押井守 著 「勝つために戦え!〈監督篇〉」を読了。
通勤時と昼休みしか読まない割にはあっという間に読めました。
押井守監督が、“監督という職業人にとって勝利とは”をテーマに、古今東西様々な監督をバッサリと批評していくこの本。
全編に押井監督らしいビジョンが広がっていて、ファンであれば非常に楽しく読めます。
そしてその上で映画に興味があれば、引き合いに出される作品や監督の作風等への言及に膝を打つこと多々。
他には押井監督がある監督について自分と同じような評価をしている話を読んで納得したりなど、非常に勉強になりました。
まあ、押井監督の一方的な見解の本なので偏っているかもだけどねw
個人的にはジェームズ・キャメロンについて語った回、ヴィム・ヴェンダースとデヴィッド・リンチについて語った回、樋口真嗣について語った回が面白かったかな。
キャメロンの回では「アバター」を観て敗北を宣言。
デヴィッド・リンチを「巨大な変態」(w)と呼び、樋口真嗣に愛の拷問にかけたいと言う。
言うことが本当に好き放題なんだけど、でも全てが押井理論の中にある非常に論理的解釈で語られているので、呼んでいる方は妙に納得してしまうんだなあ。
さて、この本のヒッチコックの回で最近の演出家が古典映画を観ないことについて言及しているんだけど、俺は読んでいてそこで何か引っかかりました。
以下、引用
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- アニメの演出家はみんなヒッチコックを見ているんですか?
押井 今の演出家は見てないと思う。だからダメなんだよ(笑)。要するに、これまでのアニメーションのカット割りをまねているだけだもん。
- 模倣の模倣ということですね。
押井 ちゃんと古典からコピーしろよ、って話なの。古典からコピーすれば、色々進化して発展する余地もある。派生物から派生物をコピーしたって劣化コピーになるだけ。
<中略>
押井 あんまり小言ジジイみたいなことは言いたくないけどさ、いまの若い演出家って基本的に全然映画を勉強しないんだもん。映画をあまり見てないし。アクション映画とかSF映画とかはしこたま見てるんだろうけどさ、サスペンスを学ぼうとかさ、そういう気は全然ないんだもん。だからやろうとしてもできない。
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引用終わり(P270~P271)
何でこの文章が引っかかったのだろう…と少し考えてたら思い出した。
つい最近、似たような事を書いている本を読んだんですね。
キネ旬ムック 「PLUS MADHOUSE 1 今敏」
以下、引用
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■若い人は今監督の持っている知識を拝借にこないと?
来やしませんよ。もうたいていの方々が「オレ様」ですから(笑)。私の知識やノウハウの程はともかく、若い子よりはふんだんに蔵している。話についても絵についてもね。業界の若い子たちにそれを少しでも伝えたいと思っても、若い子はまず映画を観ない。映画を観なきゃ、本も読まない人が大半です。それで、演出家だのシナリオライターになりたい、って、笑止千万ですよ。自分の引き出しの中身を増やしもしないで、「いつか羽ばたく日」を夢想しているんだから世話ないです(笑)。
<中略>
数少ないアイデアを「これこそ、自分のやりたいものだ」とか思いこんじゃって、身動きが取れなくなってる「アイデアの不自由な人」が実に多い。アニメだけ見てアニメを学んだ気になってる人なんかもね。それだと従来のアニメの縮小再生産につながりやすいし、違う分野やジャンルからアイデアを持ってくるからこそ、力になると思うんですけどね。
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引用終わり(P62)
押井監督('51年生まれ)と今監督('63年生まれ)は年齢で言えば一回り違う人だけど、同じく世界から評価される作品を生み出した人で、その二人が若い演出家に対して「映画を観ないこと」に対する全く似たような憤りを感じているのが非常に興味深い。
言わんとするところは、まさに論語の「故きを温ねて新しきを知らば、以て師と為すべし」だろうか。
きっとこの二人はそうして勉強して努力したから世界に認められたのだろう。
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