千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

SNSから  

2023年05月30日 | 徒然の記
近頃、ツイッター、インスタグラム、ティックトック、ユーチューブ、フェイスブック、ラインというのが若者の間で流行っている。snsという言葉もよく出てくるが、前のツイッターなどまとめてsnsというそうだ。家族間でラインは利用しているが、その他の不特定多数とのつながるものは利用していない。
ある女性のsnsを紹介した記事がある。「娘の学校の運動会の徒競走はジェンダーレスで1着のほとんどが男の子だ。男女混合であることに違和感がある。ジェンダーレストイレへの揶揄を込めて」というものだ。ジェンダーレストイレが話題になっていることへの主張だろう。
40年ほど前、私が子育ての時の学校の徒競走は男女別が普通だった。子供の担任の先生は、走るのが苦手の子が常にビリにならないように事前に走力テストをして同じレベルの子で競わせると言っていた。
先のsnsで紹介された徒競走はその学校の工夫のなさで、ジェンダーレス云々以前のことであるように思う。
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いさぎよさ  

2023年05月28日 | 徒然の記
東京の区議選で一人の女性が当選した。その後この区議は3月に偽ブランド品を販売したことで罰金の略式命令を受けていたことが報道された。ところが任期初日の5月26日、区議を辞職したそうだ。世間に批判された結果とはいえ、せっかくの区議をやめた女性のいさぎよさは好ましい。
一方、総理大臣の公設秘書が、官邸で家族、遊び仲間と忘年会をし、あげくに大臣任命式で使用する赤絨毯の階段で大臣任命式を真似た写真を撮っている。加えて寝そべって飲食する姿も報道された。そのあまりに幼稚な行動が腹立たしい。
そしてこの公設秘書は総理大臣の息子だという。自分の子を公設秘書につかう大臣の神経も泥臭さく思う。公邸を私物化しているこれらの行動に対して総理大臣、公設秘書はいさぎよい行動をするのだろうか。
くだらいないことで見識を疑われる総理大臣であって欲しくない。
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「夜のカフエ・テラス」 ゴッホ 

2023年05月25日 | 徒然の記
中学生の頃の記憶だが、美術の教科書に黄色がやたら目につくゴッホの「ひまわり」がある。以来、ゴッホの絵は黄色の絵の具を厚塗りしたものという印象だ。
それでも退職して折々開いた画集(印刷物)にゴッホもあり、先日久しぶりにその画集を開いた。三点ほど好きな絵があるが、その一つが「夜のカフエ・テラス」だ。明るく照らされた夜のカフエテラス、庇の下をこれほど明るくする照明はこの時代なかったはずと思いながらも集まる人々の幸せ感を思わせるのがいい。
8つの丸テーブルがあり一人座る人や二人語り合う人がいる。道路の二人は何を語り合っているのか。照明の外の暗い建物、その暗がりから光の中に近づいてくる人もいる。
明るさの残る夜空に光る星と手前のテーブルの空席がこの路地の広がりを思わせる。イメージの広がるのが楽しい。
光の中の光景と暗がりのコントラストがいっそう味わい深く感じる。




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再度エッセイのこと  

2023年05月23日 | 徒然の記
芸能人は特化した芸に秀でているが、それを除けば薄ペラな人が多いような気がして尊敬するひとはいないと思っていた。だが星野源(1981年生)という俳優で歌手で作曲家で文筆家としても優れているという紹介記事を読んだ。エッセイが上手ということに惹かれて星野源著「いのちの車窓から」を市民図書館より借りた。1話題5頁(1万字位)で我がブログ800字とは雲泥の差だがどの話題も楽しく読んだ。
武道館ライブを終えた後、一人で宿泊するホテルの8階から見える夜の街の記述、NHKホールで録画に行った時、すれ違った芸能人とのエピソードなど淡々と記述している。ある章の「人気が上がれば上がるほどその人のエゴが高くなりわがままになる」という記述は記憶に残る。その他、エッセイを書く時は「何を見たのか」「どのように心が動いたのか」「そこらから何を考えたか」などを心するという。
実は、私も800字位のブログの文だがこの類いのことに気を付けて書いている。
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コロナワクチン接種 

2023年05月21日 | 徒然の記
2020年1月、中国武漢で発症が確認されたといわれる新型コロナ感染、以後、毎日発表される感染者数の信じられない数字に恐れ慄いていた。今は、その勢いも弱まり人々も冷静に対処できるようになっている。そして、毎日の感染者数の発表は5月8日が最後となった。この日の感染者数はNHKの特設サイトには9310人とあった。
今後は、新型コロナの感染症法での位置づけが「5類」となり感染者数の報告も「定点把握」に変更になるという。その定点把握での数字は微増にあるそうだ。
そして第6回目のワクチン接種の案内が、先日届いた。動作が緩慢になつている高齢の自分の感染は周囲に余計な気づかいをさせてしまう。それをなくすことを考え、ワクチン接種を受けることとし、午前中に第6回めのそれを済ませてきた。

今は少し顔が火照っている。
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webニュースから 

2023年05月18日 | 徒然の記
5年前より新聞購読をしていない。代わりに毎朝、毎夕、yahooニュースに目を通すことにしているが、yahooニュースはトピック記事として8つ、その他三面記事的なもので作られている。日に何度か更新されているようたが、webという不確実さもあるような気がして、必要な時は読売新聞等の商業新聞のweb版で確認するようにしている。
今朝みたyahooニュースには、東京永田町の公衆トイレで男性警察官(巡査部長)が、また、福島県の❍❍警察署の更衣室で女性警察官(巡査長)が拳銃自殺したという記事があった。
警察官は強い人という印象がある。そのような人がどうして自殺するのだろうか。自殺するまで追い詰めたものは何だろうかと思うと可哀そうに思うし気の毒に思う。
よく思うことだが、交通事故、殺人、火災など、ニュースは速報性が重要なのは分かるがそれに至った原因までは報道されない。本当はそれが知りたい。
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マスクのない笑顔 

2023年05月16日 | 徒然の記
定期購読の雑誌購入のため街のショッピングモールへ出かけた。いつもの通りバスで出かけたが乗客全員がマスクをしていた。自分も乗車前まではマスクを外しているがバス内では着用している。ショッピングモール内を歩く時もマスクを外さないようにしている。
雑誌購入後はカフェに行ったり昼食をとるためにショッピングモール内を歩く。そんな時、マスクを外して、笑顔で楽しそうに語り合いながら歩く若い二人の女性とすれ違った。二人の笑顔がなんとも言えず新鮮に見えた。考えてみれば、家族以外まともに女性の笑顔を見たのは3年ぶりだったと気づいた。
マスク超しに感じる人の優しさに触れるのもいいが、素顔の、溢れるような笑顔はもっといい。早晩、街にはマスクをしない人が普通になるのだろうが、そうなるのが待ち遠しい。
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エッセイを意識して その3 

2023年05月14日 | 徒然の記
昔、「クリープのない珈琲なんて」というCMがあった。クリープを入れない珈琲なんて美味しくないよという意味だが、前回の自分のブログを読み返していてこの言葉を思い出した。エッセイらしく書いてみよかと試してみたが、我ながらだらだらと続いているような気がする。クリープのつもりではないが、終いに俳句を載せてごまかしてしまった。
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エッセイを意識して その2

2023年05月11日 | 徒然の記
    「中法地公園」

病院の診察を終えた後、次のバスの時刻まで長い時間がある。日差しも柔らかく清々しい五月の天気だ。散歩がてら予定より2つ先の「中法地公園前」バス停まで歩くことにした。それでも時間が余り公園で休むことにした。
「中法地公園」は、バス停表示のポールから3mほどのところから入る道路沿いの小さい公園だ。周囲を高い樹や低い樹が囲んでいるが、まだ真夏のむさ苦しい緑にはなつていない。この公園は近くの人がたまにくる程度なのだろうか、地面は生えはじめの雑草で緑がかつている。ブランコやベンチの木の部分は色褪せて黒ずんでいる。
公園のすぐそばを自動車の走行音が聞こえるが、それとはおかまいなしに小鳥の囀りが激しい。高い樹の天辺からのけたたましい鳴き声に低い樹から別の小鳥が鳴き返している。
この公園は郊外とはいえ、人々の暮らす喧噪とは無縁の一角になっている。

    囀りのタイヤ音こえる小公園  千字
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エッセイを意識して その1 

2023年05月09日 | 徒然の記
日本の近代文學者の一人谷崎潤一郎はエッセイストとしても優れていると何かの文章で読んだ。エッセイ(≒随筆?)というのはよくわからなかったので、ならばと市民図書館より借りることにした。借りたこの本は面白いと思えず飛び飛びに読んでも途中で止めた。東京の駒込とか日暮里等の地勢や建物などの描写が延々とあり、写真印刷もない当時のガイドブックと考えてよいようだ。
エッセイ≒随筆は文学として独立しているのだから私の認識は甘いのか。そう思いながらこの本を読んで気づいたことがある。
まず、エッセイは目に映る情景の描写が丁寧である。次に地名が表記されるなど匿名性がない。そして、「私は」という語を使っていない。
自分のブログの文は日記の類と考えているが、次回のブログは、エッセイ風な書き方を試してみようかと‥‥‥。
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