千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

間違って覚えていた

2021年09月30日 | 徒然の記

最近、BS放送の「世紀の映像」を見て、50年間まちがって理解していたことを知た。

ケネディ大統領暗殺から50年。私の若い頃に起きた信じられない事件だった。選挙遊説中で一部始終がテレビに映されていた。大統領が撃たれた映像と、その次ぎに、走行中の車の上を急いで後方に這い進んでいる大統領夫人の映像があった。前方の座席にいた夫人が後部席で撃たれた大統領に必死の思いで近寄っていったものと思って感動していた。

ところが今日の「世紀の映像」によると違っていた。
ケネディ大統領と夫人は隣合って座っていたのだ。車の後方へ必死に向かっていたのは撃たれた大統領から一目散に離れていたのだった。
一心不乱に近寄る夫人の行動は夫婦の愛情と思い感動していたが、この放送をみて少し薄れた。
恐らくボディガードの指示とは思うが。

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独り善がり ? 

2021年09月28日 | 徒然の記

今日は久しぶりにいつもの公園を散歩した。外周するのだが半周した位置にベンチがあり、最近そこまで歩くのに気おくれがあったので公園は避けていた。
以前のように2周はしたが、杖を突きながら半周先のベンチまでの歩行は痺れが酷く足の運びが大変だった。病の進行もあるのだろうが加齢による筋肉の衰えもあるのだろう。

ベンチに休んでいる時、傍のベンチから二人の高齢者の会話が聞こえてきた。「妻より前に死にたい」という内容だった。
妻が亡くなり3年経過したが、一緒に過ごしたことを思い出しては結構つらかった。残された者のこの辛い思いを妻にさせないでよかったと思っている。
が、もし逆になっていたとしたら?。私の独り善がりということもある。

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差別 ?

2021年09月26日 | 徒然の記

差別というのは古代の世からあったのだろうが、人口が増え文明が進化するとそれに適合できる人、取り残される人が増え差別もより多くなるような気がする。
性、人種、心身障害、民族、宗教、貧富、学歴、思想等々対象はきりもない。自分が被害者となったという思いもなく周囲にもそれを訴える人がいなかったが、自分として差別はしていないという自負があった。

といいながら、最近感じたこと。
今は著しく減少しているが、爆発的なコロナ感染拡大の時にもワクチン接種の反対を主張する人がいた。もし反対主張者と分っている人から食事に誘われたら一緒するだろうか。何かしら理由をつけて断ると思う。そして疎遠になっていくような気がする。
ワクチンは必要と思っているので、身を守るためのこの心の動きが差別になるのかと自問自答している。

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二兎を追えない入浴

2021年09月23日 | 徒然の記

自分の生活で贅沢と思う一つに入浴がある。同居の家族は朝のシャワー派で、私は足を伸ばしてゆつくり湯に浸かるのがいい。毎日、一人だけ入る風呂は新規の湯で3日入るとはいえかなり贅沢と思う。

風呂場の窓は湯槽の縁より少し高い程度で、窓を開け露天風呂の気分でゆつくり入ることが多い。冷っとした外気が心地よい。
道路沿いではあるが塀があり細ながく空地もあって、かつ風呂場の電気を消しているので、その気にならなければ覗かれることはない。
今の時期、虫の音を聴きながら湯舟につかるのはいい。

露天風にしない時は、Bluetoothを利用した防水のスピーカーを風呂場に持ち込んで好きな音楽を聴いている。だが、この時は道路に聞こえないように窓を閉めなければならない。ということは、露天風の入浴か音楽を聴きながらの入浴か、その日の気分での選択となる。

残日不明な余命の贅沢?

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閉め忘れの窓 

2021年09月21日 | 徒然の記

「暑さ寒さも彼岸まで」というが過ごしやすい気候となった。それでも晴の日は窓を開けて風を入れると家の中は気持ちがよい。

最近はそういう日が続いている。
そして、日暮れを迎えた時、部屋の中や廊下に虫の声がしっかりと聞こえ、秋になったなあと実感する。
そのうちに、この聞こえ方はあまりに身近で、庭に出ている時と同じと思っているうちに窓の閉め忘れに気づく。
今日で3回目となつた。窓には網戸がありレースのカーテンも閉めている。それで開けた窓の閉め忘れに気づかなかったのだ。

秋の虫の余韻も楽しめた気もするが、認知機能の衰えの一種かなとも考えてしまう。

コメント (2)
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第6波はこないで

2021年09月19日 | 徒然の記

19時のNHKニュースで、今日のコロナ新規感染者は3401人とあった。日本全体の話である。3週間前には信じらない程少ない数で嬉しくなる。

これは、全国的な非常事態宣言による都市間の人流抑制のため、人の集まる店や施設の感染予防取り組みが細やかになつているため、国民一人一人が感染予防を重視し無鉄砲な行動をしなくなつたため、そして、ワクチン接種者が増加しているためなどすべてがよい方に向いていた結果と考えたい。
国民一人一人がコロナウイルスに真剣に向き合うようになつた結果と考えると嬉しくなる。
加えて、感染者もワクチン接種者も増えたことで、国民全体に抗体者が増加したと都合のよい空想もしたくなる。
ただ、最近の減少についてきちんとした見解は発表されていない。

これからの時代、ウイルスの恐怖は起こり得る。そのためには行政等にまかせるだけでなく、私達一人一人が如何に向きあうか考えていかなければと思っている。

反動の第6波は来てほしくない。

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若者

2021年09月16日 | 徒然の記

今まで若者に乱暴にされたこともなく、この年寄りにもやさしく接してくれるので若者は好きだ。そしてこの困難な時代に一生懸命働く若者はいい。

今日も、東京の孫には叱られるが散歩と読書を目的にショッピンセンターに出掛けた。散歩が済んだら珈琲タイムにしながら1~2時間読書などをする。
今日のショッピングセンターにはフードコートがあり、その一角にカフエ・ドトールがあった。
ウイークデイでもあり広いフードコート内の客は少ない。その客が食事を終えて席を立つとすぐ若い店員が来て、アルコールを吹きかけながらテーブル等を隅々まで拭いていた。
このフードコートだけでなく居並ぶ店で若者は甲斐甲斐しく働いていた。

そんな光景を見ながら少し感傷的になっていたようだ。

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夏が終わって気付いた

2021年09月14日 | 徒然の記

今年の夏は「危険な暑さ」といわれる日が何日か報道されるほど暑い日が続いた。そのため独り住まいにはもつたいないがエアコンは昼も夜も躊躇なくつかうことにした。
だが、日盛りから家の中に戻った時、夜は長風呂でくつろいだ時、エアコンをつけていいても身体の深部までなかなか冷えない。体温の調整機能が衰えていると実感している。それで風呂上りなどは素裸で過ごすことがよくあった。

そして、昨日今日。暑いとは思うがさすがにエアコンをつけるほどではない。そのうちに冷蔵庫にあるアイスノンを両わきに挟むことにした。片脇ずつ3分瞑想をしながら挟んでいると体が涼しくなつていた。

アイスノンは病気などの発熱の時に利用していたが暑さ対策にもよかったのだ。もっと早くから使っていればよかつたと改めて思った。

 

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「ワクチン接種終わった?」

2021年09月12日 | 徒然の記

コロナワクチン接種会場も多くなり接種する人も増えて来たし、若い人たちの接種も広まってきた。11日更新の情報では、全国の一日の新規感染者数は一万人に満たなかった。各地の異常事態宣言のためもあるだろうがこのまま収束に向かって欲しいと思う。

親族や本当に近しい人との会話ではワクチン接種が済んだかどうか会話になる時がある。だが、世間話程度の間柄ではその会話をしたことがなかった。
それが正しかったのかも知れない。
病気のために接種できずにいる人もいるがワクチン接種の反対を主張する人も結構いるようだ。理由はわからないが、その人に「ワクチン接種終わった?」と気軽には言えないような気がする。

でも、感染者がワクチン未接種の人と聞くと複雑な心境になる。

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先入感があった

2021年09月09日 | 徒然の記

常滑市で開催された野外フエステイバルが問題となっている。スナップ風の写真でみる限り観客は超過密状態となっている。マスクなしの人も多く、アーチストの気勢に観客が大声で応え、曲に合わせて絶叫しながら踊り、酒類もあつたという。コロナ感染時の野放図なこのフエステイバルは誰もが非難している。

音楽フェスティバルはロックのイメージだが、この音楽の特質からコロナ感染時代には不向きと冷めた思いがあった。
ところが、この思いが少し変わった。ある音楽主催者のフェスティバル開催への取り組みがテレビで放映されていた。彼等は入場者数、マスク、手拍子のみの参加など神経質に気を配っていた。椅子を一つづつアルコールで拭くなど音楽への強い思いから活動をしている様子がみえた。
国の定めたルールをきちんと守って活動しようとする人たちにはむしろ応援があつてもいいのかも知れない。そして観客もしっかりした節度を持つことだ。
常滑市の野外フェスティバルが例外的に悪かったのだ。

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