千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

用をなさないポスティング 

2020年05月31日 | 徒然の記

郵便受けに広告チラシが入っていることは昔からあったことだが、近年それが多くなった。これをポスティングというそうだ。
高齢化社会が進み再注目されている宣伝広告手法だという。
我が家では利用したことはなかったが、近隣の人が副業に配布しているかと思うと無下に断わることができず、一通りは目を通していた。

だが、コロナ肺炎拡大を恐れる今の時期、それに目を通すこともなくすぐごみ箱に捨てている。不特定の人が配布する物で不要と思われるものは触れない方がよいと思うから。

私のような人が多ければポスティングは宣伝公告の用はなしていないと思うがどうだろう。
コロナ肺炎の混乱が早く収束すればと願うばかりだ。

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憂いなく暮らす日を‥

2020年05月28日 | 徒然の記

コロナウイルスの緊急事態宣言も解除され街の様子も活気と戸惑いの雰囲気にある。今朝のテレビでそんな街の様子が映されていた。
そのなかで工夫されたマスクが紹介されていた。プール指導で使う水泳のためのマスク、キャバレー等の接客のために使うマスクだ。いろいろ工夫がありそれを考える人間の知恵がすごい。

そんな時、以前見たSF映画のシーン思い出した。遠い未来、汚染された地球では地下のシェルターに入るか、地上では酸素を作り出すマスクをつけて生活していた。
この映画のようにはならないと思うが、しばらくの間マスクが必需品となるような気がする。

だが、コロナ肺炎の治療薬ができて、ワクチンができて、そして人々に集団免疫ができて何の心配もせずに暮らす日がくるのも間違いないだろう。
それまで感染しないことが大事だ。

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あの人たちは元気だろうか

2020年05月26日 | 徒然の記

BS放送に「世界ふれあい街歩き」という番組がある。世界の街を歩きながら街の様子や人の暮らしぶりを淡々と紹介するものだがなぜか心が引かれほのぼのとした気持ちで見ている。
きょうはスペインのパンプローナという街の映像だった。2017年6月に撮影したものらしいが牛追いの祭りで世界の祭りでも紹介される街だ。
人々は笑顔に満ち、生き生きとした生活の様子が心和むものだった。

このスペインが新型コロナ肺炎で悲惨な被害を受けた国である。
今日5月26日発表で、感染者235,000人余、死亡者27,000人余とある。
今日の映像に映っていた人にも感染者がいたのだろうか。そして亡くなった人はいたのだろうか。
元気でいればいいなあと思う。

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親が育てるよい子

2020年05月24日 | 徒然の記

いつものように杖を突きながらいつもの公園を散歩していた。足元が覚束なく杖を突きながらの散歩なので遊歩道である。

舗装されているので子供たちがキックボードやジェーボードでよく遊んでいる。
今日も三人の女の子(5歳位?)たちがジェーボードを必死に漕ぎながら正面から近寄ってきた。散歩道は広いのですれ違いが楽にできるはずだ。
だが5m程手前で、年上らしい女の子が「おじいちゃんが来たので止まろ」と声をかけて三人はジェーボードを降りた。
おじいちゃんとは私である。

この子たちの親は、ジェーボードの乗り方、人の通る道での乗り方などきちんと教えているのだなと感心した。
「止まってくれたんだね。ありがとね」と声かけてすれ違った。

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不良爺の戯言

2020年05月21日 | 徒然の記

今回は(も)不良爺の戯言と叱られそうなこと。

私も麻雀は若い頃からした。職場の同僚、遊び仲間で卓を囲み、ダメと知っていながら賭けていた。今でも若い人の麻雀は少額だが賭けていると誰もが言っている。
年よりの麻雀は、賭けない(金品を)、吸わない(煙草を)、飲まない(酒を)の三原則だが年をとるとそれでも楽しい。

今日の報道で東京地検の検事総長が賭け麻雀をしたとある。
それをこぞって批判する知識人、野党の政治家、この人たちは賭け麻雀はしないのかな?
そんなことはないと思う。賭けない麻雀は引退した老人だからわかる味わいなのだから。

それから不要不急の外出の自粛が叫ばれている時にした麻雀も問題となっている。だが私の知人で兄弟集まって麻雀をした人がいた。不要不急の原則に反するのか微妙なところだ。
この検事総長はどうだろうか。

いずれにしろコロナ感染拡大阻止への関心が削がれなければいいなあと願う。

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避難所生活はない方がいい

2020年05月19日 | 徒然の記

昨日は宮城県沖を震源地とするマグニチュード5.2の地震、今日は岐阜県飛騨地方を震源地とするマグニチュード4.2の地震があった。
そして、今日の天気図では低気圧が日本列島を離れず濃い雨雲が日本上空を通り終日雨降りの天気だった。

今一番あって欲しくないのは自然災害による避難所生活である。ウイルス感染拡大の温床となるのは間違いないだろうから。

昨日、今日の地震、雨では避難したというニュースは聞いていない。
良かったと思う。

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珈琲フィルターとコロナ

2020年05月17日 | 徒然の記

珈琲はドリップ式で楽しんでいるが珈琲フィルターは100ショップのある品に限っている。これは丈の低い箱にストックしている時、中央上部に爪のようなものがあって1枚ずつ取り出しやすいからである。
ところが10日ほど前に品切れと言われていた。珈琲フィルターは手作りのマスクにフィルターとして利用するのだそうだ。

その頃はコロナ肺炎の拡大に伴い本当にマスクは不足していた。それを補おうと手作りをする人々の工夫の表れだろうと頭が下がる思いだった。

そのフィルターが今日入荷したという。
また、近くのドラッグストアにはマスクもアルコール消毒液も陳列されていた。
それを本当に必要とする人にとっては一安心だろう。

溜め置くことだけを考えて買いだめをした人、その人の押し入れにそれらは大量にあるのだろか。
ひっそりとしまわれているに違いない。

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緊急事態宣言解除

2020年05月14日 | 徒然の記

今夕、安倍首相は8都道府県を除いて39県にコロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言解除を表明した。為政者、関係諸機関、医療従事者等の努力と、ステイホームの掛け声で国民の一人一人が積極的に不要不急の外出をしないように心掛けた成果だと思う。
自分としては生活用品の買い物、短時間の散歩はしたがそれほどの苦痛を覚えることはなかった。しかし、社会と深い繋がりを持つ若い人は大変な努力だったと思う。このような人が大勢いたから今日の緊急事態解除の結果があったのだ。
だが、我慢を重ねた人と対照的に、パチンコ店に行ったり感染者の少ない地域へ避難移動したりした人がいたようだ。恐らく開き直っての行為と思うが、今なにを思っているのだろうか。「考えない人」では貧相なヒトに思える。

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ゴールデンウィークのスティホーム

2020年05月12日 | 徒然の記

コロナ感染拡大に伴う非常事態宣言のなか、5月のゴールデンウィークはスティホームの合言葉でほとんどの人が不要不急の外出を自粛した。この「スティホーム」は東京都知事の記者会見で初めてしった言葉だが英語圏の言葉なのか和製英語なのか分からない。でも分かりやすい良い言葉だと思った。

家に籠った暮らしぶりがテレビ等で紹介されていたがいろんな工夫をこらしているのがよい。中に、高級弁当のテークアウトの利用者が多いという紹介があった。1万2千円の高級弁当が売れたという。
我が家では食べられない金額だが、商店主の工夫でありせめて気持ちを明るくと求める人がいても間違いではない。そして、ささやかに経済が回ることだから良いことだと思う。

私のゴールデンウィークは、マスクをし杖をついての30分ほどの散歩と庭の水撒き、そして夕食の炊事担当と、普段とあまり変わらないホームスティだった。

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春の自選句10

2020年05月10日 | 俳句をつくる

5月5日は立夏。二十四節気では既に夏に入った。

今年の春は、新型コロナ肺炎の話題で明け暮れた。日本全体が緊急事態宣言下に入り、不安と怒りとない交ぜの感情に包まれたような気がする。このコロナ感染も、昨日今日は少し収束の気配を感じてほっとしている。

一人よがりの趣味として俳句は作り続けたが春の句をまとめて掲載する。

 


 


 

春の句

 

公園に泣く子笑ふ子寒の明け

行き止まる雪間伝ひの鬼ごっこ

手作りと気負ふ少女のバレンタイン

海苔一枚一人朝餉に加へけり

タクシーにすでに客あり春の雪

絵ガラスの窓に語らふ猫の恋

山間の路に線描雪解水

春泥の裾を払ひて通夜に入る

春光やしとどの大地反照す

料峭や今朝も慣らひのウォーキング

母も子も政宗像も春夕焼

本降りの春雨となり軒の下

床上げに母の作りし蜆汁

故郷の街を車窓に春入日

青空を二股に分け春の川

料峭や臨時休校無音なり

夜爪ねと笑まふ母看る春暖炉

陽を溜めて鋤き入るを待つ春田かな

声弾む妊婦二人に木の芽風

寝過ごしの果ては終点月朧

芹鍋や悪疫潜む片ほとり

身を屈め指さし合ふて梅二輪

OBのボールに隣る蕗の薹

頬杖の視線真直ぐや猫の恋

更くる夜のショパンの旋律猫の恋

春泥や不意に抱かるる無言の子

一人発つ子を見送りて春の雲

名を置いて墓参は誰ぞ彼岸入り

すべきこと無きひと日なり蝌蚪の紐

人たかる街にウイルス牛に虻

ウイルスの暴走のまま桜咲く

止まり木にコロナウイルス春寒し

コロナ菌恐るるも今桜咲く

振り向かれ目合す女人初桜

ウイルスにせめて色でも桃の花

ショパンとはかまいなく鳴く猫の恋

春の野や雲の流れと風の息

ひとり旅の子を待つホーム桜まじ

桜東風を正面に受く九十九折

渋滞のあらぬ今年の花の坂

夜桜のところどころに覗く闇

二度三度姉呼ぶ声や犬ふぐり

片栗と見合ふ背後に昼の月

フラココの大いなる揺れ雲に跳べ

公園を訪う人まばら桜咲く

山一つ揺れ大いなる杉花粉

たんぽぽや寝転んで聞くビートルズ

小銭もて支払う媼暖かし

繩の字の旁手強し枝垂れ藤

噛み砕く終の喉飴暮れの春

大阿蘇の野焼きの後に妻逝けり

散り頻る桜淋しや杖に寄る

登園の子は貝寄風に遊びをり

たごまって端より崩る花筏

山桜揺らす水面を鯉の影

おさな児の立ち上がる手に春の土

雛菓子の棚に小声の姉妹かな

杣山に二つ繋がり木の根明く

手と足のてんでに歩む初幟

ヴァイオリンのポルタメントに猫の恋

母の忌に帰るからねと暮れの春

右折車の進めずにいる花の道

ちちははに両の手吊られ花見坂

口拭ふ二人の媼蓬餅

また列車の通る踏切大試験

洗濯機の回転止みて春の鳥

手土産の先に匂ひの焼栄螺

乗り損ねしバスの尻振る養花天

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