千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

見つけた! キャリーバッグ

2018年07月31日 | 徒然の記

腰痛と両足の痺れで行動に不自由な思いをしている。そうは言っても散歩はほぼ毎日している。近くの公園で周囲の遊歩道を2周している。
10分程度歩けば休みが欲しいし、屈んでから立ち上がるのが容易でないので、所々にベンチのある公園は都合がよいのだ。

自由に行動できないことで趣味だった写真撮影を長い間していない。
長い距離が歩けないことと屈んでから立ち上がることが困難で出かけることができなかった。

そこで腰を下ろすことのできるキャリーバッグを探していた。折を見てはバッグ販売店で探すが見つけなかった。

ところが通信販売で見つけた。アメリカ製でZUCAという。さっそく注文し昨日届いた。
家の近くで試してみたがまあよさそうだ。少し重いが途中でバッグの上に腰を下ろすことができる。

これから、水の中や斜面などを足場にした写真は撮れないがキャリーバッグを引いて行ける場所の撮影を楽しみたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の食器仕舞から想う

2018年07月29日 | 徒然の記

毎夕食の用意は自分がしているが、食後の食器は娘が洗い食器籠に積み上げている。それを翌朝食器棚に仕舞っているのが私だ。
今朝、その作業をしていてふと思った。

妻はこれを50年近くしていたのだと。
その他の家事もあり共稼ぎで勤めを持ちながらの毎日は大変だったろう。

昔は、家事は女の仕事という時代背景があった。
それを妻も許容していたから特に不満を述べることもなかったのだろうか。

私が退職し妻が勤務している間、私が夕食を担当(退職後の趣味の一つに料理を選んだことから)していたし、ごみ出しはそれよりずっと以前からしていた。
それを見ていた近所の人に、よいご主人ですねとほめられたこともあったが、妻の50年間の仕事に比べればどうということはない。

妻に大変な仕事だったねと言葉を掛けたいが、その妻は亡くなってもう居ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルフと妻と

2018年07月26日 | 徒然の記

「なんでもいって委員会」というテレビ番組がある。深い見識のある出演者が本音で話し合い、私の好きな番組である。
今日は「ゴルフは消えるか」というテーマでの討論だった。
ゴルフ人口は、ブームのピーク時の1994年は1200万人、現在は550万人という。

私がゴルフを始めたのは50歳で1990年だった。練習場に行ったり誘ってくれる人とゴルフ場でプレーしたりして楽しんでいた。

ある時、妻がゴルフ会員権買ったよと話してきた。何かの時、欲しいと呟いたことはあったが、高額な会員権は夢物語として呟いたことだった。
それが現実となったことにビックリし嬉しかったことを覚えている。

それから20年余、ゴルフを楽しんだ。妻とも月一の割で楽しんだ。

脊柱管狭窄症手術のあとはゴルフを休んでいたが、妻が亡くなって、自分の分も妻の分もゴルフ用具一切を処分した。

このテレビ番組を見ながら、また妻とのありし日を思いだしていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻を思いだすところ

2018年07月24日 | 徒然の記

4年ぶりに○○綜合病院に来た。この病院はかって脊柱管狭窄症の手術を受けた所だ。先日より変えた整形外科病院の指示による腰部のMRI撮影のためである。
MRI撮影の時刻まで喫茶ルームで当時のことを思い出しながら珈琲を飲んでいた。

この○○綜合病院には1ヶ月入院したが、妻が車を運転して見舞いに来ていた。
自宅から遠く、慣れない路を未熟な運転で不安な思いをして通ったと思う。
最初に見舞いに来た時、カーナビをたよりに曲がりくねった細い路の運転は不安だったという感想だった。

この総合病院は妻が亡くなって初めて来た所である。
妻が亡くなって初めて思い出の場所に立った時、亡くなって初めて思い出の出来事にあつた時、
懐かしく胸の締め付けられるような切ないおもいにかられる。

あの時に戻りたい。そんな思いが強い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酷暑の中の避難所

2018年07月22日 | 徒然の記

 今日の暑さはことさら厳しいものだった。
宮城県でもこの暑さである。西日本の豪雨災害地で避難所生活の人たちはどんな思いをして過ごしたのだろうか。
プライバシーの守れない空間、トイレ水洗の不十分さ、不十分な扇風機の風でとる涼等々の悪環境は一層暑さが応えるだろう。
特に、高齢者、身体障害者、病弱者は限られた空間に居続けることだけでも苦痛に違いない。

このような弱者の非難所を災害地から離れた市町村に設置すればよいのにと思う。
他市町村での集団生活であっても、トイレも含めた水回り、食糧、プライバシーも格段によい環境で生活できると思うのだが。
また、元気な家族は復興作業に専念できるという観点からもよい。

 これこそ広域行政で担う分野のような気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医者はプロであって欲しい

2018年07月19日 | 徒然の記

 今年の6月に肺癌で亡くなった40歳代の女性がいたという。
ニュース報道によると、この女性は肺癌検診で異常があつたにも関わらず異常なしとされ適切な医療措置を受けていなかった。
医療措置があれば元気でいたかもしれないのに、それがなかったために亡くなったのだ。
死を覚悟した時の本人や家族の悔やみきれない気持ちを思うとやりきれない気持ちになる。

私の妻も同じ状況だった。
2013年12月人間ドックで肺癌検査も含めた検診の結果異常なしとの報告を受けた。
そして2ヶ月後、咳の仕方が普通でなかったので肺癌の精密検査を受診したところ肺癌ステージ4と診断された。
2ヶ月前に異常なしがステージ4の肺癌である。

人間ドックの時に正しく診断され直ぐに治療を始めたら妻は生きていたかもしれない。
口には出さないが妻の思いも同じだったであろう。妻の悔しい気持ちを思う時可哀そうで身をきられるように辛い。

命を預かる医療関係者はミスのないプロフェッショナルであれと切に願う。

妻は肺癌と診断を受けで3年後、2017年9月に薬石の効なく死亡した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

溺れた子どもを助けようとする親‥

2018年07月17日 | 徒然の記

 今日も日本各地で猛暑日と観測された地域が多かった。気温35℃以上。大勢の人が涼を求めて海や川に行く。そして毎年起こるのが水難事故である。
特に、溺れた子供を助けようして親が亡くなる事故はつらい。

今朝も川遊びしていた子供が溺れ、助けようとして父親が亡くなるというニュースがあった。子供は助けられたのはよいが、亡くなった父親が気の毒でしょうがない。

子育ての頃、私は泳げないので子供を海や川に連れていくのが怖かった。海水浴は背の立つ遠浅の浜で自分より岸側で娘たちを遊ばせていた。
川は深いところ浅いところが突然現れたりするので川で泳がせるようなことはしなかった。
プールにはよくよく連れて行ったが‥。

自由に泳がせることのなかった海水浴だが、娘たちはよい思い出として記憶にあるようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西日本、暑さの追い打ち

2018年07月15日 | 徒然の記

 東北地方も南部は梅雨明けとなった。そして、うだるような暑さが続いている。

それ以上の過酷な暑さに耐えているのが西日本地方の豪雨災害被災地である。生活インフラが消え、布団等の生活用品は泥にまみれ腰を下ろすところもないだろう。そんな時の真夏日となるこの暑さである。復旧作業の困難さに加えて、床上、床下の泥や汚物の腐敗。本当につらい毎日だと思う。

その中でも少しずつ好転していくものがある。ボランティアの協力により少し家の中がかたづいたとか、水道の水が出たとか笑顔で感謝や喜びを表す被災者に感心するほかはない。

立ち返って周囲を見た時。その惨状に辛い思いをされるだろうと思うと気の毒でしょうがない。

東北地方も津波の時は本当に悲惨だった。私の家は地震の被害だけて津波被災者でなかったが‥‥‥。

 スーパーに設置されている西日本豪雨災害救援募金にささやかだが協力した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

整形外科医を変えよう

2018年07月12日 | 徒然の記

 4年前、脊柱管狭窄症の手術を受けたが、手術後は〇〇整形外科医院で治療を受けている。
3年間通院し5種類の薬を服用しているがよくなっているとは思えない。

マンネリの治療から抜け出すために整形外科医院を変えることにした。
昨日、医療雑誌の編集者の勧める△△医院に行ってきた。この医院の医師は予想外に斬新な考えを持っている。
今まで飲んでいた薬は経口では効果がないと言い、湿布に治療効果はないという。
そして、注射での薬投与とリハビリを主とする医療方針のようだ。注射は2ヶ月で14本、リハビリは2種目を3ヶ月実施するという。これは1周2,3度通院することになる。患者を通院させて利を得るためかと疑ったがそうではないようだ。
飲み薬は漢方薬2種類のみである。診療後の会計、薬の代金は〇〇医院と比べ半額程度であった。

△△医院の医療方針に委ねようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知症に‥‥ その2

2018年07月10日 | 徒然の記

 梅雨冷えが続いたと思ったら、昨日今日は酷く暑い日となった。

このような日はつい裸でいたくなる。今までの我が家は素裸のままということはなかったが、妻が亡くなると一人住まいの気楽さから風呂上りは下着なしの素裸でいることが多くなった。
同居人は早くに2階に上がるので、1階は自分一人となり何の気兼ねもない。エアコンを点けながら素裸のままでいる。その解放感がとてもいい。

実は、このことがわが身になにかあった時の心配の種と思っている。万一徘徊するようになったら家族に恥ずかしい思いをさせることになる。

ということで、そうならないように、最近は上半身裸でも下着のズボンを身につけるようにしている。最低のものを身に着けることが無意識の習慣になるようにと思って。

 

 生活の記録として1句

      「素裸のままの独り居夏の夜」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする