風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

関西空港なう

2012年11月30日 | 風の旅人日乗
本日は関西発のニュージーランド行き便しかないため、
まずは国内線で羽田から関空へ。
関空までは、淡輪マリーナに向かうFマリンのS社長と
偶然同じ便。

ニュージーランドでは
生まれたての新艇でのセーリング仕事に集中したいので
専門誌の連載の原稿書き仕事は日本で済ませておこうと、
夕方の出発までの時間を利用して
ラウンジで一心不乱にパソコンに向かう。
しかし、今月も絶不調。はかどらず。

セーリングそのものはこんなに楽しかったのに、


[photo by Miyazaki / KAZI]

原稿書きとなると、
同じような笑顔ではいかなくなるんだなぁ、これが。
これは、昔から変わらない。


[photo by Miyazaki / KAZI]

しかも現実から逃避して、
こんなブログなんか書いているしね。

年末進行でドキドキしている
担当編集者の心臓に負担をかけそうだから、
そろそろ仕事に戻ろう。
でも、もう、搭乗まで1時間ちょっとしかない・汗。
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横浜ベイサイドマリーナ沖

2012年11月29日 | 風の旅人日乗


昨日はKオーナーの、ButterBall号で、
横浜沖で初セーリング。



エンジンで動くように設計されたボートのデッキには
帆装を設備できるような強度はない。

補強すべきところは補強し、



既存の強度がある部分は利用して、



工費と重量増加と重心上昇をなるべく押さえることに努めた。

ウインチは使いたくなかったので、
メインハリヤードとジブシートのロードを、テークルで2分の1にしたり、
ジブのラフテンションはタック側でコントロールするなど
レーシングヨットでの知恵も利用した。

BatterBall号の船首とアンカーベッドの
粋な雰囲気を壊さないよう、
かつ、十分な強度を確保できるよう、
フォアステイの取り付け方法にも心を配った。




一応弊社が全体のコーディネーターを務めたけれど、
設計者からセールメーカーまで、
それぞれの分野のプロたちがアイディアを出し合った。

後半は特に、オーナー御自身も艤装品取り付け工事で活躍し、
いいチームワークで、楽しく仕事ができた。


[ハウスの屋根、ブームの下に、風力発電機兼風向計。Kオーナーのアイディア]

そしていよいよ、帆走「も」できるボートに大変身したButterBall号の
初セーリング。
Kオーナーもワタクシも、ドキドキ。

横浜沖の北風、8~12ノットの風速で、
クローズホールドで3.2ノット。素晴らしい。
リーチングでは4ノット近くはいったと思う。素晴らしい。
タッキングも、当たり前のようにできた。素晴らしい。

心配した舵効きも、
エンジンの補助なしでちゃんと漁船を避けることもできた。

あとは、リーフラインを装備したり、
ハーネスを留めるジャックラインを、
目立たないようにハウスの軒下を通ってマストを回して
取り付けたりする作業が残っているけど、



Kオーナー、おめでとうございます。
受注から完成まで、時間がかかって申し訳ありませんでした。

自作のティラーとティラーエクステンションを持ちながら、
「エンジン音がないっていうのは、やっぱりいいなあ!」と
満面の笑みで初セーリングの感想を語るオーナーのお顔を見ながら、
この仕事をさせていただいたこと、大変光栄に思いました。
ありがとうございました。


さて明日からは、
ワタクシはニュージーランドに移動します。
ある日本人オーナーが発注した
あるヨットがニュージーランドで完成し、
来週、進水します。

そのヨットの全長は13.50mで
20ノットくらいのスピードで走ると想定されています。
だけど、このヨットが誕生した主な目的は、
レースに出ることではありません。

一体どういう目的で生まれたヨットなんでしょう?

この12月と1月、年末年始の休みをはさんで
初夏のニュージーランドで
そのヨットにじっくりと乗り込んできます。

その様子を、現地からじわじわと、
出し惜しみしながら報告しようと思います。
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琉球OKINAWA沖縄

2012年11月23日 | 風の旅人日乗
沖縄が誇る快速帆走漁船サバニのチカラを借りて、
次世代の日本人に海を好きになってもらう…



そんな計画に携わってもらう人たちに、
まずは、沖縄文化とその歴史を勉強しておいてもらいたい、
なんて、思い上がった”上から目線”で
仲間を沖縄県立博物館に連れて行ったら、
自分自身が、いかに沖縄の歴史について無知であったかを知らされた、
というお粗末な話。



博物館2階で明後日まで開催されている特別展、

「Okinawaから
沖縄へ」

タイトルの文字の意味さえ深く考えないまま、
鼻歌を歌いながら入口を入り、
深くうなだれて出口から出てきた。

沖縄の人たちが日本政府や米国から
どんなふうに扱われてきたか。
その深い悲しみと、怒りについて、
自分はまだまだ知らないことばかりだ。

沖縄以外に住む日本人が
沖縄の歴史を理解するために必要なことは、
実は学校の教科書に載っていないのではないか。

博物館を出て信号を待っていたら、
かつて新聞を賑わし、今は話題にも出なくなったオスプレイが、
わざわざその博物館の上空を横切った。

本土復帰40周年記念 沖縄県立博物館特別展「Okinawaから
沖縄へ」


2日違いで観ることができなかった映画
ぬちがふうー玉砕場からの証言ー
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若者もおじいも、どちらも偉いぞ。

2012年11月22日 | 風の旅人日乗


都会の暗い建物の中に置き去りにされていた
ある小さな島のおじいが造ったサバニくんが
やっと里帰りをすることができました。



大きな船に乗ったサバニくんを、
人間たちは飛行機で追いかけ、



サバニくんと一緒に小さな船に乗り換えて、



南の、ある島に着きました。



島の若者たちが協力してくれて、
ゆっくりと島の中を移動して、
ヤギや牛たちを驚かせながら



無事サバニくんの新しい家に到着。



生まれた島とは違う島だけど、
生まれた島と同じように、
きれいな青い海に囲まれた、小さくて、素敵な島。



この島でね、来年の夏、
たくさんのこどもたちが
このサバニくんに乗ってくれる予定。



島の中をゆっくりと運ばれているときに、
通りかかった島のおじいが、
じーっと時間をかけて見てくれて、
優しい笑顔で
「きれいなサバニだねえ。
おめでとう。」
って言ってくれた。

なんで、おめでとう、だってこと、分かったのかなあ。
都会からやっと里帰りできたこと、知ってたのかなあ。



これは、里帰りしたサバニくんの、
ずーと前に造られた祖先。
丸木をくりぬいて造った丸木舟サバニ。
沖縄のことばでは、まるきんに、って言います。

マスト(帆柱)を立てる穴が前後に3つ見えるけど
その理由が、分かるかな?

ヨットが上手な人なら分かるかも知れないけど、
帆柱の立ち方の角度を変えると、
フネは自分で風上に向かおうとしたり、
逆に、風下に向かおうとする。
ウインドサーフィンの人たちが
舵がなくてもいろんな方向に自由自在にセーリングできるのは、
この性質を100%利用しているからなんだね。

そういう帆掛け舟の性質を利用して、
行きたい方向への風向きに合わせて
帆柱の立て方を選ぶ。
そうすると舵をあまり使わなくていいので、
フネも人間も楽だし、スピードも速い。



今の日本では、ヨットの名選手しか知らないようなことを
昔のおじいたちは普通に知っていたんだよ。

サバニくんの祖先も素晴らしいし、
昔のおじいたちも、素晴らしいね。
その素晴らしさを、
今の若者たちに引き継ぐことができたら、
それも、すごく素晴らしいことだよね。















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ただセイラーとしてだけではなく…

2012年11月18日 | 風の旅人日乗
30年前、わずか11歳の天才少女ヴァイオリニストとして
衝撃的にデビューした五嶋みどりさんは、
その後、演奏活動や後進の指導のかたわら、
子供たちに音楽の楽しさを伝える活動を
20年も続けている。

早朝のトイレの中で何気なく開いた雑誌の中にあった
五嶋さんのインタビュー記事の中で
心に染み入ってきた言葉がいくつかある。

”アイディアありきではなく、
出会いや体験を通じて
目指すこと、やるべきことを見つけ
実現させていく。”

「私にできることは限られていますが、
ヴァイオリニストとしてだけではなく、
人としてやるべきことを
最大限にしていきたいと思っています」

朝のジョギング中、
昨日の名残の大波が打ち寄せるのを
防波堤の上から見つめながら、
五嶋さんのことばを頭の中で反芻した。

さてと、
これから羽田に行き、
3日間、沖縄の、ある島まで行ってきます。





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1年前のヨーロッパで考えたこと その6

2012年11月13日 | 風の旅人日乗
セーヌ湾に臨むオンフルールから、
セーヌ川を遡るルートでパリに侵攻する。




翌日の自由行動日、
ノートルダム寺院の前で、クレーンを自分で操りながら
クリスマスツリーの飾り付けをするおじさんの仕事振りを眺めた後、



兼ねてよりの作戦行動に出る。
丸一日、パリを歩くのだ。

まずは、セーヌ川沿いの石畳の道を
下流に向かって歩く。
船好き人間として、行き交う船が気になる。





これまで気にしたこともなかったけど、セーヌ川には
観光船以外の、仕事船がとても頻繁に走っている。







東京の隅田川もそうだけど、
パリのセーヌ川もこの町に住む人たちの生活に密着した川なんですね。

1900年のパリ万博と併催されたパリオリンピックには、
なんと「釣り」が競技種目の中にあったらしい。
結果的に1カ国(たぶんフランス?)しか参加しなかったため
公式記録には残っていないが、競技そのものは行なわれたらしい。
競技場は、やっぱりセーヌ川だったのかな。

ちなみにセーリングはこのパリオリンピックで初めて正式種目になり、
その後もいつ外されるか危うい状態が続きながら、現在に至る。

そのパリ万博にまつわる最初の目的地が近づいてきたので、
セーヌ川沿いの石畳の舗道から、上の幹線道路に上がる。

その真下に行って、それを見上げて驚いた。



なんて美しい幾何模様。

父島に行く小笠原丸から見上げたレインボーブリッジの
裏側の構造にとても似てると思った。



このタワーは、1889年のパリ万博当時の、
フランスの鉄構造技術水準の高さを
万国にアピールする出展物だったんだなあ。



さらにセーヌ川沿いを下り、



前日にクルマの窓からチラリと見えた、
気になる像を目指す。



やはり目の錯覚ではなく、あなたでしたか。



あとで調べたら、
この女神は世界中いろんなところにいるらしい。

そこから凱旋門経由でシャンゼリゼ通りに出てから、
遥か遠く、北東方向のモンマルトルの丘をめざす。

丘の上でしばし物思いにひたった後
再びセーヌ川へと町なかを下って、ルーブル美術館に出て、
セーヌ川沿いにノートルダム寺院に戻って、



パリを歩き回る一日終了。
携帯電話の万歩計で、40000歩、30キロ。
パリの街歩きをお腹いっぱい楽しんだ。



古い町並みを残すって、やはりいいことだと思う。
祖先を大切にするココロ、
ひいては、現在のことも、未来のことも、
大切にしようと思うココロに繋がるから。

日本の為政者も、気が付いてくれないかな。










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1年前のヨーロッパで考えたこと その5

2012年11月10日 | 風の旅人日乗
セーリングの世界では、フランスという国は
必ずマークしておかなければいけない国。


[photo by The Daily Sail]


セーリングの専門家として、
フランスはそういう認識の国ではあったけど、
個人としてフランス全体に興味があるかと問われると、
ほとんどありません、と答えるような国でした。


[港町オンフルール]


でも昨年2度、仕事としてフランス国内を回りながら、
フランスとそこに住む人たちと向き合っているうち、
自分のこれまでの姿勢は少し改めなければなるまい、
と思うようになった。


[ノートルダム寺院の、ある窓]


数日前に書いた、
ボルドー地域のワインにまつわる感想もそうですが、
この国の人たちは、なんだかすごい、かもしれない。


[サンマロの城壁の中の夜]


この国の全部が全部好きなわけではないけれど、
過去の時代に生きた無名の人たちも含めて、
尊敬したくなる人たちが、かなーりたくさんいる、みたい。
そう思うようになった。


[遠くから見た、例の、あそこ]


フランスのどこがそんなに? 
と真顔で問い詰められても困りますが、
なんというか、
有形であれ、無形であれ、どんな分野であれ、
文化を創り出すチカラ、かな。


[モンサンミッシェルの城の中の、ある部屋の灯り取りの窓の意匠]


そして誇りを持ってそれを後生に伝えていく。
そのことの大切さを知っている人たち。










未来に向かって新しい世界を切り開こうとすることは
もちろんとても大切なことだけど、
同時に、その後ろに、
自分の先人たちが築いてきたことも認めて、
大切に思う気持ちを持つことも、忘れてはいけないんだよな、
なんてことを、おぼろげに考えました。


[photo by The Daily Sail]


本日最後の写真は、書いてきたこととは場違いですし、
ご本人にも無断で撮影しました。

お題も『場違い』、ということで。







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1年前のヨーロッパで考えたこと その4

2012年11月09日 | 風の旅人日乗
オランダは高緯度の国なので、
この季節にアムステルダム滞在中の朝のジョグは、
ほとんど真っ暗闇の中。
路面が製氷皿のように白く凍っている。



オランダでの仕事が終わった、その最終日
風車保存村に、何気なく遊びに行った。



風車にはすべて名前が付けられていることを
初めて知りました。



それはまるで船に名前を付けるかのようで、
船と同じように、人々の生活に密着していた風車は
人格化されていたのだろうと、勝手に解釈しました。



地元の人たちが保存し今も運転している風車小屋の中に入って驚いた。
そこは、大きな丸太から板材を切り出す製材所だった。



童話やアニメで見て、風車というものは小麦の粉を挽くためのもの、
それ以外の目的に使われたものではないと
数十年来信じ切っていたワタクシは、本当に、
心底、仰天した。

風車の回転運動を、ギアやら、滑車やらを使って
往復運動に変換し、







とんでもない大きさのノコギリが
とんでもない大きさの丸太をガシガシ切って、
板材がどんどん切り出されていく。
この光景には、ほんっとうに驚いた。



風の力で材木を製材する。
人間わざとは思えない、すごい発想だ。
今現在の時点でも、すんごい技術だ。

大航海時代、オランダが大帆船フリートを持つことができたのは、
その当時の、この最新工業技術あってのことだったんだと
初めて理解できた。

風車に名前をつけるのは、
風車が大切な『仕事仲間』だったからかもしれないなあ、
と思ったりもした。
仕事の後、飲み屋なんかでビールを飲みながら
それぞれの風車の『性能自慢』みたいな会話もあったかもね。

江戸時代に唯一交易を許されて日本まで来ていたオランダの帆船も、
こんなふうに切り出された木材で造られていたんだろうなあ。

教科書で、そんなことなーんにも言ってなかったもんなあ。
先生も、そんなこと、ちっとも教えてくれなかったもんなあ。

この日の「何気なく」の「遊び」がなければ、
一生知らないまま死んでいくところでした。
こういうこと、まだまだたくさんあるんだろうね。



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1年前のヨーロッパで考えたこと その3

2012年11月08日 | 風の旅人日乗
ポツダムの手前で、サンスーシ宮殿に立ち寄る。



この時代の貴族文化には
個人的にまったく興味が湧かないのですが、
この宮殿の馬鹿げたスケールには、素直に驚きました。



これを作った人物は、ベルサイユ宮殿を目指したのだとか。



現代にも、ゴロゴロ居そうな人物だな、と思いました。


そしてポツダム。
ポツダム会談が行なわれたお屋敷。



うー、重い。



この当時の日本の(軍中枢部以外の)人たちの苦しみ。
日本と戦っていた人たちの苦しみ。
うー、重い。

これはニュージーランドのオークランド博物館に展示されている
ポツダム宣言に則った日本の全面降伏状のサイン頁(のコピー)。



昭和20年初秋、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリの甲板上でのこと。

ハワイに行くとPVSのマイク・テイラーが必ず、
トレーニング航海の合間に時間ができるたびにいつも、
ワタクシをパールハーバーに連れて行き、
係留されている年老いた戦艦ミズーリを見せ、
アリゾナ記念館に連れて行き、
今も浮かび上がってくる燃料重油を見せ、
日本軍の真珠湾攻撃の、米軍が撮ったフィルム上映を見せる。

かなーり、辛いんだな、この時間が。
マイクって、分かってやっているのかな。


そしてベルリン。



今はモニュメントになっているこの壁の東西で、



どれだけたくさんの悲惨があったのだろう。



うー、重い。

考える、考える、と言いながら、
戦争はよくない! くらいしか何も考えがまとまらないまま、
早々にドイツ北部での仕事を済ませ、
ほのぼのミッフィーの国、オランダへと逃げる。

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じわじわと変身ちゅう

2012年11月07日 | 風の旅人日乗
今日の午前中は、春のようなのどかな日和の中、
横浜ベイサイドマリーナでKオーナーの愛艇バターボール号で
ちょこまかと仕事。

デッキ艤装も整い、
じわじわとセーリング艇へと変身中。
来週には、日和のいい日にテストセーリングできるかも。



お隣の本物ヨットに比べても、なんだかいい感じ。
ヨーロッパでよく見かける船にも似てきた。



弊社では、ボートでも、カヌーでも、
帆装を付けたいというお客様のご相談に応じます。
お気軽にお問い合わせ下さい。
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1年前のヨーロッパで考えたこと その2

2012年11月06日 | 風の旅人日乗
ドイツでは、バイエルン地方を起点にして、
ロマンティック街道の街ローテンブルクに宿泊したりしながら、






ベルリンのさらに先にある港町を目指して北上する。

途中、デッサウの街中を通る。
デッサウは、デザイン関係の人たちには
バウハウスがあることで知られる町。



そして航空機ファンには
かつて、世界最大の航空機会社ユンカース社があったことで知られる町。



偶然その旅に持ってきていた本の一冊は、
柳田邦男氏著の『零式戦闘機』。

零戦の主任設計士だった堀越二郎氏を
主人公的ポジションに置いて、
当時は技術後進国だった日本の若い航空技術者たちが、
資金不足、材料不足というハンディを乗り越えながら
零戦を開発していった過程を克明に記録した
ノンフィクション。

その本によれば、三菱航空機に入社して2年目の堀越氏は、
ここデッサウにアパートを借りてユンカース社の技術を学ぶ。
昭和4年、いまから80年以上も前のことだ。

ユンカース社は第一次世界大戦のときにすでに
ジュラルミン製の翼を持つ飛行機を開発していた。

ただし、その金属翼の外板は、
強度を持たせるためにトタン板のように波打っていたと
その本にある。

デッサウのユンカース工場の跡地にある建物の中で、
実際にその「トタン板のような」外板の翼を見ることになった。



そしてその古い飛行機に付いているエンジンには、
バイエルン発動機製作所の、ブルーと白と黒の、
ドイツが誇る高級車の、あのマーク。



BMWはこんなに前からエンジンを作っていたわけなんだ。



堀越氏は、ユンカースから学んだことも生かして
設計制作チームの仲間と共に、日本独自の発想と技術で、
日本オリジナルの零戦を作り上げる。

ニュージーランドのオークランドにある博物館には
その零戦の一機が展示されている。
この旅の前に滞在していたニュージーランドで、
たまたまその零戦の写真を撮った。



それまで先進国の技術に依存していた日本の航空界は
戦争へと舵を切りつつあった時代の流れの中で、
独力での技術開発の道を選ばざるを得なくなった。

その流れの中で、
堀越氏とそのチームは、独自のアイディアを創出し
この飛行機のこの形と性能へと昇華させたのだった。

戦争は多くの人たちを不幸に陥れる。
とても悲惨なものであり、
決して繰り返してはいけないこと。
このことは、どんなときでもまず念頭に置いている。

戦争。戦争のない平和な世界。
技術競争。企業間協力。
その国独自の技術。その国独自の文化。
自分の国に誇りを持つこと。それを次世代に伝えること。

いろんな言葉や観念が、小さな頭の中をぐるぐる回る。
そう簡単には結論など出そうにないことだけど、考え続ける。
だって、考えなければ、前に進みません。

進み足りない頭を乗せて、
クルマはアウトバーンをどんどん進み、
ドイツ国内をさらに北上していく。

ベルリンの手前の、ポツダムが近づいてきた。







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1年前のヨーロッパで考えたこと その1

2012年11月05日 | 風の旅人日乗
1年前のちょうど今頃、
セーリングビジネスについての考察を深める目的で
ヨーロッパのいくつかの国を旅しました。



そのヨーロッパの直前までニュージーランドにいたり、
その直後にハワイまで伝統カヌーの活動支援に行ったりしたため、
そのヨーロッパで思ったことや考えたことを
書き留めることができないままでいた。

時間を見つけながら少しずつ書いておこうかな、と思います。

フランス移動中のある午後、
「本日これ以降は仕事を休みとする! 
その間セーリングのことは一切考えない!」宣言をして、
ボルドーの5大シャトーを半日で巡る、
という超観光客的な遊びをした。


シャトー・ロスシルド(ラフィット)やら



「失楽園」のシャトー・マルゴーやら



以前ラッセル・クーツのお陰で飲むことができた
シャトー・ラトゥールやら



シャトー・オーブリオンやら



もうひとつはどこだったか忘れましたが、
それらのワイナリーが点在するぶどう畑の景色の中を
あちこちクルマを走らせているうちに、
この国に、一種の尊敬の念を抱くようになった。



ぶどうの木は収穫を終えたばかりで
ただの枯れ木のように見えたけど、
それらの、地を這うような、
素人の目には醜い古木にしか思えない木の根元に
しゃがみ込んで、慈しむように手入れをしている人たち。

その年の作業を終え、掃き清められて、
凛としたたたずまいの醸造所。





自分たちの国。自分たちの文化。祖先から伝えられてきた財産。
それらを誇りに思い、守り、次の世代に伝える。
いいなあ。
どこかの国は、それができているかなあ?
なんてね。



この地域を流れる大河や、この地域が面する大西洋で発生する霧が、
この地域のぶどう畑の上に流れ込み、
そのミストが太陽光を乱反射させて
ぶどうの実に全方向から、まんべんなく柔らかい日光が当たる。
それがこの地域に素晴らしいぶどうが実る理由のひとつなんだと、
この日の案内役を務めてくれた人に教わりました。

素晴らしいワインとはまったく無関係なものだと思っていた海が、
意外にも大切な役割を担っていることを初めて知って、
なんだか、結構うれしかったです。





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10月第4・5週のSailing Log Book

2012年11月03日 | 風の旅人日乗
10月第4週のはじめから、大阪湾で、
34フィートのレース用ヨットで2日間ミッチリと練習した後は、
相模湾に戻って、葉山新港で、日本初お目見えのメルジェス20。


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


トレーラーで運んできて、カーボンでできたマストを立てて


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


スロープから水に降ろす山田寛・真兄弟


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


バラストキールを降ろして、


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


セーリング開始。


photo K.Miyazaki/KAZI magazine



これではヒールさせ過ぎ、スコンっと一気に失速する。


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


艇の姿勢をこんなモードにして、集中してスピード維持。


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


ポジションをチェンジしてみんなで楽しむ。


photo K.Miyazaki/KAZI magazine


とても完成度の高いワンデザイン・スポーツボートだと思います。
メルジェス20のセーリングインプレッションは、
来年お正月に発売のKAZI誌に書かせていただきます。

メルジェス20についての問い合わせは下記へどうぞ。
KANTA-RO


ところ変わって、
10月最終日のハロウィン(って何事? 最近の「オイラには分からん」ランキング1位)は、
和歌山で、こちらも話題のXp38に。デンマーク、Xヨット社の新作。
イチサンゴイーストの皆さんとノースセイル関西のTさんと一緒に。


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI

超高価格ヨットブランドの意地を見せて、
ハイレベルの仕上がり。


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI

ヨットは費用対効果ばかりで選ぶ乗り物ではない、
そのオーナーさんが、そのヨットの、どの部分に、
費用対価値を求めるか、である、
という持論を、改めて頭に置きながらセーリングしました。
(ウエア提供:Helly Hansen)


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI


photo by S.Yamagishi/KAZI

いろんな船でセーリングできるシアワセをかみしめる、今日この頃です。

このXp38のセーリングインプレッションは、
来月5日発売のKAZI誌に書かせていただきます。

Xp38についての問い合わせは、下記へどうぞ。
株式会社イチサンゴイースト

今週末は、東京湾でレース参加。ワクワク。
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かぎろひ

2012年11月01日 | 風の旅人日乗
昨日は、
和歌山沖で、デンマーク製の質の高いヨットでセーリング仕事。



本日は、横浜のベイサイドマリーナで、
日本製の可愛いボートに帆装を施すお仕事を一日中。





どちらも楽しい仕事でした。

ところで。

このところ、「かぎろひ」、という言葉が、とても気になっています。
つい最近まで知らなかったのですが、
我々現代日本人がイメージする「かげろう」、
とは少し意味が違うようです。

夜明け前、東の空が不思議な色に染まることがありますが、
その色合いとか、その様子を「かぎろひ」と言うそうです。
知らないままに今年の7月に、太平洋上空を飛ぶ飛行機から撮った写真が、
その「かぎろひ」だったようです。



「かぎろひ」という言葉は、ニッポンオリジナル。
語源を辿っていっても、よその国の言葉には行き着かない。
よその国の文字で表現することも、できない。
正真正銘、このニッポン列島にすんでいた人たちが生み出した言葉。

夜明け。
未来につながる輝かしい時間。
強い期待と、わずかな不安。
ワクワク。ドキドキ。
それを象徴するような、息をのむ色の競演。
宇宙に浮かぶ地球。
そこに生きる自分。そして仲間たち。

今から1320年前の、西暦692年のある秋の早朝に、
柿本人麻呂という人が、今の奈良県の野原に立って
この言葉を使って、ある有名な歌を詠んでいるそうです。
勉強しそこなっていました。

かぎろひ。
この言葉がいま、なにかすごくいいイメージを、
ワタクシの中で膨らませてくれています。

近いうちに、
未来に向かった夢のある計画をお知らせすることが、
できるかもしれません。


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