千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

ハローウィンから 

2023年10月31日 | 徒然の記
今、テレビ等ではハローウィンの話題でうるさい。私の子供時代は勿論、子育ての時代にもハローウィンは全く話題になかつた。
物事が流行ることは世の中に活気を呼ぶことだから悪いことではない。だが、東京渋谷区のバカ騒ぎは地域に迷惑をかけることだしやはり行きすぎだ。その自営として渋谷区では様々な自衛策をとりながら、ハローウィンには渋谷区にはこないでくださいと呼びかけている。
その自衛策には、舗道の中央をフエンスで仕切り一方向の歩行にし、酒類販売の店はシートで囲い酒類の販売をせず、路上の飲酒には指導員がすかさず注意をするという。それに道路上には多数の警察官が警戒にあたる。これほどがんじがらめの規制のある祭りは楽しくない。はずだが、敢えて目立とうとする自己顕示欲の強い人もいると思う。
10月31日は、まだ3時間ほど残っている。明日は、東京渋谷区についてどんなニュースがあるのだろうか。
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茫々の庭   

2023年10月29日 | 徒然の記
つい2ヶ月ほど前まではやり切れない思いの暑さだったが、今日この頃は、夜は軽い掛け布団を、昼は羽織るものが必要になつた。その分、バスの窓から見える景色は秋の風情が見えて楽しい。
剪定された庭も道路沿いにちらほら見られるようになった。ほとんどの家は年1回の剪定となるのだろうか。先日までは、バスの窓から見えた庭はほとんど茫々としていた。
我が家も年1回の剪定をしている。それも茫々とした樹々であっても、例年金木犀の花が過ぎてから剪定をしている。その香りを楽しむためだが、それが2~3日の短い期間しかないのが少し寂しい。先日、その香も過ぎ橙色の花びらが金木犀の根本に散っていた。
明日にでも、いつもの庭師さんに剪定を頼もうと思う。

  葉隠れの木犀の花かほりをる  千字
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入院治療を終えて 

2023年10月26日 | 徒然の記
「慢性炎症性脱隋性脳脊髄膜炎」なる持病の治療で10日間の入院(点滴5日・リハビリ 5日)を終えて、今日退院した。
子供には個人情報を外部に出さないようにと言われているのでブログはスマホからUPして平常を装ったが、UPが精いっぱいで、「千字のおもい」を訪問された人々には失礼があつたと思う。スマホは自分なりに活用していると自負はしていても表面的な操作しかできないのだと再認識している。
今回の入院はリハビリが充実したように思う。今までにない身体のケアの方法(今までの運動を進化させたものや新しい運動)でのリハビリだった。歩行が楽になるような気がするが、自宅で続けていきたいと思っている。その効果は1、2ヶ月後、すなわち点滴の薬効の薄れた頃にわかると思うが、期待しないで待ちたい。
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たごまる

2023年10月24日 | 徒然の記

市の地下鉄に乗り、つり革に掴まると目線の先にポスターがある。北日本の方言と断りがあって「あらー。電車の入口んとこさ、たごまんないでけさい」という言葉のあるポスターだ。「たごまる」を辞書で見ると「たるんで1か所に固まる」という意味になっている。このポスターは電車に乘ったら入口で固まらないで奥にすすんでくださいと言っている。

私が小・中学生の頃.宮城県の県北に住んでいたがこの言葉はよく使っていた。ポスターを見た時、何を言おうとしているかすぐにわかつた。そして、他にどんなふうに使うか、この言葉を使って文を作ってみることにした。次のようなものができた。

「ワイシャツの袖のボタンを閉めないでセーターを着たら、ワイシャツの袖がたごまった」

情景も言葉の使い方も正しいような気がするがどうだろう。

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点滴

2023年10月22日 | 徒然の記
今、インフルエンザの感染は増加傾向にあるそうだ。年寄りが罹患して周囲に迷惑をかけないよう少し早めに予防注射を打ってきた。インフルエンザの予防注射は(コロナワクチンもそうだった)肩の近くの筋肉に無造作に針を刺してくる。
それに比べて点滴をするには、まず静脈を探し当てここぞと決めたら一気に針を突き刺すそうだ。入院のたびに点滴をするが私の腕の血管は細いので看護師泣かせのようだ。1度で針を刺せないことが幾度となくある。この針刺しは経験の数が大事だというから彼女達の成長のためと思い2度まで許すことにしている。3〜4ヶ月ごとに入院するが点滴のみでに痛みがある等苦しいことはない。ただ、下手な点滴をする看護師は勘弁してほしい。


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踵着地

2023年10月19日 | 徒然の記
最近、足の筋力は本当に弱まっている。起立している時間、休まずに歩ける距離は目に見えて短くなった。道路沿いの窓ガラスで歩く自分の姿を見ると歩幅も狭くなったし、足が上がっていない。それに道を歩いていて高低も無いのに、つい踵が地面に引っ掛かること1度ならずあった。
爪先でなく踵だ。歳をとる躓くことが多いというし私も転びはしなかったが躓くことがあった。それ以来、歩く時は歩幅を大きく着地は踵からを意識し、それを身体に馴染せたかった。
外を歩く時は杖を室内は手摺りに掴まりながらそのことを意識して歩いた。それが体に馴染み踵着地になっているのかとも思う。

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正義感も困るときがある

2023年10月17日 | 徒然の記
地球の温暖化による気候の変動が自然の有り様を変えている。その一つが人里へまの頻繁な熊の出没だ。奥山の熊の餌となる木の実の不作もあるらしい。
日光市では宿泊施設の建物内に出没したそうだ。岩手県では女性が襲われ搬送された病院で死亡している。全国で4〜9月の間に109人が被害にあっているという。そのうち秋田県では31人が熊被害にあい、このような中、熊3頭を駆除したという。この駆除に対して、県や町に抗議の電話やメールが殺到し、5日間で数百件というから驚く。人里を徘徊する熊の被害を防ぐために県と町が熟慮の上で行なった駆除で闇雲な殺生ではないはずだ。
抗議の殆どは他市町村かららしいが彼らの正義なんだろう。だが、この人達の正義は熊の恐怖の中にいる人達をどう考えているのだろうか。そのへんを知りたい。
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フレイル     

2023年10月15日 | 徒然の記
最近、フレイルという言葉を見聞きする。調べてみると、厚労省のホームページに次のような文書がある。

加齢とともに心身の活力が低下し、生活機能が障害され、心身の脆弱性が出現した状態である。次の5項目で3項目以上該当するとフレイルという。
 ①体重の減少 ②疲れやすい ③歩行速度の低下
 ④握力の低下 ⑤身体活動量の低下

これは2014年に日本老年医学会というところが提唱したものだというが、フレイル予防の三本柱は、しっかり食べる事、身体を動かす事、社会との繋がりを持つ事とある。横文字で表記され、グラフや図で説明されるとなんか新しい学問のようだが、昔から言われ多くの人が実践している健康法と同じだ。
洒落た言葉より「老後を健康に過ごすために」のほうが、私はなじめる。
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草取りはバーナーで

2023年10月12日 | 徒然の記
バスの窓から見える道路沿いの庭は春と違って樹々は茫々としている。剪定は秋と決めこれからの家が多いのだろう。我が家も年1回の剪定だ。松のみどり摘みはせず、それが茫々となつた秋に、他の樹々と合わせて剪定している。樹々は茫々としているが、地面の部分は石油バーナーで焼くので雑草が見えない。そのため比較的すつきりした庭に見える。
昼前その草焼きをした。年寄りが火を扱うのは周囲を心配させると思い雨上りの日を選んでいる。今日の庭は昨夜の雨で湿っていた。
この庭に、間もなく金木犀の花の香りが漂う。これが終わってから庭師に頼もうかと思っている。
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絵画「農民の家族」 

2023年10月10日 | 徒然の記
ルーブル美術館所蔵のこの絵は見るたびに心引かれる。B4版印刷の手元の画集で見ている。17世紀の農民の暮らしを描いたものだが、華やかな貴族社会にあって農民の生活は貧しく虐げられたものだったと歴史は言っているが、この絵の世界も、食物のない一つのテーブルに大勢の家族が集っている。
登場者を姑、嫁、主、子供たちと想像するが、誰の目線もしつかりとこちらを見据え空腹には見えない凛とした立居だ。背筋を伸ばして座る二人の女性の凛とした姿がとてもいい。家族のために道しるべを作ってリードしていく姑、それを受けて甲斐甲斐しく働く嫁、愚直に働く主人等を想像すると気持ちが暖まる。
犬,猫が描かれているが、私も子供の頃猫を飼っていた。キャットフードもドッグフードもなく残飯や残菜が犬、猫の食べ物だつた。この絵に犬、猫がいることは豊かということではなく、人と心の通い合う家族なのだ。

       
      
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