千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

「小さな村の物語イタリア」を観て

2018年06月28日 | 徒然の記

BS放送で表題のドキュメンタリーが毎週放映されている。イタリアの小さな村の人々の生活を温かい目線でとらえているドキュメンタリーだ。

心に響くメロディーでイタリアの丘または山腹に位置する村を俯瞰する光景ではじまる。
音楽の題名は日本名で「逢いびき」とある。
「逢いびき」という日本名のイメージとは違い、村人の温かな人間関係、温かな生活を思い起こさせる哀愁を帯びたメロディーである。
小さな村で家族、仲間を思いやり自分の村に誇りを持ちながら暮らす村人が描かれている。毎回心洗われる思いで観ている。

ストーリーの展開の中で、信頼しあう老夫婦が肩を寄せ合う映像がしばしば映る。

私は亡くなった妻とこのような写真を撮ることがなかった。
肩を寄せ合うことの照れと形で表さなくてもわかるだろうという自分本位の思いから来るものであった。

イタリアのこの村人のように寄り添う絵が残っていない。
妻に先立たれた今、そのことが悔やまれてしょうがない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伴侶に先立たれた哀しみと死

2018年06月26日 | 徒然の記

退職後ボランティア的に勤めていた仕事仲間と久しぶりに飲み会があった。その時の話題に、一緒に仕事をしていた人が亡くなったことを聞いた。奥さんを亡くし家に閉じ困りがちになり亡くなったのは1年後だそうだ。

その辛さは理解できる。その体験をしない人が思いやってくれるそれ以上の辛さがあるのだ。妻の死に耐えられなくて打ちひしがれることが自分の寿命をも縮めたのだろうか。

20年程前にもこのようなことがあつたことを思い出した。妻を失い哀しみに沈んだあげく亡くなっていった先輩のことである。その先輩への思いを推し量りながら若いなりに作った短歌があつたことを思い出し古いノートを探した

 

短歌 

    妻逝きて寂しきあまり酒浸ると
               聞きし人あり 死にたるという 

 俳句  妻逝きて伏せしとふ夫寒夜に逝く   (最近の句)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裸と裸の会話から

2018年06月23日 | 徒然の記

 二日連続命の洗濯をした。
昨日も「大江戸温泉物語」で湯ったりと過ごしてきた。
ウイークディにも関わらず駐車場には車がいっぱいである。私のように風呂でゆつくりしょうと考える人はたくさんいるのだ。

浴槽の縁で休んでいると隣にいた人が声をかけてきた。
「いつも利用しているのか」とか「どちらに住んでいるか」など他愛のない話題である。

私も「奥さんもご一緒ですか」と尋ねた。すると「私一人ですよ」と妻を連れないのが当然という口調の答えかただった。

私の生前の妻への接し方と似ていた。

ゴルフ、旅行、外食、買い物など一緒に出掛けることは多くあったと思う。しかし、妻を連れずに自分一人でも当然という思いで出かけることもあった。

今になってそれが辛い。

妻が亡くなった今、思い出しては妻と一緒でなかったことを後悔している。もつともっと一緒に出掛ければよかったと。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと解放された気分

2018年06月21日 | 徒然の記

同居人が2泊3日の予定でディズニーランドへ出掛けた。3日間独り居となる。

同居人は勤め人で日中は常にいないのだから、特に変化があるわけではないのだがなんか解放感がある。夕食の用意をしないことも原因の一つか。

そこで、気ままな一日を過ごそうと考えた。そして「大江戸温泉物語」で湯につかったり読書したりと目いっぱいくつろぐことにした。

温泉に着いたのが11時頃、まず風呂に入り、食事をして、そのテーブルで読書を始めたが1時間もしない内に睡魔が来る。すぐさまリラックスルームに移動し昼寝をする。目が覚めてまた湯につかる。
今日は、1日気ままに過ごした。

誰も居ない家に着いたのが6時過ぎていた。

心身の緩んだ感じが心地よい。明日も行ってみようと思う。

 

気ままな一日の証に一句

     薬湯の立札の湯に夏の雲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高齢者講習」受けてきました

2018年06月19日 | 徒然の記

今日、運転免許証更新のための高齢者講習を受講してきた。

その中で認知機能検査というものがありそれが不安であった。

最近物忘れが多くなり、何かの用事のために立ち上がりちょっと寄り道した時に、肝心の用事を忘れることがある。認知症の兆しかと心配している。

検査には「時間の見当識」「手がかり再生」「時計描画」の三つの検査があるが、心配しているのは「手がかり再生」である。16枚の絵を見て別作業の後にその絵を思い出すものである。今日はうまく思い出せたような気はするが‥。

それ以外はごく当然のことであり心配はしていなかった。

認知機能検査の後に動体視力等の検査、車の運転テストがあつた。
が、これらもなるようにしかならないと思っているので心配はなかった。

ということで、一応テスト終了。結果が受講生に通知されたが、総合点は95点で
「記憶力、判断力に心配ありません」という結果であった。

これで一安心。

来週は、運転試験場に行って自動車免許の更新をしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新聞購読をやめたこと

2018年06月17日 | 徒然の記

新聞の購読を止めて6ヶ月経過した。

購読していた頃は、大体は朝食後だが1時間程かけてゆっくりと読んでいた。
傍らで妻が書き物をしたり刺繍をしたり、あるいは半分こにした新聞を読んだりしていた。新聞から拾った話題で話し合うこともある。
その妻が亡くなったこともあり1月1日より新聞購読を止めた。

止めたことによるメリットは、朝の時間に余裕ができたことである。
妻に代わってするようになった家事、庭の手入れ、趣味の作業等々ゆっくりできるようになった。
一つの仕事を終えてもまだ午前9時と思う時、時間が儲かったような気がする。
今でも郵便ポストを除くことがあるが、ポストに何もないのに爽快感がわく。

世の中のニュースやそれ以外の情報、知識、教養の部分もパソコン、スマホ利用でインターネットから入手することができる。
パソコン、スマホから得る情報で過不足はないと思っているのでこの決断は後悔していない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症に備えて その1

2018年06月14日 | 徒然の記

 食事以外は子供は大体2階にいる。1階は私一人でいること多い。日中は子供が勤めに出ているからなおさらである。

人の目を気にする必要がないことからトイレの扉は大も小も開けたままで用を足している。水洗なので気にはしてなかった。

ところが昨夜、何時ものようにトイレにいると、2階から子供が降りてくる気配があった。そこで静かにトイレのドアを閉めた。その音を聞いて、子供が「ドアを開けたままトイレにいるの?」と声をかけてきた。「そんことない」と煮え切らぬ声で答えたもののその通りだった。

あとになってふと気づいた。

近い将来自分が認知症になったら当然のごとくトイレのドアを開けたままでいるに違いない。それはなくさなければならない。

ということで、習慣として体に覚え込ませるよう、今日よりトイレのドアは必ず閉めようにしている。

実はもう一つ習慣づけの必要なものがあるが、字数オーバーにつき後日。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻が生きてれば

2018年06月12日 | 徒然の記

 昨日、今日は日本列島に低気圧が近づいているためか腰痛と下肢の痺れが酷かった。椅子に座っている分にはよいのだが、立っている時歩いている時が辛い。

もし妻が居れば「今日は脚が痛かった」などと話しかけ、それから会話が続くのだろうがそれができない。日中は外出しないかぎり一人である。妻がいないことの辛さである。一緒に暮らす子供が帰宅しても、痛かったことを訴えることはなかった。

女親は子供に話すのかも知れないが、男親は子供に自分の痛みとか辛さを訴えることはないと思う。少なくとも私は子供に訴えることはしない。

だから妻にはそばに居て話しを聞いて欲しい。妻も生きていれば辛く感じたことなど気軽に話しかけてくるはずだ。
夫婦だから。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どうして私が?

2018年06月10日 | 徒然の記

BSテレビ放送で、若くして肺癌でなくなった母親と残された娘の5年間の葛藤のドキュメンタリーがあった。娘が2歳の時、余命6ヶ月を宣告された母親が、日記に書き残した娘への叫びであり、それを受け止める娘の心情である。

妻を肺癌で失った自分としては身につまされるものがあり母親、娘の心情を思い涙を堪えながら見ていた。

死ぬことを宣告された母親が「どうして私が?」と口にする場面があった。

妻も同じことを口にしたことがあった。彼女は末期癌とは知っていたが余命2ヶ月を知らないで病気と闘っていた。
自分の体を思うように動かせないこと、モルヒネを打ちながら痛みに耐えることの辛さから出た「どうして私がこんな病気に?」だった。

彼女の辛さ切なさを思うとやりきれない気持ちになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

得阿耨多羅三藐三菩提

2018年06月07日 | 徒然の記

表題は般若心経で好きになった文言の一つである。

唱え方は「とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい」となる。Webで調べてみると、意味は「この上なき悟りを得るのである」とある。

今でも仏壇のある部屋を通るとき、般若心経を唱えている。時間があれば一日に2度、3度になることもある。
そして好きな文言がいくつかできた。
そのうちの一つが表題である。経文の唱え方は滑らかになったし、息継ぎのしかたもよくなったと思う。
ただイントネーションが読経らしくない。

しかし、般若心経の意味は全く分からない。Webで調べようとしても、語句を基にする説明でなく、先のように一文言毎の説明である。
そして、それぞれの文言に繋がりの感じられない説明である。
だから、今は意味を理解しようと思わないことにした。

経を唱えることが心地良くなったのでこのままでいこう。

読経が終わったら妻の位牌に向かって一言、二言話しかける。
「今日は○○に行ってくるよ」「庭の草取りしなければ」「また俳句雑誌に入選したよ」等など。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする