掲示板のほうで、たぶんまだ子どもさんが自閉症の
診断を受けたばかりなのだろう若いお母さんと
やりとりをして、ふと考えました。
息子が自閉だったことで、私が失ったもの、そして
得たものはなんだったのだろう、と。
《失ったもの》
・それまでのママ友の大部分(まあ、結局、一緒の幼稚園に通っているとか
家に呼び合って一緒に遊べる、というだけでつながっていただけなのかも)
・夫との友好関係(爆)
・息子を一流私学中・高から一流大学に入れ、一流企業に就職させよう、という
野望(笑)
・せっかくのアメリカ駐在中に、アメリカ各地を旅行する機会
・同じく駐在中に、現地の大学院へ進学する機会
・どっかの企業にフルタイム正社員として再就職する夢
・健常児・者は障碍児・者より優れている・恵まれているという思い
・7号と9号の洋服(爆)
《得たもの》
・息子をキーとした、沢山のお母さん仲間、当事者の方々、学校の先生を
はじめとする支援者の方々との出会い。
特に「ことばと発達の学習室」掲示板での出会いを抜きに、
私のこの7年は語れない。
・発達障碍についての知識。
・パソコンとネットのスキル。
・車とバスについての知識(笑)
・目の前の子どもをつぶさに観察する鋭い(?)眼。
・IQも偏差値も関係なく、何ができてもできなくても
「うちの子が一番!」と満足して暮らせる安らぎ。
・自分が子どもを愛している、そして子どもにも愛されているという自信。
・診断前後に暴飲暴食に走ったために得た10キロの体重(小学校入学後の
ダイエットで、半分は返上しました)
で、結論。
息子が自閉症に生まれてきてくれたおかげで、私は失ったものより
得たもののほうがずっと多かった。
診断直後には自分の失うものにしか眼が行かなくて
とてもそんな風には思えなかったのだけど、
今なら胸張っていえるのです。
「息子が自閉症でよかった」と。
自閉症で良かった、というより、息子が生まれてきてくれて、
生きていてくれてよかった、と言うほうが正確かもしれない。
今日、夕方一緒に買い物に出かけた帰り道、息子が
「ぼくは雨が嫌い。市民会館が嫌い。インターホンが嫌い」と
嫌いなものを挙げつづけるので
「じゃあ、ちびくまくんが好きなものは何かな?」と訊くと
彼はこう答えました。
「あのね、おかあさんだよ」
私も、子どもが自閉症ならもう2度と自分は幸せに
なれないと思っていた。
未来が怖くて、何度も息子と一緒に逝ってしまおうと思った。
でも、今なら、あの時、一線を越える方向に私の勇気を使わなくて
本当に良かったと思えるから
彼女にも何とかこの一番辛い時期を乗り越えて欲しい、と思います。
せめて一線だけは越えないで欲しい、と思うのです。
嵐の日には見えないけれど、雲の向こうには
いつも青空があるのだから。
彼女のことを心配して、何度も見に来てくださる皆さん、
一生懸命書き込んでくださった皆さん、ありがとう。
親の辛い気持ちの書き込みを読んで、辛くなっているだろう
当事者の皆さん、ごめんなさい。
どうか皆さんのやさしい気持ちが、熱い思いが、
閉ざされた彼女の胸に届きますように。
今すぐでなくていい、いつか彼女の凍りついた心を
溶かしてくれますように。
診断を受けたばかりなのだろう若いお母さんと
やりとりをして、ふと考えました。
息子が自閉だったことで、私が失ったもの、そして
得たものはなんだったのだろう、と。
《失ったもの》
・それまでのママ友の大部分(まあ、結局、一緒の幼稚園に通っているとか
家に呼び合って一緒に遊べる、というだけでつながっていただけなのかも)
・夫との友好関係(爆)
・息子を一流私学中・高から一流大学に入れ、一流企業に就職させよう、という
野望(笑)
・せっかくのアメリカ駐在中に、アメリカ各地を旅行する機会
・同じく駐在中に、現地の大学院へ進学する機会
・どっかの企業にフルタイム正社員として再就職する夢
・健常児・者は障碍児・者より優れている・恵まれているという思い
・7号と9号の洋服(爆)
《得たもの》
・息子をキーとした、沢山のお母さん仲間、当事者の方々、学校の先生を
はじめとする支援者の方々との出会い。
特に「ことばと発達の学習室」掲示板での出会いを抜きに、
私のこの7年は語れない。
・発達障碍についての知識。
・パソコンとネットのスキル。
・車とバスについての知識(笑)
・目の前の子どもをつぶさに観察する鋭い(?)眼。
・IQも偏差値も関係なく、何ができてもできなくても
「うちの子が一番!」と満足して暮らせる安らぎ。
・自分が子どもを愛している、そして子どもにも愛されているという自信。
・診断前後に暴飲暴食に走ったために得た10キロの体重(小学校入学後の
ダイエットで、半分は返上しました)
で、結論。
息子が自閉症に生まれてきてくれたおかげで、私は失ったものより
得たもののほうがずっと多かった。
診断直後には自分の失うものにしか眼が行かなくて
とてもそんな風には思えなかったのだけど、
今なら胸張っていえるのです。
「息子が自閉症でよかった」と。
自閉症で良かった、というより、息子が生まれてきてくれて、
生きていてくれてよかった、と言うほうが正確かもしれない。
今日、夕方一緒に買い物に出かけた帰り道、息子が
「ぼくは雨が嫌い。市民会館が嫌い。インターホンが嫌い」と
嫌いなものを挙げつづけるので
「じゃあ、ちびくまくんが好きなものは何かな?」と訊くと
彼はこう答えました。
「あのね、おかあさんだよ」
私も、子どもが自閉症ならもう2度と自分は幸せに
なれないと思っていた。
未来が怖くて、何度も息子と一緒に逝ってしまおうと思った。
でも、今なら、あの時、一線を越える方向に私の勇気を使わなくて
本当に良かったと思えるから
彼女にも何とかこの一番辛い時期を乗り越えて欲しい、と思います。
せめて一線だけは越えないで欲しい、と思うのです。
嵐の日には見えないけれど、雲の向こうには
いつも青空があるのだから。
彼女のことを心配して、何度も見に来てくださる皆さん、
一生懸命書き込んでくださった皆さん、ありがとう。
親の辛い気持ちの書き込みを読んで、辛くなっているだろう
当事者の皆さん、ごめんなさい。
どうか皆さんのやさしい気持ちが、熱い思いが、
閉ざされた彼女の胸に届きますように。
今すぐでなくていい、いつか彼女の凍りついた心を
溶かしてくれますように。
私は子どもが3人もいるので、かえってひらきなおってしまっているだけかもしれません。自閉症の子もいるというだけなので、子どもに関する夢(自分が描いていた)も全部失ってしまったというわけではなく、それぞれが補いあってくれたりします。
夫とのふたりきりとときは、ものすごく少なくなってしまったけれど(今は単身赴任中だし)、その分電話でしゃべる時間(週に1回くらいだけど)がとても大切に感じられるし、ごくごくたまには、2人でランチにも行きます。それで、かなり満足です。
今は専業主婦で仕事はしていないけれど、保育士の資格をとろうと思って去年から勉強を始めました。
もし、息子や娘がいなかったら、そんな気持ちにはならなかったと思います。自分の経験を生かした仕事が、もしかしたらできるかもしれません。
女性として異常なんてことはないです。私だって、こんなふうに思えるようになるには、ずいぶん、時間がかかりました。必死でただひたすら子育てしている時は、そんなことを考える余裕もなかったです。
まだまだ、人生はこれからも続いていくはず・・・得られるものは、これからもたくさんあるって思いますよ。ただ、待ってるだけでは無理かもしれないけれど。
そんなことを考える私は女性として異常なのでしょうか?ふとそんなことを考えてしまいました。
得たものは、はかりしれない。
4才の誕生日は素直に祝ってあげられなかったけれど、今は毎年おめでとう!ありがとう!って思います。
小さい頃は、きっと、何もわからなくて辛い不安な日々だったと思うけど、今は笑顔がたくさん見られる。
子どもの成長に救われる日々です。
少し混乱していますが、私は大丈夫です。
私は、とても幸せに生きて来て、素敵な子ども達を授かって、不幸せだとか、辛いとか感じた事がなくって、(困ったな、どうしようはあるけれど・・)彼女の気持ちを思うと、とても申し訳なくなってしまったの・・
毎年、誕生日が来るたびに思うのは「生きててくれてありがとう。私の所に生まれてきてくれてありがとう」
だなぁ・・・
あ、7号と9号の服は取り戻せますわよ(笑)