千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

舎人ライナー

2018年03月31日 | 徒然の記

「舎人」、実はこの字が読めなかった。東京に住む娘の家の近くを通る私鉄が「舎人(とねり)ライナー」というそうだ。

 今日、娘の家でいくつかのおめでたいことがあったので、お祝いのために東京に行ってきた。娘夫婦や孫たちと会話が弾んで楽しかった。

 帰りに娘夫婦に送られる途中、「舎人ライナー」はモノレールで運転手がいないと義理の息子が教えてくれた。ということは一番前に乗れば運転手目線で見られるということだ。その気になって、見送ってくれた娘たちと別れモノレールに乗ると、運転席にはすでに親子連れが乗っていた。  残念。

 モノレールを降りた日暮里が終点であり始発である。折り返し運転になるのでもう一度乗ることにした。そして運転席に座ることができた。

 たわいのない拘りだか運転席に座り、「舎人ライナー」沿線の一部分を正面から楽しんだ。 

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針箱

2018年03月29日 | 徒然の記

 ズボンのチャック上部のボタンが千切れたので針箱を物置から出し補修をした。

 この針箱は妻の愛用品であった。これを見ると病院から切ない声で電話してきた平成29年7月23日の夜のことを思い出す。癌が進行し譫妄の出始めた頃である。

  自宅に彼女の携帯から電話が来た。話の展開は不明瞭だが必死に何かを訴えている。頷きながら彼女の話を聞き、慰めながら明日は早く病院に行くよと電話切った。受話器を置いてすぐまたベルが鳴った。今度はしっかりした声で「さっき刺繍をしていてうっかりかぎ針を落として心配だったの。でも、その針が曲がっていることを思い出したので安心だからね」と。そして、「電話してごめんね」と言う。看護師に自分の携帯電話を支えてもらいながらの電話だったらしい。その情景を思い出すのは今でも辛い。

 以前にも、針仕事をせざるを得なくなりこの針箱を目の前にしたことがあった。彼女の死後2ヶ月後くらいだろうか。この時は彼女の電話の声を思い出し涙が止まらなかった。何度も何度も涙をぬぐったことを思い出す。  

 今夜は前回とは少し違う。切なく彼女への想いは募るが涙を抑えることができる。

 

 悲しさは時が癒してくれるというが、このことをいうのだろうか。

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背後から来る音の恐怖

2018年03月27日 | 徒然の記

 買い物の帰り、スーパーに車を置いて近くの公園をウオーキングする。公園は所々にベンチがあるのがいい。30分くらいかけて公園を2周している。

 腰痛。足の痺れがあり俊敏な動作ができない。前方を見て手を振りリズムを取りながら歩く。しかし、必死である。誰かに声をかけられたとしても足を止め、ゆつくり振りむくことになる。

 他にも散歩する人、自転車を漕いでいる人などいろいろの人が行き来しているが、後ろからその人たちの音が近づいて来る時が怖い。ぶつかられてもどうしょうもない恐怖である。

 生前、妻は脊髄の放射線治療で下半身に後遺症が残り手押し車を利用して歩行していた。リハビリだからと、そろりそろりとではあるがよく公園を散歩した。

彼女も後ろから来る足音や自転車の音が怖かったのだろうか。今になって、もう少し彼女に寄り添って散歩すればよかったと思う。

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主夫をして知る妻の心遣い

2018年03月25日 | 徒然の記

 妻が死亡して6ヶ月が過ぎた。娘と二人の生活だが食事担当は私だ。担当といっても夕食だけである。

 季節にもよるが、私の夕食時間は18時から19時頃にしている。娘は会社での立場もあり帰宅時間が遅く20時を過ぎるのが普通で、夕食はそれからになる。

 食事担当者としては温かい物を食わせたい。そのため、味噌汁、副食については材料を2食分に分け食べる時間に合わせて1食分ずつ作ることにしている。

  私も若い頃は帰宅時間が遅く20時頃が多かった。

 毎回食事には満足していたので、「旨い」と言いながら食べてはいたが、妻は温かいものを食べさせようと努力していたのだろう。その頃は何も気づかず彼女の用意するのを当然と受け止めていた。

 彼女が生きている時に、それに気づかなかったのが悔やまれる。

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テニスボールの弾む音

2018年03月23日 | 徒然の記

 昨日の雨も上がり今日は晴れ。

 散歩途中の公園のテニスコートからボールの弾む音が聞こえる。複数の音が混じりあって軽やかに聞こえてくる。 

 若い頃、妻と二人の趣味としてテニスを続けようかと話し合いテニスコートを巡り歩いた。あの頃はテニスブームでテニスコートを探すのが大変だった。テニスクラブの会員になることも考えたが、薄給と二人の子育てがありライフワークとしてのテニスはあきらめた。

 彼女はやりくりしながらライフワークにしたい気持ちがあったのだろうか。私に遠慮して言い出せなかったのかな?

 今となっては確かめることができない。

 

     春の雲テニスボールの弾む音

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初彼岸

2018年03月21日 | 徒然の記

 今日は妻の初彼岸である。

 彼女の大学時代の友人が花籠を届けてくれた。もし、霊魂があるなら懐かしがるだろう。 

 半年前の彼女の火葬の時を思い出した。

 喪主であるのでご遺体を確認してくださいと言われ、熱くなっている台座の彼女のお骨と対面した。熱気の残るお骨を見ながら、彼女の、霊魂も含めて一切が焼失しているように思い、悲しく切なく涙が止まらなかった。 

 その光景を思い出しての句である。 

     白骨を残し君ゆく冬銀河   千字

  今は、ことあるごとに位牌に向かい、線香をあげ語りかけることで気持ちも安らいでいるが、彼女の一切が無になっているという気持ちに陥ることもある。 

 花籠を送ってくれた友人に感謝する。

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杖つく婦人をみて

2018年03月20日 | 徒然の記

 街に出かけた帰りのバスの中での事 

 私の降りる五つ前の停留所で杖を突いたおばあちゃんが降りた。つり革や椅子につかまりながらゆっくり降りて行った。 

 入院前の妻とよくバスで出かけた。リハビリでもあるからと杖を突く彼女とあちこちの公園にいった。彼女も慣れない杖でよく頑張った。ポケモンgoのゲームをしながらだが。 

 その彼女がバスの中で勢いよく転んだことを思い出した。 

 転んだ彼女は起き上がろうしながら「すみません」「すみません」と誰へとなく詫びていた。転んだこと、激しい音を立てたことを詫びていたのだ。 

 その情景が思い浮かび彼女への思いがつのり切なかった。胸にこみあげるものがあった。 

彼女の居ないことが辛い。 

 彼女を思い出させるこのような光景も、2度、3度とつづけば辛さも薄らいでくると思っている

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ただいま !

2018年03月20日 | 徒然の記

 玄関を開け、誰も居ないとは知ってるが、「ただいま」と声をかける。「お母、帰ったよ」とよびかける。

 そして、仏壇の蝋燭と線香に火をつけ「返事しろ」という。返事のくるわけはないが、声がけをしないと彼女に悪いような気がするのだ。

 そうしながらも、以前の辛さは薄らいだなと思う。

 声をかけると心が和む。

 

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