2月5日の第3便。ブラジルの悲劇とは

2006年02月05日 | 風の旅人日乗
2月5日 日曜日 メルボルンから本日の第3便。

写真は、昨日のレースのスタート10秒ほど前のシーン。

ヨットレースにあまり興味のない皆さんに説明させていただくと、スタートラインは、写真手前に浮かんでいる白いヨットのマストと、写真ではそのずっと右上に浮かんでいる白いマーク・ブイ(ちょっと見えにくいかも)の間を結ぶ架空の線が、このレースでのスタートラインです。

この後、加速のタイミングが早すぎた『ABN AMRO2』(一番リミットマーク寄り、つまり一番遠くにいる艇)と、その風上側(つまり、ひとつ手前側)にいる『エリクソン』がリコール(フライング)した。

このレースでのスタートラインは、風向に対して完全に直角ではなかった。コースサイド(写真の右側)に向って右側(つまり白いヨットの側)が有利なスタート・ラインになってました。
だから、スタート・ラインの、白いヨットに近い側からスタートすると、スタート後に、他艇に対して有利な位置を取ることができる。

その一番有利な位置からスタートしようとしているのが、写真で一番手前にいる、ポール・ケアード操る『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』。

しかし、スタートは、いい位置からスタートしただけでは片手落ちです。
スタートの瞬間にトップスピードでラインを切ることが大切なこと。
スタートの瞬間にラインを切るのと、1,2秒、ラインを飛び出すのが遅れても、トップスピードでスタートすることとで、どちらを優先させなければいけないかと言うと、トップスピードでスタートすることのほうだ。
もちろん、トップスピードで、一番有利な位置で、ジャストのタイミングでのスタートが、ベスト・オブ・ベストのスタートだけど、この3つが揃ったスタートはいつもいつもできるわけではないし、特に1番有利な位置にこだわり過ぎることは、失敗の危険と隣り合わせだ。

ヨットレースにおいていいスタートとは、スタートの瞬間に他艇よりも頭を出しておくことではなく、スタートして30秒~1分後に、他艇よりも頭を出しているようなスタートを指す。

『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』は最高の位置取りに成功し、ジャストに近いタイミングでスタートしたものの、ラインへのアプローチで加速することには失敗した。スタートの3つの要素のうちで一番大事なスピードがなかった。

これに対して、スタート2分後にトップの位置に出ていたのは、一番有利な位置ではなかったものの、有利な側に近い位置から、スピード豊かに、しかもほぼジャストのタイミングでスタートラインを飛び出した『ブラジル1』だった。

しかしスタートで勝った艇が、レースに勝つとは限らない。

このスタートの写真でも明らかなように、他の艇から遅れて、2列目からのスタートになってしまい、スタートに失敗したとも言っていい『ABN AMRO1』(写真では、左端。みんなの後ろにいて、割り込む隙間がなくて困っている)が、このレースを制した。

さて、『ブラジル1』の昨日のレースでのトラブルの話。

第2風上マーク手前で、タック直後に突然失速(昨日の日記参照)して、『ABN AMRO1』に抜き去られた理由が分かりました。
そのタッキングのために、カンティング・キールを左から右に動かしていたら、油圧で駆動しているそのシリンダーにオイルを送り込むパイプが突然破れたのだ。
5トン近いキールを駆動中なので、油圧パイプには当然すごいプレッシャーが掛っているわけで、それが破れたのだから、オイルがすごい勢いでほとばしり、船内全体が油まみれになったのだそうだ。

それでまず、キールが動かせなくなり、艇速が落ちて『ABN AMRO1』に抜かれた。
次なる問題は、風上マークで揚げるためにバウハッチの下で用意していたジェネカーも油まみれになったことだ。油に浸ったセールは自分自身に粘り付き、ベトベトの状態になった。
ホイストしてはみたものの、粘って重いセールのシートが引けない。
それで、ジェネカーは提灯のように捻じれてしまい、開かない。
周りをどんどん後続艇が追い抜いていく。
仕方なく、一度降ろして捩れを取ろうとしたものの、油でベトベトのセールはまったく解けようとしない。
それで、仕方なく、油の被害から免れていたフラクショナル・ジェネカーを揚げて、最下位まで落ちるのを凌いだ、というストーリーだったのだそうだ。
ケープタウンから休みなく働いているというのに、本当にお疲れ様だ。

その『ブラジル1』は今日午後から上架中だ。
噂によると、新しく作ったマストのリギンの長さが長過ぎたのだそうだ。
ボルボ・オープン70のリギン(フォアステイ、サイドステイ、バックステイ類)は、すべてPOBという繊維でできている。構造上、長さ調節のためのターンバックルを入れることができない。デザイナーが決めた長さピッタリに作られてなければ、そのリギンは使えないのだ。新しく最初から作らなければならない。

PBOリギンは非常に高価で、ボルボ・オープン70の場合、リギンだけで約3000万円くらいする。300万ではなく、3000万だ。マストやスプレッダーを含まない、リギンだけの値段です。驚きですね。

というところで、唐突な尻切れトンボだけど、今日はここでおしまい。


グラント・ワーリントン、41歳

2006年02月05日 | 風の旅人日乗
2月5日 日曜日 メルボルン

写真は、ボルボ・オーシャンレースに参加している唯一のオーストラリア艇のオーナー・スキッパー、グラント・ワーリントン、41歳。メルボルンのデベロッパー。
世界一周レースに出たいという夢をついに実現させたけど、今回はちょっと資金的に苦戦中。でも、ガッツの塊、かつセーリングが飯よりも好きと言う実業家セーラーだから、今回の苦戦を糧に、次の大会ではかなりのチームに仕上げて出てくるはず。

そのグラントの艇は、現在はブルネイというオランダの人材派遣会社(特にプロジェクトマネージャー・レベルの人材に特化した人材派遣で成功した企業だと聞いています)のスポンサードが決まり、『ブルネイ』と名前を変えたのだが、その『ブルネイ』に朝早くから乗せてもらった。

『ブルネイ』は、メルボルンからブラジルまでの第3レグ、ブラジルからアメリカのボルチモアまでの第4レグを欠席する。
なぜか。

それは、このまま、今現在の艇の状態でレースを続けても勝ち目がまったくないからだ。
勝ち目がないからレースから撤退するのではなく、2ヶ月近くをかけて徹底的に艇を改造して、それからレースに復帰する作戦だ。

ニューヨークを経由してボルチモアからイギリスに渡る第5レグは、大西洋横断記録もかかるし、その次の第6レグのフィニッシュは、新しいスポンサー『ブルネイ』の地元だ。そこで好成績を収めれば、スポンサーとしても効果が高い。
それで、それらのレグで、華々しい成績で復活することに賭けよう、ということになったのだ。
落ち着いた、前向きで、大人の判断をするスポンサーだし、チームだと思う。

『ブルネイ』は現在最下位だが、なんと言っても、超新世代のモノハル艇と言われているボルボ・オープン70クラスである。船内、デッキには、様々な新しい装備がふんだんに備わっていて、「ははあ、なるほど」とか「へー、そうか」と驚くことばかりで、何時間セーリングしても飽きることがない。
カンティング・キール艇のセーリングの詳細や、その他、いろいろ面白い情報をもらった。

今回は(いつもかな。でも今回は特にひどい)、成田に行く時間が迫ってきて、慌てて1時間で荷造りをして家を飛び出したので、いろいろ忘れ物をしていて(パンツも忘れた。はいてきた1枚を夜洗濯して朝また半乾きをはいてます)、写真をパソコンに取り込むことができないので、帰国後に追って載せますが、セーリング中にいろんな新しい艤装、工夫の写真を撮ったよ。

ここで、一休みして、ちょっと別件の秘密の仕事に行ってから、その後、まだ時間があったら、昨日の『ブラジル1』の失速の原因について書こうかと思います。

Fe.5 2006 ブラジル無念

2006年02月05日 | 風の旅人日乗
2月5日 日曜日 メルボルン

さあてと、ボルボ・オーシャンレースのメルボルン・イン‐ポート・レースの報告の続きです。
どこからだったかな。
そうそう、第1風下マークで、『ブラジル1』がジブを絡めてジブシートを引けなくなってしまい、『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』に追い上げられている、というシーンでした。

そのときに16ノット前後まで上がっていた風は、さらに上がる傾向を見せていた。
なのに、3位回航の『ABN AMRO1』も、6位と遅れている『ABN AMRO2』も、この2隻だけがオーバーラップジブ(つまり、面積が大きいわけですね)を、迷う気配もなく揚げていて、一向に苦しそうな(オーバーヒールしたり、メインがバタついたり)様子がない。余裕たっぷりで走っている。

ここで、3週間ほど前に、ヨーロッパのスロベニアでセーリングしながら(1月10、11日あたりの日記参照してください)でラッセル・クーツから聞いた情報を思い出す。
ラッセル言うには、
「『ABN AMRO』の2隻のキール・バルブは、ほかのファー設計の4隻よりも数百㌔重いらしいぞ。」
とのこと。

『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』のプログラム・マネージャーのキモ・ウエリントンによると、キールバルブの重さが100kg違うと、例えば南アフリカのケープタウンからメルボルンまでのレグでは、予測される風向風速をインプットしたコンピュータによるシミュレーションによれば、同じ船型の船でもフィニッシュ・タイムが12時間ほど違うらしい。
もちろん、重いキールバルブのほうが12時間早くフィニッシュする、とコンピュータが言っているのだそうだ。

メルボルンの到着時間で、3位の『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』は1位の『ABN AMRO1』に約2日、48時間遅れてフィニッシュした。キールバルブの重さだけのファクターでみれば、コンピューターは400キロ『ABN AMRO1』のほうが重いと言っているかのようだ。
しかも、今回このレグは、スタート直後の2日間と、フィニッシュ前の数日間、通常では考えられないような無風・微風に見舞われている。そういうコンディションでは、重いキールバルブは逆に負の要素になる。もし、このレグで通常どおりの強風が吹きつづけていれば、『ABN AMRO1』の優勝タイムはさらに圧倒的だった可能性がある。

しかし、もし、『ABN AMRO1』のキールバルブが、ラッセルの言うとおりに他よりも重いとして、ボルボ・オープン70の厳しいボックス・ルールの中で、どのファクターを、どのように操作してその重さを引っ張り出してきたのだろうか。
明後日、火曜日に『ABN AMRO1』スキッパーのムース(マイク・サンダーソン)とゆっくり話をすることになっているので、聞いてみよっと。

ニュージーランドのセーラーの間では、マイク・サンダーソンと言っても誰も知らない。ムースのことは、あだ名のムースでしかほとんど知られてません。おそらく、お父さんお母さん以外、誰も知らないのではないだろうか。
このレースに優勝して、世界のメジャー・セーラーになれば、ニュージーランドでも本名が知られるようになると思うけど。
ムース(へら鹿)って動物の顔、知ってますか? とっても人の良さそうな、かつ、かなり特徴のある顔の動物です。知ってたら、町中でマイク・サンダーソンに会ったら「あ、あの人がムースだ」ってすぐ分ると思います。
セーラーとしてこんなにすごいとは思ってなかったけど、人間としては、間違いなく、ものすごくいい奴です。

で、そうそう、『ブラジル1』の危機でした。
ぼくはここで当然、次の第2風上マークでは、ポール・ケアードの『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』がトップに来ると思ってました。
カリビアン、来ませんでした。

第2風上マークでトップに来たのは、パフで18ノットくらいまで吹き上がってきた風の中を、大きなジブで余裕で走って来た、ムース率いる『ABN AMRO1』。
すげー、速い。
危なげないクルーワークもあって、もう1ラップ、コースを周回するうちに、『ABN AMRO1』はさらにグイグイ後続を引き離して、ダントツのトップ・フィニッシュ。
すごい。15ノット越えると、無敵のボート・スピードだ。

昨年11月、スペインのサンセンソでの、超微風で行なわれた最初のレースでビリ(そのレースに参加しなかった1隻を別にして)を取ったときには、「ムース、やっぱりダメじゃん。頑張れよ」って感じだったけど、今日のレースの勝ちで、『ABN AMRO1』は総合ポイントで圧倒的優位に立ったし、
しかも、15ノット以上の風での、この艇速の差は、半端じゃない。無敵のスピードだ。
艇速がいい上に、ワッチ・キャプテンのマーク・クリスチャンセン以下のクルーもよくまとまって強い。
マストが折れたりとかいった大きなトラブルが今後の3,4レグで起きない限り、VOLVOOCEAN RACE 2005-2006の優勝にかなり近いところに来ていると思う。

ムース、すごいなあ。
ニュージーランドのオークランドの、水曜日の夕方のハーバー・レースでさえ、なかなか勝てなくて、いつもビール飲み飲み、弱々しい笑顔で悔しさを隠していた、あのムースがなあ。ボルボ世界一周レースの優勝スキッパーになる日が近いのか。
くそったれ!、ムース。

応援していた『ブラジル1』は、第2風上マーク直前で、スターボードへのタック直後に、いきなり、なぜか突然、失速。その間にムースから風上を突破されてしまうものの、そのマークをなんとか2位で回った。
しかしその後、ジェネカーを揚げるときにツイストさせて破ってしまい、そのトラブルに対応している間に5位にまで落ちてしまった。

艇のスピードが非常に速いボルボ・オープン70クラスでは、マーク回航の失敗や、セールのトラブルなどがあると、トップから最下位近くまであっと言う間に落ちてしまう。ちょっとしたミスが、とんでもない距離差になってしまう。レース結果における天国と地獄が、いつも隣り合わせだ。
こんなに緊張するセーリングを南氷洋を爆走している間ずっと、こいつらはやってるんだなあ。大したもんだなあ。

さて、上位6艇はこういうレースを展開してましたが、もう1隻も走っています。友人のジェフ・スコットも乗っています。
その7隻目、唯一の地元オーストラリア艇『ブルーネル』は、第1風上マークを、スタートで大きく遅れた『エリクソン』の少し前を回った以外、他の6隻に、コンスタントにどんどん離されてました。気の毒だった。

この艇は、レグごとにスポンサーが降りてしまい、そのたびに新しいスポンサー名に艇名が変わるので、しかも新しいスポンサーはいつもレースの直前になってやっと決まるので、レース当日にこの艇のことをどう呼んだらいいのか、ほとんど誰にも分らない。おそらく乗っているクルーたちも、その日に着るTシャツが配られるまでは、自分の船の名前を知らないんじゃないだろうか。いやいや、それは言い過ぎか。

この日のレースでも、ラジオの実況中継があって、アナウンサーは各艇のスポンサーを重んじて、『パイレーツ・オブ・ザ・カリビアン』のような長い艇名でも、常に几帳面にフルネームで呼んでいたのに、肝腎の自国艇については『ブルーネル』という名前を覚えきれなかったようで、時々「オーストラリアン・ボートはさらに遅れていっているようですね。」と、突き放したように、簡単に端折って伝えていた。

今日はこれから、そのオーストラリアン・ボートに乗せてもらってセーリングです。
オーナー・スキッパーのグラント・ワーリントンの機嫌が良さそうだったら、なんでこんなに遅いのか、理由を聞いてみようかな。
いや、やめとこう。
グラントの、捲土重来を期した次の挑戦への意気込みを聞いたほうが、遥かに建設的だ。

あと、昨日の『ブラジル1』の失速の理由が、今朝の取材で明らかになったので、追って報告します。