風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

6月某日 娘とプール

2010年06月29日 | 風の旅人日乗
強風だったためセーリングの予定を中止した日曜日、娘を連れて隣接している町のプールに行った。

プールでは、それほどご本人は泳ぎが上手ではないお父さんたちが、自分の子どもたちにすごく分かりやすく上手に泳ぎを教えていた。
方や、高校の水泳部以来泳ぎに自信たっぷりのぼくは、5歳の娘にどんなふうに泳ぎの手ほどきすればいいのか、皆目見当が付かないでいる。

娘は完全に父親に頼り切り、甘え、父親との時間を心から楽しんでいる。
それはそれで嬉しいことではあるが、何度注意しても、まったく泳げないくせに、背の立たないプールをまったく恐がらず、手を振り払ってプールの真ん中に行こうとする。
愕然とした。
よその子どもたちにセーリングを教えるときは、海の恐さを語り、水の恐さを語り、でもライフジャケットをキチンと着用すれば大丈夫なんだよ、とエラソーに話をしているくせに、自分の子どもには、そういうことすらまだ教えていないことに気付いたからで、イヤ、それ以前に、家以外の場所の、生命の安全が損なわれる可能性がある野外で、自分の子どもと過ごす時間がほとんどなかったことに突然気が付いたからだ。

この子がもし自分がいないときにどこかで溺れたら、それは完全に、自分の責任だと思った。
ただただ猫可愛がりしているだけで、この子が生き延びるために大事なことは、この子が生まれてもう5年以上も経つのに、まだ何も伝えてない・・・。
自分の子どもに、生まれてきたこの世界で生き延びる術を伝授するために、親が持てる知識と経験と能力の全てを注ぎ込むことは、自然界の普通の動物ですら当たり前にやっていることではないか。自分はそれすらやっていなかった。
事実、自分は5歳の子どもに溺れることの恐さや、どうしたら溺れないですむのか、とか、どうしたら泳げるようになるのか、などを伝える方法の勉強すらしていない。
この日一緒にプールにいたほかの父親達は、きちんとそのための勉強をして、楽しそうに子に伝えていた。

この日予定通りセーリングしていたら、自分はしばらくこの重大なことに気が付かないままだっただろう。
強風に感謝しつつ、猛反省した。
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6月某日 沖縄

2010年06月25日 | 風の旅人日乗
梅雨の合間の晴れ日、旧暦を使っていた頃はこれを五月晴れと呼んだそうだが、そんな五月晴れの関東を後に、気象庁が梅雨明けを宣言した沖縄に行ったら、2日間とも雨の那覇だった。

太平洋横断中以外はこの10年間ずっと通った座間味・那覇間のサバニ帆漕レースに、今年は出ない。

理由はいくつかあるが、それは電話やメールでは説明できないくらい複雑で面倒な問題も含んでいたし、欠席することをチームメイトに誠意を込めて伝えたかったので、みんなの顔を見ながら、自分の口で説明するために、那覇行きの飛行機に乗った。



推定船齢50年以上の、メンバーたちが頑張って蘇らせようとしているサバニを目の当たりにし、木肌を手で触れていると、今年は諦めたと割り切っていたつもりだったのに、苦い思いがこみ上げてくる。



いんや、いやいや、それしか選択の余地がなかったのだ、と自分を慰める。

2日目夕方の約束までの時間調整に、特に当てもなくバスに乗ってコザまで行ったのだが、普天間基地の、とんでもない広大さを初めて知って驚いた。
那覇からコザまでの片道一時間以上のほとんどの間、バスの窓からいつも米国の敷地が見えている。そこにあることは知っていたが、こんなにメチャな広さだとはまったく知らなかった。

こんなに大きな基地の移転問題が、政権が変わっただけでそんなに簡単に解決するワケがないじゃないか。
メディアを通じてだけの情報でこの基地の問題を分かっているつもりになっていた自分自身に対して、なんとなくゲンナリとした気持ちになる。

本土からの政治が、沖縄のことを軽んじていると沖縄の人たちが感じ取らないワケがない。

この日の前日は、沖縄の地上戦が集結した「慰霊の日」だ。沖縄の官公庁や学校は犠牲者の御霊をしのんで休日だが、本土で暮らす人の何人がこの日のことを知っているだろうか。


この基地を本土から押し付けられている沖縄の人たちのココロについての考えを掘り下げていくと、沖縄の文化であるサバニへの、本土からの関わり方について悩んでいる今の自分のココロにも、ダイレクトに繋がっていくのだった。
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6月某日 東京

2010年06月21日 | 風の旅人日乗
東京湾で、いい南風での2レースを楽しんだ後、きちんとしたシャツとパンツに着替え、レース中に履いていたビーサンも新しいデッキシューズに履き替えて、六本木へ。

サンディエゴから来ている友人と、その友人を招待したヨットのオーナーと、そのヨットのメンバーと一緒に食事。

昔々、日本の外洋ヨットの世界が華やかだった頃の話を楽しむことができた。
Nオーナー、諸々のご手配ありがとうございました。
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6月某日 11ノット超え 逗子マリーナ沖

2010年06月15日 | 風の旅人日乗

[photo by Yo Yabe/KAZI magazine]

南風が吹き上がる予想の、13日の日曜日。

夜明け。海面と空をチェックしに、森戸神社の沖を見に行く。
強風波浪の天気予報は外れる予感。

予定変更無しでスケジュールどおり今日のセーリング練習を実行することにして、朝食後、8時前に葉山を出発、海岸を歩き、披露山を迂回して逗子マリーナへ。

船を出して、まずは南にクローズホールドで上っていく。
朝のウオーミングアップを兼ねて、逗子の新宿湾に向かってジェネカーをホイスト。
大した風ではなかったが、スターボード・タックでの波の方向が良かったせいか、
偶然のようにいい波に乗り、M井オーナー・ステアリングでの新記録、11ノット超えを達成。

全長6メートルちょっとのボートでの11.4ノットは、充分に迫力あり。
その恐怖に降参することなく、女の子のような悲鳴を上げつつも頑張っていいステアリングを維持したM井オーナーに拍手。

風向は180度から185度。この風向では、相模湾の風は強風波浪注意報レベルに合格するほどは上がらない。気象庁はどうも予報を外したらしい。
とは言え、油断は禁物、風向が200度を超えたらすぐに帰ることにして、南に向かってクローズホールドの練習開始。

スピードを維持しつつ悪い波を越えていくクローズホールドの練習に、願ってもない最高のコンディション。
M井オーナーに、2,3のポイントを伝えつつクローズホールドを夢中で練習している内に、シーボニアの緯度まで南下してしまう。
風向が180度から185度の間で安定し、気象庁の天気予報のような、南西のメチャな強風が吹いてくる気配がなかったからだ。

ディンギーのようなこの艇で、遥々ここまで来てしまった記念に、折角だからと小網代沖の赤白ブイをジャイブして回り、それから、北に向かって、逗子へのダウンウインドの練習開始。

波との角度の取り方、波に乗せるステアリングのタイミングなどを、M井オーナーに伝えながら相模湾奥の逗子マリーナに向かう。

この日は三浦半島側の相模湾をいっぱいに使った、本当にいいセーリング練習になった。
強風が吹き荒れるという天気予報を過信してこの日の練習を中止にしなくて、良かった。
ニッポンの権威・気象庁も、こういうハズレをやっちゃうこともあるんだな。

艇を洗って片付けた後は、逗子から鎌倉を通り越して大船まで出て、怪しの街・大船の飲み屋さん街を、この日のクルーメンバー3人で探検&チェックしながら回る。
麗しいニッポンの6月。日はまだ高く、3人の呑ん兵衛セーラーたちの時間はたっぷりとあるのだった。

いい味の日本酒を求めて大船を徘徊したあと葉山に戻り、少し仮眠してから、物書き仕事。
これをやっつけてしまえば、今週は、楽しい仕事が2つも待っている。
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6月某日 moritaさまよりいただいたコメントへのお返事

2010年06月12日 | 風の旅人日乗
moritaさま、

同じ日に、同じヨットでレースをされていたのですね。
相模湾はずいぶん風が強かったようですが、どんなセーリングだったのでしょう。

6年前、自分が卒業した小学校の後輩に当たる子供たちにセーリングを初体験してもらう艇として、いろいろと候補を探した末に見つけたのがこの艇でした。
この艇の営業担当だったチャーリーさんとも、それがキッカケで知り合いになりました。
チャーリーさんは自分でトラックを運転して北九州まで運んできてくれました。

その翌年の、『愛・地球博』支援イベントとして開催した三河湾でのセーリングキャンプのときも、チャーリーさんは夏の間の毎週末、私たちに付きっ切りでお手伝いしてくれました。
セーリングキャンプに参加した三河湾の子供たちもすっかりチャーリーさんになついて・・・。
この艇のファンの人たちは、言わば、チャーリーさんのファンでもあった訳ですよね。

そのときのセーリングキャンプで小学5年生だった子供たちは、この4月に高校生になりました。そのうちなんと3人が、ヨット部に入ったと、親御さんから連絡をいただきました。
あの夏休みにセーリングを体験したことがきっかけでヨット部のある高校への進学を目指していたのだそうです。これもチャーリーさんの功績のひとつです。


3年前、チャーリーさんはこの艇を製造販売していた会社から、ご本人は望んでいなかった退職を余儀なくされましたよね。

チャーリーさんにそういうカタチで恩返しをするような会社ならば、ヨーシ、私たち独自で、日本の親子にセーリングを楽しんでもらうために最良の艇を開発して製造しよう、と、チームニシムラに集ういろんな業界のメンバーが、いろんなアイディアを出し合っている半ばで、チャーリーさんは病に倒れてしまいました。

この艇は、ラダーもセンターボードもセールも小さくて、体重移動をうまく使わなければ思ったとおりに動いてくれませんよね。
常にスピードを維持してなければ、すぐに横流れしてしまいますよね。
そういう意味で、一般の方を乗せている時でも、インストラクターにとっては多くを勉強することができる艇です。

チャーリーさんが企画したコンセプトに沿って、沖縄のサバニ船型から発想を得た故・横山晃氏と息子さんの横山一郎氏が親子の共同作業でこの世に残した、傑作デザインのひとつではないかと思っています。

[photo by T.Murahashi]
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6月某日 東京・お台場 と 銀座

2010年06月09日 | 風の旅人日乗
[photo by H.Minoda]

2010年度チームニシムラ活動はじめ。
今年度は海での開催を諦めなければならなくなったことを嘆くのは、もうやめた。
その代わり、次のステップにジャンプするため、今年度はチームニシムラのチカラを溜め込む年と捉えることにしたが、同時に、継続することの大切さをも知る者として、来年度以降の捲土重来を期しながら、プールを使った体験セーリングイベントで地道に攻めることになった。
プールでのセーリングの分野でも、我々は草分けを密かに自負している。

この日は、参加者たちが万が一の事故を起こした場合に備えた賠償責任保険などの手続きが間に合わなかったため、運営サイドだけでセーリングして、今回初めて使う船の科学館のイベントプールの狭いスペースの中で、我々が所有している艇がタッキング可能かどうか、などのマニューバビリティーをじっくりと確認することにする。

東京湾と相模湾に強い南風が吹き込んだこの日だったけど、お台場・船の科学館のイベントプールには弱く、不安定な風しか吹いていない。
セーリングのコンディションとしては「絶好」とは言えないけど、実際の体験セーリング実施日にはこういうコンディションがあることも想定しておかなければいけないため、内輪の予行演習をするには、もってこいだ。

インストラクターのみんなで交代で乗りながら、狭いプールの中での操艇を確認し合った。と言うか、狭いプールの中でヨットを自在に操るヨロコビを思いっ切り堪能した。
実際に艇をわざと転覆させて、参加者を恐がらせずに岸まで連れていく練習をしたりもしたけれど、この日の陽気は、そのまま水の中にいて泳いでいたいくらいの気持ち良さ。
未経験者をヨットに乗せるイベントの時にいつも感じている独特の胃の重さ(顔ではニコニコ笑って参加者に不安を感じさせないようにしつつ、心の中で最悪の突発事故に備える)からも開放されて、狭いプールの中だったけど、存分にセーリングを楽しんだ。



[photo by H.Minoda]

チームニシムラ・セーリング実行部隊隊長のM橋さん(うしろ)と、M橋さんの水産大ヨット部時代からのチームメイト、K山さん。
K山さんは、わざわざこの日のために単身赴任の大阪から駆けつけてくれた。
ありがとうございます。




[photo by H.Minoda]

前に親子2名を乗せるために、我々チームニシムラの艇ではティラー・エクステンションを外してある。
一人で乗る場合、直接ティラーを手で持つ位置に座ると重心が後ろに寄り過ぎてしまい、リーヘルムになる。なので、風上に上るときには、出来るだけ前に乗って艇の前を沈めてウエザーヘルムを作り出す必要が出てくる。そうすると、足でティラーを操作しなければならなくなる。かなり苦しい体勢だが、体重移動だけで艇の動きや性癖を自在に変える練習が出来て楽しかった。




[photo by H.Minoda]

プールの一番狭い部分をタック、タックで風上に上らなければならない風向だったため、プールの幅をいっぱいいっぱい使ってタッキングしながら風上に向かう。
こういうプールでのセーリングは、2007年の淡路島での『青少年交流の家』で、発達障害の子供たちと一緒にセーリングして以来で、そのときのことを思い出した。
あのときは、2004年以来ずっと一緒にこのクラスのヨットを使って子供たちにセーリングを伝えてきた高橋英夫さんも居てくれたのにな。高橋さん、何で死んじゃったのかな。
心の中で高橋さんと話をしながら、一緒にセーリングした。




[photo by H.Minoda]

若いK野クンに、お客さん役になってもらって前に座ってもらう。そうするとこのような微風でも、スピードさえ維持していればグイグイ風上に上っていくことができる。
微風用の大きなセンターボードがあればもっといいかも。いつの日か、この活動に予算が付いたら作りたい。
足でのティラーさばきにも慣れたが、翌日と翌々日、太ももが筋肉痛になった。
エクステンションを付けてもお客さんに当たることはなさそうだとみんなで確認したので、次回は、ティラー・エクステンションを付けることにした。

そのあと艇を片付けてお台場を撤収、次回開催の打合せのために銀座のMさんの店に行く。




[photo by H.Minoda]

銀座通りがまだ歩行者天国の時間帯だったので、店から椅子とテーブルを通りまで出し、まずは生ビールでおつかれさんの乾杯。
次々にジョッキが空になり、生ビールの補給に忙しく店と通りを往復するMさんには申し訳なかったけど、銀座の夕暮れの光景を肴に、いい時間でした。

野球場で、観客席の間を走り回って生ビールを売ってくれるミニスカートの女の子たちが背負っている生ビールのタンク、ありますよね。
こういうシチュエーションで、各自があれと同じタンクを自分で背負って、めいめいが自分のジョッキに生ビールを自分で補充しながら青空宴会できたら、誰の手も煩わせないし、背中には、それこそ売るほどマイビールを確保しているわけだし、すごく楽しいことになりそうだなぁ、とボンヤリ夢想した。

ぼくとK山さんは用があったので早めに帰ったが、他のみんなはその後Mさんの店で終電までカラオケを楽しんだらしい。
チームニシムラの活動を核に、セーリングが大好きな人たちの輪が広がっていくのは、とてもうれしいことだなあ。
お台場でのチームニシムラのセーリング体験イベント、次回は7月4日午後開催の予定です。


[photo by H.Minoda]
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