13:00の予約だったが接種会場を確かめるため11:30頃入り口に行くとすぐできますと案内された。昼飯を済ませてからにしますとその場は辞退したが込み合ってはいなのだと驚いた。
だが、街中ではほとんどの人がマスクをしているので人々が感染予防を疎かにしているわけではない。コロナという疫病に余裕をもって向き合っているのかと思うと何かしら安心する。
今罹っている病気は「慢性炎症性脱髄性多発根神経炎多動ニューロパチー」という国の指定難病である。今は4ヶ月程で下半身の痺れが酷くなり歩行も困難になる。そうなったら入院して点滴治療を受ける。その後リハビリをして10日間程の入院となる。今は4ヶ月間の間隔だが病気の進んでいる同室の人は毎月入院治療を繰り返している。私がそうなる頃は寿命の時ではないかとあまり心配はしていないが、強く來る下半身の痺れを除きたい。この痺れが和らぐ程度の治癒で退院する。この入院治療は痛いとか苦しいということがないので楽しみもある。リハビリの運動も好きだし、療養士との会話もいい。マスクで顔の見えない美人に違いない看護士との会話も楽しい。それに時間がたっぷりあるので読書とか音楽を楽しんでいる。これからはこの病気での入院を「定期入院」と名づけることにしよう。
その定期入院より昨日の土曜日退院してきた。
また点滴とリハビリの入院となった。点滴治療が終わればリバビリをする。退院時は下半身の痺れは残るが動きは軽くなる。この点滴とリハビリの入院はそんなに悪くない。運動もいいし療法士と身体についての会話もいい。マスクで顔は見えないが美人に違いない看護師との会話もいい。時間にも余裕があり音楽や読書を楽しんでいる。私の病気には際立った効果はないがリハビリのすごい力をまのあたりにした。
ある日、リハビリ室の平行棒で歩行の訓練をしている女性がいた。右足の太腿から下をギブスのような長下肢装具で固められその足は地から1cmもあがらない。療法士が腰の部分を持ち上げ足を運ぼうとさせる。彼女は平行棒に両手で体を支え麻痺した足を前へ進めようと必死になっている。療法士も必死だ。
それから3日後、リハビリ室にその女性はいた。長下肢装具はつけたままだが平行棒につかまり療法士の見守る中その女性の足の運びはスムースになっていた。いろいろの症状はあろうがリハビリはしっかりしたほうがよいと思った。<o:p></o:p>
自動車販売会社の営業マンが自宅に挨拶に来たことは、先日書いた。3人から名刺は貰ったが私の担当者となる女性営業マンの名刺には肩書に新入社員とあった。営業マンが新入社員と名乗ることのメリット、デメリットはどちらが多いのだろうか。私は気にしないが他の客への営業は?他人事ながら心配になった。
そして入院している病院でのこと。「今日の担当です」と病室に挨拶に来た女性看護師は4月より新採の看護師ですと名乗った。そして点滴の準備を始めた。「貴方が針を刺すの?別の人に頼めない」と声をかけた。注射針を腕に指すのに上手くできるか心配だったのだ。「心配ですか。私でだめですか」と問い返してくる。それでも断るのは可愛そうになり、「ま、いいか」とお願いすることにした。2度3度刺されるのを覚悟したが、血管が細いと言われている腕に一度で点滴針を刺すことができた。
新任とはいえスキルをしっかり身に付けている人もいるのだ。
入院している部屋は3階窓際だ。時折外の景色を眺められるのがいい。この日の朝の街は梅雨空で柔らかい雨が降っている。離れたところのビルの前を傘をさした人が偶に通る。それぞれの人にそれぞれの生活があっての今だろうと思うと感慨深い光景に思える。これを音楽家はどのように表現するのだろう。歩く人のリズム、傘を打つ柔らかな雨の音などうまく音楽が作れそう気がする。画家や写真家の表現は?通行人の顔の表情、歩行者とビルの対比。それに陰影や画面の切り取り方でこれまたいい絵ができそうだ。自分に出来ない勝手な想像である。
では、俳句はどのように作ればいいか。まず何を詠むか決めないと。そしてそれを表現する言葉が浮かばない。それでも四苦八苦の末こんな句を作ってみた。
梅雨の街足早に行く傘の女 千字
自分が現職の時といえば20年、30年前になる。その頃は子育てもあり老後を考えて生命保険とか癌保険に入っていた。時代が進むにあわせ保険の内容は変わるがそれの対応は生前の妻がしていた。ただ癌保険だけはそのままになっていた。今までに何度か書き換えの案内が来ていたが先日も封書が届いた。それによると
今更の指定難病であるが、持病の点滴治療のために時々入院している。そのために必要な大きさのキャリーバッグを購入することにした。ショッピングセンターに行った時いいなあと思うキャリーバッグを見つけたので店員と相談しながら買うことに決めた。別行動で買い物をしている娘の意見も聴こうとその店に呼んだ。
そしてそれを買うことに決めたのだが、支払いの時、店員はそのキャリーバッグの使用の仕方とか保証書等の説明をする。それが使用する私にでなく傍にいる娘に話しかけている方が多かった。
80歳代の老人には理解しにくいと思うのだろうか。
店員さんとしては気を使ったのかも知れないが、80歳を越えれば保護者がいても良い年代か。と痛感。
昨日の土曜日はwowowテレビで映画007の5作品が一挙に放送された。007シリーズ25作品のうち俳優ダニエル・グレイグがボンド役になつているものだけのようだ。最新の007は「No Time To Die」で、昨年の10月、封切映画館で上映されたのを見ている。今回のテレビ放送は「No Time To Die」だけでなく5作品全てみた。
封切館の上映から8ヶ月後のテレビ放送だが新しい作品を保護する意味でも良いことだと思う。
随分昔になるが、封切館の他に古い作品を上映する映画館が数多くあった。仙台市に30以上の映画館があつたように記憶している。二番手の映画館では封切館の上映作品がほぼ1年過ぎた頃上映されていた。それを楽しみにしてよく映画館に行ったものだった。
今は、街には封切館以外の映画館はない。もう一度みたい時はテレビで放送されるのをまっている。
映画は映画館でみたいのだが。
先程、玄関のドアチャイムが鳴り、モニターにマスクをした男性と女性二人が映っていた。彼らは車でお世話になっている自動車販売会社の営業マンたちだった。マネージャーの男の人と、今まで私を担当していた女性、それにこれから担当が変わりますという女性だった。車検とか万一の故障の時のお世話をするだけで新車購入はあり得ない老人の担当者となるのだが、わざわざ自宅まで挨拶にきてくれたことに恐縮する。
玄関での挨拶だが私も営業マンたちもマスクをしたままである。今までの女性営業マンの顔は知っているが、他の二人はマスクに隠れてどのような顔立ちの人がわからない。
初対面、あるいは重要となるような挨拶にはマスクは外すのがいいと思うがどうだろうか。例えば帽子を被っている時の挨拶は帽子を取ってするように。
これからもお世話になる人は女性である。顔がみたかった。
対面でこれを言うとセクハラ?