千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

歌集 滑走路 

2021年08月31日 | 徒然の記

1週間程前、整骨院の待合室の新聞に「歌集 滑走路」の広告があった。
32歳で自死した非正規雇用の人の歌集とある。
俳句では自分の生きていく様の表現は無理と思うが短歌ではできるのかと読んでみることにした。市図書館よりの貸出である。
感想は、将来に不安を持ちながら生きる作者が理解できたような気がする。800字内を目指すブログである。胸に響いた短歌の一部をコメントなしで載せることにする。

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一心同体 

2021年08月29日 | 徒然の記

今、パラリンピック開催中である。
生まれつきか不慮の事故又は病気で障害者となった人達のスポーツの祭典だ。障害を克服した信じられないプレーに感動するが、介添者が選手と一心同体となってプレーする姿もよかった。

先日、テレビ中継で視覚障害者のトライアスロンを見た。
全く目の見えない選手と介添者が短い紐で結ばれて、水泳、二人乗りの自転車、そして走と25.75㎞の速さを競うものだ。
水泳が終わるとこれから履く靴を手探りで探し、自転車では狭い通路を介添者と一体となりペダルを踏み続け、ランの時は地面のちょっとした起伏が見えずよろけてしまう。
そうしたことに介添者と一体となり対処していく選手たちだった。
初めて見たパラリンピックのトライアスロンだったが‥、一生懸命応援した。

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身近にも‥‥ 

2021年08月26日 | 徒然の記

一昨夜のこと。
近所の家の前に救急車が止まった。覗いてみると運転手を含めて皆防護服を着ていた。コロナ感染に関連した救急車かと思ったが、しばらくして救急車は去っていった。患者を乗せたかどうかは遠くで見えなかった。

今、制御が効かないという言葉が出るほど新規コロナ感染者数が増加している。しかし、感染者はどこの誰かは公表されない。それは正しいことだが、コロナ感染の凄まじさを身近に受け止めず他人事としているところもある。感染者数が連日増え続けているのだから、身近にも感染者がいると考えてよい。
救急車乗員の防護服姿を見ながら思いを新たにした。

なお、当市は救急隊員の安全のため随分前から防護服着用で出動するということを知った。
近所の人がコロナ感染者がどうかは確認していない。

 

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すっぽんぽん

2021年08月24日 | 徒然の記

夏の風呂上りは温まった体から汗が引かず、1時間ほど下着のなしのすっぽんぽんで居ることが多い。冷蔵庫やトイレ等の用事も1階での移動は素裸のままだが、カーテンは閉めてあり覗く人もいないだろうと安心している。
だが、地震等の突発的な大惨事の後は無様な老人が横たわっていることになる。が、それはないだろう。
風呂より上がるのは10時以降にしているので、同居人の娘はそれまでに2階に引き上げてもらう。1階にある台所とか洗濯機の用事もそれまでに済ませてもらうことにしている。

妻がいればこういうことはしないだろうし独り身の年寄の気儘だろうと自覚はしている。

 

 

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自制があっていい

2021年08月22日 | 徒然の記

厚労省の22日0時のホームページ更新では、日本の新規コロナ感染者数は25,461人とあった。そして、行政の指導は、不要な外出を控えてください、帰省は控えてください等々人の流れを抑制するためのお願いと商売関係の営業規制だけ。自由主義社会の限界なのかなと思う。世の中の経済を途絶えさせることもできないので、国民の善意頼みのお願いだけの対策しかない。
そして自粛疲れとか我慢や制限の限界だと、思うがままに行動する人も多くなっている。
他の自由主義の国ではロックダウン等の荒療治もしているようだが、現政権にはそのメリハリが見えないような気もする。

だが、自分の主張を通す人が増え感染拡大が激しくなると政治的な強制力があるべきという考えが広まるかも知れない。そうならずに自由社会であり続けるためには国民の自発的な自制も必要と思うが。

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夏の句UP 2021年

2021年08月19日 | 俳句をつくる

今日は久し振りの暑さとなったが、立秋は8月7日、既に過ぎている。遅い夏の句のUPとなった。
独りよがりの俳句だがまだ続いている。

 


 


 

夏の句一覧 (2021年)

 

洗濯機の異音間遠の五月晴

水撒くや花壇の土の均されて

ちよきで四つ進むふみいし木下闇

薔薇買うて領収書にはバラとあり

踏み石に歩幅を合わす木下闇

時刻む音のうつつや昼寝覚

花は葉に園は隅より昏れそめて

春の昼インターホンに女声

組む足の日傘に触るる乗り合ひ席

カーテンの襞に馬見て昼寝覚め

紫蘇畝の三列残る耕土かな

踏石の果ては明るき木下闇

すれ違ひすれ違ふ蟻空を見ず

東京は異郷帰省のかなわざり

エアコンの潜める音に死者の声

トレモロのギターの余韻虎が雨

亡き妻の気配ほとりに草むしり

買ひ出しの列ディスタンス五月雨

夫婦にててワクチン済めば夏料理

夏怒涛足先に触れ退りけり

ヘビメタに身を包ませて半夏生

揺るる身を支ふるる杖や野分風

身の丈を超ゆる獲物で蟻帰還

風そよと来て紫陽花の雨曇り

両の手にごみ出し袋梅雨の朝

        尖る葉のさやに空向く松手入れ         

風香る杖のリズムが歩のリズム

丈違ふ向日葵二本道のへり

ストレッチの形のままの昼寝覚め

窓よりの風に加ふる団扇風

ゆるゆると風の生まるる団扇かな

冷ゆるまで音のやかまし古エアコン

干しものを連ぬる長屋燕の子

自粛止み肩の触れをる夏セール

小流れに笹舟競ふ夏わらし

通夜仕舞ふころの守宮や媼逝く

新月の真夜に煌々塾明かり

種吹いて萎みきる肺さくらんぼ

点滴器外れて軒の燕の子

また今日も危険な暑さ窓の外は

配膳車の遠く酷暑の夕べかな

炎帝やビル角折れて陰に入る

臨終の報にタクシー野分風

行く汽車に背を向けてゐる向日葵群

無言にて見合ふ二十歳のアイスクリーム

見合ふとき眼鏡に白き夏怒涛

姉妹してキティの絵柄海水着

ちと口の開けをる遺影魂迎え

千切れては闇に紛るるキャンプの火

バス停へリュックの媼蝉時雨

花葵遥かな記憶母の花

大口の異様に赤き燕の子

庭の樹を戦がせ喜雨のきたりけり

クーラーの効かぬ部屋より廊の冷へ

梅雨曇りさっき消えたる頭痛来て

 

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これも性 ? 

2021年08月17日 | 徒然の記

16日23:58発表の、日本の新規コロナ感染者数は14,847人とある。1日で1万5千人も感染している。
感染予防は三密をさけることと行政も報道関係者など誰もが云う。だが、これに逆らう人も多くいる。
ウイルスは感染により、人体の中で増殖しその過程で変異する。感染者が多くなればそれだけ変異株がふえ続けるのだから、一人一人の感染しない努力が必要である。
大多数の人はその努力をしているが、自分はコロナを恐れない等と嘯いている人もいるようだ。行政関係者、報道関係者、医療従事者などにも酒を伴う飲食会をしたことが時折報道される。
罰則がないということで自分の欲を優先させてしまうのが人の性というものだろうか。

よく世間を騒がせる不倫もこれと似たようなものと思う。

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嫌いが好きになった

2021年08月15日 | 徒然の記

音楽は楽しむ程度の付き合いだが、今の流行りの曲は好きでなかった。偏見があつたようだ。

昨夜,「ハモネプ大学日本一決定戦」のテレビ放送(録画)を見た。素人のグルーブがいろいろの曲をアカペラでする演奏だが楽しかった。テレビから離れられず2時間見続けた。
近年発表されたYOASOBIの「怪物」「もう少しだけ」「夜に駆ける」、米津玄師の「打ち上げ花火」「感電」等々、流行りの音楽は好きでないと避けていた曲だ。それに聴き入ってしまった。
アカペラによるヴオイスパーカッションとかコーラスが新鮮だったのだろか。リズム、ハーモニー、歌詞すべてよかった。

そして、今日、音楽配信を利用して、昨夜のアカペラ演奏の曲を普通の演奏で聴いた。
好きになった曲が多かった。理解できないものとして抱いていた流行りの音楽への思いが変わった。

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あおいの花

2021年08月13日 | 徒然の記

昨日のことだが、歩くことから遠ざかっていたのでショッピングセンターにでかけ各階の廊下を歩いてきた。その帰り道、ある家で塀より高く立葵数本がピンクの花を咲かせていた。

しばらくぶりで見たような気がするが、このあおいの花は、私が小学校5年生の時亡くなった母が植えていた花だ。食道癌で若くして亡くなつたが小柄な母だった。食事の時の態度や悪さをした時に叱られた様子が漠然と思いだされる。だが顔の記憶は全然ない。70年前の田舎暮らしのせいだろうか写真が一枚もない。

小さな家の庭先と母とあおいの花、そこに矢車草が咲いていた。
幼少の時の記憶である。

 

   花葵幼き記憶母の花   千字

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オリンピック後のいろいろ 

2021年08月11日 | 徒然の記

オリンピックが終了した今、海外の選手たち、記者たちのコメントがいろいろ発表されている。概して、開催したことへの賛辞とか接した日本人や日本文化を好意的に受け止めているように思う。開催を心の内で願っていた自分としてはこのような評価を聞くのはうれしい。特にボランティアの誠意のある活動に感謝している人が多い。

このボランティアには多くの人が辞退していたことを思い出した。そして聖火ランナー辞退者も多くいた。これには体の不調による辞退もあるが自分の主張として辞退する人もいたように思う。このようなことを乗り越えてのオリンピック開催に感無量の思いがある。

また、ことごとく日本のあり方について批判ばかりする韓国の報道が信じられなかった。韓国の多くの国民が同じ気持ちということだろうか。儒教の国である韓国がといつも思う。
私自身は日本の報道のみから得た情報なので、思いに偏りがあるかどうかは分からない。

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