千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

風呂が風邪を呼ぶ

2019年10月29日 | 徒然の記
昨日のことだが1週間ぶりに風呂に入った。
その1週間前、持病の「慢性炎症性脱髄性多発根神経炎」の治療のため入院した。1日7時間程かけて5日間点滴するのが治療だ。そのうちのある日は生理水の点滴もあり12時間程点滴の管に繋がれていた。だから5日間は風呂に入れなかった。
点滴が終わった翌日から土日となり、昨日月曜日に1週間振りの風呂となった。毎日タオルで身体は拭いていたがやはり風呂は気持ちいい。久し振りに湯舟に浸かり身も心もリフレッシュした。
ところがベッドに戻り転た寝をしている内に喉がイガイガし声が掠れ寒気がするようになった。風邪を引いたのだろう。病院で風邪薬を処方してもらった。後から気付いてイソジンを娘に買ってきてもらった。
そして、今朝目覚めた時、身体は爽快だった。
明日は退院だ。10日振りに家に帰る。しばしば自宅を見回ってくれた人に感謝する。
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またまた音楽について

2019年10月27日 | 徒然の記
BS 放送で演歌が放送されているが演歌復活もよいことだと思う。ただ、演歌の世界はポピュラー音楽と違い若い歌手が少ない。
演歌への興味は薄れているが、美空ひばり、北島三郎、都はるみ等の馴染みの歌手の録画による放送はよく見る。
特に気になるのは、今のベテランと言われる演歌歌手が美空ひばりの歌を歌うことだ。ベテランと言われる歌手でも、美空ひばりのこぶし、内から出る発声、透き通る高音等は真似ることはできない。美空ひばりになりきって表現しょうとしても遠く届かない。止めて欲しい。
ところがシンガーソングライター徳永英明のアルバムに「悲しい酒」がある。徳永英明の曲は「壊れかけのradio」をはじめとして哀愁のある曲調が好きでよく聴いている。
美空ひばりの「悲しい酒」も美空ひばりの片鱗を残しながら新しい歌となっていてたのしく聴いている。
 
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若き日に帰る

2019年10月24日 | 徒然の記

左ききのあなたの手紙

右手でなぞって真似てみる

いくら書いても埋めつくせない

白紙の行がそこにある
 
           ~~~~~~

今日は部屋に閉じ籠り音楽を聴いていた。クラシックも聴く雑食性だが、若い時に感銘を受けた曲を今になって聴くのも感慨一入である。懐メロが廃れないのもわかる。
私は演歌もよかったが谷村新司、かぐや姫、由紀さおり等の歌謡曲も好きだった。
上の曲は「終止符」の一部だが、谷村新司のそれを聴きながら50年も遡った時代に立っていた。
 
              独り居て終止符を聴く秋思かな              千字
 
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なくて七癖

2019年10月22日 | 徒然の記
やむを得ず点滴を受けることになった。看護師が腕に点滴の針を刺す時に苦労している。私の腕は血管が細いらしく採血するときも 看護師は苦労しているようだ。
今日の看護師は血管を探しながら「うーん」とか「あら」「えっ」等の声を出している。思わず声に出すのだろうが、声を聞くたびに少し不安になる。
以前に下肢静脈瘤の手術をした。その時の医師が何の心配のない手術ですからと説明しながら、手術の最中「うん?」「待てよ」「よし」等と常に声を出していた。
初めての下肢静脈瘤の手術である。自分の身に何かが起こりそうで不安だった。
なくて七癖という。不安を与えたり迷惑をかける癖は隠さなくてはいけない。
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今の日韓関係から思うこと

2019年10月20日 | 徒然の記

韓国と日本の対立、私は日本のマスコミで情報を得るしかない。
不確かな情報を出しているとは思えないし、自分としては日本の主となる論調の側にいる。とはいえ殊更声高に嫌韓を主張はしていないが、どうしても腑に落ちないことがある。

日本の安倍首相を弾劾することである。
韓国民が対立する日本に対して日本製品不買運動を起こすのはあり得る。だが、安倍首相反対はない。なんで他所の国の首長を弾劾しようとするのか。そういう主張をする人や団体がいることも不思議だし、それに賛同しデモストレーションを起こす多数?の国民がいることが理解できない。
安部首相については日本国民が判断するから構わないでもらいたい。他所の国の首長を弾劾しようとする韓国の国民性に首をかしげたくなる。

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予想外の台風被害

2019年10月17日 | 徒然の記

台風19号の被害は日を追って大きくなっている。というよりも日を追って被害の全貌が確認されていくというのがあたっている。
荒れ狂った台風が予想外の大きさで行政も把握が困難だったのだ。

先にこのブログで、降水量、風速、土砂災害の危険度の情報を繰り返すテレビ放送は避難に役立つだろうと書いた。
しかし、台風19号による死亡者は77人という(NHKによる)。あの念入りな情報で多数の死者がでてしまう程の大型の台風だったのだ。

泥に埋まった床、泥に浸かった家具等の後始末もできず不安に夜を過ごしいている人が未だに大勢いる。ゆっくり夜を過ごせるようになればいいなと願う。

 

 

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ラグビースコットランド戦から

2019年10月15日 | 徒然の記

テレビ観戦だがラグビーワールドカップスコットランド戦を興奮してみた。がっちりとぶつかり合う巨体、その巨体がトライを目指して突っ走るスピード、日本チームのトライには思わず「行け、行け」と声を出していた。
トライが成った時、「よしきた」と手を叩いていた。選手たちも抱き合って喜ぶがガッツポーズがない。これがよかった。

実は、スポーツのガッツポーズが好きになれないのだ。バレーボールでスパイクが決まると躍り上がってコートを走り回る。卓球ではスマッシュが決まると雄たけびを上げてガッツポーズをする。
オーバーなジェスチャーとか雄たけびで相手を圧倒するのもスポーツかもしれないが好きになれない。静かな勝者がいい。
テニスのような拳を握って自分を認めるガッツポーズはいい。

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台風を上陸させない 夢

2019年10月13日 | 徒然の記

昨夜の台風19号による河川の氾濫と土砂崩れによる被害が関東地方、東北地方のあちこちに起きていた。

昨夜は台風被害対策のための情報が繰り返しテレビで放映されていた。降水量、風速、土砂災害の危険度が地域別に色分けで表示されている。河川別にも増水状況が色分けされている。これらの情報は避難のための情報として有効に働いているのは間違いない。

しかし、物的被害を防ぐには十分でなかった。堤防決壊により浸水被害にあっている家がたくさんあった。

台風被害をなくすために台風を上陸させないのが一番いい。科学の発達が著しい今、できていいと思うのだが。

そこで夢物語。台風そのものを消滅させるには大きいエネルギーが必要だろうから台風の進路を変えて太平洋に導く。これはできないだろうか。台風の眼に何かしらの細工をして進路を変更させるのだ。
被災している人々を思いながらこんなことを考えていた。

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驚嘆! 98歳の瑞々しさ

2019年10月10日 | 徒然の記

いつものようにショッピングモールを散歩しカフエで2時間程過ごした。
読んでいた俳句の雑誌に小原啄葉が令和元年に発行した句集の紹介があった。
この人は98歳という。

この句集は最近6年間に詠まれたもので、そのうちの近作として次の3句が紹介されていた。

  ・ 円卓を回され海胆を逃したる

  ・ シャンパンの栓とんでくる花筵

  ・ 蚰蜓に生れし理由訊くもよし

昨日,今日の作ではないだろうが、98歳にしてこのように周囲を見、そして表現する感性を持っていることに驚く。

前回のブログで、86歳で逝った金田正一氏のニュースから寿命について感想を書いた。が寿命なんて考えず、日々の暮らしを輝やくように努めればよいのだ。

98歳の人が詠む俳句から思い立った感想である。

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86歳?近い

2019年10月08日 | 徒然の記

元プロ野球選手金田正一が亡くなった。86歳という。

400勝という投手として輝かしい実績をもち人柄も豪放で、かつ温かみの感じられる人であった。
1973年からかっての「宮城球場」を暫定本拠地としていたロッテの監督であり、2013年の楽天イーグルスが日本シリーズ優勝の時はしばしば宮城県に来ていた。
などなどから親しみを覚える人だった。

86歳というのは鬼籍に入っても不思議ではない年齢にも思う。ということは自分にはあと数年ということになる。
頭の半分ではその覚悟は持っている。残り半分の頭には、腰痛と痺れの持病を持つ身でありながらその実感がないのである。

だから、‥‥?。今日の文章は結論のないものになった。

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