平成29年5月1日
70歳過ぎの年寄でも泣く?
私自身も脊柱管狭窄症で通院している薬局に寄った
私も彼女も 薬はそれぞれの医院指定薬局でなく ツルハ薬局で処方してもらっていた
彼女と私は別々であるが 月一の割で薬局でお世話になっていた
もちろん彼女の抗癌剤処方もある
彼女は入院以来薬局には行っていない
薬剤師が奥様にしばらくお会いしてませんがいかがですか
と問うてきた
新しい抗癌剤の効き目がなく 吐き気や下痢 痛みが止まらないこと
体力を消耗していること
余命6ヶ月余であることなど話しているうちに 涙が止まらなくなった
昼間の薬局のカウンターでである
77才の男が人前で涙を流すものだろうか
少し反省した
平成29年5月2日
吐き気に苦しむ心の底は
今日は少し食べたよと彼女は言う
豆腐二口
おかゆ二匙
イチゴ三個
バナナ一口
昼から食べたものらしいが 雑談しているうちに吐きたいと言う
そして食べた物以上に吐いた
吐くときの苦しさ まして胃に内容物のない時の吐く辛さ これは想像できる
これがほぼ毎日となるなら辛いだろう
癌であることは簡単に治癒するとは思っていないだろうが
毎日続く辛さは耐え難いだろう
平成29年5月3日
今年は金婚式を迎える年
今年は2017年
彼女との金婚式を迎える年だ
結婚したのは1967年10月12日
今年のこの日は満50年金婚式である 元気に祝いたい
これから彼女にこのことを話そうと思うが
彼女はそうだよとあっさり答えるだろうなと思っていた 知ってても自分からはあえて言いださない彼女だから
ところがである
彼女も金婚式の年だとは気づいてなかつた
驚いていた
平成29年5月4日
食欲旺盛な彼女
彼女は
昨日から吐き気もなくおいしく食べているようだ
午後病室に行くと
お腹が空いたので売店でパンを買ってきて欲しいという
コツペパン風の豆パンを買ってくると たちまち半分は食べた
朝ごはんも昼ごはんもよく食べたという
家から持ち込んだ
納豆
豆腐
たらこ
バナナ
病院食の煮物
などおいしく食べたという
今までは 粥スプーン一杯などほとんど食べていないので大変化である
この変化を彼女は大変喜んでいるが
見舞う家族も本当にうれしい
平成29年5月5日
物思いに耽る彼女
病室に入ると 起こしたベットで考え事をしている彼女がいた
今までの彼女は 漢字パズルをしたり韓国ドラマのビデオをみたり楽しんでいたが
今日はその気力もわかないのかな?
平成29年5月6日
余命を知った時の彼女を思うと
癌細胞が脳に転移しているため 放射線治療を始めている
ポイントを定めて照射するのではなく
脳に転移した癌細胞が多いため 頭全体に照射しているのだ
そして頭への照射は今回のみである
このことは医師から彼女も聞いているはずだが
そのことに私が触れると驚いていた
再び脳に転移したら治療がないのかという驚きである
余命半年については彼女は知らないのだ
もし余命半年と知った時の
彼女の落胆をどのように癒せばいいのだろうか
平成29年5月8日
福々しい笑顔
病室に入ると
彼女は福々しい笑顔で迎えてくれた
ここ一週間彼女の食欲は旺盛であった
家より持って行ったものあるいは病院食の一部をおいしく食べていたようだ
嬉々とした彼女の報告を聞くのがうれしい
その結果福々しい顔となったのだろうが 主治医に彼女の食欲について尋ねると
ホルモンを投与しているからという
これは癌治療でなく 応急的な対応し処置である
そのことを彼女は知らないい
転院先の病院について尋ねると
〇〇病院への意向で調整中とのことである
平成29年5月9日
軽率さを反省
彼女の高校時代の同級生にT恵さんという人がいる
我が家と遠くない処に住んでいるが彼女に良くしてくれる人だ
彼女の癌発症の後もゲートボールの仲間に入れてくれるなど良くしてくれる人である
彼女の入院を知っていたT恵さんが その後の彼女の様子を尋ねてきた 彼女が信頼しているT恵さんと思い つい彼女の現在の様子を話してしまった
余命までも知らされたT恵さんも驚き悲しんでいたが
受話器を置いた後
彼女の余命まで話すのは軽率だったと悔やまれた
余命を知ったT恵さんをただ困らせただけだったと
平成29年5月11日
看護師M女について
△△病院の看護師たちは 大変やさしく細やかな気遣いをしながら接してくれると 彼女は感謝している
私が病室にいる時も彼女のできないことを察知して接してくれていた
ところが看護師M女だけは違うようだ
M女には形式的所作が多いという
今日のことについて彼女が話してくれた
今日の彼女の担当M女は新採の看護師を連れての巡回だったという
彼女の体を拭いたM女は前部だけ拭いてお尻の方は拭かなかったという
他の看護師は前部だけでなくお尻まで目配りをする気遣いがあるのに この女は違うようだ
彼女は自分からM女にお尻の方を見てくださいと頼んだという
M女は「あらあらウンチもあるね」と声を上げて 続いて「新採の看護師に経験させるので排便の手伝いをさせていいですか」と聞かれ 彼女はいいですと答えるほかはなかつたという
麻痺のために大便小便の排泄が自力でできないのだ
小便は膀胱より管を通しての排泄
大便は肛門に指を入れて掻き出してくれるのである
彼女の絶望と情けなさ察するにあまりある
M女以外の看護師はその心情を汲んでか 彼女の心理的負担にならないように常にさりげなく処理してくれるという
その配慮の細やかさに彼女も私も感謝している
ところがM女は患者に大便の処理もお願いしますと言わせ
新採の看護師に処理させたのだ
世にいう公開処刑と通じるものがあるような気がする
わが身の不甲斐なさを思う彼女の心情は?
それを考える時また涙がでる
平成29年5月11日
【回想】 イオンモール 3階エレベーター前
携帯で撮影した写真をプリントアウトしたくて 近くのイオンモールに出かけた
ここは彼女と買い物や食事 そしてポケモンgoの獲物捕りや道具集めにきたところだ
3階エレベーター前が獲物捕りや道具集めに恰好の場所だった
入院前は 車椅子の彼女をそこに置いて 私や一緒に行った娘は別の用を足すことがあった
少し時間を経てから彼女の元に戻ると
車椅子に深く腰をかけうつむいてスマホを操作している彼女がいた
その姿が鮮やかに思いだされる
それは3ヶ月前のことである
平成29年5月12日
転院先は〇〇病院
夕方 △△病院の事務方より電話があった
彼女の転院先は〇〇病院の内科呼吸器科に決まりましたとのことである
彼女も私もその病院を希望していたのでよかった
今回の転院は内科呼吸器科であるが 〇〇病院はホスピタル病院でもある
ホスピスとの対話を受けながら癌の恐怖を乗り越えて欲しい 精神の安らぎを見つけて欲しいという願いもあるのだが‥‥
しかし
ホスピタルに入るには 患者自身が余命を知ることが前提だという
彼女は半年という余命を自覚していないのだ
そのため内科呼吸器科への転院である
平成29年5月13日
T恵さんの見舞い
昨日T恵さんが見舞いに来てくれたと彼女は喜んでいた
T恵さんには 先日 深く話しすぎたと反省したのだが気を使わせてしまったか
しかし彼女はT恵さんが見舞いに来てくれたことを喜んでいた
よかつた
T恵さんに感謝
平成29年5月15日
安心を与えられないもどかしさ
今日も脳への放射治療がある
レントゲン医師の診察があるから一緒に同伴してくれと彼女は言う
医師の診察ではまもなく毛髪が抜けること 放射治療は残り3回と告げられたことだ
彼女が私に同伴を望んだ理由は
放射治療の効果はどのくらいか
現段階の治療がすんだら次はどのように進むのか
それを私と一緒に確認したかったのだろう
しかし 私は彼女の知らない余命半年を知っているのだ
彼女の期待する質問はできなかった
彼女は脳に転移した癌はどうなってるのでしょうかと 自分から質問していた
医師の「今日は撮影したばかりでわからないです」との答えに
彼女は頷いていた
ふっと湧き出る涙
3日間雨が降り続いた 病院の彼女も憂鬱であろう
昨夜は眠れなかったという
その雨も今日は上がった
病院から持ち帰った彼女のパジャマ 下着 家族の分も入れると結構洗濯量が多かった
脱水機から取り出し 一つずつ衣桁懸けに掛けながら涙がでてしようがなかった
彼女が洗濯をしていた時の様子が思い浮かぶ
彼女は完治でなくとも元気になる自分を信じているだろう
それが叶わないことを知らないのだ
彼女の気持ちを思うと辛い
平成29年5月16日
疾如風
午後のことである
病室に4,5人の看護師が どどっと来て 病室の引っ越しの連絡がありましたかと言うと同時に その看護師たちは彼女のベットの移動を始めた
あっと言う間に606号室に移った
事前の連絡などなかった
患者に対して移動する理由や協力を求める挨拶をしなければならないと思うが
それがなく怒涛のように看護師集団が来て
有無を言わせぬ病室移動である
このような一連の行動は病院のあり方として変である
統制のとれていない集団なのかこの段取りを指示した責任者がいるとするなら
その責任者のリーダー性を疑う
あとで知ったことだが手術後の患者のために個室が必要となったという
それを説明して行動すればよいのに
彼女に接した看護師はみなよい人だったのに
残念だねと彼女と話し合った
平成29年5月17日
〇〇病院院長と面談
主治医より指示があり
彼女の転院先の〇〇病院に挨拶に行った
受付の窓口で待つ時 院長に面談する前にソファで待機している時
彼女が転院しなければならないという心情を思うとやはり涙が出てしまう
院長の話では彼女の肺癌は肺癌のうちで2番目に重症なものだという
今まで寿命があつたのは医療効果がよく出ていたのですとの話であった
治癒するとは考えていないがこれほど重症とも思わなかった
今の彼女の笑顔が見られのが幸運ということなのだろうか
彼女は余命半年に満たないことを知らないのだ
知った時の彼女の心情を思うと・・
平成29年5月19日
ある老夫婦の会話
病院内の喫茶室で 一人食事をしていた昼食時である
そこに杖を突き歩行も大変そうな男性と小柄な女性の老夫婦が入ってきた
珈琲とパンを食べながらの二人の会話が聞こえてきた
あの店で買った品物が良かったとか安かったとか たわいもない会話である
片方が話し片方が頷く
我々夫婦にこのようなシーンは今後ないのだと思うと寂しくなった
今までは余命を限定された彼女を心情を思う時の辛さがあつたが
それに加えて 彼女と語り合うことができなくなるのだ
寂しさがふつふつと沸いてきた
平成29年5月20日
二人で歩くことは
入院中でも彼女はベッドの上でポケモンgoをしている
外歩きができないので 私か娘がボール捕りや獲物の捕獲を手伝っている
今日もボール捕りに市役所前までバスで行ってきた
市役所前は「仙台青葉まつり」で混雑していた
年配の夫婦が路を歩いているのを見かける
昨年は我々夫婦も「仙台青葉まつり」にきたことを思い出した
今後 我々夫婦にはこのようなシーンはないのかと寂しくなった
もつと二人で出かければよかったと悔やまれる
二人で出かけたことは何度もあったはずだが
横に並んだ彼女の様子が思い浮かばないのだ
彼女は一歩後ろに下がって歩いていたということか
病室に戻り彼女に尋ねると
私は写真撮影していたので並んで歩いていなかったという
平成29年5月27日
今この時彼女は何思う
夕飯も済み娘は二階に引き上げ 私ひとり茶の間にいる
この時間 彼女はベッドに横になつているだろうが何を考えているのだろうか
昼の見舞いの時は楽しく会話をし 3時間ほどで帰った
それから彼女は一人でベッドに横になっているのだ
時々介護にくる看護師と会話をするだろうが 今この時間一人でいるだろう
仰向いて何を考えるのだろうか
体を動かすことも 誰れとの接触もなく 時間を過ごす彼女の孤独は 図りしれないものだろうに
できるなら飛んで行って話し相手になりたい
平成29年5月30日
リハビリを喜ぶ彼女
彼女の病室を訪れると
今日からリハビリをしてもらうと喜んでいた
癌の進行が進み放射治療による脊髄の損傷 その他の臓器にも損傷があり
余命6ヶ月と言われる彼女である
目に見えたリハビリの成果は期待できないのだが
しかし彼女は余命6カ月を知らない
少しでも筋肉の回復を期待しているのだ
手足を軽く動かす程度のリハビリに表情が生き生きしている
そしてリハビリをすることは私も嬉しい
彼女の病床生活のリズムを作るのだから
今の彼女の状態にリハビリという新しい医療を施してくれる医院の方針に感謝する