自他共に認める「べたべた仲良し親子」の息子と私。
息子は元々かなり触覚過敏のきついタイプだったのですが
なぜか赤ちゃんのころから私にくっつくのは大好き。
特に不安になったり眠くなったり甘えたりするときには
私の頬を両手でぺたぺたと触るのが彼の癖です。
元気はつらつな時には、それでも一歩家の外へ出ると
少し離れて歩いたり、学校で会っても知らん顔をしていたり
「フツーの中坊」らしい顔を見せる息子ですが
(今年の夏は「おかあさんと2人でプールに行こうか」と誘っても
「うーん、いいです」と断られるに至りました)
中2になった今でも、声高に騒ぐ子どもが近くにいたりして
感覚的に辛くなると、体全体でくったりと寄りかかってきたり
抱きついてきたりするので、傍目にはちょっとやばいかも(汗)。
言葉の面でも、まだ彼が乳飲み子だったころから毎日意識的に
「ちびくまくんはいい子だね」「ちびくまくんは可愛いね」と
声をかけていましたし、布団に入ると必ずと言っていいほど
「おかあさんはちびくまくんが大好きだよ」
「ちびくまくんはおかあさんの宝物だよ」
と言い続けていましたから
最近では
「おかあさんは・・・」と言うと「ぼくのことが好きなんだよね」
「ちびくまくんは・・・」と言うと「お母さんの宝物だね、知ってるよ」
と先取りされるようになってしまいました。
そして、思春期を迎えて少々生意気になってきてからも
毎日「ぼくはおかあさんがいっぱい好きだよ」と言ってくれる
息子なのですが、最近なぜかその頻度が増えてきています。
「ぼくは朝でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは車に乗っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは○○のお店でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはごはんを作っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはおやつを食べるときもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはお風呂に入ってもやっぱりお母さんが好きだよ」
・・・その「やっぱり」ってなんなんだ・・・
どうしてこういう風になるのかよくわかりませんが
2人きりになると必ずこう言う息子が
こそばゆくも嬉しい私は、当分子離れのできない母親になりそうです。
息子は元々かなり触覚過敏のきついタイプだったのですが
なぜか赤ちゃんのころから私にくっつくのは大好き。
特に不安になったり眠くなったり甘えたりするときには
私の頬を両手でぺたぺたと触るのが彼の癖です。
元気はつらつな時には、それでも一歩家の外へ出ると
少し離れて歩いたり、学校で会っても知らん顔をしていたり
「フツーの中坊」らしい顔を見せる息子ですが
(今年の夏は「おかあさんと2人でプールに行こうか」と誘っても
「うーん、いいです」と断られるに至りました)
中2になった今でも、声高に騒ぐ子どもが近くにいたりして
感覚的に辛くなると、体全体でくったりと寄りかかってきたり
抱きついてきたりするので、傍目にはちょっとやばいかも(汗)。
言葉の面でも、まだ彼が乳飲み子だったころから毎日意識的に
「ちびくまくんはいい子だね」「ちびくまくんは可愛いね」と
声をかけていましたし、布団に入ると必ずと言っていいほど
「おかあさんはちびくまくんが大好きだよ」
「ちびくまくんはおかあさんの宝物だよ」
と言い続けていましたから
最近では
「おかあさんは・・・」と言うと「ぼくのことが好きなんだよね」
「ちびくまくんは・・・」と言うと「お母さんの宝物だね、知ってるよ」
と先取りされるようになってしまいました。
そして、思春期を迎えて少々生意気になってきてからも
毎日「ぼくはおかあさんがいっぱい好きだよ」と言ってくれる
息子なのですが、最近なぜかその頻度が増えてきています。
「ぼくは朝でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは車に乗っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくは○○のお店でもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはごはんを作っててもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはおやつを食べるときもやっぱりお母さんが好きだよ」
「ぼくはお風呂に入ってもやっぱりお母さんが好きだよ」
・・・その「やっぱり」ってなんなんだ・・・
どうしてこういう風になるのかよくわかりませんが
2人きりになると必ずこう言う息子が
こそばゆくも嬉しい私は、当分子離れのできない母親になりそうです。
逆に自分が不安定なので「すきだよ」と言って貰いたいとか、単に充足感を表現したいとか・・・
年齢的に母親と距離を置くべき年齢だという事を自覚しはじめて、本来の意味をもって「やっぱり」と言っている可能性もありますよね。色々な発達の遅れから年齢より幼く扱ってしまいがちですけど、年齢相応に発達していてそれらしく振舞いたいという気持ちも確かにあるのでそれを見逃さずに適切に対応するのは結構難しいですね。
息子に怒られる 映也の父