千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

余命6ヶ月の妻と

2017年09月24日 | 日記1━余命6月の妻と

 平成29年4月21日、妻の主治医に「余命は6ヶ月」と知らされた。
 人類が、宇宙に飛び立ち、5千メートルを超える深海の様子を探り、果ては心臓を初めとして臓器を移植できる現代である。彼女の肺癌を知った当初(平成26年4月)は、現代医学は、病を止め、それなりの年数を生き延びさせてくれるものと楽観していた。
 しかし、妻の肺癌は確実に進行し予想外の速さで彼女の命を脅かしていた。主治医より余命6ヶ月の告知を受けて以来、さまざまの思いの駆け巡る毎日となった。
 妻は、自分の余命を知らないまま逝ったが、そんな妻との日々を記したものである。
    ━ 日記の中での妻の呼称は「彼女」とする ━ 

           もくじ

      ・  余命6ヶ月の妻と
      ・  日記4月 余命宣告
      ・  日記5月 いっときの解放
      ・  日記6月 転院
      ・  日記7月 混濁と現と
      ・  日記8月 募る思いと涙
      ・  日記9月 逝ってしまった

 

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日記 4月

2017年09月23日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年4月21日

余命6ヶ月

妻の主治医に呼ばれ 妻の病状について次のような話を聞く

新しい抗癌剤の治験入院をしているが
副作用が強く中止をせざるを得ないこと
脳に移転した癌細胞の治療を期待した新薬だがそれがかなわなくなったということ
抗癌剤は以前のザーコリに戻すこと
脳に転移した癌細胞は放射線治療をすることになる等々である

抗癌剤を以前のものに戻すことは癌の治療としては意味のないことになる
そして 妻の現在の体力 癌の進行状況から余命は半年です
という

これには驚いた
妻とのいろいろのことが思い出され涙が止まらなかった


今後の妻との残された時間を大切にし それらの様子を記録したい


妻の呼称は「彼女」として記すことにする

残酷な宣告

彼女と私医 前にいる
彼女の病状と今後の医療の説明を受けるために
現在治験中の抗癌剤は副作用が強く継続できないので以前の抗癌剤の服用に戻ること
脳に転移している癌細胞は放射線照射による治療になること
副作用として白髪になるが
3割の確率で痴呆になると付け加えられる
しばらく沈黙のあと
「お父さんどうだ」と私に問う
余命を知っている私は返事につまり
「忘れないようにいっぱい話しかけるよ」とかろうじて言葉を返す
そのうちに彼女はしっかりした声で
「わかりました医療方針に従います」
と言った
いっぱいの不安があったろうに 悲しかったろうに
その健気なさを思う時涙を隠すのに苦労した
彼女は余命6ヶ月であることは知らない

Uターン

医師の説明のあと病室に戻っても娘と相談してからと思い話題は核心に触れなかった
彼女は眠そうだったので今日は帰るからと病室を後にした
しかし 彼女がねむりから覚めた時
病室に一人でいる孤独
医師より逃げ道のない話を聞いた辛さ
彼女には耐え難いものだろう
そう思った時彼女の傍に居たいという衝動が起き
病院に引きかえした
病室に入ると彼女は目覚めていて笑顔で迎えてくれた
近くの整体院に来たので帰りに寄ったと嘘をついた

夕ご飯が済むまで何んとない会話が続いた
Uターンしてよかった



平成29年4月22日

必死に堪える彼女

土曜日は
娘と一緒に彼女の病院で昼食をとることにした
家より持っていったものを食べることにする
私は家族控室に残り娘が病室へ迎えに行った
「なにも食べる気がしない」と言ってベッドから起きないと 娘が戻ってきた
病室に行ってみるとやはり彼女は寝ていた
何気ない会話の内に彼女も元気を取戻し
ベッドを起こし持参のサンドイッチや稲荷寿司を食べ始めた

そのうちに巡回看護婦がきて「朝方は雨降りでしたが今は晴れていますね」と話しかけている
彼女は一人の時 ベッドで泣いていたのだ
自分の病を思いこらえきれないものがあったのだろう
家族の前では
それを隠そうとしているそんな彼女が愛おしい
一緒にいたい
これから昼時は一緒に居よう

吐く彼女

中止した新しい抗癌剤は副作用で吐き気下痢がひどかった
中止したことによりそれは収まったように見える
しかし 先日彼女の病状と治療方針について医師の説明を受けている時
突然吐き気を訴え少し吐いた
そして 今日もである

同じ病院での入院は3ヶ月間
まもなくその時である
今の病院を退院する時自宅療養か転院かを選択しなければならない
彼女の心情と今後の治療を考えたとき慎重に判断する必要がある
そんな会話の中で
彼女は薬の服用 通院などを考えれば他の病院への転院がいいのではと言う
そう話しているうちに吐き気が襲ってきたようだ
自分の病状への不安や回復するかどうかの不安が彼女の吐き気の原因に違いない
そんな彼女が愛おしい



平成29年4月23日

今朝の彼女は

今朝の彼女はどうしているだろうか
一人で寝ざめて これからどう生きていくのか 転院するにしても行く病院はどんな処? その病院になじめるだろうかなど 不安な思いだけが頭をかけ巡っているだろう
ベッドの上でまた泣いてるか
彼女の涙を止めるのは自宅に帰ることだろうか
だが彼女は転院やむなしとの考えでもある
下半身麻痺のために不自由な体
移動食事はもちろんのこと排尿排便もままならない彼女は
自分の苦しさだけでなく介護する家族への思いやりもあるだろう
でも 俺たち夫婦はあと何年生きるだろう
それまでいっしょに生きようか自宅で
今朝も泣いているのだろうか



平成29年4月23日

ハイテンションの彼女

昼近くの家族控室に
彼女は笑顔で車椅子に乗ってきた
持参した
マック
稲荷寿司
苺を
おいしいおいしいと言って食べていた
そこに掃除婦などが近づくと指を口に当てて会話を静止する
掃除婦が聞き耳を立てているというのだ
また我々が食事していている談話室に盗聴器が仕掛けられているかもといって娘に探させる
他の話題もハイテンションである
このテンションは一時的な興奮状態なのだろうか
昨日は楽しい会話のあと別れたのにこの違いは? 脳に転移した癌細胞のためなら悲しいことだ
ベッドに戻り休む時に吐いた
先ほど食べたものをほとんど吐いた



平成29年4月23日

自宅療養OK

彼女が自宅療養を希望するなら
それを適えるためにどうすればよいか看護師に話を聞く

概ね次のようだ
下半身は全くマヒしているのでベッドの乗り降りの補助が大変である
尿は管を挿入しているので袋の尿を定期的に交換することと
常に体の接触部を清潔にすること
排便はトイレに移動することが困難でベッドでの排便となる
特に排出が困難で指で摘出する補助が必要である
食事の世話をする
自宅での彼女の世話は概ねそんなところかとなれば

できるよ



平成9年4月24日

落ち着いている

今日の彼女は
昨日とちがって普通の会話をした
そしてこれからの自分の身の振り方について話し合った
彼女は
基本的には転院することにより痛みとか苦しみを総合的にケアしてくれる病院が良いという
自宅療養も考慮しながらの決断でのようだ
飲んでいる抗癌剤も中止して苦しみのない静かな生活をしたいともいう
これから主治医との相談になるが選択枝は広がった
癌の治療そのものはない
ホスピタル
自宅療養
どれでもよい彼女の希望を適えるように最悪自宅療養を受け入れればよいのだ



平成29年4月25日

病院より緊急電話

携帯電話に彼女の主治医より折り返し電話が欲しいとの留守電があった
電話をすると今朝彼女が意識障害に陥り手当の最中だが病院にすぐ来て欲しいという
私が病院に着いた時は朦朧とした表情だが呼びかけると かすかにうなづくなどの反応を示していた
その後MRIの検査となった

主治医によると意識障害の要因は
電解質異常
低血糖低ナトリウム高カルシューム血症
吐き気止め薬の副作用
そして頭蓋内出血脳梗塞癌性髄膜炎
が考えられるという

各種検査の結果
吐き気止め薬の副作用ではないかと落ち着いた
夕方には彼女も笑顔を見せるようになつたので病院を後にする



平成29年4月26日

意識障害の中での意識

昨日は驚かされた
意識障害に陥り緊急処置がとられるなど心配した一日であった
昨日の状態を彼女に尋ねると
緊急処置室に搬送途中名前を呼ばれながら頬を叩かれていたこと
爪と皮膚の間を刺激してという看護師たちの会話を朧気ながら知っていたという
意識障害というのはよそからは意識朦朧と見えながら患者自身は周囲を自覚しているのだ
意外であった


 

平成29年4月27日

  回想  ━ 彼女と私とボケモンgo ━ 

平成27年10月 日本でも
ゲーム「ボケモンgo」ができるようになった
私も彼女も年甲斐もなくそれに飛びついた
飽きさせないゲームである
ゲームの中で獲物を捕らえたり獲物のを捕らえる道具を集めなければならない
家の中にいてはだめで街中や公園など移動してそれが可能となる
彼女と私は自家用車あるいはバスで週に3回はでかけた
捕らえた獲物を二人で見せ合いお互いの成績に一喜一憂していた
そんなことを思い出し
今日のベッドで苦しむ彼女をみると切なくやりきれない



平成29年4月27日

  回想  ━ 必死に歩こうとする彼女 ━

脊髄への放射線の照射で下肢の麻痺がひどくなつてきた
その結果 歩行も困難になつた
それでも彼女はポケモンをしようと積極的で公園などに出かけてはゲームを楽しんだ
彼女には癌には負けまいとする強い思いがあつたのだ

公園での彼女は
手押し車や杖を支えにしてゆつくりと散歩した
杖の時は足下を見ながら一歩一歩ゆつくり歩き
時々立ち止まってはスマホを操作している
手押車の時も同じである
ゆつくりと転ばないように手押し車で前へ進み
立ち止まってはポケモンを捕らえている
彼女はポケモンのゲームをすることで
自分の体の麻痺に耐えようとしていたのだ



平成29年4月28日

  回想  ━ 勢いよく転倒する彼女 ━

「ポケモンgo」のゲームをするために
二人で街の公園に出かけるのが多かった
ある日 杖を突いていた彼女は
帰りのバスの中で勢いよく転倒した
小さな段差に対応できなかつたのだ
「あつ」という小さな悲鳴と共に音をたてて転倒した
抱え起こそうと手伝うが彼女も足の位置を工夫しながら立ち上がろうとする
動転した様子もなく冷静に行動している
周囲への気遣いや自分の思い通りにならない苛立ちもあったろうに
立ち上がった時には周囲の人に騒がせたことを詫びていた

そんな彼女の心情を思うのが辛い

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日記 5月

2017年09月22日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年5月1日

70歳過ぎの年寄でも泣く?

私自身も脊柱管狭窄症で通院している薬局に寄った
私も彼女も 薬はそれぞれの医院指定薬局でなく ツルハ薬局で処方してもらっていた
彼女と私は別々であるが 月一の割で薬局でお世話になっていた
もちろん彼女の抗癌剤処方もある
彼女は入院以来薬局には行っていない
薬剤師が奥様にしばらくお会いしてませんがいかがですか
と問うてきた
新しい抗癌剤の効き目がなく 吐き気や下痢 痛みが止まらないこと
体力を消耗していること
余命6ヶ月余であることなど話しているうちに 涙が止まらなくなった
昼間の薬局のカウンターでである
77才の男が人前で涙を流すものだろうか
少し反省した



平成29年5月2日

吐き気に苦しむ心の底は

今日は少し食べたよと彼女は言う
豆腐二口
おかゆ二匙
イチゴ三個
バナナ一口
昼から食べたものらしいが 雑談しているうちに吐きたいと言う
そして食べた物以上に吐いた
吐くときの苦しさ まして胃に内容物のない時の吐く辛さ これは想像できる
これがほぼ毎日となるなら辛いだろう
癌であることは簡単に治癒するとは思っていないだろうが
毎日続く辛さは耐え難いだろう


 

平成29年5月3日

今年は金婚式を迎える年

今年は2017年
彼女との金婚式を迎える年だ
結婚したのは1967年10月12日
今年のこの日は満50年金婚式である 元気に祝いたい
これから彼女にこのことを話そうと思うが
彼女はそうだよとあっさり答えるだろうなと思っていた 知ってても自分からはあえて言いださない彼女だから
ところがである
彼女も金婚式の年だとは気づいてなかつた
驚いていた



平成29年5月4日

食欲旺盛な彼女

彼女は
昨日から吐き気もなくおいしく食べているようだ
午後病室に行くと
お腹が空いたので売店でパンを買ってきて欲しいという
コツペパン風の豆パンを買ってくると たちまち半分は食べた
朝ごはんも昼ごはんもよく食べたという
家から持ち込んだ
納豆
豆腐
たらこ
バナナ
病院食の煮物
などおいしく食べたという
今までは 粥スプーン一杯などほとんど食べていないので大変化である
この変化を彼女は大変喜んでいるが
見舞う家族も本当にうれしい



平成29年5月5日

物思いに耽る彼女

病室に入ると 起こしたベットで考え事をしている彼女がいた
今までの彼女は 漢字パズルをしたり韓国ドラマのビデオをみたり楽しんでいたが
今日はその気力もわかないのかな?



平成29年5月6日

余命を知った時の彼女を思うと

癌細胞が脳に転移しているため 放射線治療を始めている
ポイントを定めて照射するのではなく
脳に転移した癌細胞が多いため 頭全体に照射しているのだ
そして頭への照射は今回のみである
このことは医師から彼女も聞いているはずだが
そのことに私が触れると驚いていた
再び脳に転移したら治療がないのかという驚きである
余命半年については彼女は知らないのだ
もし余命半年と知った時の
彼女の落胆をどのように癒せばいいのだろうか



平成29年5月8日

福々しい笑顔

病室に入ると
彼女は福々しい笑顔で迎えてくれた
ここ一週間彼女の食欲は旺盛であった
家より持って行ったものあるいは病院食の一部をおいしく食べていたようだ
嬉々とした彼女の報告を聞くのがうれしい
その結果福々しい顔となったのだろうが 主治医に彼女の食欲について尋ねると
ホルモンを投与しているからという
これは癌治療でなく 応急的な対応し処置である
そのことを彼女は知らないい
転院先の病院について尋ねると
〇〇病院への意向で調整中とのことである



平成29年5月9日

軽率さを反省

彼女の高校時代の同級生にT恵さんという人がいる
我が家と遠くない処に住んでいるが彼女に良くしてくれる人だ
彼女の癌発症の後もゲートボールの仲間に入れてくれるなど良くしてくれる人である
彼女の入院を知っていたT恵さんが その後の彼女の様子を尋ねてきた 彼女が信頼しているT恵さんと思い つい彼女の現在の様子を話してしまった
余命までも知らされたT恵さんも驚き悲しんでいたが
受話器を置いた後
彼女の余命まで話すのは軽率だったと悔やまれた
余命を知ったT恵さんをただ困らせただけだったと



平成29年5月11日

看護師M女について

△△病院の看護師たちは 大変やさしく細やかな気遣いをしながら接してくれると 彼女は感謝している
私が病室にいる時も彼女のできないことを察知して接してくれていた
ところが看護師M女だけは違うようだ
M女には形式的所作が多いという
今日のことについて彼女が話してくれた
今日の彼女の担当M女は新採の看護師を連れての巡回だったという
彼女の体を拭いたM女は前部だけ拭いてお尻の方は拭かなかったという
他の看護師は前部だけでなくお尻まで目配りをする気遣いがあるのに この女は違うようだ
彼女は自分からM女にお尻の方を見てくださいと頼んだという
M女は「あらあらウンチもあるね」と声を上げて 続いて「新採の看護師に経験させるので排便の手伝いをさせていいですか」と聞かれ 彼女はいいですと答えるほかはなかつたという
麻痺のために大便小便の排泄が自力でできないのだ
小便は膀胱より管を通しての排泄
大便は肛門に指を入れて掻き出してくれるのである
彼女の絶望と情けなさ察するにあまりある
M女以外の看護師はその心情を汲んでか 彼女の心理的負担にならないように常にさりげなく処理してくれるという
その配慮の細やかさに彼女も私も感謝している
ところがM女は患者に大便の処理もお願いしますと言わせ
新採の看護師に処理させたのだ
世にいう公開処刑と通じるものがあるような気がする
わが身の不甲斐なさを思う彼女の心情は?
それを考える時また涙がでる


 

平成29年5月11日

  【回想】 イオンモール 3階エレベーター前

携帯で撮影した写真をプリントアウトしたくて 近くのイオンモールに出かけた
ここは彼女と買い物や食事 そしてポケモンgoの獲物捕りや道具集めにきたところだ
3階エレベーター前が獲物捕りや道具集めに恰好の場所だった

入院前は 車椅子の彼女をそこに置いて 私や一緒に行った娘は別の用を足すことがあった
少し時間を経てから彼女の元に戻ると
車椅子に深く腰をかけうつむいてスマホを操作している彼女がいた
その姿が鮮やかに思いだされる
それは3ヶ月前のことである



平成29年5月12日

転院先は〇〇病院

夕方 △△病院の事務方より電話があった
彼女の転院先は〇〇病院の内科呼吸器科に決まりましたとのことである
彼女も私もその病院を希望していたのでよかった
今回の転院は内科呼吸器科であるが 〇〇病院はホスピタル病院でもある
ホスピスとの対話を受けながら癌の恐怖を乗り越えて欲しい 精神の安らぎを見つけて欲しいという願いもあるのだが‥‥
しかし
ホスピタルに入るには 患者自身が余命を知ることが前提だという
彼女は半年という余命を自覚していないのだ
そのため内科呼吸器科への転院である



平成29年5月13日

T恵さんの見舞い

昨日T恵さんが見舞いに来てくれたと彼女は喜んでいた
T恵さんには 先日 深く話しすぎたと反省したのだが気を使わせてしまったか
しかし彼女はT恵さんが見舞いに来てくれたことを喜んでいた
よかつた
T恵さんに感謝



平成29年5月15日

安心を与えられないもどかしさ

今日も脳への放射治療がある
レントゲン医師の診察があるから一緒に同伴してくれと彼女は言う
医師の診察ではまもなく毛髪が抜けること 放射治療は残り3回と告げられたことだ
彼女が私に同伴を望んだ理由は
放射治療の効果はどのくらいか
現段階の治療がすんだら次はどのように進むのか
それを私と一緒に確認したかったのだろう
しかし 私は彼女の知らない余命半年を知っているのだ
彼女の期待する質問はできなかった
彼女は脳に転移した癌はどうなってるのでしょうかと 自分から質問していた
医師の「今日は撮影したばかりでわからないです」との答えに
彼女は頷いていた

ふっと湧き出る涙

3日間雨が降り続いた 病院の彼女も憂鬱であろう
昨夜は眠れなかったという
その雨も今日は上がった
病院から持ち帰った彼女のパジャマ 下着 家族の分も入れると結構洗濯量が多かった
脱水機から取り出し 一つずつ衣桁懸けに掛けながら涙がでてしようがなかった
彼女が洗濯をしていた時の様子が思い浮かぶ
彼女は完治でなくとも元気になる自分を信じているだろう
それが叶わないことを知らないのだ
彼女の気持ちを思うと辛い



平成29年5月16日

疾如風

午後のことである
病室に4,5人の看護師が どどっと来て 病室の引っ越しの連絡がありましたかと言うと同時に その看護師たちは彼女のベットの移動を始めた
あっと言う間に606号室に移った
事前の連絡などなかった

患者に対して移動する理由や協力を求める挨拶をしなければならないと思うが
それがなく怒涛のように看護師集団が来て
有無を言わせぬ病室移動である
このような一連の行動は病院のあり方として変である
統制のとれていない集団なのかこの段取りを指示した責任者がいるとするなら
その責任者のリーダー性を疑う
あとで知ったことだが手術後の患者のために個室が必要となったという
それを説明して行動すればよいのに

彼女に接した看護師はみなよい人だったのに
残念だねと彼女と話し合った



平成29年5月17日

〇〇病院院長と面談

主治医より指示があり
彼女の転院先の〇〇病院に挨拶に行った
受付の窓口で待つ時 院長に面談する前にソファで待機している時
彼女が転院しなければならないという心情を思うとやはり涙が出てしまう
院長の話では彼女の肺癌は肺癌のうちで2番目に重症なものだという
今まで寿命があつたのは医療効果がよく出ていたのですとの話であった
治癒するとは考えていないがこれほど重症とも思わなかった
今の彼女の笑顔が見られのが幸運ということなのだろうか
彼女は余命半年に満たないことを知らないのだ
知った時の彼女の心情を思うと・・



平成29年5月19日

ある老夫婦の会話

病院内の喫茶室で 一人食事をしていた昼食時である
そこに杖を突き歩行も大変そうな男性と小柄な女性の老夫婦が入ってきた
珈琲とパンを食べながらの二人の会話が聞こえてきた
あの店で買った品物が良かったとか安かったとか たわいもない会話である
片方が話し片方が頷く
我々夫婦にこのようなシーンは今後ないのだと思うと寂しくなった
今までは余命を限定された彼女を心情を思う時の辛さがあつたが
それに加えて 彼女と語り合うことができなくなるのだ
寂しさがふつふつと沸いてきた



平成29年5月20日

二人で歩くことは

入院中でも彼女はベッドの上でポケモンgoをしている
外歩きができないので 私か娘がボール捕りや獲物の捕獲を手伝っている
今日もボール捕りに市役所前までバスで行ってきた
市役所前は「仙台青葉まつり」で混雑していた
年配の夫婦が路を歩いているのを見かける
昨年は我々夫婦も「仙台青葉まつり」にきたことを思い出した
今後 我々夫婦にはこのようなシーンはないのかと寂しくなった
もつと二人で出かければよかったと悔やまれる
二人で出かけたことは何度もあったはずだが
横に並んだ彼女の様子が思い浮かばないのだ
彼女は一歩後ろに下がって歩いていたということか
病室に戻り彼女に尋ねると
私は写真撮影していたので並んで歩いていなかったという



平成29年5月27日

今この時彼女は何思う

夕飯も済み娘は二階に引き上げ 私ひとり茶の間にいる
この時間 彼女はベッドに横になつているだろうが何を考えているのだろうか
昼の見舞いの時は楽しく会話をし 3時間ほどで帰った
それから彼女は一人でベッドに横になっているのだ
時々介護にくる看護師と会話をするだろうが 今この時間一人でいるだろう
仰向いて何を考えるのだろうか
体を動かすことも 誰れとの接触もなく 時間を過ごす彼女の孤独は 図りしれないものだろうに
できるなら飛んで行って話し相手になりたい



平成29年5月30日

リハビリを喜ぶ彼女

彼女の病室を訪れると
今日からリハビリをしてもらうと喜んでいた
癌の進行が進み放射治療による脊髄の損傷 その他の臓器にも損傷があり
余命6ヶ月と言われる彼女である
目に見えたリハビリの成果は期待できないのだが
しかし彼女は余命6カ月を知らない
少しでも筋肉の回復を期待しているのだ
手足を軽く動かす程度のリハビリに表情が生き生きしている
そしてリハビリをすることは私も嬉しい
彼女の病床生活のリズムを作るのだから
今の彼女の状態にリハビリという新しい医療を施してくれる医院の方針に感謝する

 

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日記 6月

2017年09月21日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年6月2日

食事を一緒にして

彼女の見舞いは毎日しているが 私の場合は昼時を挟んでいくようにしている
我々夫婦のはまっている 「ポケモンgo」の玉を採るとために病院からバスで出かける時が何度かある

今日もそのつもりだったが 昼ごはんの時一緒に居て頼まれた
病室の相部屋の人は重症で 看護師が付きっきり食事の手助けをしているが 彼女はセッティングされれば自分で食事することができる
それが彼女にとつて寂しいのだ
会話もなく一人で食べるのが寂しいのだ
了解
これからは食事の時は一緒にいることにするよ



平成29年6月6日

病室での会話

彼女の高校時代の話題になった
〇〇君には結婚を申し込まれたんだと何気なく彼女は口にした
話題を発展させるためにその他はと問いかけると
・・さん、・・さん
と2人の名前があがった
若い時 結婚を望んだり望まれたりすることは多かれ少なかれあるものだ その一端がつい口から洩れたのだろう
彼女が楽しい出来事を思い出していることがうれしくなった
その他なんで良い
もっともつと楽しかった思い出に浸ってほしい
でも 私自身の浮いた話はしないことにする



平成29年6月19日

声掛けしてくれる看護婦たち

2,3日彼女の調子が本当でない
ベッド上で体を起こす時 また起こした体からベッドに横たわる時 腰の周囲の痺れが酷いという
その訴えを聞いた薬剤師が それに対処した薬を処方し 昼食の時から服用を始めることなつた
薬の効果は驚くほど効果があった
食事のために体を起こす時 痺れは今までより軽減されたという
彼女の薬は病気の治療でなく身体の苦痛の緩和であるそのことを彼女はきちんと把握しているだろうか

病室は4人の相部屋である
それぞれの患者の世話のため 入れ替わり看護婦たちが病室にくる
どの看護婦も彼女に痛みはどうですか 和らぎましたかなど声掛けしてくる
薬の服用について看護室で話し合いをしたのだろう
彼女のことを常に心がけてくれる看護師たちに感謝する

そんなことを彼女と話す時つい涙が出てしまった



平成29年6月30日

我が家を諦めた?

彼女が欲しているだろうと よく我が家の様子を話す
炊事は私がしているが流し台の棚が汚れているので掃除をし 不要のものを捨てる話題になった
彼女は力なく
「いいんじゃない 私はもういけないから」
と呟いた
その棚には流し台をみがく洗剤 台所を除菌するための薬品など 彼女の用意した品々が置いてある
全部ではないにしろ それを捨てると言われたから寂しさが沸いたのだろうか
自宅に帰ることのできない現実に突き当たりいっそうの寂しさが募ったのだ
私の不注意な言葉が彼女を悲しませてしまつた

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