サンドアイランド2日目

2011年11月30日 | 風の旅人日乗
朝起きて、マイクの家からほど近いカイルアビーチを散歩。
もうすぐしてクリスマス休暇になると、
オバマ大統領もこのビーチに建つ豪邸のひとつにやってくる。

強めの貿易風でボードを疾走させているカイトが、
沖に5つ。

このビーチが地元のロビー・ナッシュも、あの中にいるのかな。

朝食後、H3とH1に乗って、サンドアイランドへ。

セールのインベントリーリスト作りと、メンテナンスに取り掛かる。

冬のハワイの柔らかい陽射しの中にセールを引っ張り出し、
時折吹き抜ける貿易風にセールをあおられないように気を付けながら、
一枚一枚、傷んだ箇所がないか、チェックしていく。

縫い目がほつれているところを、ハンドソーイングで補修したり、
クリートを取り替えたり、テルテールを付け直したり。

こういう仕事、嫌いじゃなかったなぁ、
なんて、昔を思い出しながら、
ホノルル空港から頻繁に飛び立つ飛行機の爆音の下で
作業を楽しく続ける。

夕方になって、仕事や学校を終えたクルーたちが、
カヌーの改造工事に集まってくる時間になり、
それに合流するために、セールを畳んでいると、
海の方から、
「ニシムラ!」の声。

振り向くと、
さっき伝統航海師に連れられて航海術の実習に出港した
20人ほどの高校生たちを乗せたカタマランが、
岸壁にアプローチしていて、
そのリーダー格のジェイソンが、舫いをこちらに投げようとしている。

50フィートクラスのカタマランを高校生たちだけで操船していて、
伝統航海師は、いつでも手伝える体勢でいつつ、
黙ってそれを見守っている。

この日の改造工事の、
ワタクシの担当作業は、
硬化剤の量を間違えて硬化させるのに失敗した
エポキシパテのエリアを探し、それを剥がす作業。
かなり広範囲にわたっている。
工程がまた少し遅れるかも知れないな。

今回の改造では、
ヤク(二つの船体を繋ぐクロスビーム)を長い物に替えて
全幅を広げるだけでなく、
これまで木材を使っていた部分をコンポジット構造に替えるなどして、
艇全体の軽量化も図ろうとしている。
エポキシ樹脂に挑戦する以上、失敗は付きものだ。

プロフェッショナルのリーダーのもと、
みんなが真剣にこのカヌーの改造に向き合っている。

30数年前にこのカヌーを造った人たちの魂に、
その頃はこの世に存在もしてなかった高校生たちの魂が、
重ねられていく。

日本でも、このような、世代を繋ぐ何かができないか、
頭を絞り続ける。



サンドアイランド初日。

2011年11月29日 | 風の旅人日乗
成田を離陸して、
房総半島の外房の夜景も結構明るいもんだな、なんて思っていたところから、
いきなり爆睡。

機内が明るくなって強制的に起こされて、窓の覆いを開けたら、
オアフ島の西側海岸が目に入った。
新しくできたディズニーリゾートのすぐ横の火力発電所の沖に、
イルカ見物の客を乗せたボートがたくさん。

夜の漁を終えて、交代で見張りを立てながら、
その場所に広がる白い砂地で休むイルカたちを、
結構じゃましちゃってるんだよね、あの人たち、、、
と教えてくれたサムの言葉を思い出す。
サムに連れられて、イルカと一緒に泳ぎに行ったときにエントリーした砂浜が見える。

迎えに来てくれたマイクの、
カイルアビーチに近い家にお邪魔して、
シャワーを浴びて、ベッドに横になったとたん、
そのまま2時間、眠りこける。

15時にサンドアイランドに行き、
航海カヌーの改造工事の手伝い開始。

19時に、この日の作業終えて、
伝統航海師でもあるプロジェクトマネージャーに、
世界一周航海のおおよその航海計画を聞く。
木曜日夕方から、具体的なセール・インベントリーについて
アイディアの出し合いをすることになった。

本日の写真も、本文と関係なくて、
2011ラグビーワールドカップ決勝戦の日の
ニュージーランド、オークランドの夕方の光景。

この建物は、
ワタクシがオークランドでセールデザインの勉強をしていた頃は郵便局で、
日本への手紙はここから出していたものだけど、
いまは、いい感じのパブになっている。



ワールドカップの決勝戦をこのパブのテレビで観ようと出かけたのだけど、
店に入ってみたら、フランスのサポーターたちがすでに大盛り上がりになっていて、
試合の流れによっては危険地帯になると判断して、
ビール一杯だけで退散。

写真中央奥に見えるのは、オークランドのスカイタワー。

縁あって、ハワイ

2011年11月28日 | 風の旅人日乗
「ハワイのお土産買ってきて」、
という娘の声に背中を押されて、
今回のハワイ行きを強行することにした。
で、現在、成田。

自分の中で、きちんと深く前進してこなければ、
送り出してくれた家族に申し訳ないと、
ひしひしと思う。

これからの6日間を、
幾層にも実りある日々にしなければ、ね。

下の写真は、今日の日記には関係ないけど、
この間、大好きなニュージーランドで撮った
ある日の朝の景色。


またもや縁がないかも、ハワイ

2011年11月28日 | 風の旅人日乗
一昨日の関西出張では、関空までの行きも帰りも、
飛行機の窓からの眺めは最高で、
ルート上の日本国土はとっても美しかった。
それを見ながら、
大津波の可能性を3年前に指摘されながらも
それを「非現実的だ」と受け流して何も策を講じなかった東京電力が、
放射性物質を今現在もこの美しい国土にばら撒き続けていることに、
言いようのない怒りを感じ、
同時に、
言いようのない無力感も感じる。

帰りの便の窓からは、
中層雲でできた見事な雲海が夕日で朱色に染まり、
遠くに、雪をかぶった木曾の御岳と日本アルプスが、
近くに、まだ雪をかぶっていない富士山が、
その朱色の海から頭を出している素晴らしい景色が見えた。
眼下の雲の切れ目からは、伊豆半島、相模湾、伊豆大島。
素敵な国土だなあ。

昨日は、クルマで愛知県・蒲郡へ。

アメリカズカップ獲得を夢見て
来る日も来る日も、
アメリカズカップ日本代表艇でのセーリングに没頭して、
40歳代の青春を燃やした懐かしい三河湾を
最新鋭のレース艇に乗って久し振りにセーリング。
東海の精鋭外洋ヨットチーム選抜の、
精鋭オールスター選手たちに集まっていただき、
最高の性能のヨットでの、最高のクルーワークによる
セーリングを堪能することができた。

今日は、夜発の便でハワイへ行く予定だけれど、
家族に一人病人が発生。
午前中の病院での診断次第では、
今回のハワイ行きをキャンセルすることになりそう。

今年は、3月14日に予定していたハワイ行きも、
その直前の大震災発生で取り止めにしたし、
そのときできなかった仕事をやるつもりにしていた今回のハワイ行きも、
なんだか怪しいことになってきた。

でもモノゴトには優先順位というものがある。
今回もそれを見誤らないようにしたいと思っている。

フランクフルト空港で再び「走る男」になり、なんとか帰国を果たす、の巻

2011年11月25日 | 風の旅人日乗
今回の旅の始まりからずっと、
恐れていたことが、ひとつ。

プロたるべき旅行代理店手配のチケットの、
帰りの便の乗り継ぎ。

パリからフランクフルト、フランクフルトから成田の、
フランクフルトでの乗り継ぎ時間が1時間10分しかない、
ということに、
2週間前に成田に向かう電車の中で初めて気が付いた。

しかも、ご丁寧に、
「航空会社側の事情が理由であっても、
チケットの変更/払い戻しには一切応じない」
旨の冷たい但し書付き。

そして2週間前に恐れていたことは、
2週間後に予想通りに起き、
パリ発フランクフルト行き便に「少々の」遅れ!
ガ、ガーン。

フランクフルト到着ゲートと成田行き便出発ゲートは、
モノレールさえ走ろうかという広いターミナルビルの、
ほとんど端と端。
ガ、ガーン。

フランクフルトに着いたときにはすでに、
成田行きの便の搭乗開始時刻。
ガ、ガーン。

2010年2月のパリ・シャルルドゴールに続き、
フランクフルトでも再び空港内を全力疾走することになった。
イヤなんだよ、こういうことは、本当は。

ゲートを再確認することさえしないまま、疾走開始。

ショッピングモールを行き交う人々の間をすり抜けているときに、
2週間前に目を付けていた、ドイツ製の安くてかっこいいデザインの
ブーツがチラリと視界に入る。
それを買うか買わぬかの判断は帰国の折に、
と先延ばしにしていたのだが
そのブーツとは縁がなかったってことだな。

昨日のパリ30キロウォーキングで疲れた足に
さらに鞭を入れ、スピードを上げる。
途中、税関と、靴まで脱がされる手荷物検査場と、
なぜかもう1回パスポートとチケットを検査されるゲートでの行列で、
強制的にハラハラドキドキの休息を取らされた以外は
全力疾走を続け、
ほとんど最後の客として超大型機A380に滑り込みセーフ。
席に着いてもしばらく呼吸の乱れが収まらなかった。

いつものように税関と手荷物検査場が混んでいたら、
到底間に合わなかった。

客を心身ともにこんなに危険な目に遭わせる乗り継ぎを手配するのは、
プロフェッショナルを誇りたいのなら、
もうやめてね、旅行代理店さん。

明日は空路で関西に日帰り出張。





パリを歩き倒す、の巻

2011年11月23日 | 風の旅人日乗
今年二度目のパリ。
前回は夕方3時間しか自由に使える時間がなかったけど、
今回は、9時間。
ノートルダム寺院の中で、何かに気圧されてしまい、
30分も椅子に座って茫然としていたのを除けば、
ひたすらパリ市内を歩くという遊びを楽しむ。

ノートルダム寺院から、エッフェル塔、本家・自由の女神を見て、
凱旋門経由でシャンゼリゼ通りに行き、
ボルボオーシャンレースの大きなポスターの写真を撮って、
遥か遠くのモンマルトルの丘をめざす。

そこから再びセーヌ川へと降りてゆき、ルーブル美術館に出て、
セーヌ川沿いにノートルダム寺院に戻って、上がり。

途中カフェで、ビール休憩を3回。
歩きながら、水合計2.5リットル。
携帯電話の万歩計で、40000歩、30キロ、と出た。
パリをお腹いっぱい楽しんだ。
写真をたくさん撮ったので、それはまた改めて別の機会に。

さて、帰国。
フランクフルトでの乗り換え時間が、1時間しかないのが、
超心配。

オンフルール

2011年11月22日 | 風の旅人日乗
サンマロから、モンサンミッシェルを経て、
シェルブール経由でオンフルールへ。

写真を見せたいけど、チカラ不足で、叶わず。
いい風景が続いている。

今日は、ついにパリの郊外まで侵攻。
明日いよいよパリに突入し、
明後日、アジア某国へと脱出予定。

ヨーロッパ、とてもいいんだけど、
ちょっとムネヤケ気味。

サンマロ

2011年11月21日 | 風の旅人日乗
ラロッシェルからビスケー湾沿いを北上したあと、
ブリターニュ半島を横断して、半島北岸の歴史ある港町、サンマロへ、昨日夕方到着。
ラロッシェルでの「風」ホテルに続いて、サンマロでの宿の名前は、
「海」ホテル。
セーリングの仕事の可能性を探る旅に、例え宿の名前でも、
それに関わる言葉が絡んでくるのは、とてもいい気分。
縁起を担ぎたくなる。

この街出身の友だちの発音は、どう聞いてもサマロにしか聞こえないんだけれど、
ここでは一応サンマロと記すことにする。

この港も、ヨーロッパの大きなヨットレースのスタート地だったり、フィニッシュ地だったりで有名。
街中を回って、あれこれ視察する。
ものすごく味わいのある港町だ。

でも残念ながら、先を急がなきゃならない身。
今日も、慌ただしく朝食を飲み込んで、次の目的地に向けて出発!
でもその前に、明るくなるのを待って、砂浜を走るぞ。

今日はどんな勉強ができるかな。

ラロッシェル再訪

2011年11月20日 | 風の旅人日乗
オランダから空路フランスへ。
その日予定していた仕事をササッと済ませたあとは、
ボルドーで五大シャトー巡り。

これまでの人生での旅という旅のほとんどはセーリングと仕事のためばかりで、
「観光旅行」などというものをほとんどしたことがないワタクシは、
最初は後ろめたさにビクビクしていたものの、
ボルドーの周辺地域の、ぶどう作りやワイン作りの真摯さと圧倒的な規模に
ジワジワと引き込まれていってしまい、
心からこの「観光」をドップリと楽しんだ。

その国の文化とか、その国の人たちが誇りにしていることとかは、
自分の目で見なければ、分からないものなんだなあと、
改めて想う。

その翌日は、
今年二度目のラロッシェルへ。





二ヶ月前の夜中、
マリーナへの入港の道しるべになった赤い大きな立標が、
部屋の目の前に見える、「風」という名のホテルに投宿。


風車と船

2011年11月18日 | 風の旅人日乗
アムステルダムのザーン川流域に保存されているいくつかの風車を視察。
あ、間違えた、これは視察ではなく、ただの観光。
風車は、粉を引くためだけのものと思っていたが、なんと、丸太を製材する大仕事をしていた。
石油エネルギー以前の時代に、オランダが大船団を持ち得たのは、
風エネルギーを使った製材システムを持っていれはこそ。

ヨットという言葉を生み出した国で、また一つ勉強をしてしまった。

高緯度にて

2011年11月17日 | 風の旅人日乗
夜明け前。
朝トレジョギングの空、超低空にオリオン座。
高緯度の国にいることを教えられる。
道路もクルマも公園も、雪が降ったかのように、真っ白。
でも、カッキーンと冷えたアムステルダムの朝、
意外と悪くない。

iPad初心者、写真を取り込めないので、3週間前の
ニュージーランドはオークランドの夜明けの写真をば。




ドイツ、2日め

2011年11月13日 | 風の旅人日乗
アムステルダムから出発して、何時の間にかドイツ国境を越え、ロマンティック街道を通ってローテンブルグ。
中世の街に一泊した後、今日はデッサウに。
デッサウと言えば、世界で初めて金属翼の飛行機を作ったユンカースと、あの、デザイン学校バウハウス。
しっかりと見学してきた。
何してるんだ? と思われそうだけど、遊びでは無し。
だいぶ、セーリングの勉強、深まるの感あり。