Nov. 30 2005 セーリング、セーリング

2005年11月30日 | 風の旅人日乗
11月30日 水曜日

今週になってから、一昨日、昨日、今日と、東京での打ち合わせが毎日続いている。
ボルボ社がスポンサーになって行われている世界一周ヨットレースのことを、日本の一般スポーツファンにもなんとか知ってもらいたいと思い、関係方面に働きかけている。

一昨日はあるテレビ局に行ってこのレースのことを一所懸命説明し、担当プロデューサーから放映に前向きな言葉を戴いた。これとは別に、ケーブルTVのスポーツチャンネルGAORAが、12月から毎週30分の番組を放映する予定だ。

昨日は、東京大手町のある全国紙の編集局運動部の記者の方に面会。
この人物とはニッポンチャレンジでアメリカズカップに挑戦していたとき以来のお付き合いだ。セーリングというスポーツの可能性を、非常に前向きに、高く評価して捉えている方で、日本だけでなく、世界各国のセーリングの話題を非常によく研究していて、ぼくよりも詳しい情報を持っていることもよくある。

彼はこのボルボ・オーシャンレースについてもよくご存知で、近いうちにタイミングを見て大きめの記事にしてくれることをお約束してくださった。

そして今日は、今日本で一番売れている雑誌として評判の、バイウイークリー誌で記事内容の打ち合わせ。年末進行の締め切りの関係で、明日からはひたすら原稿に取り組まなければいけなくなった。
原稿書きは辛い仕事だけれど、セーリングというスポーツのことを、セーリングを知らない一般の日本人に伝える機会をいただくことは、とても幸せなことである。

セーリングというスポーツが、広く一般の日本人に理解されることを目標にしたこういう地道な活動が、いつかは実を結んで、日本のセーリング業界の裾野が広がり、また自分自身の夢の達成にも繋がっていけば、と強く願っている。

Nov. 27 2005 風の科学

2005年11月27日 | 風の旅人日乗
11月27日 日曜日

葉山のK氏艇でセーリング。
朝はひんやりとした気持ちのいい北風が吹いていたが、冷気が緩んでいくにつれ、10時頃には一気に弱くなった。

天気予報は午後から強めの南西風を予想していたが、相模湾もこの時期になると夏場と異なり、気温の上昇によって南風が入ってくる確率は5分と5分だ。つまり予想が難しい。レースの場合では、この時期の「午後から南風」、という予報を鵜呑みにして安易にコースを組み立てると、痛い目に会うことも少なくない。

また、同じ北っ気の風でも、特に微風から中風域の風速の場合、逗子の新宿湾から吹いてくる風の風向は、コンパス方位で30度から60度、鎌倉の鶴岡八幡宮の参道を通って由比ヶ浜あたりから相模湾に吹き込む風は0度から20度であることが多い。

そして、そのさらに西側の、稲村ガ崎の西側から降りてくる風は340~350度で、西の成分も混じっている。これは、陸風が海に出てくるときに、海岸線に直角に近くなるように曲がる、という一般的な陸風の性質によるものと思われる。
この、風のベンドは、例えば葉山から烏帽子岩に行くレースなどの場合は、レースの組み立てに利用する価値が大きいことが多い。

この日は結局、南風が相模湾に入ってくることはなく、気象庁もヤフー天気も、みごとに予想を外された。相模湾は一日中、昼寝に最適、セーリングの練習には物足りない、穏やかな初冬の一日になった。

江ノ島で昼食を食べた後、渋滞の海岸道路を見ながら、セーリング練習をあきらめて、機帆走で葉山に戻る。
艇を片付けた後、葉山鐙摺港のHヨットクラブのS氏と、再来週の沖縄合宿に持っていくウエアについて相談。

沖縄合宿では、乗りこなすのが難しいサバニを伝統の乗り方でセーリングする技術を取得するのが目的。アウトリガーもなく、舵もないサバニを、エーク(櫂)だけで操船しながらセーリングする。伝統の沖縄漁師が、かつて当たり前のようにやっていたやり方で帆走する技術を身につけたいと思っている。

練習中は、かなり頻繁に転覆するものと思われる。いくら温暖でも、強風の冬の沖縄では、濡れた状態はそれなりに寒いだろう。また、風が弱ければ漕ぎも練習する。こうなれば、結構暑いはずだ。

S氏はGW社の重鎮で、これまでも同社のいろいろなウエアを提供して下さっている。同社の新製品をテストする目的で、沖縄合宿の目的にあった、新種の素材を使ったウエアを提供していただくことになった。ありがたい。

Nov. 25 2005 心と財布の友達ユニクロ

2005年11月25日 | 風の旅人日乗
11月25日 金曜日

午前中 ある放送局のスポーツ報道の方に、VOLOVOOCEAN RACE放映の提案に伺う。なかなか難しそう。違う放送局にも行ってみることを検討すべきかもしれない。

午後 某出版社にて、VOLOVOOCEAN RACE連載の打ち合わせ。詳細について詰める。

そのあと、銀座のユニクロでジーンズ。昨年夏に全国店内ポスターのモデルをやらせてもらって以来、なんとなく、「俺のユニクロ」って親近感を勝手に抱くようになった。
先週の成田空港第1ターミナルでも、出発前にユニクロで買い物したしね。

Nov. 22 2005 韓国家庭料理

2005年11月22日 | 風の旅人日乗
11月22日 火曜日

午後、六本木の会社Hプランニングの会議室でTEAM NISHIMURA PROJECTの定例ミーティング。

本日も来春開始予定のセーリング企画で、いろいろなアイディア、が百出で、会議が終わったのは8時を過ぎていた。皆さんの熱心さに本当に感謝。

ほかのメンバーがそれぞれの仕事に戻ったので、TEAM NISHIMURAメンバーのS氏に赤坂の韓国家庭料理のお店で遅い夕ご飯をご馳走になる。

S氏は、自分の仕事の時間を割いて僕の夢の実現のために全力を注いでくれている人物で、このTEAM NISHIMURAの発起人でもある。
本来ぼくがご馳走しなければならない立場なのに、いつもご馳走になってしまっていて、大恐縮だ。

Nov. 20 2005 セーリングは裏切らない

2005年11月20日 | 風の旅人日乗
11月20日 日曜日

葉山の小型艇で、何人かのメンバーと一緒に、ボートのレスポンスを確かめたり、スピードを自在にコントロールする練習をしながらのセーリング。
楽しいなあ。

自分にとっては、早くまた、VOLOVOOCEAN RACEのような過激なレースの場に戻るためのリハビリのようなセーリングだが、セーリングそのものは、それがどんな種類のものであっても、とても楽しい。

ヨット界の人間に裏切られたことはあるが、セーリングそのものに裏切られたことはない。
他の人間に対して、怒り、恨み、ねたみなどの醜い感情を抱いたことはあるが、セーリングそのものからそのような醜い感情が湧き出すことはない。

シングルハンド・セーラーの人たちは、セーリングにまつわる様々なものからセーリングそのものの魅力のエッセンスだけを取り出して楽しみたい人たちなんだろうなあ。

Nov. 19 2005 バーバーホーラーとトラベラー

2005年11月19日 | 風の旅人日乗
11月19日 土曜日

午前中、逗子のヨットの整備。

ジブ・シートにバーバーホールを増設したのだけれど、
一番引き込んだ状態でそれを使うと
ジブ・カーのシー部とベースの間に
シートが引っかかりやすくなった。
それが起きないよう、少々改造した。
いい感じだ。

メインのトラベラーも改造する。
トラベラーのロープをエンドレスにして、
メインセール・トリマーもロールタックに参加しながら、
新しい風上側にトラベラーを上げられるようにするために、
GヨットのSさんに艇まで来てもらって、
現場でトラベラー・ロープをスプライスしてもらう。

お互いの作業をしながら、
Sさんと日本のヨット業界の情報交換をしたり、
スペインで見たボルボ・オーシャンレース参加艇の
いろんな装備の工夫について、楽しく話す。

午後、事務所に戻り、事務仕事。

Nov. 18 2005 コンピュータは怪しいぞ

2005年11月18日 | 風の旅人日乗
11月18日 金曜日

昨夜遅く葉山に戻った。

意外なことに時差ボケがない。
ありがたい。

スペイン出張中に修理から戻ってきていたパソコンを
セットし直す。
パソコンは苦手だけれど、
世の中の流れ的には、
仲良くなっておいたほうがいいのかもしれない。

あれこれもがきながらも、
やっとインターネットが開通する。

留守中に溜まっていたメールが
すごいことになっていて、
あたふたとしながら
それらのメールに対応する。

しかし、わずか数年前まで、
電話とファックスと宅急便で
連絡は事足りていたのに、
今や電子メール(懐かしい言葉だ)は
不可欠とさえ思える。

でも、本当にそうなのかなあ?
パソコンのおかげで
人間社会が便利になったと言うけど、
パソコンのおかげで人間は、
自分で自分を忙しくしてしまっているんじゃ
ないのかなあ?


Nov. 16 2005 帰国

2005年11月16日 | 風の旅人日乗
11月16日 水曜日

朝のBBCニュース(唯一英語で放送されているチャンネル)が
VOLOVO OCEAN RACEの特番をやっていた。

ホテルをチェックアウトしてVIGO空港に向かう。
ここからパリに飛び、かなり長い乗り継ぎ時間を
シャルルドゴール空港で過ごしてから、
エールフランス便で成田に帰る。

さらばVIGO。
安くて美味しいワインと生牡蠣と魚介類のシチュー、
そして言葉は通じなかったけど
とても親切だった人たち。
とてもいい印象の残る町。

Nov. 15 2005 鮟鱇烏賊蛸鰈手長海老

2005年11月15日 | 風の旅人日乗
11月15日 火曜日

スペイン、VIGO。

朝6時に起きて原稿仕事を始める。
外はまだ真っ暗で、
満月に近い月が西の空に傾いている。
そのすぐ南側に、
地球に接近していてまだ大きく見える火星が橙色に輝いている。

VOLVO OCEAN RACE中のみんなも、
同じ空を見ているのだろうか。

8時に仕事に一区切りをつけて、
ホテルの近くのヨットハーバーに散歩に出かける。
まだ仄暗い朝の冷気が心地よい。

散歩から戻ってホテルの部屋でシャワーを浴びてから、
1階のカフェテリアに降りて、
ミルク・コーヒーとクロワッサンの朝食。
外国でいつも思うのだけれど、
日本の味噌汁と納豆と焼き魚の朝飯が、
ぼくにとっては世界一正しい朝食だ。

カフェテリアで新聞を広げて、
写真を見ていると、
タイガーウッズが何かの試合で活躍しているらしい写真の横に、
VOLVO OCEAN RACE参加のMOVISTAR
(MOVISTARはスペインでiモードの携帯電話通信を展開している会社)
が、
ポルトガルのPortimaoという港に入っている
カラー写真が掲載されていた。

記事の内容は相変わらず分からんが、
おそらくこのレグの復帰は、無理だろう。

部屋に戻って午後2時まで仕事をして、
それからVIGOの街を散歩。

この町は中小の造船所と、
水産資源の水揚げ港として成り立っている街のようで、
瀬戸内の尾道界隈と同じ光景と匂いを持っている。
魚市場に立ち寄ってみると、
アンコウ、イカ、蛸、カレイ、牡蠣、手長海老、
などなど、旨そうなやつばかりがいた。

この町は、路地裏が面白い。
古びた石作りの家。
狭くてゆるくカーブしている石畳の道。
中世のヨーロッパ映画の世界に迷い込んだかのようだ。

北緯42度14分 西経8度45分に位置するこの町の
人口は30万人。
過去、10万人がアメリカ大陸に移民したという。

おそらくもうニ度と来ることはないだろう
VIGOの町をゆっくりと歩いて回る。

Nov. 14 2005 寒冷前線通過

2005年11月14日 | 風の旅人日乗
11月14日 月曜日

VIGOの街のカフェでコーヒーを飲みながら
新聞を読んでいると
(スペイン語はセルベッサ=ビール、ヴィノ=ワイン、
以外はまったく分からないので、
正確に言うと読んでません。写真を見てました)、
なんだかVOLO OCEAN RACEの参加艇に
プロブレムが起きている様子。

MOVISTAR、BLACKPEARL、
ERICSSON、SUNENERGY、に
トラブルが起きているようだと思われるが、
詳細が分からない。

ホテルに戻り、
英語の分かるフロントマン、トニーに
新聞を見せて解読してもらう。
BLACKPEARL、バウセクションに異常。
ポルトガルのカスカイスに緊急入港。

MOVISTAR、ダガーボードとラダーにダメージ。
海面下の何物かに衝突した模様。
40ノットくらいのスピードで走っていたらしい。
ポルトガルのどこかに緊急入港すべく、
入港先を検討中。

ERICSSON、セールにトラブル。

SUNENERG、よく分からないが、
何かトラブル。

昨夜、ぼくが目をとろんとさせながら、
安くて美味しい生牡蠣を、
安くて美味しいワインでやっていている頃に、
みんなは大変な目にあってたんだなあ。
申し訳ない。

優勝候補の3隻にトラブルが発生したため、
ABN AMRO-1がトップに躍り出たらしい。
頑張れムース
(ABN AMRO-1のスキッパー、
マイク・サンダーソンのニックネーム。
のっそりしたへら鹿(ムース)の顔に似ているから。)。

そのABN AMRO-1も、
ブローチングして左舷側のステアリング・ホイールが水中に没し、
支柱ごともぎ取れたらしい。
ムースは、ノースセールNZで見習いをしていた若い頃から
ブローチングばかりするヘタッピーだったからなあー。
まだやってるのか。

でも、難しい船なんだろうなあ、VOLVO OPEN 70。

Nov. 13 2005 ヴィゴ潜伏の日々

2005年11月13日 | 風の旅人日乗
11月13日 日曜日

航空券の予約をするのが遅れたため、
どうしてもパリ-成田便が水曜日まで取れず、
仕方がないのでそれまでVIGOに留まることにした。

M社T誌に記事を書くための準備として、
部屋にこもってVOLVO OCEAN RACE 05-06の
資料を読み込んだり、
VIGOの街の探検に当てることにする。

ホテルの窓から見下ろせる港から、
昨日スタートボートを務めたスウェーデンの
復元帆船ヨーテボリ号が出航していく。
次の寄港地はリオデジャネイロだという。
その後ケープタウンを経てインド洋に入り、
オーストラリア、インドネシアに寄港、
最終目的地は上海だそうだ。

これはスウェーデン挙げての事業だ。
海の文化を大切にする国の話を聞くとうらやましい。
日本は、古く世界に誇り得る海洋文化国でありながら、
それを忘れ、なぜ海の文化をないがしろにするのか。
分からんぜ。

VIGO湾には、北東からの風が強く吹いている。
海面を見る限り、40ノット前後はありそうだ。
BLACK PEARLのクレイグが昨日、
「今日の夜、
前線をくぐるので風は後ろからの40ノット以上になる。
かっ飛ぶぜ。」
と言っていたのを思い出す。

Nov. 12 2005 冒険者たち

2005年11月12日 | 風の旅人日乗
11月12日 土曜日
朝6時。
この時期この地方の日の出は朝8時過ぎなので、
外はまだ真っ暗だ。

今日午後2時、
VOLVO OCEAN RACE 05-06 世界一周レースの第1レグ
(スペイン・ヴィゴ → 南アフリカ・ケープタウン)
がスタートする。

ホテルの部屋の窓から、
参加艇が舫われているハーバーを見下ろすと、
優勝候補のひとつMOVISTARのショア・クルーたちが、
最後の積み込みをしているのが見える。

昨夜
ホテルのエレベーターホールで会ったERICSSONのディンゴ
(本名はデイビッド・ロルフだが、
オーストラリアに生息する野生犬Dingoに顔が似ているので、
そういうニックネームで呼ばれている)
は、「今日はもうこれから寝て、
明日もゆっくり起きさせてもらう」
って言っていたから、まだベッドの中だろう。

この先、ケープタウンに着くまでの2週間以上、
慢性的な睡眠不足が続くうえに、
横になるのは濡れて狭くて臭い、
反対ワッチの人間と共有のパイプバースだ。
ホテルの、
糊がきいたシーツと柔らかな毛布に包まれた
ベッドから起きるのは
なるべく先延ばしにしたいことだろう。

夜の間に雨が降ったのだろうか、
桟橋と参加艇のデッキが濡れて、
蛍光灯の照明に艶々と輝いている。

日が昇り、明るくなってくると、
港には観客が集まり始め、
あっという間にすごい混雑になる。

POLICIAという文字の入った制服を着た
スペインの警察官が
とてもたくさん動員されていて、
物々しく警備に当たっている。

9時半、ハーバーに向かう。
ハーバーの入り口には
空港の手荷物検査場と同じようなゲートが
設置されていて、
手荷物の入念なチェックを受ける。

午前11時には、スペイン国王が
レース参加クルーたちを直々に
激励に来ることになっている。
テロリストによる鉄道大惨事が
記憶に新しいスペインだから、
これくらいの警備は当然かもしれない。

BLACK PEARLに乗る
TEAMパイレーツ・オブ・カリビアンの
クルーたちも手荷物検査を受けている。

元ニッチャレで一緒だったロドニー・アーダン、
ZANAで一緒だったジャスティン、クレイグ、
もう古い仲になったアール・ウイリアムス
と話す。
皆、海賊(パイレーツ)のユニフォームに
身を固めている。

午前11時、スペイン国王が桟橋に到着。
各艇のクルー一人一人と握手をしたり
ハグしたりして激励している。セーリングとは、ヨーロッパではこういう位置づけのスポーツなのだ。

午後0時。群集の大歓声の中、参加艇が1隻ずつ桟橋を離れて出航していく。
スタートラインは港のすぐ前に設置され、岸壁には2千人分くらいの観客席が設置され、一般の市民がそれらの椅子に座ってスタートを観戦できるようになっている。

サンセンソでこの日の朝やっと計測が終わり、晴れてVOLVO OPEN 70クラスとして認められたSUNENERGYが、なんとかスタート時刻に間に合ったようで、VIGO湾のスタート海面に姿を見せた。
ボートを近づけていくと、オーナー/スキッパーのグラントが嬉しそうに「ハイ、KAZU」と手を挙げる。昨年のシドニー~ホバートで、ファーストホーム争いをしていながら、お互いに船を壊してリタイアしてしまい、虚しくホバートで慰めあって以来だ。

ナヴィゲーターのキャンベル、ヘルムスのジェフ・スコットも、まだ忙しそうにデッキの上で右往左往している。
フォアデッキでは、まだジェネカーのヤーンをしている(毛糸でジェネカーを縛り、挙げている途中で開いてしまわないようにする)始末だ。他の仕事に忙しく、セールのパッキングなどをする時間などなかったのだろう。

午後2時。200年以上前に中国との貿易に使われていたスウェーデンの帆船を復元したヨーテボリ号が、スタートラインのアウター側に錨泊して、スタートの号砲を鳴らす。

まずは湾の奥に向かってスタートし、橋の手前にあるブイを回航してから、再びスタートラインを通過して、岸壁で見守る大観衆の前を通って大西洋に出て行く、というコース。

ポール・ケアード操るBLACK PEARLが風上側のいいポジションからジャストスタート。
弱かった風が、レース艇が第1マークを回ってスタートエリアに戻ってくる頃になると強くなり始める。

VOLVO OPEN 70クラスの性能は聞きしに勝る。風よりも速い。10ノットほどの風で12ノット以上は出ている。素晴らしいスピードで大西洋に走り去っていった。

Nov. 11 2005 ガリシアワイン

2005年11月11日 | 風の旅人日乗
11月11日 金曜日

朝5時起き。

昨日(日本)、今日(スペイン)と、日本の正しい勤め人の皆さんと同じような、早起きが続いている。

甘く味付けされたクロワッサンとコーヒーだけの朝食を慌しくお腹に詰め込んだあと、ボルボが用意してくれたバスでホテルからサンセンソという町に出発する。そこに今回のボルボ・オーシャンレースの参加艇が集まっている。約1時間のバス旅行である。

バスが突っ走る道の両サイドに広がる景色は、約2割が、林かトウモロコシ畑だが、残りの8割、つまりほとんどが、ブドウ畑だ。
ここはガリシアと呼ばれる地域で、スペインでも有数のワイン生産地だ。ポルトガルとの国境に近く、ポルト・ワインで有名なポルトも、国境を渡るとすぐの位置にある。

バスが到着したサンセンソは、素晴らしく素敵な海辺の町だった。
目の前に参加艇がずらりと舫われている桟橋に面したボルボのメディアセンターで煎れてもらったコーヒーを飲んでいると、なつかしい面々が次々に自艇に出勤してくる。

この日はサンクセンクソから翌日のスタート地Vigoまで、参加艇たちがパレードをする。
取材者として、そのお付き合いだ。
この日は、今回のレースに参加するいろんなセーラーと話をする機会ができて、とても楽しい時間を持つことができたが、なんと自分は今回も見る側でしかない。
現役セーラーを自認する者としては少々辛い時間でもある。

サンセンソからVigoまでの約15マイルの海路、小さな舟を大西洋の海に浮かべて果敢に一本釣りを営むスペインのおじいさん漁師を目にして、感動と敬意を感じた。この人たちのDNAが、確実にボルボ世界一周レースに挑む若者セーラーたちに受け継がれているのだ。


Nov. 10 2005 空飛ぶ映画とスパークリングワイン

2005年11月10日 | 風の旅人日乗
11月10日 木曜日

5時12分逗子発の
横須賀線総武線直通快速
「エアポート成田」に乗るために
自宅を4時45分に出る。

7時40分に成田空港に着き、
エールフランスのカウンターで手続き。

替えのズボンを持ってくるのを忘れたため、
空港内でジーンズ購入。
裾上げに時間がかかり、
通関後出発ゲートまて走り、
パリ行きに滑り込みセーフ。

昨夜からあまり寝てなかったので
最初の食事を食べたら
すぐに寝ようと思っていたのに、
ビデオのプログラムには、
かねてから観たかった映画が
ずらりと並んでいて、寝る暇がない。

映画と映画の合間に
眼下を見下ろす度に、
美しく紅葉した日本の山岳風景から
ロシアの高原地帯をうねるように流れる
大河へ、
そして真っ白な雪に覆われた
段々畑を思わせる不思議な地形の
シベリアの一地方と凍った湖へと、
景色がどんどん変わっていき、
自分が世界地図の上を確実に
西に向かって飛んでいることを
理解する。

映画を2本ぶっ続けで観た後、
水をもらいに
後ろのスチュワーデスさんたちの
たまり場(っていうんですか、
当直みたいな人たちが集まって
ダベっているところ)に行くと、
「シャンパンを開けたところだから、
飲みなさい」と勧められ、
無論、素直に従う。

席に持って帰って飲むのが面倒だったため、
そのままそこで腰に手を当てて立ち飲み。
何故か次々にお代わりを勧められ、
なかなか席に戻れない。

やっと水をもらって席に戻ったところで、
深い眠りに落ちた。

2,3時間ほど眠って、3本目のビデオにかかる。
面白い。

観終わったところで2食めが配られ、
それが終わったら、
もうシャルル・ドゴール空港に向かって
着陸態勢だ。

映画とシャンパンのおかげで
あっという間の12時間だった。

シャルル・ドゴール空港ターミナル2は
広大だ。
到着が少し遅れ、
スペインのビゴ行きの乗り継ぎまで
45分しかない。

欧州統合以降
えらく簡単になった税関をすんなりクリアして、
間違った方向に走らないよう、
じっくり案内板を見て、
それから、ダッシュ。

結構な距離を走る。

ギリギリで乗り込んだその超小型機は、
夕暮れ近いパリ市内の真上を
ゆっくり左に旋回しながら上昇していく。

再び眠りに落ちて、
フト気が付いたら、
飛行機はもう高度を下げ始めている。

暴動のフランスを離れ、
大西洋岸、
ポルトガルの国境に近いスペインの港町
ヴィゴの町が見える。
美しい海岸線。

ヴィゴ航空は山の上にある。
民家の庭の木々に翼をかすめるようにして
無事着陸、
人生初めてのスペインに足をつける。

タクシーで、
港近くにあるボルボ・オーシャンレースの
メディアセンターに直行。

2003年のニュージーランドでの
アメリカズカップで
プレスボート手配の親分をしていた
ジュリアンが、
今回のヴィゴでも同じ担当をしていて、
すぐに助けを求める。

「俺、今日泊まるところない、
明日の取材手配もできてない、プリーズ」

それを聞いたジュリアンは、
携帯であちこちに電話し、
あっという間に
ヴィゴ滞在中のホテルと
翌日と翌々日の
取材艇の手配をしてくれる。
持つべきものは有能な友人だ。

Nov. 9 2005 ディズニーとヨットレースの不思議な関係

2005年11月09日 | 風の旅人日乗
11月9日 水曜日

昨夜は、悲しいお通夜の後、
逗子の居酒屋で
ブラインド・セーラーの人たちと
故人を偲びながらお酒を飲んだ。

いつも思うのだが、
ブラインド・セーラーの人たちは
エネルギーに溢れ、元気一杯だ。

最近の日本の健常者セーラーたちの
元気のなさと好対照である。

リーダー格であるT氏から
来年のニューポートでの世界選手権に向けての
熱い計画などをお聞きする。

そのあと駅近くのバーに場所を移したら、
やはりそのお通夜の帰りのN社K社長と
北海道K社のK社長に偶然会い、痛飲。
家に帰ったのは朝2時をまわっていた。

午後、四谷のT社。
同社が来春に発売する新ブランドの
ウォータースポーツ・シューズの
プロモーションについての相談を受ける。
こちらからは、
来春予定している
TEAM NISHIMURA PROJECTイベント
について相談する。

夕方、
ディズニー映画を配給しているB社で
ボルボ世界一周レースについての打ち合せ。
ディズニー関係の会社と
世界一周ヨットレースの話をしているのが、
考えてみると面白い。

明日は4時起きで逗子から電車に乗って
成田空港へ行き、
暴動のフランス、パリ行きの飛行機に乗る。
パリを経由して
スペインのヴィーゴに着くのは夕方になる。

スペインには
パソコンを持っていかないので、
1週間ほど、この日記はお休み予定。