今日は月に一度の動作法の訓練会。
トレーニーの子どもたちは下は3年生から上は19歳まで8人、
それにスーパーバイザーの先生が2人、あと指導や勉強に来てくださる
先生方が数名、先生たちは全てボランティアです。
この春から、スーパーバイザーの先生が、勤務先の養護学校の
若い先生たちにも声をかけて、新しく来てもらえるように
誘ってくださいました。
今日、ちびくまと訓練室に入ると、中に既に座っていた
初参加の若い女性の先生が「あっ」と声を上げました。
「ちびくまくん、すごく大きくなってる~」
実はこのF先生、ちびくまと私がアメリカから帰国した2000年に
今も通っている教育大にお世話になるようになったとき、
そのゼミの院生1年生だったお嬢さんなのです。
修士課程を終了後、別の県で養護学校の先生になり、
今回郷里の兵庫県で採用になって地元の知的障碍養護学校に
着任されたのでした。しかも、M小でちびくまを3年生から5年生までの
3年間担任してくれたK先生と同じ学校、同じクラスの担任。
世間って本当に狭いんですね。
さて、訓練が始まると、親子でそれぞれ訓練を進めながら
要所要所で先生方の指導を受けます。
ちびくまにも、M先生が指導をしてくれ、その間も
F先生はちびくまの様子を近くで観察していました。
「どうや、ちびくまくん、これはきついか?」
「ううん、だいじょうぶ」
「じゃあ、こうしたらどうや?」
「あっ、きつい」
「そうか、これはきついか、でもちょっとがんばってみよか」
「はい、がんばってみます」」
そんなやりとりをしながら訓練をすすめるちびくまとM先生の様子を見て
F先生は「すっご~い、別人みたい~」。
それもそのはず、F先生が知っているちびくまは、まだほとんど
日本語が通じず、発語もほとんどが英語で、しかも独り言のようなものが多く、
課題に誘っても反応がなかったり、途中で逃げ出したり、
そもそも教室に入ろうとしなかったり、という状態だったのですから。
言語指示に従うことは皆無ではなかったけれども、言語で相手と
「やりとり」をしながら行動できるようになる、とは、当時の彼の姿からは
ちょっと想像できなかったに違いありません。
ごく限られた場面でごく限られた相手に対して要求を伝えるだけだった
ちびくまの言葉がぐんと伸びたのはやはり小学校に入ってからです。
マンツーマンで、決して強くない発信をしっかり受け止めてもらい、
語彙もコミュニケーション能力も驚くほどの成長を見せたのです。
今、ちびくまの周りに、彼が話し言葉を持たなかった頃や
日本語を理解しなかった頃があったことを実際に知る人はほとんどいません。
「どうりでK先生と私と話が食い違うはずですよ~。私、そろそろ
ちょっとくらいおしゃべりができているかな、と思ってK先生に訊いたら
『ぺらぺらしゃべってますよ、会話ができますよ』って言うし~。
なんだか私の記憶にあるちびくまくんとは、完全に別人ですよね。
すごいな~、こんなに伸びることがあるんですね」
ちびくまの昔話や、懐かしいK先生やお友だちのお子さんの近況などで
すっかり盛り上がり、訓練が終わった後も楽しくおしゃべりしてしまいました。
親は毎日子どもを見ているので、子どもがどれだけの進歩を遂げてきたのか
忘れて、愚痴や不満が出ることがあります。
でも改めて我が子の「来し方」を見直させてもらって、また新たな気持ちで
息子の成長をこれからも応援していこうという気持ちになることができました。
こうして、ちびくまの「応援団」は、1人また1人と輪が広がっていきます。
トレーニーの子どもたちは下は3年生から上は19歳まで8人、
それにスーパーバイザーの先生が2人、あと指導や勉強に来てくださる
先生方が数名、先生たちは全てボランティアです。
この春から、スーパーバイザーの先生が、勤務先の養護学校の
若い先生たちにも声をかけて、新しく来てもらえるように
誘ってくださいました。
今日、ちびくまと訓練室に入ると、中に既に座っていた
初参加の若い女性の先生が「あっ」と声を上げました。
「ちびくまくん、すごく大きくなってる~」
実はこのF先生、ちびくまと私がアメリカから帰国した2000年に
今も通っている教育大にお世話になるようになったとき、
そのゼミの院生1年生だったお嬢さんなのです。
修士課程を終了後、別の県で養護学校の先生になり、
今回郷里の兵庫県で採用になって地元の知的障碍養護学校に
着任されたのでした。しかも、M小でちびくまを3年生から5年生までの
3年間担任してくれたK先生と同じ学校、同じクラスの担任。
世間って本当に狭いんですね。
さて、訓練が始まると、親子でそれぞれ訓練を進めながら
要所要所で先生方の指導を受けます。
ちびくまにも、M先生が指導をしてくれ、その間も
F先生はちびくまの様子を近くで観察していました。
「どうや、ちびくまくん、これはきついか?」
「ううん、だいじょうぶ」
「じゃあ、こうしたらどうや?」
「あっ、きつい」
「そうか、これはきついか、でもちょっとがんばってみよか」
「はい、がんばってみます」」
そんなやりとりをしながら訓練をすすめるちびくまとM先生の様子を見て
F先生は「すっご~い、別人みたい~」。
それもそのはず、F先生が知っているちびくまは、まだほとんど
日本語が通じず、発語もほとんどが英語で、しかも独り言のようなものが多く、
課題に誘っても反応がなかったり、途中で逃げ出したり、
そもそも教室に入ろうとしなかったり、という状態だったのですから。
言語指示に従うことは皆無ではなかったけれども、言語で相手と
「やりとり」をしながら行動できるようになる、とは、当時の彼の姿からは
ちょっと想像できなかったに違いありません。
ごく限られた場面でごく限られた相手に対して要求を伝えるだけだった
ちびくまの言葉がぐんと伸びたのはやはり小学校に入ってからです。
マンツーマンで、決して強くない発信をしっかり受け止めてもらい、
語彙もコミュニケーション能力も驚くほどの成長を見せたのです。
今、ちびくまの周りに、彼が話し言葉を持たなかった頃や
日本語を理解しなかった頃があったことを実際に知る人はほとんどいません。
「どうりでK先生と私と話が食い違うはずですよ~。私、そろそろ
ちょっとくらいおしゃべりができているかな、と思ってK先生に訊いたら
『ぺらぺらしゃべってますよ、会話ができますよ』って言うし~。
なんだか私の記憶にあるちびくまくんとは、完全に別人ですよね。
すごいな~、こんなに伸びることがあるんですね」
ちびくまの昔話や、懐かしいK先生やお友だちのお子さんの近況などで
すっかり盛り上がり、訓練が終わった後も楽しくおしゃべりしてしまいました。
親は毎日子どもを見ているので、子どもがどれだけの進歩を遂げてきたのか
忘れて、愚痴や不満が出ることがあります。
でも改めて我が子の「来し方」を見直させてもらって、また新たな気持ちで
息子の成長をこれからも応援していこうという気持ちになることができました。
こうして、ちびくまの「応援団」は、1人また1人と輪が広がっていきます。
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