ウインドサーフィン初体験

2011年10月30日 | 風の旅人日乗
御報告が一ヶ月ほど遅れましたが、
ワタクシことニシムラは、
初めてウインドサーフィン、体験いたしました。

ちょっと威張りたいことは、
初心者用のコンディションと初心者用の道具だったとは言え
最初から落ちずに、
走れて、
方向転換して、
元の場所に戻って来れたこと!



どうですか、この勇姿!
ハッ、ハッ、ハー!

でもね、これはワタクシの能力が優れていたからではなく
教えてくれた岩崎 真プロの教え方が、完璧に上手だったから。
ヨットを教えている身として、本当に感心した。勉強になった。



この日一緒に教わった私たちチームニシムラの
ヨットしか知らなかったセーラー全員が
ウインドサーフィンに乗れるようになった。

それは間違いなく、
岩崎プロとトロピタイルの野澤さんたちの教え方が
本当に上手だったからです。

いや、本当に、その分かりやすい教え方に、
感動しました。

ウインドサーフィンって、面白い!
舵をギコギコ動かすばかりで、
ヨットを速く走らせることができないヨット乗りの人は、
ウインドサーフィンで、
セーリングのメカニズムを身体で覚え直すべきだと思うな。

この日は、SUPも体験させてもらった。



本当に楽しい逗子海岸での一日でした。

えき

2011年10月18日 | 風の旅人日乗
ここはどこの駅?



鎌倉の、駅の横にある踏み切りを渡りながら、
ふと顔を横に向けて駅のほうを見てみたら、
ドキっとするくらい、寂しい光景が広がっていた。

まだ午後6時を過ぎたばかりなのに、
まるで、どこか遠くの無人駅のよう。

上下線がそろって発車したばかりだからだけど、
人間がいない、っていうだけで、
見慣れた駅の風景がこんなにも変わってしまうんだな。

親しい人が大切にしてきた人のお通夜からの帰り。
自分の気持ちが寂しいから
目に入る景色まで寂しいものになるのかな。

映画 『エンディングノート』

2011年10月15日 | 風の旅人日乗
今夜も夜中に起き出して、ちょっくらお仕事。

アメリカスカップの最新情報について、
いくつかの雑誌に記事を書くことと、
外国のヨット造船所とヨット設計者へのメール連絡と、
セイルその他の見積書や請求書作り。

これらを夜が明けるまでに片付けて、
今日の日中は、娘の学校の運動会に応援に行きたいのでね。
雨降らないといいなぁ。

仕事小休止のカップヌードル片手のネット散策で、
劇場上映中のある映画を発見。

主人公が「死」に立ち向かっていく記録映画だというなのに、なぜか
「エンターテインメント・ドキュメンタリー」って謳い文句が。

「死」という重いテーマを「エンターテインメント」にする力量が
日本映画にもあるのかな。

この映画の主人公は、
この映画を撮影し、編集し、監督した砂田麻美さんの、
実のお父さん。
監督のお父さんは、
どんなふうにして自分の「死」に立ち向かったのだろう。

ワタクシは、いい歳をしてまだ「死」に臆病で、
しかも最近トミに涙腺が緩んでしまっているんだけれど、
そんなワタクシでも、最後までキチンと観ることができるんだろうか。
観ていて辛くなっちゃうのは、嫌だよ。

試写会を観た、信用のおける人たちのコメントを読むと、絶賛の嵐。
しかも、みなさん、かなり楽しんだ様子がうかがえる。

正直言うと、まだ少し腰が引けてはいるけれど、
仕事を一段落させて、来週観に行こうと決めた。

エンディングノート


サバニと満月

2011年10月14日 | 風の旅人日乗


上部組織の急な方針転換のあおりを受けて
先月突然のように閉館した博物館に取り残された
サバニに油を塗りに行く。



担当者と話し合い、少なくともその担当者が
職を解かれるまでは、
ワタクシたちチームニシムラのメンバーが
定期的にサバニに油を塗る作業を続けることが、
かろうじて認められた。



いつものように、村橋さん、佐々木さんが
馳せ参じてくれる。
村橋さんは、たぶん徹夜で仕事を片付けて、
佐々木さんは、朝早い病院で腰のリハビリを終えてから、
ワタクシもこの日は午前12時に起きて仕事を片付けてから、
ある朝、都内某所に集合。



博物館の床にあおむけになって寝そべり、
平らな船底に手を伸ばして油を塗りこんでいると、
このサバニを造った下門龍仁さんの手による
ほとんど同型の別のサバニで、
チービシの横を、サーフィングに次ぐサーフィングで
那覇港のフィニッシュを目指した何年か前のサバニ・レースのことが
思い出される。
この船底の、このカタチだから、
あんなに素晴らしいサーフィングができるんだなあ。


昨今のでたらめなこの国の政治のことを思いながら
このサバニに触れていると、
唐突に、
「国破れて山河あり」
という杜甫の詩の一節が頭をよぎった。



作業が終わって三浦半島に帰り、バスを降りたら
森戸川の橋の上に満月。



国破れて山河あり。

太平洋を汚し続ける国、ニッポン

2011年10月13日 | 風の旅人日乗
世の中が寝静まった夜更けに、
そっと起き出し、
コーヒーを淹れてから、
太陽燦々の気持ちのいい昼間には
なるべくやりたくないパソコン仕事に精を出す。

窓の外には、満月間近の月と、その横に木星。
爽やかな透明感があって、清らかで、結構お気に入りの時間帯。

書き仕事にちょっと疲れて、気分転換に
インターネットを繋げて世間の様子をちょいと見に行く。

でも今日は、
なるべく目を逸らしていたいと願うテーマに遭遇してしまう。
爽やかな透明感がある清らかな時間が、後退していく。

東京電力の原発が汚し続ける地球環境。
目を逸らして、気が付かないふりをしている間にも、
事態は深刻さの度合いを増している模様。



日本国政府と東京電力の慢心がなければ、
この図の太平洋は、ずっときれいな青のままだった。

世界の人たちの生活に深い関わりのある海を
大変な事態に陥れつつあるというこの実態を知りながら、
しかも、この深刻な問題の解決策をなんら提示しないままに、
「ニッポンの経済発展のために、原発事業は当然推進する」と、
世界に向かって公言する政治家たちが
私たちの国ニッポンを支配している。

外国の人たちは、当然あの政治家たちのことを
我々日本人全体の代表者として見ていることだろう。

かつて、我々のことを、
太平洋という海を共有する友達だ、家族だと言ってくれた太平洋航海民の友人たちは、
今は、我々日本人のことを、どういう思いで見ているのだろう。

パリのゴーヤー

2011年10月11日 | 風の旅人日乗


ラロッシェルでの仕事を終え、
風向きによっては、
4階の部屋の、窓の目の前に茂る銀杏の木の、
例の、変てこな匂いに悩まされもしたけど、
おおむね快適だったラロッシェルの宿を出て、
ある水曜日の朝、パリに向かう。




このホテルの近くには、
魚介類、野菜、果物、花、お菓子などのマルシェが毎朝2つ立ち、
仕事の合間の時間に、異食文化と触れ合う時間を
興味深く過ごすことができた。






今回の移動も、フランス国営鉄道のラロッシェル駅から、
パリのモンパルナス駅への、高速列車TGVでの旅。






自分はもしかしたら鉄道旅行ファンなのかも知れないと、
今回初めて自覚した。

鉄道での、
田園や森林の風景を見ながらの移動がちっとも億劫でなく、
楽しい。寛げる。

自分はせっかちなだけの人間だと思っていたけど、
どうも、それは時と場合によるらしい。

ラロッシェルで仕入れたパンとチーズをかじりながら、
フランスの農村地帯の風景を楽しんだ鉄道旅行のあとの、
その日のパリでの宿は、
翌日早朝のユーロスター、ロンドン行きに乗るのに便利なように
パリ北駅すぐ近くのホテルを予約していたのだけれど、
行ってビックリ、そこはインド人街のど真ん中。

インド人もビックリしたかも知れないけど、
ニッポン人もビックリした。

街全体に、インドの匂いが充満している。
いや、比喩ではありません。
通りという通りが、インド原産の香辛料の香りに満ち満ちている。
通りを歩いている人のインド人率、95%強。
耳に入ってくる会話のインド語率、90%強。
花の都の意外な側面。

パリの中に、いきなりインド。
そんな感じ。
知ってましたか? 
パリ北駅の東側一帯がインドだってこと?
ワタクシはちっとも知りませんでした。

ニュージーランドのデイリーストアは
なぜかインドからの移民の人たちが経営していることが多いけど、
ここ、パリの中のインドでは、もっと当然のことのように、
デイリーストアもインド人が経営。

ここのデイリーストアでは、店先に野菜や果物も並べている。
今しも売り台に並べられようとしている野菜をよく見てみると、
なんと、ゴーヤー。

「この写真撮っていいか」
「おう、これ旨いぞ。安いぞ。買え買え」
「いえ、私はホテル。これ買うコマル。
写真に撮るだけ撮るだけ、しるるぷれ」
「おう、撮れ撮れ」
てな会話を店のオヤジさんと目と手で行なった後、
撮影。



憧れのカトリーヌ・ドヌーブも住む(たぶん)
花の都パリで会うなど、
思いもしてなかったゴーヤー、あるいはニガウリ。

いつもの夏は三浦半島の家の庭で次から次に生り過ぎて困るのに
今年は一つも実らなかったゴーヤー。
三浦半島に見切りを付けたキミがパリと深い関係になっていたなんて、
ボクは全然知らなかったよ。

あとで調べてみるとニガウリの原産地はインドなんですね。
知ってましたか?
ぼくは知りませんでしたので、激しくビックリした。
思わぬところで思わぬ勉強をさせてもらいました。

ところで、ゴーヤー元祖のインドでは、
ゴーヤーはどんな料理に使うんだろ?

ラロッシェル

2011年10月11日 | 風の旅人日乗
ラロッシェルの旧市街にあるホテルから近い
お気に入りのカフェの、お気に入りの席。



ラロッシェル滞在中3日間の毎朝毎夕、
一日の始まりのコーヒーとパンと、
一日の終わりのビールとワインを、
旧い歴史を持つ港の光景を眺めながら楽しむ。

日本の海洋マリンレジャーの黎明期、
操作のすべてを経験と勘に頼るしかなかった当時の難しいカメラで、
モノクロにこだわったセーリングシーンを撮り続け
ヨット雑誌『舵』に傑作の数々を発表していた
岡本 甫(はじめ)カメラマンは、
実は大のフランス・ファンで、
仕事中に海で着るセーターであれウールのコートであれ、
フランス製にこだわっていた。

フランスのブルターニュ地方に起源を発するデザインである
ボーダー柄のサマーセーターも、とてもお洒落に着こなした。

ラロッシェルという港町は、
そんな岡本さんの特にお気に入りで、
セーリングの仕事の後のコーヒーやお酒の時間、
大好きだったパイプたばこをくゆらせながらの話題に、
よく登場する街だった。

ぼくたち若いセーラーは、
そんな岡本さんの話を聞くのが嫌いではなかった。

岡本さんの発音する「ラロッシェル」の「ろ」の部分は、
フランス語の、例の、
鼻の裏側にいきなり異物が貼りついたかのような「R」の発音に限りなく近く、
その頃フランスなど行ったこともなかった
ぼくたち日本の若造セーラーも、
なんだかフランスの匂いをかいだような気分にさせてもらった。




【大時化の相模湾を走る名艇<月光>。撮影/岡本 甫 写真提供/舵社】


岡本さんは、88歳で今年の5月に亡くなった。
できれば、もう一度お会いしておきたかった。
かつて日本のセーリングを支えた人たちが
どんどん姿を消していく。
自分の歳まわりでも、世代交代が盛んになってきた、ってことだな。

そんな物思いにふけったりしながら
朝のコーヒーを楽しんだ後、
1時間ほどかけて、この3日間の仕事先、
ラロッシェル市のパブリック・マリーナまで歩く。





途中、日本では雑誌でしか見られないような
高速長距離航海専用ヨットたちが、
いたるところに係留されたり上架されていたりする。
見ているだけで心が躍る。

現在はこのラロッシェルのすぐ近くの港に上架されている
110ftのトライマランに乗って
太平洋を飛ぶように走った日々の思い出と感覚が戻ってくる。

夢を見失いつつあるような日本の若者たちに
これらのヨットを見せてあげたい。
これらのヨットに乗せてあげたい。








あの、唐突だけど、
100歳の詩人、柴田トヨさんって、素敵ですね。
100歳になって、自分より若い人たちを勇気づけることができるって、
本当に素晴らしい。

辛いことや苦しいことを乗り越えてきた100歳の
トヨさんが心を込めて語りかけてくれるからこそ、
その言葉のひとつひとつが
辛い思い出や苦境から立ち直ろうと頑張っている
東北の人たちの心に染み入る。

100歳だからこそ、できることがある。

叶わないかもしれないけれど、目指したい。

セーリング ビスケー湾180海里

2011年10月11日 | 風の旅人日乗
ある土曜日の朝。
フランスの、とある海辺の、とある村の、
小さなマリーナを静かに出航して、
おおよそ180海里先にあるラロッシェルに向かう。



今回のフランスへの旅の目的は
まだここでは話すことはできないものの、
この180海里のセーリングは
その仕事の重要なパートだったから、
カメラを取り出す心の余裕はなかった。

カメラを取り出す気になどなれないくらい
五感を集中して真剣にステアリングして
セーリングに没頭してはいたけども、
セーリングそのものも、
ビスケー湾の海と風も、
身体全体で楽しんだ。

この海を走るのは、
もう何年も前に日本チームとして
セーリングの『ツールドフランス』に参戦して以来のことだ。

約18時間、平均10ノットのセーリングのあと、
夜明け前に入港したラロッシェルの港の雰囲気も、
心に染み入るものがあった。

この街に、3日間ほど滞在することになる。




ある月曜日の夕方 パリ

2011年10月10日 | 風の旅人日乗
ある月曜日の早朝、
イギリスのプリマスからロンドンに出て、
ロンドンからユーロスターに乗って
夕方、パリ北駅に着く。

翌日火曜日には、早朝暗いうちに
パリを出なければいけなかったから、
その月曜日の夕方からの数時間を、
パリを楽しむ時間として使うことにした。

今度の仕事旅に、ただ1冊だけ持参したのは、
開高健の『夏の闇』。
フランス滞在が長くなる今回の旅に
日本から1冊だけ携行するとしたら、
パリから始まるこの物語しかないでしょ、
という1冊。
もうすでに何度も読み返しているから、
ボロボロになってしまっている文庫本だ。

この物語のはじまりで、
主人公はセーヌ川越しにノートルダム寺院が見える
学生宿に宿泊している。



「いつ見ても川は灰黄色にどんよりにごり」
と表現されているセーヌ川は
これまで何度か見たことがあるけど、

「木立に囲まれた寺院が対岸にある。」
と書かれたノートルダム寺院は見たことがなかったし、
それだから、「寺院の屋根の怪獣はぬれしょびれている。」
と書かれている「怪獣」も、見たことがなかった。

その月曜日夕方からの数時間のパリ観光を、
その主人公とそれを書いた作家が寝泊りした宿の近くを散策することと、
「怪獣」の正体を見ることに使う時間にしようと思った。

パリでなくても、
たまに東京に出たりすると、仕事の前後に
池波正太郎のエッセイに出てくる場所や
山本一力や宮部みゆきの小説に出てくる
門前仲町界隈を歩いてばかりいるし
最近なんだか、やることが、
いよいよ年寄りめいてきた。

まあ、いいか。
だって、それが心地良いんだもの。

で、パリ北駅近くのホテルに
チェックインしたときにもらった地図を頼りに、
ノートルダム寺院に徒歩で向かう。

ホテルからは、ほぼ真南の方向。
セーヌ川に行き着いたら橋を渡る。
その先の最終アプローチは、
セーラーとしてのとしての勘に頼ることにする。
西に沈む夕陽を右に見て、パリ市内をずんずんと南下する。



最初は、
立派な建物のフランス最高裁判所をノートルダム寺院だと間違えた。
築地本願寺の雰囲気にになんとなく似てたものだから、
寺院というのは、洋の東西を問わず似るものだと感心した。

そこで一所懸命「怪獣」を探したんだけど見当たらず、
寺院の割にはやけに多いなと思っていた警備の警官のひとりに尋ねたら、
ことのほかマジな顔で「ノンノン、あっち、あっち」
とあっちを指差されて追い払われ、

次は、「あっち、あっち」と言われた方向の先にあった
大きな病院をそれと間違えた。
思いっきり陰気な雰囲気が、
西洋の寺院のイメージにピッタリと合致していたのよ。
「ノートルダムのせむし男」も出てきそうだったし。
ここでも、「怪獣」発見できず。

それからやっと、
その少し先にあるノートルダム寺院とおぼしき建物を発見。

なんだか写真で見たことがあるような気がする建物だし、
観光客もたくさんいるし、
これをノートルダム寺院だと判じて
ほぼ間違いなさそう。



建物の真下に行って、
そびえる建物を見上げて「怪獣」を探したら、
ある、ある。

建物の至る所から、ねこ科の動物の首のような
オブジェが突き出している。



それを見ながら、
「咆哮しようとして口をあけた瞬間に
凝視を浴びせられた姿勢で怪物は凍りついている」
という文豪・開高健の文章を思い出して、
改めて、身体ごと感動する。鳥肌が立つ。



ワタクシのような、
ただのセーリング馬鹿には知る由もないことだが、
この開高健の表現は、旧約聖書とギリシャ神話の故事に由来する、
奥深い表現らしい。

でも「寺院の屋根の」怪獣ではないなぁ。
すでに入館時間は終わり、屋根に登って確かめるも術ない。
ま、それを確かめるのは次の機会としよう。

セーヌ川越しにこの寺院が見えたのであれば、
『夏の闇』の主人公が寝泊りしていた宿は、
このノートルダム寺院がある川中島のシテ島の対岸にあったはずで、
橋を渡って、日没が迫るその界隈を散策する。



そのあと、日が暮れ切ったパリの街を、
ウッディー・アレンが監督した最近の映画、
「Midnight in Paris」
の主人公になり切って
ちょっとドキドキしながら脇道に入ったりして、
ホテルまでの夜の散歩をのんびりと楽しむ。



あわただしい旅の中で見つけた、わずか数時間の
観光だったけど、
とても充実したパリの時間になりました。




ひかんろん

2011年10月07日 | 風の旅人日乗
先月フランスやイギリスで見聞したこと、
ウインドサーフィンを初めて体験して楽しかったこと、
東京・船の科学館のプールでのセーリング体験イベントで見た
親子の笑顔のこと、
いろいろと書きたいことが溜まっているのだけれど、

放射能汚染の実態を隠して
国民の健康をないがしろにして平気な行政や、
それに加担しているとしか思えない、
主体性のない報道を流してのんびりしている大手マスコミのことや、
自分の罪を逃れるために司法を力で抑え込むことや
マスコミをコントロールすることも可能だと
思い始めているらしい政治家たちなどを見ていると、

果たしてこの国で子どもを育てようとすることが
正しいことなのかどうなのか悩むようになってしまい、
無邪気なブログが書けなくなってしまった、今日この頃です。

この国は
もしかしたらまずい方向に向かって歩いているのかも、
と思ってしまうのは、悲観論過ぎるのかな。

ま、そういうことに気が付いただけマシ、
だと思うことにしよう。