千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

屋根の上のテレビアンテナ  

2023年09月28日 | 徒然の記
バスの窓から何気なく外を見ていると、テレビ視聴のアンテナが2本立っている屋根が多い。1本は2011年まで使われていた地上波放送のVHFアンテナで、もう一本はそれ以降の地上波デジタル放送のUHFアンテナだ。
VHFアンテナは、デジタル放送となった今は何の役目もなく単に撤去しないでいる無用の長物にすぎない。
そして、そのVHFアンテナは素子の長さが不揃いで幅広くヒラメ型といい、UHFアンテナは素子の長さが短く揃っていてサンマ型というそうだ。
広い屋根に1本だけすっきりと立っているサンマ型のUHFアンテナは小気味よく清々しくさえ見える。
我が家の屋根にも古いアンテナは撤去しないままで2本のアンテナが立っている。そのうちにすっきりした屋根にしたい。
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困った時の神頼み 

2023年09月26日 | 徒然の記
下半身の痺れ、腰痛は掛かり付けの医師も否定しなかいから持病からくるものだろう。最近は手足の筋力の劣ろへが顕著で杖に強く頼るようになった。webで調べてみると、進行すると筋委縮や重度の身体障害に陥るらしいが、その頃は寿命だろうからそれほど心配はしていない。だが、痺れと腰痛が緩和し、もう少しなめらかな歩行がしたく、骨盤矯正と下半身のマッサージをしてみることにした。これらの施術は持病そのものの回復は適わないだろうが、痺れと腰痛が緩和しないかという期待である。どうだろう?。
街を歩いている時、渡されたチラシでお試しをして、試すことにした整骨院である。
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歩行者への運転手のマナー 

2023年09月24日 | 徒然の記
バスを降りて家に帰る時、信号機も横断歩道もない道を横ぎらなければならない。車の通行量の少ない田舎道だが横断する時は道路の端に立ち止り右、左共に車の来ないことを確かめ、道を直角に横断している。
今日もそうした。左方の遠くよりオートバイがこつちに向かっている。右方の100mほど向こうに2台の自動車が近づいてきた。これらの車をやり過ごして横断しようと道の端に立ち止って待っていた。すると右方から来た2台のうち後の車が私の前に停車し手で横断をうながしている。会釈をして左側をみるとオートバイもきちんと停止して私を待っていた。
車の運転手に丁寧に会釈しオートバイの人には会釈と礼を言いながら横断した。
これらの車がそのまま通り過ぎても何の不満もない。初めからその気持ちでいたのだから。でも、停車してくれたことに運転手の人となりがわかったようで嬉しくなった。そしてそれらに謝意を返すことは当然のことと思う。
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車を手離す踏ん切りを

2023年09月21日 | 徒然の記
高齢者運転の交通事故がまたニュースになっている。アクセルとブレーキを踏み違えて店舗に飛び込んだ人、一時停止の標識を無視して他の車と衝突した人、高速道路を逆走している人などだ。
逆走といえば、どうしてそうなるのか、逆走に気付いた時どういう気持ちになるのか。その心情を知りたくWebで探したが見つけられなかった。
勝手に想像すると高速道路の出口より入ってそのまま進めば逆走になる。逆走と気づいた時の狼狽と不安な思いはどんなんだろう。車を止め、ハザードランプをつけて警察等に連絡することは考えないのか。この判断ができないなら車は放した方がいい。
車のない生活は大変だ。1時間に1本のバスの通う郊外に住む自分としては切手1枚買うのに半日費やす。でも、不便さを受けいれ早く慣れることだと思っている。
退職している身分だから言えることかも知れないが。
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動線に立つ人

2023年09月19日 | 徒然の記
始発からバスに乗ることが多いので途中幾つものバス停を通過する。あるバス停で5,6人が列を作って待っていた。その列の3番目の人がそばのポールにつかまって立ち止まっている。その後の人は前の人が進むものと立ち止まっていたが、立っているだけと知り、その人をよけるようにして乗ってきた。立ち止った人は次のバスに乗るつもりだったのだろうか。
また、ショッピングセンターでの話。
大きい建物の正面出入り口は自動ドアになっていて、よく行くショッピングセンターもそうだ。
その開いた自動ドアの真中に立ち止って、買い物帰りらしい人が携帯電話で話し始めた。その後ろをきた人がぶつかりそうになつてあわてて方向転換をしていた。
建物の出入り、イベント等の見学する時など多数の人が動く時は何となく動線ができる。その動線上で、電話をかけたりバッグの中を確認したりする人をたまに見るが、脇に避けて用を足せばいいのにと思う。
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喪服を着る  

2023年09月17日 | 徒然の記
きのう妻の七回忌をすませた。
これまで父、母を見送ってきて、その度に悲しい思いをしてきたが、連れ合いとの別れも違う辛さがある。若い時のそれはさらに耐え難いものだろうが、老齢になつてのそれも言うに言われぬ悲しさが続く。7年目を迎える今も、ささいなきっかけで彼女の仕草を思い出すことが多い。
さて、連日暑さの続く中、七回忌の準備を進めていたが、喪服でなく平服で行うことを子供に提案した。決まれば参列者に連絡するつもりだったが、我々はよいが和尚さんに失礼に当たらないかということだった。それも一理あるような気がして提案は撤回し、昨日の七回忌は喪服を着た。他の参加者も喪服姿だつた。
そして、昨日に限って喪服を着てもしのげる暑さだったのがうれしかった。

  菊月や思い出たどる七回忌   千字
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復活して欲しい電力事情  

2023年09月14日 | 徒然の記
狭い日本ながら容易に人を寄せ付けない地域が結構ある。秘境とか未開発地の人の暮らしをテーマにしたドキュメンタリーが放映もされている。そんな秘境のはずの山奥に頑丈な鉄塔が立ち送電線長く長く続いていて送電網が日本全土に張り巡らせているのがわかる。豊富な電力が戦後の昭和時代の経済、社会を著しく発展させた要因の一つだろう。
今はその電力事情に翳りが見える。環境破壊となる化石燃料が使えず火力発電は規制され、福島原発事故により原子力発電も使えなくななつた。それらに代わって風力、波、太陽光等々の自然活用の方法が試されているが十分な電力供給とならず電気料金の高騰が社会問題となっている。
風力発電は少し頼りない。太陽光発電は黒いパネルが山腹や平地等を覆うのは馴染めない。など悲観的な思いもあるが、人間の知恵はこれらを乗り越えていく逞しさがあると思っている。期待したい。
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看護師のいない隙に 

2023年09月12日 | 徒然の記
今日は歯科医院に行ってきた。いつものことだが、治療の途中で何度かうがいを促される。うがいの後、紙コップを所定の場所に置くと自動で水が注がれ、カップの八分目ほどでセンサーが反応し注水が止まる。
今日は看護師の離れている隙に紙コップに注がれる水とセンサーの関係を確認する試みをした。所定の所に紙コップを置いてそれを持ち上げてコップ内の水面を蛇口に近づけると、すぐに注水が止まる。蛇口のそばのセンサーがコップの水面との距離を測り反応するのだ。
次に、人の皮膚でセンサーは反応するのか確かめたかった。手の平で確かめようとしたが万一センサーが反応しなかったら歯科医院の床を水浸しにしてまう。それは避けた方がよいと思いささやかな実験はそこで終わった。
小学生でも結果の予想できる実験だが、看護師のいない隙にちょっと遊んでしまった。
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鳩   

2023年09月10日 | 徒然の記
バスは必ず始発の停留所から乗るようにしているが、その停留所のすぐ後ろにちょっとした広場がある。中央に花壇があり周囲に石のベンチが設置されている。地面はアスファルトやコンクリートに覆われている。
その広場でバスを待つ時必ず足下に何羽かの鳩が寄って来る。そして、コンクリートの上を、歩調に合わせて頭を上下させ、餌をついばむようにしながら徘徊する。舗装された広場に餌はないはずと思いながらいつも不思議に思っていた。
今回その鳩を見ながらwebで検索してみた。「小さなパン屑や小さな小石を啄んでいるかもしれない」とある。あの舗装された地面に、パン屑はあるのかと疑問に思いながら、小石を啄むことについては小学生の時鳥の砂嚢について学習したことを思いだした。Webのコメントは獣医師を名乗る人によるもので間違いはないだろう。
ということで、今日は?(はて)と心に引っ掛かりながらも、そのままにしておいたことが解決した日となった。
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コオロギと雀蜂  

2023年09月07日 | 徒然の記
3日間降り続いた雨も今日は晴天。
この雨には病院に行った時は大変な思いをしたが、なにかしら落ち着く日々でもあった。
実は雨を待っていたのには別の意味もあった。雨上りに庭の草焼きをすることだ。そのため庭は樹と岩だけにして花は植えていない。腰を曲げることができず庭の草むしりとか草取りができず石油バーナーで草を焼いている。また、年寄りがバーナーで火を使うことは周囲の人を不安にさせると思い、雨上りの地面が濡れている時に草焼きをしている。今日は50日ぶりの草焼きとなった。
バーナーの先にコオロギが飛び出してきた。毎晩鳴いているコオロギに違いない。すぐバーナーの先を逸らしコオロギを遠くに逃がした。
すこし進むと草叢の周囲をうろうろしている雀蜂が1匹いた。水を吸っているのだろうか。逃げると思いながらバーナーの先を向けるとあっけなく火に当たり死んでしまった。

先人の俳句に蜂の命を愛おしむ俳句がある
    冬蜂の死にどころなく歩きけり   村上鬼城

今回の私にはそれがなかった。

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