雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

給食その後。

2007年05月18日 | 「発達障碍」を見つめる眼
障担K先生と2人で給食室へ行って、好きなものを食べたいだけ
取るやり方を始めてから、ちびくまの給食に対するプレッシャーの
ようなものはかなり和らいだようですが、まだ交流級へは行かず、
障碍児学級の教室でK先生と2人だけで食べる生活は続いています。

そんな中、「好きなものだけでいいよ。嫌いなものは残していいよ」と
K先生が毎日念押ししてくれるにもかかわらず、少しくらい嫌いなものが
入っていても、取ったものはきれいに食べようとしたり、
嫌いなおかずでも少しくらいはとってみようか、という
自発的な努力が見えてきました。

そして、食べた後の食器は交流級である1年1組の教室まで
返しに行っているようです。
これは、ずっと障級の教室で過ごしていても、交流級との縁が
全く切れてしまわないように、との配慮だと思います。
食べる前に交流級に行くのではなく、食べた後で交流級に行く、という
選択がナイスです。

さて、今日のメニューはちびくまの大好きなカレーライスでした。
でも、嫌いな人参と、大嫌いなグリンピースが入っています。
最初はグリンピースと人参をよけて入れようと頑張ったちびくまですが
ついに諦めて、がばっとお皿に入れました。

そして、食べおわったあとK先生に
「グリンピースだけは残したよ」と伝えたのだそうです。
人参は、頑張って食べました。

つまり、ちびくまは「嫌いなものが入っているときにどうするか」を
自分で考え、「人参は頑張って食べるけれども、グリンピースは
残す」という行動を自分で決め、それをきちんと自分を支援して
くれる人に伝えたわけです。
先生から言われて、2つや3つ食べられるおかずが増えることと、
こうした自己決定・自己責任と実用的なコミュニケーション能力を
育てること、これからちびくまが生きていくうえで
本当に大切なのはどちらでしょうか。

K先生は「自分の思いを伝えてくれたことが嬉しかった」と
連絡帳に書いてくれました。私は先生がそう書いてくれたことを
嬉しく思いました。

最近「食育」ということがよく言われます。
ちびくまが「完食」にこだわって却って給食が食べられなくなるという
経験をしてから改めて気が付いたのですが、子どもの周りには
「食べ物を残すな」「何でも食べろ」というメッセージが
なんと多いことでしょう。

・・・でも、大人は本当に何でも食べていますか?
好き嫌いの全くない人、食べ物を決して残したことのない人は
どれだけいますか?

食べ物の由来を知り、食べ物があることや食べ物を作ってくれる人に
感謝の念をもつこと、食べ物を大切にし、無駄にしないことと
「偏食をなくすこと」「給食を完食すること」とは
必ずしもイコールではないと私は思うのです。

「偏食をなくさなければ、社会で通用しないから」と
これまで当たり前のように言われてきたことを、もう一度
「この子にとって本当に利益になり、大切なことはなにか」を
「その子の視点に立って」見直してみる謙虚さが支援者の側にない限り

偏食がほんの少しましになる代わりに大切なものを奪われてしまう子どもは
実はちびくまの他にも沢山いるのではないか、と思っています。








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