久しぶりに午前8時台の地下鉄に乗った。勤め人等それぞれ目的があって出かける人たちのように思う。所在投げな振る舞いをする人は誰もいない。
そして乗客は誰もがマスクをしている。到着した駅でも乗降客は全員マスクをしていた。人込みの中でしなければならないことをしっかりとする若い人たち。このような光景を見るとホッとする。
いつもは昼頃外出するのだが、周囲にマスクをしない年寄りが結構多いのが気になっていた。
でも、今朝の地下鉄のマスクをしている乗客の様子から、日本はこれからもよくなるような気がした。
久しぶりに午前8時台の地下鉄に乗った。勤め人等それぞれ目的があって出かける人たちのように思う。所在投げな振る舞いをする人は誰もいない。
そして乗客は誰もがマスクをしている。到着した駅でも乗降客は全員マスクをしていた。人込みの中でしなければならないことをしっかりとする若い人たち。このような光景を見るとホッとする。
いつもは昼頃外出するのだが、周囲にマスクをしない年寄りが結構多いのが気になっていた。
でも、今朝の地下鉄のマスクをしている乗客の様子から、日本はこれからもよくなるような気がした。
情報化社会などと言われる今、その一環にマイナンバーカードの普及が叫ばれている。自分としては、身分証明が必要なら自動車免許証で足りるし、その必要はないと思っていた。
ところが、高齢者はマイナンバーカードを持った方がよいのではと思い始めた。
今は車の運転もできるし自分の用事は自分で済ませることができる。だが、早晩市役所などへ出かけることも面倒になる日が来る。そんな時諸届がコンビニでできるというならこれ以上よい事はない。それに自分が外出できない時、頼まれる家族にもよいはずだ。
思ったが吉日、早速マイナンバーカードの交付申請をする事にした。市役所は込んでいると聞くが、申請は郵送、パソコン、スマホからできるという。
スマホからの申請に挑戦した。写真の用意に手間取ったが3時間ほどで申請を済ませることができた。
あとは市役所からマイナンバーカード受け取りの連絡を待つばかりである。
前回のブログにインフルエンザは空気感染と書いたが間違っていた。正しくは飛沫感染でした。
インフルエンザは冬の空気の乾燥した時期に流行するから空気感染という思い込みがあったようだ。
飛沫感染ということはコロナ菌対策のマスク、手洗い、三蜜を避ける延長にインフルエンザの予防があると思うがどうだろう。そうはいっても24日23時50分の発表では国内の1日の新規感染者は731人とあった。
十分過ぎる注意をしながらも感染する人が居る。本当に気の毒に思う。
しかし、最近マスクなしの人がちらほら見かけるようになったが、感染予防意識の希薄な人もいる。
社会活動とコロナ、インフルエンザの感染防止を両立させるために一人一人がさらに努力しなければならない。
昨日、「慢性炎症性脱‥‥」の持病の診療のため病院に出掛けた。診療といっても問診が主なものだが、今回は11月に入院治療することに決まった。
ついでにインフルエンザの予防注射も済ませてきた。
コロナ感染予防のためにしている手洗い、マスク、三密を避けることがインフルエンザの予防にもなると思うのだが念のための予防注射である。
コロナは飛沫感染で、マスクは自分が保菌者となった時他人に感染させないためのものだ。インフルエンザは空気感染であるので他人へ感染させないより自分が感染しないという思いが強くなる。そのため、インフルエンザの感染予防を目的に高機能のしつかりしたマスクを着けることにする。
それが両方の感染予防に繋がるように思うがどうなんたろう。
1週間程前、アルバイト職には退職金やボーナスの支給はなくともよいという最高裁の判決があった。
知人に仕事は非正規でよいとする人がいた。残業、転勤など強要がないので会社に縛られないのがよいという。そして好きな旅行、海外旅行も含めて自由に計画できると。管理職にならずとも十分生活がエンジョイできるともいう。
だが、正規職員になることは自分の給与だけでなく、会社等の利益のために一生懸命になるということである。そのためには我慢を重ねることもあるかもしれない。
その代償としてボーナスがあり退職金があるものと思っている。
だからこの度の最高裁判決はよかった。
いや、アルバイトであっても自分達は一生懸命だった言うかもしれない。が、会社等の構成員として自覚しているかしていないの差はやはりあると思う。
この判決は不当判決であると声高に主張しているがその価値観に首を傾げてしまう。
最近、出来事のあった時を西暦で表記されているのが好きになった。東京オリンピック開催は西暦1964年というように。
私の若い頃は和暦の表示が多く東京オリンピック開催は昭和39年となる。20年以上も前の現役の頃は和暦の表記がよかった。昭和〇年、平成〇年とあれば大雑把にどの辺の時代かを知ることができた。
だが、平成、昭和も過ぎ去った今、和暦で示されると時代のイメージがはっきりしない。
昭和53年ファミリーコンピューターが発売されたとか、美空ひばりは平成元年に亡くなったと言われても自分にとってどの頃かしっかりしたイメージが持てない。
ところが、私の生年は西暦1940年である。美空ひばりの逝去は1989年とあれば、私は49歳となる。西暦の表記は自分の年齢と重ね合わせることでその頃の様子が鮮やかに思い浮かぶ。
だから西暦の時代表記がよくなった。
冷房、煖房の共用のエアコン購入で随分と悩んだが不自由な体になった時に家族への迷惑を減らすためにはあった方がよいと購入を決めた。
エアコンには温風、冷風を効率よく部屋の中を巡らせるための機能、短時間で部屋を適温にするたの機能等至れり尽くせりである。それらの機能のあるエアコンが高額になっている。
今までの生活が贅沢でなかったこと、根が貧乏性であることから機能にこだわらない実利的な品を選ぶことにした。
そして、未だ使わないでいたコロナ給付金を思い出したのもエアコン購入の後押しとなった。
早速家電量販店に行き購入の手筈をしてきた。
しばらくは石油ファンヒータ―による煖房になると思うが、
さて、このエアコン何年使うのだろうか。
これからの季節、煖房をどうするか悩んでいる。富士通のホットマンが寿命で使えなくなったので、一昨年より部屋ごとに石油ファンヒーターを置い冬をすごしていた。
これからは年齢と身体の故障が多くなるのだから石油の購入とストーブへの注油が大変になるのは間違いない。また、注意力の衰えから失火ということもある。
そのようなことから煖房を石油から電気に変えることにした。いまエアコンは性能もよくなり夏の冷房と冬の暖房も兼ねられると言う。
早速家電量販店に行って相談してきた。14畳と10畳の2部屋の設置を考えているが、出された見積もりの金額に驚いた。機種も数多くあり付加機能により価格もピンからキリである。
どうしょう。
余命がすぐそこなのに高額な買い物をするか。それとも、間違いなく来る不自由な身が暮らせる環境を作っておくか。
もう少し情報を集めてみることにする。
娘は勤め人なので、日曜日以外の家事は私の担当である。そして家計のやりくりもしている。賞与等の臨時収入もなく毎月一定額の収入とにらめっこだ。
そこで、クレジットカードや電子マネーを活用してポイントを獲得することを考えた。それに5%値引きの日も時々ある。最近は、家具、日用品等に加えて電気料金もクレジットカードや電子マネーを活用している。
幸いスマートホンは多少使いこなせるので役立っているし、多少でもポイントが家計費に回ることで自己満足している。
よく行くスーパーに電子決済の無いのが残念だったが、最近クレジット決済ができるようになった。これは店のポイントと電子決済のポイントの二重取りができると喜んだが、それはあり得なかった。電子決済をすれば店のポイントはないという。
店側にすれば電子決済の分のポイントも負担するのだから当然のことであろう。ぬか喜びに終わった欲深な自分を少し恥じた。
梯子や脚立に上ることは全く出来ないので今年の庭の樹木には全く手を入れていない。樹々は茫々としている。樹々の下は、生前妻が鉢で育てていた万年青を5か所に分けて直植えにしたものと庭石が配置してある。
雑草は放置しないことにして万年青と樹々を焦がさないように気をつけながら石油バーナーで焼くことにした。下半身が不自由なための工夫である。
手入れをしない樹々はみつともないが、地面に雑草がないのは荒れ果てた庭には見えない。これは発見である。
庭の中辺りに金木犀があるが今満開だ。手入れをしていない金木犀は伸び放題で、その分無尽蔵に金色の花をつけている。そしてそれらの花から出る香りが庭に満ちている。
気の向いた時、庭に出てはアウトドアチェアに座り金木犀の花とその香を観賞している。
木深さに香り這はする金木犀 千字