千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

余命6ヶ月の妻と

2017年09月24日 | 日記1━余命6月の妻と

 平成29年4月21日、妻の主治医に「余命は6ヶ月」と知らされた。
 人類が、宇宙に飛び立ち、5千メートルを超える深海の様子を探り、果ては心臓を初めとして臓器を移植できる現代である。彼女の肺癌を知った当初(平成26年4月)は、現代医学は、病を止め、それなりの年数を生き延びさせてくれるものと楽観していた。
 しかし、妻の肺癌は確実に進行し予想外の速さで彼女の命を脅かしていた。主治医より余命6ヶ月の告知を受けて以来、さまざまの思いの駆け巡る毎日となった。
 妻は、自分の余命を知らないまま逝ったが、そんな妻との日々を記したものである。
    ━ 日記の中での妻の呼称は「彼女」とする ━ 

           もくじ

      ・  余命6ヶ月の妻と
      ・  日記4月 余命宣告
      ・  日記5月 いっときの解放
      ・  日記6月 転院
      ・  日記7月 混濁と現と
      ・  日記8月 募る思いと涙
      ・  日記9月 逝ってしまった

 

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日記 4月

2017年09月23日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年4月21日

余命6ヶ月

妻の主治医に呼ばれ 妻の病状について次のような話を聞く

新しい抗癌剤の治験入院をしているが
副作用が強く中止をせざるを得ないこと
脳に移転した癌細胞の治療を期待した新薬だがそれがかなわなくなったということ
抗癌剤は以前のザーコリに戻すこと
脳に転移した癌細胞は放射線治療をすることになる等々である

抗癌剤を以前のものに戻すことは癌の治療としては意味のないことになる
そして 妻の現在の体力 癌の進行状況から余命は半年です
という

これには驚いた
妻とのいろいろのことが思い出され涙が止まらなかった


今後の妻との残された時間を大切にし それらの様子を記録したい


妻の呼称は「彼女」として記すことにする

残酷な宣告

彼女と私医 前にいる
彼女の病状と今後の医療の説明を受けるために
現在治験中の抗癌剤は副作用が強く継続できないので以前の抗癌剤の服用に戻ること
脳に転移している癌細胞は放射線照射による治療になること
副作用として白髪になるが
3割の確率で痴呆になると付け加えられる
しばらく沈黙のあと
「お父さんどうだ」と私に問う
余命を知っている私は返事につまり
「忘れないようにいっぱい話しかけるよ」とかろうじて言葉を返す
そのうちに彼女はしっかりした声で
「わかりました医療方針に従います」
と言った
いっぱいの不安があったろうに 悲しかったろうに
その健気なさを思う時涙を隠すのに苦労した
彼女は余命6ヶ月であることは知らない

Uターン

医師の説明のあと病室に戻っても娘と相談してからと思い話題は核心に触れなかった
彼女は眠そうだったので今日は帰るからと病室を後にした
しかし 彼女がねむりから覚めた時
病室に一人でいる孤独
医師より逃げ道のない話を聞いた辛さ
彼女には耐え難いものだろう
そう思った時彼女の傍に居たいという衝動が起き
病院に引きかえした
病室に入ると彼女は目覚めていて笑顔で迎えてくれた
近くの整体院に来たので帰りに寄ったと嘘をついた

夕ご飯が済むまで何んとない会話が続いた
Uターンしてよかった



平成29年4月22日

必死に堪える彼女

土曜日は
娘と一緒に彼女の病院で昼食をとることにした
家より持っていったものを食べることにする
私は家族控室に残り娘が病室へ迎えに行った
「なにも食べる気がしない」と言ってベッドから起きないと 娘が戻ってきた
病室に行ってみるとやはり彼女は寝ていた
何気ない会話の内に彼女も元気を取戻し
ベッドを起こし持参のサンドイッチや稲荷寿司を食べ始めた

そのうちに巡回看護婦がきて「朝方は雨降りでしたが今は晴れていますね」と話しかけている
彼女は一人の時 ベッドで泣いていたのだ
自分の病を思いこらえきれないものがあったのだろう
家族の前では
それを隠そうとしているそんな彼女が愛おしい
一緒にいたい
これから昼時は一緒に居よう

吐く彼女

中止した新しい抗癌剤は副作用で吐き気下痢がひどかった
中止したことによりそれは収まったように見える
しかし 先日彼女の病状と治療方針について医師の説明を受けている時
突然吐き気を訴え少し吐いた
そして 今日もである

同じ病院での入院は3ヶ月間
まもなくその時である
今の病院を退院する時自宅療養か転院かを選択しなければならない
彼女の心情と今後の治療を考えたとき慎重に判断する必要がある
そんな会話の中で
彼女は薬の服用 通院などを考えれば他の病院への転院がいいのではと言う
そう話しているうちに吐き気が襲ってきたようだ
自分の病状への不安や回復するかどうかの不安が彼女の吐き気の原因に違いない
そんな彼女が愛おしい



平成29年4月23日

今朝の彼女は

今朝の彼女はどうしているだろうか
一人で寝ざめて これからどう生きていくのか 転院するにしても行く病院はどんな処? その病院になじめるだろうかなど 不安な思いだけが頭をかけ巡っているだろう
ベッドの上でまた泣いてるか
彼女の涙を止めるのは自宅に帰ることだろうか
だが彼女は転院やむなしとの考えでもある
下半身麻痺のために不自由な体
移動食事はもちろんのこと排尿排便もままならない彼女は
自分の苦しさだけでなく介護する家族への思いやりもあるだろう
でも 俺たち夫婦はあと何年生きるだろう
それまでいっしょに生きようか自宅で
今朝も泣いているのだろうか



平成29年4月23日

ハイテンションの彼女

昼近くの家族控室に
彼女は笑顔で車椅子に乗ってきた
持参した
マック
稲荷寿司
苺を
おいしいおいしいと言って食べていた
そこに掃除婦などが近づくと指を口に当てて会話を静止する
掃除婦が聞き耳を立てているというのだ
また我々が食事していている談話室に盗聴器が仕掛けられているかもといって娘に探させる
他の話題もハイテンションである
このテンションは一時的な興奮状態なのだろうか
昨日は楽しい会話のあと別れたのにこの違いは? 脳に転移した癌細胞のためなら悲しいことだ
ベッドに戻り休む時に吐いた
先ほど食べたものをほとんど吐いた



平成29年4月23日

自宅療養OK

彼女が自宅療養を希望するなら
それを適えるためにどうすればよいか看護師に話を聞く

概ね次のようだ
下半身は全くマヒしているのでベッドの乗り降りの補助が大変である
尿は管を挿入しているので袋の尿を定期的に交換することと
常に体の接触部を清潔にすること
排便はトイレに移動することが困難でベッドでの排便となる
特に排出が困難で指で摘出する補助が必要である
食事の世話をする
自宅での彼女の世話は概ねそんなところかとなれば

できるよ



平成9年4月24日

落ち着いている

今日の彼女は
昨日とちがって普通の会話をした
そしてこれからの自分の身の振り方について話し合った
彼女は
基本的には転院することにより痛みとか苦しみを総合的にケアしてくれる病院が良いという
自宅療養も考慮しながらの決断でのようだ
飲んでいる抗癌剤も中止して苦しみのない静かな生活をしたいともいう
これから主治医との相談になるが選択枝は広がった
癌の治療そのものはない
ホスピタル
自宅療養
どれでもよい彼女の希望を適えるように最悪自宅療養を受け入れればよいのだ



平成29年4月25日

病院より緊急電話

携帯電話に彼女の主治医より折り返し電話が欲しいとの留守電があった
電話をすると今朝彼女が意識障害に陥り手当の最中だが病院にすぐ来て欲しいという
私が病院に着いた時は朦朧とした表情だが呼びかけると かすかにうなづくなどの反応を示していた
その後MRIの検査となった

主治医によると意識障害の要因は
電解質異常
低血糖低ナトリウム高カルシューム血症
吐き気止め薬の副作用
そして頭蓋内出血脳梗塞癌性髄膜炎
が考えられるという

各種検査の結果
吐き気止め薬の副作用ではないかと落ち着いた
夕方には彼女も笑顔を見せるようになつたので病院を後にする



平成29年4月26日

意識障害の中での意識

昨日は驚かされた
意識障害に陥り緊急処置がとられるなど心配した一日であった
昨日の状態を彼女に尋ねると
緊急処置室に搬送途中名前を呼ばれながら頬を叩かれていたこと
爪と皮膚の間を刺激してという看護師たちの会話を朧気ながら知っていたという
意識障害というのはよそからは意識朦朧と見えながら患者自身は周囲を自覚しているのだ
意外であった


 

平成29年4月27日

  回想  ━ 彼女と私とボケモンgo ━ 

平成27年10月 日本でも
ゲーム「ボケモンgo」ができるようになった
私も彼女も年甲斐もなくそれに飛びついた
飽きさせないゲームである
ゲームの中で獲物を捕らえたり獲物のを捕らえる道具を集めなければならない
家の中にいてはだめで街中や公園など移動してそれが可能となる
彼女と私は自家用車あるいはバスで週に3回はでかけた
捕らえた獲物を二人で見せ合いお互いの成績に一喜一憂していた
そんなことを思い出し
今日のベッドで苦しむ彼女をみると切なくやりきれない



平成29年4月27日

  回想  ━ 必死に歩こうとする彼女 ━

脊髄への放射線の照射で下肢の麻痺がひどくなつてきた
その結果 歩行も困難になつた
それでも彼女はポケモンをしようと積極的で公園などに出かけてはゲームを楽しんだ
彼女には癌には負けまいとする強い思いがあつたのだ

公園での彼女は
手押し車や杖を支えにしてゆつくりと散歩した
杖の時は足下を見ながら一歩一歩ゆつくり歩き
時々立ち止まってはスマホを操作している
手押車の時も同じである
ゆつくりと転ばないように手押し車で前へ進み
立ち止まってはポケモンを捕らえている
彼女はポケモンのゲームをすることで
自分の体の麻痺に耐えようとしていたのだ



平成29年4月28日

  回想  ━ 勢いよく転倒する彼女 ━

「ポケモンgo」のゲームをするために
二人で街の公園に出かけるのが多かった
ある日 杖を突いていた彼女は
帰りのバスの中で勢いよく転倒した
小さな段差に対応できなかつたのだ
「あつ」という小さな悲鳴と共に音をたてて転倒した
抱え起こそうと手伝うが彼女も足の位置を工夫しながら立ち上がろうとする
動転した様子もなく冷静に行動している
周囲への気遣いや自分の思い通りにならない苛立ちもあったろうに
立ち上がった時には周囲の人に騒がせたことを詫びていた

そんな彼女の心情を思うのが辛い

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日記 5月

2017年09月22日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年5月1日

70歳過ぎの年寄でも泣く?

私自身も脊柱管狭窄症で通院している薬局に寄った
私も彼女も 薬はそれぞれの医院指定薬局でなく ツルハ薬局で処方してもらっていた
彼女と私は別々であるが 月一の割で薬局でお世話になっていた
もちろん彼女の抗癌剤処方もある
彼女は入院以来薬局には行っていない
薬剤師が奥様にしばらくお会いしてませんがいかがですか
と問うてきた
新しい抗癌剤の効き目がなく 吐き気や下痢 痛みが止まらないこと
体力を消耗していること
余命6ヶ月余であることなど話しているうちに 涙が止まらなくなった
昼間の薬局のカウンターでである
77才の男が人前で涙を流すものだろうか
少し反省した



平成29年5月2日

吐き気に苦しむ心の底は

今日は少し食べたよと彼女は言う
豆腐二口
おかゆ二匙
イチゴ三個
バナナ一口
昼から食べたものらしいが 雑談しているうちに吐きたいと言う
そして食べた物以上に吐いた
吐くときの苦しさ まして胃に内容物のない時の吐く辛さ これは想像できる
これがほぼ毎日となるなら辛いだろう
癌であることは簡単に治癒するとは思っていないだろうが
毎日続く辛さは耐え難いだろう


 

平成29年5月3日

今年は金婚式を迎える年

今年は2017年
彼女との金婚式を迎える年だ
結婚したのは1967年10月12日
今年のこの日は満50年金婚式である 元気に祝いたい
これから彼女にこのことを話そうと思うが
彼女はそうだよとあっさり答えるだろうなと思っていた 知ってても自分からはあえて言いださない彼女だから
ところがである
彼女も金婚式の年だとは気づいてなかつた
驚いていた



平成29年5月4日

食欲旺盛な彼女

彼女は
昨日から吐き気もなくおいしく食べているようだ
午後病室に行くと
お腹が空いたので売店でパンを買ってきて欲しいという
コツペパン風の豆パンを買ってくると たちまち半分は食べた
朝ごはんも昼ごはんもよく食べたという
家から持ち込んだ
納豆
豆腐
たらこ
バナナ
病院食の煮物
などおいしく食べたという
今までは 粥スプーン一杯などほとんど食べていないので大変化である
この変化を彼女は大変喜んでいるが
見舞う家族も本当にうれしい



平成29年5月5日

物思いに耽る彼女

病室に入ると 起こしたベットで考え事をしている彼女がいた
今までの彼女は 漢字パズルをしたり韓国ドラマのビデオをみたり楽しんでいたが
今日はその気力もわかないのかな?



平成29年5月6日

余命を知った時の彼女を思うと

癌細胞が脳に転移しているため 放射線治療を始めている
ポイントを定めて照射するのではなく
脳に転移した癌細胞が多いため 頭全体に照射しているのだ
そして頭への照射は今回のみである
このことは医師から彼女も聞いているはずだが
そのことに私が触れると驚いていた
再び脳に転移したら治療がないのかという驚きである
余命半年については彼女は知らないのだ
もし余命半年と知った時の
彼女の落胆をどのように癒せばいいのだろうか



平成29年5月8日

福々しい笑顔

病室に入ると
彼女は福々しい笑顔で迎えてくれた
ここ一週間彼女の食欲は旺盛であった
家より持って行ったものあるいは病院食の一部をおいしく食べていたようだ
嬉々とした彼女の報告を聞くのがうれしい
その結果福々しい顔となったのだろうが 主治医に彼女の食欲について尋ねると
ホルモンを投与しているからという
これは癌治療でなく 応急的な対応し処置である
そのことを彼女は知らないい
転院先の病院について尋ねると
〇〇病院への意向で調整中とのことである



平成29年5月9日

軽率さを反省

彼女の高校時代の同級生にT恵さんという人がいる
我が家と遠くない処に住んでいるが彼女に良くしてくれる人だ
彼女の癌発症の後もゲートボールの仲間に入れてくれるなど良くしてくれる人である
彼女の入院を知っていたT恵さんが その後の彼女の様子を尋ねてきた 彼女が信頼しているT恵さんと思い つい彼女の現在の様子を話してしまった
余命までも知らされたT恵さんも驚き悲しんでいたが
受話器を置いた後
彼女の余命まで話すのは軽率だったと悔やまれた
余命を知ったT恵さんをただ困らせただけだったと



平成29年5月11日

看護師M女について

△△病院の看護師たちは 大変やさしく細やかな気遣いをしながら接してくれると 彼女は感謝している
私が病室にいる時も彼女のできないことを察知して接してくれていた
ところが看護師M女だけは違うようだ
M女には形式的所作が多いという
今日のことについて彼女が話してくれた
今日の彼女の担当M女は新採の看護師を連れての巡回だったという
彼女の体を拭いたM女は前部だけ拭いてお尻の方は拭かなかったという
他の看護師は前部だけでなくお尻まで目配りをする気遣いがあるのに この女は違うようだ
彼女は自分からM女にお尻の方を見てくださいと頼んだという
M女は「あらあらウンチもあるね」と声を上げて 続いて「新採の看護師に経験させるので排便の手伝いをさせていいですか」と聞かれ 彼女はいいですと答えるほかはなかつたという
麻痺のために大便小便の排泄が自力でできないのだ
小便は膀胱より管を通しての排泄
大便は肛門に指を入れて掻き出してくれるのである
彼女の絶望と情けなさ察するにあまりある
M女以外の看護師はその心情を汲んでか 彼女の心理的負担にならないように常にさりげなく処理してくれるという
その配慮の細やかさに彼女も私も感謝している
ところがM女は患者に大便の処理もお願いしますと言わせ
新採の看護師に処理させたのだ
世にいう公開処刑と通じるものがあるような気がする
わが身の不甲斐なさを思う彼女の心情は?
それを考える時また涙がでる


 

平成29年5月11日

  【回想】 イオンモール 3階エレベーター前

携帯で撮影した写真をプリントアウトしたくて 近くのイオンモールに出かけた
ここは彼女と買い物や食事 そしてポケモンgoの獲物捕りや道具集めにきたところだ
3階エレベーター前が獲物捕りや道具集めに恰好の場所だった

入院前は 車椅子の彼女をそこに置いて 私や一緒に行った娘は別の用を足すことがあった
少し時間を経てから彼女の元に戻ると
車椅子に深く腰をかけうつむいてスマホを操作している彼女がいた
その姿が鮮やかに思いだされる
それは3ヶ月前のことである



平成29年5月12日

転院先は〇〇病院

夕方 △△病院の事務方より電話があった
彼女の転院先は〇〇病院の内科呼吸器科に決まりましたとのことである
彼女も私もその病院を希望していたのでよかった
今回の転院は内科呼吸器科であるが 〇〇病院はホスピタル病院でもある
ホスピスとの対話を受けながら癌の恐怖を乗り越えて欲しい 精神の安らぎを見つけて欲しいという願いもあるのだが‥‥
しかし
ホスピタルに入るには 患者自身が余命を知ることが前提だという
彼女は半年という余命を自覚していないのだ
そのため内科呼吸器科への転院である



平成29年5月13日

T恵さんの見舞い

昨日T恵さんが見舞いに来てくれたと彼女は喜んでいた
T恵さんには 先日 深く話しすぎたと反省したのだが気を使わせてしまったか
しかし彼女はT恵さんが見舞いに来てくれたことを喜んでいた
よかつた
T恵さんに感謝



平成29年5月15日

安心を与えられないもどかしさ

今日も脳への放射治療がある
レントゲン医師の診察があるから一緒に同伴してくれと彼女は言う
医師の診察ではまもなく毛髪が抜けること 放射治療は残り3回と告げられたことだ
彼女が私に同伴を望んだ理由は
放射治療の効果はどのくらいか
現段階の治療がすんだら次はどのように進むのか
それを私と一緒に確認したかったのだろう
しかし 私は彼女の知らない余命半年を知っているのだ
彼女の期待する質問はできなかった
彼女は脳に転移した癌はどうなってるのでしょうかと 自分から質問していた
医師の「今日は撮影したばかりでわからないです」との答えに
彼女は頷いていた

ふっと湧き出る涙

3日間雨が降り続いた 病院の彼女も憂鬱であろう
昨夜は眠れなかったという
その雨も今日は上がった
病院から持ち帰った彼女のパジャマ 下着 家族の分も入れると結構洗濯量が多かった
脱水機から取り出し 一つずつ衣桁懸けに掛けながら涙がでてしようがなかった
彼女が洗濯をしていた時の様子が思い浮かぶ
彼女は完治でなくとも元気になる自分を信じているだろう
それが叶わないことを知らないのだ
彼女の気持ちを思うと辛い



平成29年5月16日

疾如風

午後のことである
病室に4,5人の看護師が どどっと来て 病室の引っ越しの連絡がありましたかと言うと同時に その看護師たちは彼女のベットの移動を始めた
あっと言う間に606号室に移った
事前の連絡などなかった

患者に対して移動する理由や協力を求める挨拶をしなければならないと思うが
それがなく怒涛のように看護師集団が来て
有無を言わせぬ病室移動である
このような一連の行動は病院のあり方として変である
統制のとれていない集団なのかこの段取りを指示した責任者がいるとするなら
その責任者のリーダー性を疑う
あとで知ったことだが手術後の患者のために個室が必要となったという
それを説明して行動すればよいのに

彼女に接した看護師はみなよい人だったのに
残念だねと彼女と話し合った



平成29年5月17日

〇〇病院院長と面談

主治医より指示があり
彼女の転院先の〇〇病院に挨拶に行った
受付の窓口で待つ時 院長に面談する前にソファで待機している時
彼女が転院しなければならないという心情を思うとやはり涙が出てしまう
院長の話では彼女の肺癌は肺癌のうちで2番目に重症なものだという
今まで寿命があつたのは医療効果がよく出ていたのですとの話であった
治癒するとは考えていないがこれほど重症とも思わなかった
今の彼女の笑顔が見られのが幸運ということなのだろうか
彼女は余命半年に満たないことを知らないのだ
知った時の彼女の心情を思うと・・



平成29年5月19日

ある老夫婦の会話

病院内の喫茶室で 一人食事をしていた昼食時である
そこに杖を突き歩行も大変そうな男性と小柄な女性の老夫婦が入ってきた
珈琲とパンを食べながらの二人の会話が聞こえてきた
あの店で買った品物が良かったとか安かったとか たわいもない会話である
片方が話し片方が頷く
我々夫婦にこのようなシーンは今後ないのだと思うと寂しくなった
今までは余命を限定された彼女を心情を思う時の辛さがあつたが
それに加えて 彼女と語り合うことができなくなるのだ
寂しさがふつふつと沸いてきた



平成29年5月20日

二人で歩くことは

入院中でも彼女はベッドの上でポケモンgoをしている
外歩きができないので 私か娘がボール捕りや獲物の捕獲を手伝っている
今日もボール捕りに市役所前までバスで行ってきた
市役所前は「仙台青葉まつり」で混雑していた
年配の夫婦が路を歩いているのを見かける
昨年は我々夫婦も「仙台青葉まつり」にきたことを思い出した
今後 我々夫婦にはこのようなシーンはないのかと寂しくなった
もつと二人で出かければよかったと悔やまれる
二人で出かけたことは何度もあったはずだが
横に並んだ彼女の様子が思い浮かばないのだ
彼女は一歩後ろに下がって歩いていたということか
病室に戻り彼女に尋ねると
私は写真撮影していたので並んで歩いていなかったという



平成29年5月27日

今この時彼女は何思う

夕飯も済み娘は二階に引き上げ 私ひとり茶の間にいる
この時間 彼女はベッドに横になつているだろうが何を考えているのだろうか
昼の見舞いの時は楽しく会話をし 3時間ほどで帰った
それから彼女は一人でベッドに横になっているのだ
時々介護にくる看護師と会話をするだろうが 今この時間一人でいるだろう
仰向いて何を考えるのだろうか
体を動かすことも 誰れとの接触もなく 時間を過ごす彼女の孤独は 図りしれないものだろうに
できるなら飛んで行って話し相手になりたい



平成29年5月30日

リハビリを喜ぶ彼女

彼女の病室を訪れると
今日からリハビリをしてもらうと喜んでいた
癌の進行が進み放射治療による脊髄の損傷 その他の臓器にも損傷があり
余命6ヶ月と言われる彼女である
目に見えたリハビリの成果は期待できないのだが
しかし彼女は余命6カ月を知らない
少しでも筋肉の回復を期待しているのだ
手足を軽く動かす程度のリハビリに表情が生き生きしている
そしてリハビリをすることは私も嬉しい
彼女の病床生活のリズムを作るのだから
今の彼女の状態にリハビリという新しい医療を施してくれる医院の方針に感謝する

 

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日記 6月

2017年09月21日 | 日記1━余命6月の妻と


平成29年6月2日

食事を一緒にして

彼女の見舞いは毎日しているが 私の場合は昼時を挟んでいくようにしている
我々夫婦のはまっている 「ポケモンgo」の玉を採るとために病院からバスで出かける時が何度かある

今日もそのつもりだったが 昼ごはんの時一緒に居て頼まれた
病室の相部屋の人は重症で 看護師が付きっきり食事の手助けをしているが 彼女はセッティングされれば自分で食事することができる
それが彼女にとつて寂しいのだ
会話もなく一人で食べるのが寂しいのだ
了解
これからは食事の時は一緒にいることにするよ



平成29年6月6日

病室での会話

彼女の高校時代の話題になった
〇〇君には結婚を申し込まれたんだと何気なく彼女は口にした
話題を発展させるためにその他はと問いかけると
・・さん、・・さん
と2人の名前があがった
若い時 結婚を望んだり望まれたりすることは多かれ少なかれあるものだ その一端がつい口から洩れたのだろう
彼女が楽しい出来事を思い出していることがうれしくなった
その他なんで良い
もっともつと楽しかった思い出に浸ってほしい
でも 私自身の浮いた話はしないことにする



平成29年6月19日

声掛けしてくれる看護婦たち

2,3日彼女の調子が本当でない
ベッド上で体を起こす時 また起こした体からベッドに横たわる時 腰の周囲の痺れが酷いという
その訴えを聞いた薬剤師が それに対処した薬を処方し 昼食の時から服用を始めることなつた
薬の効果は驚くほど効果があった
食事のために体を起こす時 痺れは今までより軽減されたという
彼女の薬は病気の治療でなく身体の苦痛の緩和であるそのことを彼女はきちんと把握しているだろうか

病室は4人の相部屋である
それぞれの患者の世話のため 入れ替わり看護婦たちが病室にくる
どの看護婦も彼女に痛みはどうですか 和らぎましたかなど声掛けしてくる
薬の服用について看護室で話し合いをしたのだろう
彼女のことを常に心がけてくれる看護師たちに感謝する

そんなことを彼女と話す時つい涙が出てしまった



平成29年6月30日

我が家を諦めた?

彼女が欲しているだろうと よく我が家の様子を話す
炊事は私がしているが流し台の棚が汚れているので掃除をし 不要のものを捨てる話題になった
彼女は力なく
「いいんじゃない 私はもういけないから」
と呟いた
その棚には流し台をみがく洗剤 台所を除菌するための薬品など 彼女の用意した品々が置いてある
全部ではないにしろ それを捨てると言われたから寂しさが沸いたのだろうか
自宅に帰ることのできない現実に突き当たりいっそうの寂しさが募ったのだ
私の不注意な言葉が彼女を悲しませてしまつた

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日記 7月

2017年09月20日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年7月5日

私を襲う強烈な腹痛

一昨夜 強烈な腹痛と吐き気に襲われた
近くの医院で点滴治療と血液検査を受け自宅に帰るが 翌朝 病院より 血液検査の結果のお話がありますと言われ病院に呼ばれた
膵炎の疑いがあるからとすぐ入院を勧められる
彼女が大変な時に
入院は困ると言うと 医師は命に係わることだからと言う
彼女の入院している病院を紹介してもらうようお願いした
自分自身の入院がてら彼女の見舞いもできるから
救急車で入院となり そこで急性膵炎と診断される
しかし私の目論見は失敗した
彼女の入院しているのは内科消化器科で私の診療科は内科循環器科である
彼女の入院している病院にはないのだ
△△病院への転院となつた



  自分の病気がうらめしい

 

△△病院の診断は 胆石からくる膵炎であった
膵炎の炎症を抑えるため絶食絶飲で点滴のみの入院生活である
彼女にメールをするも携帯を見る気力もないのか返事がない

娘が私と彼女の病院を掛け持ちし彼女の様子を教えてくれる
元気だよとの報告にほつとし少し元気ないという報告は辛かった
〇〇病院長が 私の主治医に彼女の余命が1カ月であること 私が毎日彼女を見舞っていることなど補足していたようだ
主治医は炎症を鎮めるためにいろいろ手を尽くしてくれた そして私を早く彼女の元へ帰そうと胆嚢に胆石を残したまま退院することとなった
結果 元気な彼女と接することができ 医師の心遣いとその判断に感謝する



平成29年7月22日

退院のその足で彼女の元へ

膵炎の炎症が納まり退院する
そのまま彼女の病院に行く 彼女は微笑んで私を迎えてくれた
病状が進行し時々痛みが襲うようだ
痛みが薄らいでいる時いろいろの会話をした
我々の子育ての時 彼女とは共稼ぎだった 彼女は正社員ではないが会社では重要視されながら一生懸命仕事をした 家庭でもそうだった
子供や私に貧しさを感じさせず 買い物や食事会 季節季節の家族旅行も計画してくれた すべてに前向きに取り組む彼女だった
「あなたの努力だね」と話すと
私も頑張ったねとしみじみと話していた



平成29年7月23日

夜の電話

痛み止めのモルヒネ注射をうっているが 注射と注射の間の薬効の間隙に激しい痛みに襲われる その痛みに耐える彼女に対してただ手を握るだけである
落ち着いた時に 何時もの通り昼食の後自宅に帰る

その夜8時ころ彼女の携帯より電話がくる
看護婦にお願いし電話をかけたようだ 看護婦が電話を支えてくれて話をしているらしい
口ごもり明瞭な声でないが看護婦の説明によると寂しいらしい
彼女が聞いているだろう受話器に向かって話しかける
明日も病院に行くよと話を終えた2~3分後
また彼女から電話がくる
今度はしっかりした声である
さっき刺繍をしていてうっかりかぎ針を落としてしまった
心配だったがその針が曲がっていることを思い出したので安心だからねと
そして「電話してごめね」と言う
涙が止まらなかった



平成29年7月24日

夢と現と その1

病室に入ると寒いと訴えてくる
震えていた手を握ってやると気持ちいいと その手を放さなかった
昨日より譫妄が多くなった
悪い方への進行がほんとうに早い
痛み止めの薬効が切れた時の彼女の苦痛は計り知れない
私の手を握りしめ胸や腹をかきむしり耐えようとする
外に連れて行って投げ捨ててなどと言う

痛みが薄らいだ時
家のパン買い忘れてない?と聞く
救急車のサイレンの音を聞くと「荒川さんの家の火事かな?」と話してくる
荒川さんとは彼女のが若いころ住んでいた隣の家である

お腹の上で右手を前後左右に動かしている
「何をしてる?」と話しかけると 餃子を焼いているという
夢を見ているのだ
医師は譫妄だと言う
常に手を動かしぶつぶつと呟やきながら胸の上で手をしきりに動かしている
「何をしている?」と聞くと
「契約の仕事をしようと思う」と答える
「洗濯をちゃんとして」「うんこまみれになっている」
「〇永さんからグランドゴルフ大会に誘われてたから断っておいて」
とも言う
胸元の毛布をなぞる様に右手を動かしいているので「何をしてる?」と聞くと
「野菜サラダをつくるからトマトとレタスを洗って」と言う
夢と現を行ったり来たりの彼女である
彼女の顔をじっと見つめしっかりと手を握りながら
涙がとまらなかった



平成29年7月25日

よい思い出と楽しい計画を

交互に来る夢と現の中でよい思い出を語り
これからの楽しい生活を思いめぐらすような話題を心がけるようにする
口をもぐもぐさせているので
「何をしている?」と聞くと
「ご飯食べている」
「おいしくない」
「お口の中の里いもが見つからない」と言う
お母(彼女のことをそう呼んでいた)の作った料理はいつもうまかったよと言うと
「お世辞いうな」と一言

昔 私がゴルフ大会のブービー賞で鶯宿温泉ペアで一泊の旅行券を獲得したことがあった
彼女の提案で子供 孫みんなで行くことにした
その時の孫たちの元気なふるまいを明瞭な言葉でないが楽しく話していた
退院したら松島「壮観」に行こうと話しかけた 毎年に2度か3度出かける時の宿である
しかし彼女の答えは
「もつたいない」だった
会話になっているのが嬉しい
なんど涙をぬぐったことか



平成29年7月26日

混濁と現の往復


おはようと声をかけると私の方を見て笑顔をみせたような気がする
看護師が薬を飲ませながら私を指さしこの人だれ?と聞くと「まさるさん」と答える
彼女が私を見つめているので
「どうした?」と聞くと
「腰痛くない?」と尋ねてくる
脊柱管狭窄症からくる腰痛を心配しているのだ
「大丈夫だよ」と答えながら涙声になっていた

彼女にお父さんと呼びかけられる
「黒い財布取って」
「相撲始まるからテレビつけて」
「外食に出かけるから起こして」
すぐに適えられない頼みである 適えてくれないことに彼女は苛ついている
手を伸ばし私の手を求めてくる
しっかり握り合うこと3分くらい自分から手を離し静かになった

今日より鎮静剤を皮下注射することになった



平成29年7月27日

アイスクリームを食べた 

病院に着くと彼女は眠っていた 穏やかな寝顔である
鎮静剤の効果であろうか そんな彼女の顔を見るのが嬉しく愛おしくなる
看護婦が熱測りますねなどと言うと頷いている
私は特に声かけことなく寝顔を見ていることにする
3時半頃突如目を開き 私の方を見つめて
「きてたの?」としっかりした声
そして
「カップのアイス食べたい。買ってきて」という
買ってきたアイスをスプーンで口元に運ぶと「おいしい」と言って何度も何度も催促してくる
そして
「アイスはすぐ溶けるし溶けるとおいしくないから一緒にたべよ」
私も食べるように促し
彼女と二人で一つのアイスカップを食べた



平成29年7月28日

私もあのようになりたい

突如彼女が
ベッドを起こしてと言う
同部屋の患者が椅子に座って食事をしているのを見て
「私もあのようになりたい」と言う

どうして私だけ‥‥

彼女を頻繁に痛みが襲うようになった
モルヒネ入りの湿布をし 痛み止めの薬を飲み 痛み止めの点滴をし それでも長い時間を置かずに痛みが襲う
手を振るわせ息を詰め痛みに悲鳴を上げている
私の差し出す私の手を離さない
少し薄らぐと
「どうして私だけ痛くなるの?」と訴えてくる
私が「他の人は痛くないけど呼吸が苦しいとかいろいろあるみたいだよ」と言うと
納得したのか無言であった

夜が怖い

彼女はしきりに斜め前方の掛時計を見ている
「今日の昼間は時間の進むのが遅いね」と言う
そして
「夜が怖い」と
「夜は誰も居ないから怖い」と
看護婦さんが夜も寝ないで見てくれているんだよと言うと納得したように見えるが怖い気持ちは消えていないだろう



平成29年7月30日

昼が長い

彼女を襲う痛みの間隔が短くなった
痛み止めの薬を飲んでも
1時間もすると痛みがくる
それも激しい痛みが
痛みの収まっている時 彼女は今何時とよく尋ねてくる
30分か1時間おきに
そして「昼が長いね」と嘆息する
夜7時に
眠れるようにと痛み止めの点滴をし 加えて鎮静剤の皮下注射をするのだが それが良く効き一晩痛みを感じないでゆつくり眠れるのだ
彼女は夜7時のその注射を待っているのだ
間断なく襲う日中の痛みに耐えかねて
つらかったろうね気づかなかった
明日看護婦と相談するよ



平成29年7月31日

このまま一生‥‥

病室に入ると穏やかな彼女の顔があった
10分前に痛み止めの薬を飲んだという
ところがそれから10分後身体が痛いと言い始め たちまち痛い痛いと悶え出した
看護師を呼び痛み止めの薬を飲ませてもらったが
看護師は痛みに恐怖を持っていることからくる譫妄も考えられるという
彼女のその恐怖を和らげたい
鎮静剤の検討をお願いすることにする

少し落ち着いた彼女は
「痛いのは一生治らないのかな?」
と呟き天井を見つめている

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日記 8月

2017年09月19日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年8月1日

相部屋から個室に

午前 二人用だが個室に移った
他の人の声が聞こえず
自分が痛い痛いと叫ぶ声も聞こえないから快適だね
痛みも少なくなったような気がする
と彼女の感想である
痛み止めの薬もよく効き静かに眠る時間が多かったような気がする
付き添いの人も隣のベッドで休んでよいと言われ楽になった



平成29年8月2日

梅雨開け宣言

仙台も梅雨開け宣言があった
あいにくの曇り空だが病室の外はことのほか明るい
彼女は梅雨開けの実感もなく
痛み止めの薬を飲み先ほどから眠っている

心の尊厳とはこのことか
痛みが襲ってくる時の彼女は身もだえし
「痛い」
「どうしたらいいの」
「この痛いのをなんとかして」
と口走る。その合間に
「部屋の戸を閉めて」
「痛い痛いというのが外に聞こえるから」という
彼女は痛さに我を失くす姿を余人に知られたくないのだ
襲ってくる痛みにおののくのは
耐え難い痛みのためだけではなかったのだ
死の尊厳、生の尊厳とよく言われるが
痛みから解放する心の尊厳もあっていい

彼女のこの思いにむきあっていなかった


 

平成29年8月5日

夢と現と

午後3時頃 病院に着く
断続的な痛みが続くので
モルヒネを自動で注入する機器が取り付けられていた
彼女は痛い痛いと呻いている
看護師は痛みはないはずだといい
譫妄かもしれないという
確かに 今までと違って全身でする痛さの表現ではないような気がする
そのうちに
「豆腐どこで買うの?」
「若芽も買って」と言いながら大きなため息をつき顔を両手で覆う
苛ついたしぐさで身もだえする

布団から手を出している時握ってやると
「ありがとう」という
また「ちょっと」と声をかけられ 顔を寄せてどうしたと聞くと
「名前をいってしまった。ごめん」と言う
これは現であり私に呼びかけた言葉である



平成29年8月6日

我慢するから痛いの助けて

娘が午前に 私は午後に病院に行った
午前も譫妄の中で激しい痛みを訴えたそうだ
午後2時眠りから覚め激しく痛い痛いと訴える
そんな時看護師が点滴の交換にきた
注射針を刺す時痛いから我慢してねと声をかけると
「我慢するから 痛いの助けて」と切ない声を出す
それから何度も「我慢するから痛いの助けて」と同じ言葉を繰り返しもがき苦しむ
看護師にこの痛みを救ってと頼むも モルヒネを注入してるのでこれは譫妄ですね
という答えが返ってくる
譫妄であっても苦しむ彼女を救いたい

痛さに耐えかねる彼女

生活の中で 怒りを表にだす彼女を見た覚えがない
夫婦喧嘩でも 子供を叱るときでも言葉で諭し言葉で思いを伝える彼女だった
現在は痛い痛いと叫び 早く何とかしてと感情のもろ出しである
かっての彼女と余りの違いが切なく悲しい
痛みに耐えながら手を求めてくるのでしっかり繋ぐ

癌患者に対し生の尊厳または死の尊厳というのが話題になる
心の尊厳というのもあるのではないか彼女の痛みや苦しみを軽減することである



平成29年8月7日

もういいわ 頼まない

鎮静剤を打っている彼女だが 突如目覚めて「青い領収書持ってきて」といいだした
そして「川に滑り込みたいから背中押して」とも
それらに応えてやれないと苛立ちを見せ 身振り手振りで激しく悶え痛い痛いと大声を出す 譫妄である
しばらくして
また「川に滑り込みたいから背中押して」という
背中に触れながら「なかなか押せないなあ」というと
「もういいわ 頼まない」と襟元の毛布をポンと捨てた
そして眠ってしまった
譫妄の苦痛でも和らげたい
今モルヒネを常時注入するなど彼女の痛みの軽減に医師と薬剤師が努力をしている
痛みはないはずだがそれでも痛いと絶叫する
そんな彼女を見るのが辛いたとえ譫妄でも意識の中では痛いのだろう
苦痛がなく静かに過ごさせたい
今日医師と面談した時
彼女の叫ばざるを得ない苦痛を取り除きたいとお願いした結果
日中も眠る時間を多くするために鎮静剤の増量をすることになつた
眠ることの多くなる彼女だがその選択はベターと思う



平成29年8月8日

「うれしい」の言葉

昨日よりできる限り午前の早い時間に病室に着くようにしている
8時50分病室に入ると
ちょうど目覚めたばかりの彼女で怪訝な表情で周囲を見回していたが 私を見つけしっかりした目でみつめ手を伸べてきた
私の手をしつかり握り
「うれしい うれしい」
と繰り返していた
ひとりぼっちの不安が常にあるのだろう 白い手をしつかりと握り続けた
それから水ようかん5口と水を少し飲んだ
そしてベッドを倒すとまた眠りに入った
寝顔がいい口を閉じ痛みや不安を忘れているのだろう 安心しきった顔である
「うれしい」と私を迎えた表情と言葉が心から離れな



  痛みを堪える彼女の言葉

「なんとかして」
「どうして私だけ痛くなるの?」
「痛い 痛い 痛い ‥‥」
「わたしどうしたらいいの」
「痛いなあどうしたらいいんだろう」
「外に連れて行って投げ捨てて」
「川にすべりこみたい背中押して」
「痛いの来ないといいなあ」
「神様痛いよう」
「助けてー」
「どうしたらいい?」
「もうだめだおうちに帰りたい」



平成29年8月9日

穏やかな顔

眠っていた彼女が目覚めた時
顔を寄せて「この人だれだ」と聞くと
「パパ」と答えた
それだけで他のリアクションはなくまた眠りに入った
穏やかな寝顔である
昨日一昨日とは全く違う穏やかさである
鎮静剤が効いているのだ



平成29年8月9日

情けないまた入院となつた

病室で眠っている彼女の側に居る時
腹痛がしてきたが 先日の膵炎に罹った時の症状と同じような気がした
〇〇病院の院長先生に事情を話し血液検査をしてもらった
その結果アミラーゼの検査値が1万を越していたという
すぐ院長先生の指示で△△病院に再度の入院となった
彼女のこんな時に情けない
彼女のベッドに戻り
「ごめん また膵炎になったみたい 入院になるので来れなくなる。ごめんな」
というと 彼女は私をじっとみて頷くだけだった
譫妄であれ 私のいない処で苦しむ彼女がかわいそうで 院長に強い鎮静剤で眠り続ける処置を御願いし救急車で△△病院へ



  大切な時に 入院なんて

前回もそして今回も
私の入院は 私だけでなく彼女もやりれなかったと思う
口にはださないが 私の看病をできないことが彼女としてはつらかっただろう
そして上の娘も
余命1ヶ月の母親が入院し父親もまた入院
会社勤めをしながら両方の病院を見舞うのである
家に帰ればに一人である
食事洗濯ごみ出し等々家庭の雑用もしなければならない
それ以上に家に帰った時父 も母も居ず一人でいることが不安で寂しかったことだろう

東京に居る 次女もこの半年しばしば病院に来てくれた
仙台駅から真直ぐに病院に来て彼女の看護をしてくれた
東京の家庭も大事だから無理に来るなというと言うと
主人も勧めてくれるからと
1週間も看護してくれることがあった

今回の自分の入院は本当につらかった
2度も

〇〇病院で余命1ヶ月ですと言われたのが6月
もう2ヶ月が経過している自分の入院中に彼女に万一があつたらと考えると気が気でなかった

辛いことだが万一のこと考えたを段取りをしておかないと一人留守をしている娘が困る
△△病院の看護婦に次第を話し
病院の一室を借り葬儀屋と彼女の葬儀の段取りを相談した
その後 病室に弟、妹と娘を呼んで
通夜、葬儀、法要について打ち合わせした


平成29年8月26日

17日ぶりの退院

今回も胆石をそのままに残し 炎症を抑えての退院である
胆石が落ちやすいようにと胆管入り口を切開したという
早く彼女の元に帰りたい私の願いを適える処置である
主治医は涙ぐんでその説明をしていた
都合により今日は自宅に帰ることとし 彼女の病院に行くのは明日になる
私の退院を彼女はどのように迎えてくれるのだろうか



平成29年8月27日

今夜より彼女の病室に

18日ぶりに彼女の病室に入った
眠っていたが頬をさすると目を開きしっかりした目で見つめる「お父だよ」というと頷いてくる
声をだせるほどの元気はない
「今夜からこの部屋で一緒に寝るから」というと
首を横に振るそんなに無理しなくていいよというジェスチャーだ
「大丈夫 今まで会えなかった分泊まるから」というと頷いた
昼は家で仕事があるから夜に来て泊まるというと頷いている
夕方病室にくると眠っていた頬をさすっても起きない
手を握っていれば無意識にも私を感じるかと思い握り続けた
突如 涙が出て止まらなくなった
胸元にはナースコールのボタンがあるがこれで看護婦さんを呼んだことはないという
彼女のおまじないなんだ



平成29年8月28日

側にいること感じてほしい

彼女の病室泊2日目
日中は自宅に戻り雑用をして宿泊となる
夕方戻った時は鎮静剤の効き目で一日眠り続けていたという
彼女の頬をなで
「ただいま」
「今夜も側で寝ているよ」というと
薄く目を開き二度三度頷きすぐ目を閉じた
意識は朧だと思うがこの夜は度々頬をなで手を握り続けた
側にいることを感じ穏やかな気持ちでいて欲しいから

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日記 9月・

2017年09月18日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年9月2日

孫に見せた笑顔

昨夜は金曜日
土曜日の前日ということもあり
東京の娘が病室に泊まる
私は自宅の夜をゆっくりする
そして 今日
東京の孫2人と父親が彼女を見舞う
初めはぎこちなかった彼女は
孫たちの呼びかける声に笑顔を見せるようになった
声も出したいのだろうが出ないのだ
側に居た看護師がいい笑顔だねと喜んでいた
でも声をださないのはその気力がないということか
元気の薄れていく彼女を見るのが辛い


平成29年9月3日

美人になった彼女

夕方病室に入ると
彼女は眠っていた
そして美人になっていた顔全体が艶々している
今まで耳にかけて顔の後ろ側は黒く
染みかと思っていたが垢だったのだ
気づなかった 看護婦さんが拭いてくれたのだろう

そして目を覚ました彼女に
誰が拭いてくれたの? 
と聞くとわからないと首をふってい
眠っている時に拭いてくれたのだ
それよりも私の尋ねたことに対して
応えた彼女がうれしかった


 

平成29年9月4日

彼女を美人に変えた人

朝 彼女の担当の看護婦さんがきた
この人が彼女を美人にした人だった
顔の黒いのは垢だと思い
別の人に頼んで顔を拭いてもらつたそうだ
この看護婦さんは
別の病室担当で久しぶりに彼女の担当になったという
彼女の顔をみてすぐ垢と気づき拭いてもらうよう依頼したみたいだ
彼女を美人にした人が判明した
この看護婦さんと拭いてくれた看護助手の人だった



平成29年9月5日

彼女の願い

何時もは
泊まり明けは9時ころ病院を出ている
彼女の肩に手をかけ目覚めさせてから
「これから 家に戻るよ」「夕方 来るから」というと
彼女は頷いていた
今日は違った
「これから帰るよ」というと
発音が明瞭でないが「帰らないで」と聞こえた
「帰らないで居て欲しいということ」と確かめると頷く
「洗濯など家の仕事をして また夕方来るから」
というと私の方をみて無言でいる
「だめ?」と聞くとだめだと頷く
彼女はいて欲しいのだ
でも家の仕事があるのでまた夕方くるからというと
無言で そして眼を閉じた
切なかったが「帰るね」といって帰った
夕方病室に帰った時熟睡していた
肩をさすりながら「帰ったよ」というと
眼を開け笑顔を見せた
そして、すぐ眠りに入った



平成29年9月6日

妹からの電話

彼女の病室にいると
妹から電話がきた
日中 妹と姪と二人で彼女の見舞いにきたそうだ
眠っていたが頬をさすりながら
「お姉さん」と呼ぶと
笑顔で答えて反応したそうだ
一緒に居た姪の呼びかけにも反応したと喜んでいた



平成29年9月7日

ありがと

最近痰の詰まることが多くなった
日中でも夜でも時々ぜいぜいしている
そんな時 看護婦さんが口あるいは鼻から管を挿入して痰を取り出す
彼女はそれがいやだから
小さな悲鳴を上げて抵抗する
口からの場合歯を閉じ管の挿入を拒む
歯に隙間があるのでそこから管を入れると舌を使って抵抗する
看護婦さんは「ごめんねごめんね」といいながら
一生懸命に取り組むがうまくいかない
次の手は鼻から管を入れることである
彼女は体全体が動けないから鼻から入れられるとなんの抵抗もできない
ただ小さな悲鳴を上げ続けるだけである
看護婦さんは
何度も「ごめんね ごめんね」といいながら痰をとる
痰を取り終えたとき彼女の肩をさすり
「看護婦さんも一生懸命やつてくれるんだよ」というと
「ありがと」と呟く幼児が
周囲の人となにかしらあった時
最後に言う「ありがと」と同じ情景のような気がする
彼女が
幼児のような純な状況にあると
知りまた愛おしさが増す



平成29年9月9日

出てきた体のむくみ

今朝
看護婦が
手が浮腫んできたねという
深く気に留めないでいたが
帰り間際に彼女の手をみると浮腫みそして白々としている白蝋のような手である

生気のない彼女の手
それをしっかり握る
握り続けているうちに
彼女の刺繍をする手
ポケモンgoでボールをはじく手
運転する時のハンドルを握る手
さまざまな彼女の手の仕草が思い浮かぶ
そのようなことが再びできないのだろうかと思うと不憫であり愛おしい



平成29年9月17日

反応がない

夕方 彼女に呼びかける
彼女は穏やかな寝顔であるが呼びかけにまつたく反応を見せなくなった
肩に手をかけ顔を近づけて名前を呼ぶが静かに寝息を立てている
以前は呼びかけに応えようと必死に目を開け
声をだそうとしていたが
今日はその気配がなく静かである
でも 表情に苦しそうな様子が全然みえないのが救いである

血圧は70台
酸素は75%
脈は図れないほど弱い

と看護師はいう



平成29年9月18日

自宅だよ

病院より
彼女が急変しましたという連絡があり
娘と病院に急行した

午後4時14分彼女は逝った

覚悟をしていたことだが辛かった
彼女の頬をさすりながら涙が止まらなかった
表情が穏やかだったことが救いだった

遺体は斎場へ直接行くことにしていたが
葬儀社の担当者が
長く病院生活だったのですから自宅に寄りましょうと言ってくれた
このことに気づかないとは 自分ながら情けないと思う
病院生活7ヶ月余
彼女は口には出さなかったが自宅に帰りたかったろうなと
その気持ちを想像すると胸が張り裂けそうになる
門を入り玄関に車を止め
「帰ったよ こんな帰り方悔しいね」と呟いた時
涙がどっと出てとまらなかった



平成29年9月22日

白骨(しらほね)

昨日(9月21日)は 
彼女の納棺 火葬 葬儀であった
火葬終了直後 
まず 喪主である私が彼女の遺体を確認した
彼女は生々しい白骨となって目の前にあった
台座に白々と四肢を広げている
生ある時の彼女とはまつたく別の世界の彼女である
彼女の魂が残っていて
変わり果てた自分のこの姿をみた時
どんなに嘆き悲しむだろうか
居るはずのない彼女の気持ちに思いを馳せ愛おしさと不憫さが込み上げてきた



平成29年9月22日

告別式

昨日21日は彼女の告別式
家族葬も考えたが彼女の交流の広さ深さから新聞へ死亡広告を載せながら一般葬とした
彼女の年齢は満73歳である
一線を退職して以来10余年の経過にも関わらず彼女を慕う参列者が多数いた
現職時代楽しく語りあいながらもリーダー的であった彼女の思い出を語る人
彼女の人となりを教えてくれる卓球の仲間たちやグランドゴルフの仲間たち

20日の通夜にも参列者が多かった
通夜ふるまいにも大勢の人が参加してくれて会話の端々に彼女の人となりを知ることができた
私が思っていた以上に彼女は人間的にも優れた人だったのだ
そんな彼女の新しい側面を知り誇らしい気持ちになった



平成29年9月24日

応えてくる遺影

葬儀の遺影は普段着の彼女のものを選んだ
微かな笑みで見つめ返している上半身の姿である
それが今遺骨と一緒に自宅の仏壇の前に飾られている
折に触れ線香を灯しながら彼女に語りかけている
「〇〇(娘)が残業で帰りが遅いって」
「洗濯はしたが干すのを忘れていた」
「弔問に来た〇〇さんが貴方を褒めていたよ」
「筑前煮というのはどのように作ればいい?」
「お前が居ないのは寂しいな」
その都度遺影が応えてくる
「〇〇も大変だね」
「なんで忘れるの」
「そうでしょう」
「インターネットで調べたら」
「━無言━」
普段着姿の遺影を選択したことよかった
彼女と会話ができる今日は初七日である
話しかけるたび切なさが募るがこれからも1日の出来事を報告しよう

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