ホクレアバケツ再編

2007年08月17日 | 風の旅人日乗


それを最初に見たのは、いつのことだったかな。

船を下りたホクレアのクルーたちがほとんど必ず片手にぶら下げている、白いプラスチックのバケツのことだ。

最初は、確か2006年の12月に、日本航海の時期やコースについてナイノアと第1回めの打ち合わせをするためにホノルルのサンドアイランドに行ったときだったかな?

ホクレアのクルーたちが、それぞれ1個ずつ、若干大切そうにぶら下げて歩いているのを見て、少々、しかし深くいぶかしんだ。

アカ汲みなどに使う、ホクレアの備品なのか? それではなぜクルーたちはそれを車の助手席に積んで、家に持ち帰っていくのか?
なぜ、全部に細かな落書きがされているのか?

その謎は、4月にパラオでホクレアを迎えたときに解けた。
あのバケツは、水密のふた付きで、航海中に濡れてほしくない個人の備品を入れるためのものだったのである。そして自分のものと人のものが区別が付くように、それぞれ意匠を凝らした落書きをしているというわけだったのだ。

ホクレアが沖縄に到着して、クルーたちと行動を共にするようになると、クルーたちにとってあの白いバケツがどんなに大切なものなのかが理解できるようになった。もう、なんというか、ほとんど肌身離さず、という感じ。
タクジ君などは、暇があるといつも、頻繁にふたを開けてその中身を整理したり、またかき回したり、している。

ホクレアの日本航海が終わりに近づいた頃、ぼくはついにそのバケツを手に入れることができた。
ある日、カマヘレのマイク船長とテリーに呼ばれ、行ってみると、「これは我々が慎重に相談した結果なのだ。これを君に捧げる」と言って、まだ未使用の、しかも中身入りのそれを厳かにプレゼントしてくれたのだ。
手渡してもらう前後の会話と、言外のニュアンスから察して、このバケツを所有することは、ホクレア&カマヘレの正式のクルーになった証なのである、と勝手に悟った。

さてこのバケツの正体は、ホクレアのクルーたちの好物であるクッキーの、お徳用サイズの中身が湿気ないための水密容器であった。
ホクレアのクルーたちはその中身を平らげた後、その容器を航海中の防水私物入れとして二次利用しているのだ。
実際は二次利用に回されてからの活躍のほうが人目につく。

写真はそのバケツに貼られているラベル。
このバケツ入りクッキーを製造販売しているホノルルのダイヤモンド・ベーカリーのウエブアドレスは、
www.diamondbakery.com
です。

深川 牡丹町神輿

2007年08月14日 | 風の旅人日乗


8月12日。
深川に行って神輿を担いだ。自分と家族にとって、ここのところ毎年夏の恒例イベントだ。
牡丹町に住むヨットの大先輩家族から、うちの家族一同分の半纏を借りている。この半纏を着ていなければ、その町内の神輿を担ぐことはできない。

深川の本祭りは来年だけど、今年は各町内でそれぞれが神輿を担ぐ。回るのはそれぞれの町内のみ。だから永代通りなどの大通りに出ることはできない。
でも、まあ、来年のメインイベントに向けてのトレーニング及び顔合わせ、といった感じなので、それでいいのだ。

そして今年は、子供神輿が出た。
2歳半になる長女にも、祭りの正装をさせて担がせた(というか、神輿と一緒に歩きながら、前棒に触っているだけだけど)。深川祭り名物の各水掛けポイントで、水を荒っぽくバケツやホースでかけられて、全身びしょびしょになって泣き顔になってたけれど、最後まで頑張ってご褒美のお土産をもらったときには、本当に爽やかな笑顔を見せていた。
この記憶を忘れないでいて欲しいな、と願う。

午後からは、いよいよ本筋の神輿が倉から出され、大人たちの祭りの始まり始まり。
3年に一度の本祭りでは、神輿を担ぎ終わるまで担ぎ手にお酒はご法度だが、今年は町内会の内輪でのイベントなので特例適用。町内を練り歩き、休憩の度に振舞われるビールがうまいのなんの!

深川の祭りはいい。本当にいい。
伝統を先祖から子孫に伝えることの素晴らしさを身体ごと実感する。
神輿を担いでいるときに、ホクレアのナイノア・トンプソンたちと一緒に日本酒で刺身を食べた『千松』というおでん屋が見えた。
ナイノアがこの日本人の祭りを見ることができたら、きっと喜ぶだろうな、と思った。
『祖先が大切にしてきたものを継承する』という、ナイノアがホクレアで行なっていきたいことと、深川の祭りに関して各町内と各家庭が昔からずっと行なっていることは、まったく同じものなのだ。

Sさんへの手紙

2007年08月10日 | 風の旅人日乗


拝啓
S様、

K君と電話が繋がり、やっと話ができました。

横浜からハワイまでの、25日間もの長い航海のこと、彼もいろいろと話したいことあるようで、ぼくとしても是非聞いてあげたいです。
辛かったんだろうな。

長い航海(=陸上の場合に例えれば、ゴールがなかなか見えない長いキャンペーン)の間、自身のモチベーションを、どのように努力して、どのように個人のプライドに結びつけながら、高い位置で維持するか・・・。
このことは、その人間の航海者としての資質(=陸上の場合は、一緒に長く一つの目標に向かって組織の一員として行動できるか否か)に直結していることなので、私自身がその能力を備えているかも含めて、とても興味深いテーマなんですよね。

また一緒に海でビール飲みましょう、との由。
ここのところ『海でビール』は、ぼくにとっては、逗子のプールで自分にきついノルマを課した後の最大の楽しみになってますよー。

この地域に住んでいる者としては、渋滞でイラつく原因になる夏場の車は封印して、正しい日本の夏の、いっそ嬉しいくらい激しい太陽の直射光線とセミ時雨の中を、エイヤエイヤの徒歩で移動し、海辺のスーパーに立ち寄って冷えた奴を仕入れ、一色か森戸の浜の隅っこで、グイーッとやってます。
またいつでも行きましょう。

Sさんの言葉に触発されて以来、今年はおかげさまで日本の夏を身体と心で感じながら、深く楽しませてもらっています。
セミの声、台風、土用波、くらげ、原爆、戦争の終わり、お盆、しょうろう流し、吉田拓郎の『ねえさん先生、もういなあい』の夏休み・・・。
改めて自分の心に聞いてみると、日本人の心の中の夏には、いろんなものが絡み合っているんですね。

それと、改めて気が付いたことは、日本の夏は、世界のどの地域に比べても圧倒的に短い!
雑誌などに原稿を書いたりするときは、
『北欧の短い夏を思いっ切り楽しもうとしているスウェーデン人』
なんてことを平気で書いちゃって来たけど、それは愚かな書き手が書くことであったと気が付いた。
日本の本当の夏って、北欧なんかよりも断然短い。
北欧の夏の盛りの夏至時分は梅雨の真っ最中だし、梅雨が明けたと思ったら、もう日は短くなり始めてるし、くらげはやってくるし。セミ時雨の中に、紅葉を始めている桜の葉さえチラホラ見える。
『俺はここにいるぞー。早く恋をしようぜ。命短し恋せよ乙女、だぞー。早くしないと死んじゃうぞー』と狂ったように鳴いている雄セミの気持ちが、よく分かる。

ほんと、焦ります。

昨日は、浅草は吾妻橋の『藪』に行き、生前一度でもお話をしてみたかった杉浦日向子さんを偲んで、鳥ワサで冷たいビールと菊正宗をやっつけ、盛りそばを一枚たぐってきました。
灼熱のアスファルトで舗装された吾妻橋(写真)の下を流れる隅田川の水面に、江戸前の粋な涼やかさを感じました。

相模湾の海でビール、早く飲みましょ。

日本オリジナルのヨット

2007年08月06日 | 風の旅人日乗


愛知県の衣浦に行ってセーリングしてきた。
Kオーナーの31フィートの新艇。
艇種名は、VITE。
名古屋の老舗ヨット造船所、坪井造船と横山一郎氏、金井亮浩氏による、渾身の新開発艇だ。

朝5時。
舵社のMo編集長とMiカメラの乗った車が葉山まで迎えに来た。ちょっと眠いけど、爽やかな夏の朝、逗葉新道から横浜横須賀道路を経て東名高速に入り、名古屋手前のジャンクションから中部国際航空方面へ。
途中牧の原で桜海老&シラスかき揚げそば大盛りを食べて、目的地・衣浦ヨットクラブには、10時過ぎに到着した。

我々と同じように関東から車を飛ばしてきた横山さんと金井君の到着を待って、すごくいい人柄が伝わってくるKaオーナーの操船で、早速出艇。
クルー全員が的確にキビキビ動く。気持ちいい。
出入港とメインセール・ホイストの様子を見ているだけで、そのチームのレベルが分かる。

沖に出る。
衣浦沖の三河湾に、6から8ノットの、気持ちのいい夏のシーブリーズが入っている。
ふと、ニッポンチャレンジでトレーニングをしていた三河湾の暑い夏を思い出す。

この日、楽しいセーリングになりそうだった予感は大当たり。
艇は気持ちよく走るし、クルーの皆さんの動きもそつがない。
久し振りに思いっきりセーリングを楽しんでから、翌日も東海地方で取材を続けるMo編集長とMiカメラマンと豊橋駅で別れ、東京行きのひかりに乗り込んだ。

この日の取材は、舵誌の新連載記事の第1回目。10月発売の11月号から連載開始予定。
まだタイトルも決めてないけど、どんな外洋ヨットを買えばいいか迷っているオーナーに読んでもらえるような連載にしたいねと、Mo編集長と話し合っている。

どんなタイトルにしようかな。