千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

紙を捲るのに指を舐める

2019年11月28日 | 徒然の記

先日、あるタクシー会社で客の前で書類を捲ったり札を数える時に、指を舐めてその行為をしないようにと社長通達があったという。確かに札を数える時に指を舐め乍らするのは汚らしく見える。
タクシー会社のこの措置は正しいと思う。

ところが、自分を振り返ってみると、指に湿り気がなく紙を捲るのに四苦八苦している。もう乾涸びているのだ。
たとえば、病院の待合室で新聞を読む時1枚づつ頁を捲るのが大変だ。新聞紙の端っこを立てて指紋に引っ掛けるようにして次のページに進むようにしている。

これを機会に指サック等をデスクに置くだけでなく携帯する工夫をしてみようと思う。

このタクシー会社はどうするのだろうか。

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泡で流す浴槽掃除

2019年11月26日 | 徒然の記

「慢性炎症‥‥‥」なる難病の診療のために月一の割で医院に行っている。この病気の治療は、薬・注射の治療はなく痺れ等が酷くなった時に入院して、「免疫グロブリン製剤」を5日間かけて点滴することである。

だから外来でいく時は問診だけになる。
前回の外来の時の医師とのやりとりで、屈んでする浴槽掃除が足の痺れや腰痛には酷いということを話した。それに対して医師は「我が家の母は浴槽に洗剤をふりかけ泡で洗い流しているよ」と話していた。
それは知らなかった。浴槽に洗剤をふり、その後でスポンジたわしで磨いていたのだ。その屈む姿勢が酷かった。

今は、洗剤をふりかけ少し間を置いて洗い流すだけにしている。それだけで浴槽や壁面がきれいになる。

風呂場用の電動ブラシの購入を考えていたがそれは取り止めにした。

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電車を隠すと

2019年11月24日 | 徒然の記

「鉄道・絶景の旅」。このテレビ番組をみる楽しさは前にも書いている。

今の時期は紅葉を見せる鉄道の旅である。
山を遠くに川沿いを走る列車。手前の木々の色づいた光景、その向こうに川が流れ、さらにその向こうに秋のやまなみか続く。
ドローンでの撮影だろうが、紅葉の中を走る列車に旅心を掻き立てるような風景がある。

だが、ふと気づいた。
青や赤で彩飾された電車を指二本で隠してみた。そこは絶景というほどでなく、紅葉の美しい里山の風景となった。
「・・の旅」とはいうが旅人の目線からのみの映像ではないということに。

それでもテレビ番組は楽しみているが、近いうちに鉄道の旅をしてみようと思う。どのように感じるのだろうか。

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高齢者の逆走運転報道から

2019年11月21日 | 徒然の記

今日も高齢者の逆走運転の報道があった。映像とアナウンスは逆走が如何に危険であるか伝えていた。
だが、どのようにして逆走に至ったかを伝えていない。

上下2車線、合わせて4車線で中央分離帯(植え込み、鉄柵など)のある幹線道路はあちこちにある。
今日報道のあった道路もそうであった。それに合流する道路は左折だけが進行方向である。ところが初めて通る場合、中央分離帯を反対車線の路肩と勘違いして、2車線と思い右折してしまうことはあり得る。(中央分離帯が高く反対車線の道路が見えにくい時など)
これは、右折しかかって道路の様子に気づき、事なきを得た少し若い時の自分の体験である。

逆走の危険だけを声高にいうのでなく、その原因を広報し運転者の注意事項として知らしめるようにするのがよいのだが。

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またもや音楽について

2019年11月19日 | 徒然の記

音楽の好みは雑食性であることは前に書いた。

人を恋う時、辛い思いの時等はシンガーソング、歌謡曲等歌詞のあるのを聴いている。歌詞の言葉とメロディに慰められたり奮い立ったりしている。

反対に、クラシックを聴く時は心が満ち足りている時がいい。言葉でなく曲の旋律や曲想に浸ることができる。

今日は、我が家の菩提寺の前を通りかかったので墓参りをした。彼岸や盆以外は墓参りをしたことがないのに全くの気まぐれであった。

そして今、妻のことを思い浮かべながら谷村新司のアルバムを聴き終えたところである。

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秋の自選句10  2019・8・8~2019・11・7

2019年11月17日 | 俳句をつくる

   

 


秋の句   2019・8・8 ~ 2019・11・7

 

    立秋ときけば風さえその気配

天井を渡るジャズの音秋立てり

空の蒼遠く透きたる残暑かな

黄の髪の娘の合掌や曼珠沙華

秋桜を戦がせ過ぎぬ車かな

書に耽る少女が一人カフエに秋

壁際で爪を噛む子よ秋の雨

閉め忘れし窓よりしきり虫の声

シャンパンのコルク跳ね飛ぶ野分の夜

夜もすがら万どよめく台風裡

台風や闇に身丈の水の嵩

台風やなじみの川が母奪ふ

一つ来て二つも逸れぬ台風裡

飛沫上げ車過ぎゆく秋出水

台風の荒ぶる跡や家に泥

うろこ雲なにげの神籤凶とある

夫留守ぞ秋袷着て買ひ物へ

河原まで子ら引率し秋の虹

熟睡の子を胸に受け秋袷

転寝の覚めて異世界大花野

石段の小暗き底の鵜飼舟

重陽や老いの吾あるショ━ウインド━

母の指スマホにためらふ秋日影

更くる夜の塾の明かりや虫の声

秋雨やのれんを分けて同窓会

霧の径不意の車をかはしけり

秋雨を窓に独りの昼餉かな

秋雨の音と連れ立つ蛇の目傘

ワイパーの軋みて現はる里の秋

死に鴉蘆の合間に風の中

深夜バスにささめき止まぬ二十日月

雁や田面くる風ほほを撫づ

フルヌードのマネキン五体秋セール

杖で身を支へて片拝墓詣

荷を放りそを追ふ下山秋の夕

またひと葉のベンチ占拠や銀杏散る

点滴の終ひの一滴秋の暮れ

車椅子下りて蹠の花野かな

仕草まね子を追ふ母の花野かな

停車まで席を立つなと紅葉狩り

殺人者の暴かるる書の夜長かな

穭田に真黒の鴉降り立てり

斜交ひの秋日の陰にページ繰る

秋袷下る石段踏み出せり

信号の青となりたる秋の雨

抱き紐の子と両手にも鰯雲

振り返る墓に香煙秋湿り

泉下よりの妻の吐息や秋螢

眼前の尻掻く猿や山装ふ

慰めはうなづくのみの暮れの秋

点滴器引きづる廊に秋の暮れ

灯を持ちて看護師のゆく宵の廊

ブレンドを変えて珈琲秋日影

団らんの声の高まる老人会

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独り住まいを思う

2019年11月14日 | 徒然の記

娘が旅行にでかけた。3日間独り住まいとなる。

妻が逝ってから2年余、入院するなど家を留守にすることはあったが、自分が一人家に居ることは初めてである。

勤め人である娘は夜遅く帰ることはあるが私が一人きりになる夜はなかった。
妻が逝ったためなのか、年老いたためなのか一人きりになる夜は寂しいものだ。
一人分だが食事を作り、風呂を沸かし何時もと同じようにしているが、自分だけしかいない夜は殊の外寂しい。

世の中には独りで住んでいる人は多い。彼らには家族で暮らしている人には想像できない寂しさがあると思う。頑張って欲しい。心より願う。

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妻を鬼籍へ

2019年11月12日 | 徒然の記

家には半間幅の仏壇がある。上部は壁だがその両側は神棚や床の間となっていて壁がない。その仏壇の上部に妻の遺影を掲げていた。
既に鬼籍に入っている父と母の遺影は、そこより少し離れた押し入れの上部の壁に掲げてある。

今までは何かときっかけがあれば妻を思い出すことが多く常に身近にいた。
だが、彼女の三回忌の法要を終えた今、身近におくことより父母のいる鬼籍へ移るのがよいのではと思うようになった。

そして、仏壇の上部にある妻の遺影を父と母の遺影の側に掲げた。父、母のいる鬼籍へきちんと移ったことが妻も喜んでいるような気がする。

生前の嫁姑、嫁舅の関係は悪くなかったので猶更である。

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祝賀御列の儀

2019年11月10日 | 徒然の記

天皇陛下の即位を披露するパレードが皇居・宮殿から赤坂御所までのコースで実施された。

天皇制を論ずることになれば是とする意見、否とする意見があろうが、令和の新天皇誕生については日本国中祝意に溢れていたことは間違いない。
5月より天皇即位を広めるための諸々の儀式等が行われていたが、今日のパレードが最後の儀式という。

テレビ放送を見ていると、沿道には天皇・皇后陛下に祝意を現わそうと日本各地から大勢の人詰め掛けていた。早朝から所定の場所で待ち、天皇・皇后両陛下のお姿をみたと喜ぶ人たちをみると、その健気さに胸が打たれる。

私的には、皇后陛下の穏やかにそして積極的に笑顔でもって手を振る姿に感銘を受けた。

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山岳風景とドローン

2019年11月07日 | 徒然の記

北アルプスのドローン撮影によるドキュメンタリー放送を見た。

私は大学時代山岳部員であったので重い荷を背負ってしばしば山行きをした。自分の足で登り自分の目で見ては山々の威容や美しさに感動してきた。

だから、ドローンという機械で撮る山々の風景には抵抗があった。
ところが、そうではなかった。
上空から俯瞰して見る山々の美しさ、急峻な岸壁の近寄り難い威厳、水面すれすれから見る渓谷の躍動する流れと水の色。このドキュメンタリ―の素晴らしさにずーっと見入っていた。

確実なドローン操縦の技術と撮影対象を見極めた目を持つ人の作品は素晴らしいのだ。

危うく時代に取り残された偏見爺になるところだった。

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