千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

2020年を(見)送る 

2020年12月31日 | 徒然の記

2020年は新型コロナウイルスに翻弄された年だった。今日夕方発表の日本全国での1日の感染者数4,515人。これでも日本は少ない方で全世界に衰えることのない勢いで感染が拡大している。
この驚異のウイルスに立ち向かう人々の善意も多く見られた。しかし、エゴを隠さない人も多くいたように思う。
政治の力による抑制も勿論あってよいが一人一人の更なる自覚があればと思う。テレビの街頭インタビューに「政治等の強制力が必要」と答えている人がいた。「それを言うならお前がステイホームをしていろ」という思いがあった。

2021年は、ワクチンの力を借りてコロナ感染収束に向かうと思うが、それでも一人一人が感染予防に努めなければと思う。

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老いのプチ贅沢 

2020年12月29日 | 徒然の記

3月ほど前から有料の音楽配信サイトを利用しているがいつでもどこでも音楽を聴くことができ便利である。
年金生活者であることから1ヶ月500円で済む低額の配信サービスを利用していた。だが、音楽のジャンルや曲数が少ないので聴きたいと思う曲を楽しむことができない。特定の音楽を聴くというよりBGMとして利用するのがよいように思う。

自分としては、サラブライトマン、辻井伸行、ショパン、昭和演歌などなどじっくり聴きたい時がある。この配信サイトでは物足りなかった。そこで1ヶ月980円と高額になるが配信サイトを代えることにした。今日その手配を済ませたが、ほとんどのジャンル、歌手の音楽が配信され十分満足できそうである。
余命の月日を数えられる人間の贅沢である。

ちなみに今までのサイトはdヒッツ、これからのはsportfyである。

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正義感?? 

2020年12月27日 | 徒然の記

先日、句会に参加した。

いつものことだが会場となる市民センター入り口の自販機で飲料水を購入していく。句会終了後、帰る途中自販機の傍のごみ箱に飲み終えたペットボトルを捨てていた。この自販機専用の容器を捨てるものとは知っていた。

この日は下校した数人の小学生が市民センターの入り口で遊んでいた。そのうちの一人がペットボトルを捨てた私を見て、「ここにごみ捨ててだめなんだよ」と抗議してきた。
ごみ箱は汚れ防止のためのビニールで覆われていたが「ごみを捨てないでください」という表示が見える。これを見ての小学生の言葉と思う。
ごみ箱を覆っているビニール袋を更にまくり上げ、隠れていた「ベットボトル・空き缶専用」の表示を見せてこのごみ箱は専用のもであることを教えた。

この小学生の正義感に少し疑問を覚えた。思い立ったらすぐの正義感でなく年長者への遠慮があっていい。

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書き終えた年賀状

2020年12月24日 | 徒然の記

今日、なんとなく気に掛かっていた年賀状を書き終えた。書くというより裏のデザインや宛名など全てパソコンで作っているので今日印刷を終えたということになる。若い頃よりぐ~んと枚数は減っているのだが取りかかるまでの思いきりが悪かった。

パソコンにある住所録は年度毎に年賀状を送った人、受け取った人を記録できるようになっている。今使用している住所録のソフトは3年前より使用しているものだが、その送受信を記録する蘭は2030年度分まである。

そして、この欄の最後の年度までは生きていないだろうと思いながら、作り終えた年賀状を見返していた。

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正月とgo to travel

2020年12月22日 | 徒然の記

ここにきてコロナ感染拡大の勢いが増している。Go to travelも制約されるようになりそれについてあちこちでいろいろの意見が飛び交っている。深い知識に裏打ちされた専門分野の人の意見はなるほどと思いながら聞いているが、中には浅薄な知識ではと疑われるよう人も意見を述べている。
では、Go to travel 制約の施策はどうだろうと考えた時、わからない。各界の知識人の意見を土台にして出される施策を受け入れていくのがいいような気もしている。

ここでコロナ感染拡大初期の中国を思い出す。コロナ感染拡大の初期、発生の地と疑われている中国は春節の時だった。膨大な中国人が世界に旅発った。あの時の映像をみると中国人の移動が凄まじかった。それで一気にコロナ菌が世界に広まったという思いが強い。

正月を迎える今、Go tp travelのことを考えると、中国の春節の時の膨大な人の移動が思い出される。

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たかかが珈琲、されど珈琲

2020年12月20日 | 徒然の記

日常の中で誰もがなんということのない行動をしている。
たとえば珈琲を飲むこともその一つ。朝のある一時に珈琲を飲む習慣。珈琲を炒れ、そして飲むときの香りと味、それを味わいながらゆったりとした人生の一時を自覚する。
その人は雪の山頂でご主人と一緒に珈琲を飲むのが夢だという。山頂の雪の中で飲む時の珈琲の色を想像するのも楽しいという。
ある会合を終え、カフエに立ち寄った女性との会話の内容である。

日常のさりげない習慣、他人からみればこんなことと思う事、それを自覚することが暮らしを生き生きとさせるのかも知れない。

哲学者になった訳じゃないけどそんなことを考えたデートのひと時だった。

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閉じこもりの一日 

2020年12月17日 | 徒然の記

昨夜より降り続く豪雪で日本海側の各地の大変な状況がニュースで報道されている。

私の住む街は北国であるが大平洋側にあり積雪が少ない。そして生活の移動手段である車には誰もが冬タイヤの装着を終えている。少し不便は覚えるものの新潟地方のように雪に閉じ込められたというのは聞いたことがない。
だが、今日の私はたかが10㎝程度の積雪で閉じ込められたのと同じ状況になった。整骨院の予約も電話で断わった。
それは、3年前から冬タイヤの装着をせず雪や道路の凍る日は車の運転はしないことにしいてるから。
用事のある時はタクシーを呼ぶことにしているのだが、それほどのこともないと今日は1日中家の中にいた。

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悔やまれる父への思い 

2020年12月15日 | 徒然の記

我が家から1㎞ちょっと離れた処に弟夫婦が住んでいる。電話でのやりとりは常にあるが、今日は久しぶりに弟と我が家で会話をした。
会話の中で20年前に死亡した父のことが話題になつた。父が己のことをしみじみと述懐した時に真剣に応えなかったことを今でも悔やんでいるという。

それに似た思いが私にもある。
母が死亡し私共と同居していた父が、カラオケを買はないかと相談してきた。自分で費用は出すと言わなかったので私はよい返事をせず買わないままで終わった。
今考えるに、退職後庭作りに精出す父は人との会話がなく発声のためにカラオケを買いたかったのかと思っている。加えて家族皆で楽しみたかったのだろう。

その父も88歳で死亡したが、父の願いを叶えてやらなかったことが、今でも悔やまれてしょうがないのだ。

 

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人間の叡知と科学能力

2020年12月13日 | 徒然の記

2019年8月頃から中国武漢でコロナらしい症状の患者が報告されたという。

日本では2020年2月にコロナ罹患者のいる「ダイヤモンド・プリンセス号」が神奈川県の港に強制停泊させられてコロナ過について騒がれるようになった。以来、世界各地で爆発的な感染者と死者の増加でパンデミックが宣言され世界の人々は恐怖に沈んだ。

だが、わずか1年もたたずに、この未知のウイルスに打克ちそうなワクチンが出来上がろうとしてる。いくつかの国で接種が始まっているが、人類の英知というか科学能力は本当に素晴らしいと思う。
これからの世界も安泰であろうと安心感が湧く。

一方導かれた英知を運用する個々の人間の質が気になる。コロナワクチンに限って言えば、ワクチンを-70℃で運搬することに手抜きをしないか、金儲けを考えその仕事を受注するために不正をしないか等々を考えてしまう。
素晴らしい人間の陰によく深な人間のいることが腹立たしい。

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歩幅・歩速。諸に劣る歳

2020年12月10日 | 徒然の記

短時間だがほぼ毎日散歩はしている。公園を2周かショッピングモールの1階~3階の通路で、どこにするかはその日の気分で決めている。

公園を周回する時に感じることだが、女性でも高齢者でもほとんどの人が私を追い越していく。
その後ろに付きながら観察しながら歩くことにした。
右足を同時に着地して、それから私が8歩進む時に前の人は9歩進んでいた。追い越した人は速く歩を運んでいるのだ。また、別の時は落葉とか石ころを基準にして比べると歩幅の広い人も多くいた。

杖を持っての散歩だが、広い道幅ではリズムを作るための杖で2足歩行と変わりないと思っているが‥‥。
追い越されるのは歩幅と歩を運ぶ速さの衰えなんだと納得しながらの散歩だった。

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