2022年5月、現職時代の職場の退職同好会より会誌への依頼があり「わが人生・晩年を生きる」という題で寄稿した。その文章そのままをプロフィールとする。
妻逝きて
寂しきあまり酒浸ると
聞きし人あり
死にたるという
私が現職の頃、ある先輩の退職後のことを知った。上の歌はその事に心動かされて五七五七七にしたものだった。
5年前、私の妻も肺癌で逝った。80歳を控えて酒浸ることはなかったが、結構こたえた。
その後、娘と同居し私が家事を担当する生活となった。平穏に暮らしていたが生きることへの執着は薄らいでいたと思う。言葉をかえれば達観した死生観であった。
ところが冬のある日、このような思いを変えることとなつた。この冬一番の冷え込みと言われた朝、陽が昇ってから布団を出ようとしていた。ところが娘には勤務がある。6時半、暗く凍てつくような寒い中仕事に向かった。
それに比べ自分は余生という気持ちでいる。人生の余りだからと気が入っていない。この中途半端な生き方を変えようと思い立った。
そして、決めたのが「これから10年生きるぞ」ということだ。10年は長い。何かに取り組み、途中で死があればそれでもよい。とにかく目的を持とうと思いたったのが次の二つである。
一つはブログを作ること。
暮らしの中で見聞きした事、それに感じた事を加えて文にする。字数は千字以内、毎週、日曜日、火曜日、木曜日にUPロードする。
そのためにはブログの作り方を覚えなければならなかったが、1ヶ月後には開始することができた。絵や写真のないのが今風でないが。
以来、週3日のUPロードは4年間続いている。このブログ継続には我ながら満足している。
二つは俳句をしっかり学習しょうということ。
70歳で始めた俳句だが、深めてみる気になった。五感に触れたことを詩にしようというのだ。文でなく五七五の短詩を目指そうとするのだから思い上がるなと叱る人がいるかも知れない。万年素人と自覚しているが、自分の力を知りたく雑誌等への投句を続けている。それらの中から新年・春・夏・秋・冬のものを一句ずつ。
・初茜海の裏より拡がれり
・すべきこと無きひと日なり蝌蚪の紐
・屍の弾けて落つる誘蛾灯
・ひとすじの雲斜交ひに天高し
・着膨れて遠くなりたる足の爪
ブログも俳句も未熟との思いが、挫折もなく続いている要因のような気がする。
3年前、指定難病「慢性炎症性脱隋性多発神経炎/多巣性運動ニューロパチー」に罹患していると医師より告げられた。寿命が目前にあるのだからそれで落ち込むことはない。が、それからくる下半身の痺れと、歩行が不自由になり杖を持つ生活となった。