千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

しっこい迷惑メール

2018年11月29日 | 徒然の記

スマホはdocomoを利用しているが、先日、普通メールを受信した。
それは抽選で1万円プレゼントするというものだった。発信元のアドレスにdocomoという文字があったので応募してしまった。
まもなく当選の通知メールがあり末尾に女性が待ってますという誘いの文言もあった。
迷惑メールの類いと気付き開かずに削除したが、1日に2度3度と来るようになった。

さらに受信拒否の設定をした。だが、3日も過ぎるとまた来る。発信元のアドレスを変えて送信するから受信拒否の設定を潜りぬけるのだろう。

気長に拒否設定をしたり削除したりしているが。

そもそもこの煩わしいことに至ったのはdocomoという名前を信用し、1万円のプレゼントに欲を出した事に尽きる。
反省すべし。

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審査員と経験を共有した時入賞?

2018年11月27日 | 徒然の記

今日、雑誌「俳句」の12月号が届いた。これに、投句した俳句が佳作として掲載されていた。
すべて佳作であるが今までに7回掲載されたことになる。

角川出版社の月刊誌「俳句」を購読して6年程になるが、俳句初心者としては結構ためになる本だった。そして、4年前から平成俳壇に投句することにした。掲載されることは期待しないで毎月3句ずつ投句している。
日常の生活を誌的に捉えて表現できればと思い自分への課題のつもりだった。

それが4年間で7句掲載された。勉強の甲斐があったと嬉しくはあるが‥‥。

以下その7句である。

       知らぬふりしてすれ違うサングラス 

     眼球を彷徨ふ翳り半夏生 
  
     新薬の治験入院木の芽風 

     病床に座して沈思の妻朧 

       抱かるるも抱くも笑顔や千歳飴  

       着膨れて遠くなりたる足の爪

       袷着て杖に傾く立ち話
                     

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「行ったことある」義母のよく言った言葉

2018年11月24日 | 徒然の記

最近、BS放送で日本各地の鉄道の絶景巡りが放送される。
今日もそれを見ていて、義母との会話と妻との旅行のことを思いだした。

生前はよく義母の処にいっては茶飲み話しをしていた。
一緒にテレビを観ている時に、義母の旅行した所が映ると、「ここに行ったことがある」とよく言っていた。義母にとっては思い出の場所であり懐かしく思いだすのだろう。楽しい思い出の場所なのだ。

今日のテレビ放送は鉄路からみえる阿蘇山と中岳山頂などの紹介だった。
阿蘇山は6年程前妻と旅行した所である。今日映っていた中岳の遊歩道は二人で歩いた。そこから見える噴火口も紹介されていて懐かしかった。
が、今、その彼女は居ない。

以前に行った所を懐かしく思いだすが、それに加えて切なく悲しい想いも強くなる。
それがあの時の義母と今の自分の違いだと思う。

早く義母の境地になりたい。

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バス中の会話から

2018年11月22日 | 徒然の記

〇〇氏と街で昼食を一緒することになりバスで出かけた。
喫茶店とか郊外のショッピングセンター等広い駐車場のある所へは車で行くが街の中に行く時はバスでいくことにしている。

途中の停留所より一人の年配の女性が乗って来た。既に乗車していた人と知り合いらしく挨拶を交わしていた。二人の進む会話の中で「どちらに?」という問いがあり隣の市の親の住む実家に顔見せにという。今年も終わるが来月(12月)は仕事があるので今日いくことになったらしい。

実家から離れると常に顔をみせることはできないが、節目節目に顔を見せる。それがかなわない時は、年の暮れに顔を出す。
そのような触れ合いを大事にしているらしい人を知り心和むひと時であつた。

そういえば我が家は実家である。嫁いでいった妹が、盆、彼岸には夫婦で線香あげに来ている。

 

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冬の歳時記をよむ

2018年11月20日 | 徒然の記

俳句は当季雑詠というが、暦上は冬であっても実際の天候と体感上の差が大きく句作りに乗り気にならない時がある。
その対策として、歳時記上の季節に入った時、歳時記を読むことにしている。

今年の立冬は、2週間前の11月7日だったがそれ以来、歳時記の冬の部を読んでいた。
昨日で冬の部を読み終えたが2週間過ぎた。

それでも気分は冬のモードになり2首ほどできた。読んだことで目前の光景が、広く、深く冬の季語と結びつきやすくなっているような気がする。

だが、朝晩の気温が低いのでストーブを点けていたし、北海道では初雪があったとテレビで報道していた。
歳時記を読まなかったとしても、今は冬のモードになっているとは思うが。

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ハイテク機器は短期にする?

2018年11月17日 | 徒然の記

俳句の会がありバスで出かけた。道路を走るバスであるから停留所の時刻通りに発車することはまずない。10分も20分も遅れることがある。

最近は乗ろうとするバスが、今いるバス停から幾つ前のバス停を出たかを知ることができる。バス運行会社のインターネット活用による「どこバス」というサービスの提供で、スマホを使い簡単に利用できる。
これはバスが遅れることがあっても時間の予測がつくことから落ち着いてバスの到着を待つことができる。

ところが、今日はスマホを忘れてしまった。バスの来る時間になってもなかなか到着しない。傍の電柱に寄りかかっていつ来るかいつ来るかと待っていた。

以前はバスの遅れることにあきらめがあり、のんびりと待っていたように思う。
だが、スマホに慣れたことからの反動であろうか、短気になったような気がする。

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「哀しみ」が「思い出」に

2018年11月14日 | 徒然の記

「生きていくうちに面影は薄れる。残るのは記憶だけ‥‥。」

今日観た映画の冒頭のナレーションである。
妻が逝って1年余、彼女の面影を追い求めるから切なく思いだすのだろうか。

先日、スペルマン病院の追悼ミサに参加したが、栞の病院長のあいさつ文に
「‥‥残されたご家族にとってはどんなにか深く辛い悲しみであろうと思います。いつか思い出となり、その悲しみが少しでも癒されることを‥‥」とあった。
今は面影を追い悲しんでいるが、それが薄れ記憶として残る頃が、思い出となり哀しみの癒される時ということだろうか。

妻、あるいは夫に先立たれた人は、3年間は辛かったと語ってくれる。

頻度は少なくなったが妻の面影を追う時、彼女との様々のシーンが思いだされて切なくなるのだ。

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若きスケーター宇野昌磨

2018年11月12日 | 徒然の記

9日、10日とフィギァースケート・グランプリシリーズ第4戦・NHK杯が開催され、日本の宇野昌磨が優勝した。GPシリーズ2連勝となった。

ジュニア時代から活躍していた宇野昌磨だが、シニア大会に出始めた頃から、亡くなった妻と私は応援していた。特に彼女は彼の大ファンだった。キリっと引き締まった体に初々しい顔立ち、キビキビしたスケーティング、彼女はテレビ画面をうれしそうに観ていた。

昨日の宇野昌磨のスケーティングは、ベテランの安定した演技だった。体形も以前と変わらず、加えて表現が豊かで魅力的な氷上の宇野昌磨であった。

かっては、演技一つ一つに声を上げていた妻に、昨日の宇野昌磨を見せたかった。
それのできないのが残念。

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追悼ミサに参加して

2018年11月10日 | 徒然の記

今日は光ケ丘スペルマン病院より追悼ミサ開催の案内が来ていたので参加した。

肺癌で亡くなった妻の終末を迎えた病院である。
ここはホスピタル病棟と内科病棟があるが、彼女はホスピタル病棟ではなく内科病棟でお世話になりここで最後の時を迎えた。

今日の追悼ミサは2017年9月~2018年8月に逝去された人たちへのものということだが、ホスピタル病棟、内科病棟合わせて279名の物故者の名があった。終末期の癌患者を受け入れ、手厚く介護してくれる医師を中心とした職員にはただただ頭の下がる思いがする。

仏教徒である自分として、キリスト教のミサは初参加である。神父を仲立ちとして賛美歌を交えながら、神あるいはキリストへの感謝を唱える。参列者が主体的に参加するミサは仏教とは違う良さもあると思った。

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今日は立冬、俳句の節目

2018年11月07日 | 徒然の記

今日より冬の季題で俳句を作ることになる。
俳句を始めて7年、所属している会の句会や機関紙への投句、俳句雑誌への投句、気の向いた俳句大会への投句、などなど季節ごとに60句程度作っている。

俳句に限らず各種の催しへの出品は未発表の作品に限るというのは当然のことである。
が、最近の俳句の投句については、自分のブログなどに発表したものも発表済とされている。

気にいった催しには投句するかもしれないとなれば未発表の作品も残しておきたい。

そんな事情からこのブログも当該季節が過ぎてから一括して載せるようにしている。
ということで、この秋の作品である。

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