴり腰のままこの30年近く過ごしてきたのだけど、
正直言うと、好きではない部類に入る器械。
相手もそのことが分かるのだろう、いつまでたっても付かず離れず、決して心を許してくれようとしない。
そういうやつが立ち直っていく様子を見ていても退屈でしかない。

ふと窓の外を見ると、太陽が力強い光を発しながら伊豆半島に向かってグイグイと下降しているところ。

多くの場合は感傷的になりやすい夕陽なのに、
昨日の洛陽はなぜかすごいばかりのエネルギーに溢れていて、心が惹き付けられてしまう。
これを潮に、パソコン修理は専門家の方に任せっぱなしにして、テラスから太陽見物にかかる。



そのまんまパソコン修理現場には近寄らないようにして、
太陽が沈んだあと、コーヒーを飲みながらしばらく待って、
地球を挟んで太陽と正反対の位置にあるはずの月齢15日ちょっとの月が裏山から上がってくる頃を見計らって、
そのお宅の東側に面する玄関のドアを開ける。

おお、上がってました。当然だけど。


(下のほうの2,3個の明かりは人工発光物)

因みに、一昨日の、月齢15日ちょい前の月は、松の枝の間から上って来た。
ちょっと花札の絵柄を思い起こさせて、人間の心には風流だったんだけど、
携帯電話のカメラに風流を理解することを要求するのは無理みたいで、
人間の心の目では存在しないものになっていた電線などの無粋なものが、とても正確に写っていてガッカリ。




日曜、月曜の『曜』という字は、あらゆる天体、つまり、太陽、月、惑星、恒星、彗星、星雲、ブラックホール(たぶん)など、すべての天体を指す字らしい。
大いにめでたい字だと思い、子供の名前にも拝借させてもらったのだけど、
これから先の人生も、空にかかる『曜』と親しく深く関わっていける人生にしていきたいなと、
パソコン修理のことをほっぽらかしたまま思ったことでした。

今日の立待ち月は、どんなシチュエーションで見ることになるのだろう。

という日記を、修理していただき、見違えるようにキビキビと働くようになったパソコンで書きました。