千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

日記 7月

2017年09月20日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年7月5日

私を襲う強烈な腹痛

一昨夜 強烈な腹痛と吐き気に襲われた
近くの医院で点滴治療と血液検査を受け自宅に帰るが 翌朝 病院より 血液検査の結果のお話がありますと言われ病院に呼ばれた
膵炎の疑いがあるからとすぐ入院を勧められる
彼女が大変な時に
入院は困ると言うと 医師は命に係わることだからと言う
彼女の入院している病院を紹介してもらうようお願いした
自分自身の入院がてら彼女の見舞いもできるから
救急車で入院となり そこで急性膵炎と診断される
しかし私の目論見は失敗した
彼女の入院しているのは内科消化器科で私の診療科は内科循環器科である
彼女の入院している病院にはないのだ
△△病院への転院となつた



  自分の病気がうらめしい

 

△△病院の診断は 胆石からくる膵炎であった
膵炎の炎症を抑えるため絶食絶飲で点滴のみの入院生活である
彼女にメールをするも携帯を見る気力もないのか返事がない

娘が私と彼女の病院を掛け持ちし彼女の様子を教えてくれる
元気だよとの報告にほつとし少し元気ないという報告は辛かった
〇〇病院長が 私の主治医に彼女の余命が1カ月であること 私が毎日彼女を見舞っていることなど補足していたようだ
主治医は炎症を鎮めるためにいろいろ手を尽くしてくれた そして私を早く彼女の元へ帰そうと胆嚢に胆石を残したまま退院することとなった
結果 元気な彼女と接することができ 医師の心遣いとその判断に感謝する



平成29年7月22日

退院のその足で彼女の元へ

膵炎の炎症が納まり退院する
そのまま彼女の病院に行く 彼女は微笑んで私を迎えてくれた
病状が進行し時々痛みが襲うようだ
痛みが薄らいでいる時いろいろの会話をした
我々の子育ての時 彼女とは共稼ぎだった 彼女は正社員ではないが会社では重要視されながら一生懸命仕事をした 家庭でもそうだった
子供や私に貧しさを感じさせず 買い物や食事会 季節季節の家族旅行も計画してくれた すべてに前向きに取り組む彼女だった
「あなたの努力だね」と話すと
私も頑張ったねとしみじみと話していた



平成29年7月23日

夜の電話

痛み止めのモルヒネ注射をうっているが 注射と注射の間の薬効の間隙に激しい痛みに襲われる その痛みに耐える彼女に対してただ手を握るだけである
落ち着いた時に 何時もの通り昼食の後自宅に帰る

その夜8時ころ彼女の携帯より電話がくる
看護婦にお願いし電話をかけたようだ 看護婦が電話を支えてくれて話をしているらしい
口ごもり明瞭な声でないが看護婦の説明によると寂しいらしい
彼女が聞いているだろう受話器に向かって話しかける
明日も病院に行くよと話を終えた2~3分後
また彼女から電話がくる
今度はしっかりした声である
さっき刺繍をしていてうっかりかぎ針を落としてしまった
心配だったがその針が曲がっていることを思い出したので安心だからねと
そして「電話してごめね」と言う
涙が止まらなかった



平成29年7月24日

夢と現と その1

病室に入ると寒いと訴えてくる
震えていた手を握ってやると気持ちいいと その手を放さなかった
昨日より譫妄が多くなった
悪い方への進行がほんとうに早い
痛み止めの薬効が切れた時の彼女の苦痛は計り知れない
私の手を握りしめ胸や腹をかきむしり耐えようとする
外に連れて行って投げ捨ててなどと言う

痛みが薄らいだ時
家のパン買い忘れてない?と聞く
救急車のサイレンの音を聞くと「荒川さんの家の火事かな?」と話してくる
荒川さんとは彼女のが若いころ住んでいた隣の家である

お腹の上で右手を前後左右に動かしている
「何をしてる?」と話しかけると 餃子を焼いているという
夢を見ているのだ
医師は譫妄だと言う
常に手を動かしぶつぶつと呟やきながら胸の上で手をしきりに動かしている
「何をしている?」と聞くと
「契約の仕事をしようと思う」と答える
「洗濯をちゃんとして」「うんこまみれになっている」
「〇永さんからグランドゴルフ大会に誘われてたから断っておいて」
とも言う
胸元の毛布をなぞる様に右手を動かしいているので「何をしてる?」と聞くと
「野菜サラダをつくるからトマトとレタスを洗って」と言う
夢と現を行ったり来たりの彼女である
彼女の顔をじっと見つめしっかりと手を握りながら
涙がとまらなかった



平成29年7月25日

よい思い出と楽しい計画を

交互に来る夢と現の中でよい思い出を語り
これからの楽しい生活を思いめぐらすような話題を心がけるようにする
口をもぐもぐさせているので
「何をしている?」と聞くと
「ご飯食べている」
「おいしくない」
「お口の中の里いもが見つからない」と言う
お母(彼女のことをそう呼んでいた)の作った料理はいつもうまかったよと言うと
「お世辞いうな」と一言

昔 私がゴルフ大会のブービー賞で鶯宿温泉ペアで一泊の旅行券を獲得したことがあった
彼女の提案で子供 孫みんなで行くことにした
その時の孫たちの元気なふるまいを明瞭な言葉でないが楽しく話していた
退院したら松島「壮観」に行こうと話しかけた 毎年に2度か3度出かける時の宿である
しかし彼女の答えは
「もつたいない」だった
会話になっているのが嬉しい
なんど涙をぬぐったことか



平成29年7月26日

混濁と現の往復


おはようと声をかけると私の方を見て笑顔をみせたような気がする
看護師が薬を飲ませながら私を指さしこの人だれ?と聞くと「まさるさん」と答える
彼女が私を見つめているので
「どうした?」と聞くと
「腰痛くない?」と尋ねてくる
脊柱管狭窄症からくる腰痛を心配しているのだ
「大丈夫だよ」と答えながら涙声になっていた

彼女にお父さんと呼びかけられる
「黒い財布取って」
「相撲始まるからテレビつけて」
「外食に出かけるから起こして」
すぐに適えられない頼みである 適えてくれないことに彼女は苛ついている
手を伸ばし私の手を求めてくる
しっかり握り合うこと3分くらい自分から手を離し静かになった

今日より鎮静剤を皮下注射することになった



平成29年7月27日

アイスクリームを食べた 

病院に着くと彼女は眠っていた 穏やかな寝顔である
鎮静剤の効果であろうか そんな彼女の顔を見るのが嬉しく愛おしくなる
看護婦が熱測りますねなどと言うと頷いている
私は特に声かけことなく寝顔を見ていることにする
3時半頃突如目を開き 私の方を見つめて
「きてたの?」としっかりした声
そして
「カップのアイス食べたい。買ってきて」という
買ってきたアイスをスプーンで口元に運ぶと「おいしい」と言って何度も何度も催促してくる
そして
「アイスはすぐ溶けるし溶けるとおいしくないから一緒にたべよ」
私も食べるように促し
彼女と二人で一つのアイスカップを食べた



平成29年7月28日

私もあのようになりたい

突如彼女が
ベッドを起こしてと言う
同部屋の患者が椅子に座って食事をしているのを見て
「私もあのようになりたい」と言う

どうして私だけ‥‥

彼女を頻繁に痛みが襲うようになった
モルヒネ入りの湿布をし 痛み止めの薬を飲み 痛み止めの点滴をし それでも長い時間を置かずに痛みが襲う
手を振るわせ息を詰め痛みに悲鳴を上げている
私の差し出す私の手を離さない
少し薄らぐと
「どうして私だけ痛くなるの?」と訴えてくる
私が「他の人は痛くないけど呼吸が苦しいとかいろいろあるみたいだよ」と言うと
納得したのか無言であった

夜が怖い

彼女はしきりに斜め前方の掛時計を見ている
「今日の昼間は時間の進むのが遅いね」と言う
そして
「夜が怖い」と
「夜は誰も居ないから怖い」と
看護婦さんが夜も寝ないで見てくれているんだよと言うと納得したように見えるが怖い気持ちは消えていないだろう



平成29年7月30日

昼が長い

彼女を襲う痛みの間隔が短くなった
痛み止めの薬を飲んでも
1時間もすると痛みがくる
それも激しい痛みが
痛みの収まっている時 彼女は今何時とよく尋ねてくる
30分か1時間おきに
そして「昼が長いね」と嘆息する
夜7時に
眠れるようにと痛み止めの点滴をし 加えて鎮静剤の皮下注射をするのだが それが良く効き一晩痛みを感じないでゆつくり眠れるのだ
彼女は夜7時のその注射を待っているのだ
間断なく襲う日中の痛みに耐えかねて
つらかったろうね気づかなかった
明日看護婦と相談するよ



平成29年7月31日

このまま一生‥‥

病室に入ると穏やかな彼女の顔があった
10分前に痛み止めの薬を飲んだという
ところがそれから10分後身体が痛いと言い始め たちまち痛い痛いと悶え出した
看護師を呼び痛み止めの薬を飲ませてもらったが
看護師は痛みに恐怖を持っていることからくる譫妄も考えられるという
彼女のその恐怖を和らげたい
鎮静剤の検討をお願いすることにする

少し落ち着いた彼女は
「痛いのは一生治らないのかな?」
と呟き天井を見つめている

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日記 8月

2017年09月19日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年8月1日

相部屋から個室に

午前 二人用だが個室に移った
他の人の声が聞こえず
自分が痛い痛いと叫ぶ声も聞こえないから快適だね
痛みも少なくなったような気がする
と彼女の感想である
痛み止めの薬もよく効き静かに眠る時間が多かったような気がする
付き添いの人も隣のベッドで休んでよいと言われ楽になった



平成29年8月2日

梅雨開け宣言

仙台も梅雨開け宣言があった
あいにくの曇り空だが病室の外はことのほか明るい
彼女は梅雨開けの実感もなく
痛み止めの薬を飲み先ほどから眠っている

心の尊厳とはこのことか
痛みが襲ってくる時の彼女は身もだえし
「痛い」
「どうしたらいいの」
「この痛いのをなんとかして」
と口走る。その合間に
「部屋の戸を閉めて」
「痛い痛いというのが外に聞こえるから」という
彼女は痛さに我を失くす姿を余人に知られたくないのだ
襲ってくる痛みにおののくのは
耐え難い痛みのためだけではなかったのだ
死の尊厳、生の尊厳とよく言われるが
痛みから解放する心の尊厳もあっていい

彼女のこの思いにむきあっていなかった


 

平成29年8月5日

夢と現と

午後3時頃 病院に着く
断続的な痛みが続くので
モルヒネを自動で注入する機器が取り付けられていた
彼女は痛い痛いと呻いている
看護師は痛みはないはずだといい
譫妄かもしれないという
確かに 今までと違って全身でする痛さの表現ではないような気がする
そのうちに
「豆腐どこで買うの?」
「若芽も買って」と言いながら大きなため息をつき顔を両手で覆う
苛ついたしぐさで身もだえする

布団から手を出している時握ってやると
「ありがとう」という
また「ちょっと」と声をかけられ 顔を寄せてどうしたと聞くと
「名前をいってしまった。ごめん」と言う
これは現であり私に呼びかけた言葉である



平成29年8月6日

我慢するから痛いの助けて

娘が午前に 私は午後に病院に行った
午前も譫妄の中で激しい痛みを訴えたそうだ
午後2時眠りから覚め激しく痛い痛いと訴える
そんな時看護師が点滴の交換にきた
注射針を刺す時痛いから我慢してねと声をかけると
「我慢するから 痛いの助けて」と切ない声を出す
それから何度も「我慢するから痛いの助けて」と同じ言葉を繰り返しもがき苦しむ
看護師にこの痛みを救ってと頼むも モルヒネを注入してるのでこれは譫妄ですね
という答えが返ってくる
譫妄であっても苦しむ彼女を救いたい

痛さに耐えかねる彼女

生活の中で 怒りを表にだす彼女を見た覚えがない
夫婦喧嘩でも 子供を叱るときでも言葉で諭し言葉で思いを伝える彼女だった
現在は痛い痛いと叫び 早く何とかしてと感情のもろ出しである
かっての彼女と余りの違いが切なく悲しい
痛みに耐えながら手を求めてくるのでしっかり繋ぐ

癌患者に対し生の尊厳または死の尊厳というのが話題になる
心の尊厳というのもあるのではないか彼女の痛みや苦しみを軽減することである



平成29年8月7日

もういいわ 頼まない

鎮静剤を打っている彼女だが 突如目覚めて「青い領収書持ってきて」といいだした
そして「川に滑り込みたいから背中押して」とも
それらに応えてやれないと苛立ちを見せ 身振り手振りで激しく悶え痛い痛いと大声を出す 譫妄である
しばらくして
また「川に滑り込みたいから背中押して」という
背中に触れながら「なかなか押せないなあ」というと
「もういいわ 頼まない」と襟元の毛布をポンと捨てた
そして眠ってしまった
譫妄の苦痛でも和らげたい
今モルヒネを常時注入するなど彼女の痛みの軽減に医師と薬剤師が努力をしている
痛みはないはずだがそれでも痛いと絶叫する
そんな彼女を見るのが辛いたとえ譫妄でも意識の中では痛いのだろう
苦痛がなく静かに過ごさせたい
今日医師と面談した時
彼女の叫ばざるを得ない苦痛を取り除きたいとお願いした結果
日中も眠る時間を多くするために鎮静剤の増量をすることになつた
眠ることの多くなる彼女だがその選択はベターと思う



平成29年8月8日

「うれしい」の言葉

昨日よりできる限り午前の早い時間に病室に着くようにしている
8時50分病室に入ると
ちょうど目覚めたばかりの彼女で怪訝な表情で周囲を見回していたが 私を見つけしっかりした目でみつめ手を伸べてきた
私の手をしつかり握り
「うれしい うれしい」
と繰り返していた
ひとりぼっちの不安が常にあるのだろう 白い手をしつかりと握り続けた
それから水ようかん5口と水を少し飲んだ
そしてベッドを倒すとまた眠りに入った
寝顔がいい口を閉じ痛みや不安を忘れているのだろう 安心しきった顔である
「うれしい」と私を迎えた表情と言葉が心から離れな



  痛みを堪える彼女の言葉

「なんとかして」
「どうして私だけ痛くなるの?」
「痛い 痛い 痛い ‥‥」
「わたしどうしたらいいの」
「痛いなあどうしたらいいんだろう」
「外に連れて行って投げ捨てて」
「川にすべりこみたい背中押して」
「痛いの来ないといいなあ」
「神様痛いよう」
「助けてー」
「どうしたらいい?」
「もうだめだおうちに帰りたい」



平成29年8月9日

穏やかな顔

眠っていた彼女が目覚めた時
顔を寄せて「この人だれだ」と聞くと
「パパ」と答えた
それだけで他のリアクションはなくまた眠りに入った
穏やかな寝顔である
昨日一昨日とは全く違う穏やかさである
鎮静剤が効いているのだ



平成29年8月9日

情けないまた入院となつた

病室で眠っている彼女の側に居る時
腹痛がしてきたが 先日の膵炎に罹った時の症状と同じような気がした
〇〇病院の院長先生に事情を話し血液検査をしてもらった
その結果アミラーゼの検査値が1万を越していたという
すぐ院長先生の指示で△△病院に再度の入院となった
彼女のこんな時に情けない
彼女のベッドに戻り
「ごめん また膵炎になったみたい 入院になるので来れなくなる。ごめんな」
というと 彼女は私をじっとみて頷くだけだった
譫妄であれ 私のいない処で苦しむ彼女がかわいそうで 院長に強い鎮静剤で眠り続ける処置を御願いし救急車で△△病院へ



  大切な時に 入院なんて

前回もそして今回も
私の入院は 私だけでなく彼女もやりれなかったと思う
口にはださないが 私の看病をできないことが彼女としてはつらかっただろう
そして上の娘も
余命1ヶ月の母親が入院し父親もまた入院
会社勤めをしながら両方の病院を見舞うのである
家に帰ればに一人である
食事洗濯ごみ出し等々家庭の雑用もしなければならない
それ以上に家に帰った時父 も母も居ず一人でいることが不安で寂しかったことだろう

東京に居る 次女もこの半年しばしば病院に来てくれた
仙台駅から真直ぐに病院に来て彼女の看護をしてくれた
東京の家庭も大事だから無理に来るなというと言うと
主人も勧めてくれるからと
1週間も看護してくれることがあった

今回の自分の入院は本当につらかった
2度も

〇〇病院で余命1ヶ月ですと言われたのが6月
もう2ヶ月が経過している自分の入院中に彼女に万一があつたらと考えると気が気でなかった

辛いことだが万一のこと考えたを段取りをしておかないと一人留守をしている娘が困る
△△病院の看護婦に次第を話し
病院の一室を借り葬儀屋と彼女の葬儀の段取りを相談した
その後 病室に弟、妹と娘を呼んで
通夜、葬儀、法要について打ち合わせした


平成29年8月26日

17日ぶりの退院

今回も胆石をそのままに残し 炎症を抑えての退院である
胆石が落ちやすいようにと胆管入り口を切開したという
早く彼女の元に帰りたい私の願いを適える処置である
主治医は涙ぐんでその説明をしていた
都合により今日は自宅に帰ることとし 彼女の病院に行くのは明日になる
私の退院を彼女はどのように迎えてくれるのだろうか



平成29年8月27日

今夜より彼女の病室に

18日ぶりに彼女の病室に入った
眠っていたが頬をさすると目を開きしっかりした目で見つめる「お父だよ」というと頷いてくる
声をだせるほどの元気はない
「今夜からこの部屋で一緒に寝るから」というと
首を横に振るそんなに無理しなくていいよというジェスチャーだ
「大丈夫 今まで会えなかった分泊まるから」というと頷いた
昼は家で仕事があるから夜に来て泊まるというと頷いている
夕方病室にくると眠っていた頬をさすっても起きない
手を握っていれば無意識にも私を感じるかと思い握り続けた
突如 涙が出て止まらなくなった
胸元にはナースコールのボタンがあるがこれで看護婦さんを呼んだことはないという
彼女のおまじないなんだ



平成29年8月28日

側にいること感じてほしい

彼女の病室泊2日目
日中は自宅に戻り雑用をして宿泊となる
夕方戻った時は鎮静剤の効き目で一日眠り続けていたという
彼女の頬をなで
「ただいま」
「今夜も側で寝ているよ」というと
薄く目を開き二度三度頷きすぐ目を閉じた
意識は朧だと思うがこの夜は度々頬をなで手を握り続けた
側にいることを感じ穏やかな気持ちでいて欲しいから

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日記 9月・

2017年09月18日 | 日記2━余命6月の妻と


平成29年9月2日

孫に見せた笑顔

昨夜は金曜日
土曜日の前日ということもあり
東京の娘が病室に泊まる
私は自宅の夜をゆっくりする
そして 今日
東京の孫2人と父親が彼女を見舞う
初めはぎこちなかった彼女は
孫たちの呼びかける声に笑顔を見せるようになった
声も出したいのだろうが出ないのだ
側に居た看護師がいい笑顔だねと喜んでいた
でも声をださないのはその気力がないということか
元気の薄れていく彼女を見るのが辛い


平成29年9月3日

美人になった彼女

夕方病室に入ると
彼女は眠っていた
そして美人になっていた顔全体が艶々している
今まで耳にかけて顔の後ろ側は黒く
染みかと思っていたが垢だったのだ
気づなかった 看護婦さんが拭いてくれたのだろう

そして目を覚ました彼女に
誰が拭いてくれたの? 
と聞くとわからないと首をふってい
眠っている時に拭いてくれたのだ
それよりも私の尋ねたことに対して
応えた彼女がうれしかった


 

平成29年9月4日

彼女を美人に変えた人

朝 彼女の担当の看護婦さんがきた
この人が彼女を美人にした人だった
顔の黒いのは垢だと思い
別の人に頼んで顔を拭いてもらつたそうだ
この看護婦さんは
別の病室担当で久しぶりに彼女の担当になったという
彼女の顔をみてすぐ垢と気づき拭いてもらうよう依頼したみたいだ
彼女を美人にした人が判明した
この看護婦さんと拭いてくれた看護助手の人だった



平成29年9月5日

彼女の願い

何時もは
泊まり明けは9時ころ病院を出ている
彼女の肩に手をかけ目覚めさせてから
「これから 家に戻るよ」「夕方 来るから」というと
彼女は頷いていた
今日は違った
「これから帰るよ」というと
発音が明瞭でないが「帰らないで」と聞こえた
「帰らないで居て欲しいということ」と確かめると頷く
「洗濯など家の仕事をして また夕方来るから」
というと私の方をみて無言でいる
「だめ?」と聞くとだめだと頷く
彼女はいて欲しいのだ
でも家の仕事があるのでまた夕方くるからというと
無言で そして眼を閉じた
切なかったが「帰るね」といって帰った
夕方病室に帰った時熟睡していた
肩をさすりながら「帰ったよ」というと
眼を開け笑顔を見せた
そして、すぐ眠りに入った



平成29年9月6日

妹からの電話

彼女の病室にいると
妹から電話がきた
日中 妹と姪と二人で彼女の見舞いにきたそうだ
眠っていたが頬をさすりながら
「お姉さん」と呼ぶと
笑顔で答えて反応したそうだ
一緒に居た姪の呼びかけにも反応したと喜んでいた



平成29年9月7日

ありがと

最近痰の詰まることが多くなった
日中でも夜でも時々ぜいぜいしている
そんな時 看護婦さんが口あるいは鼻から管を挿入して痰を取り出す
彼女はそれがいやだから
小さな悲鳴を上げて抵抗する
口からの場合歯を閉じ管の挿入を拒む
歯に隙間があるのでそこから管を入れると舌を使って抵抗する
看護婦さんは「ごめんねごめんね」といいながら
一生懸命に取り組むがうまくいかない
次の手は鼻から管を入れることである
彼女は体全体が動けないから鼻から入れられるとなんの抵抗もできない
ただ小さな悲鳴を上げ続けるだけである
看護婦さんは
何度も「ごめんね ごめんね」といいながら痰をとる
痰を取り終えたとき彼女の肩をさすり
「看護婦さんも一生懸命やつてくれるんだよ」というと
「ありがと」と呟く幼児が
周囲の人となにかしらあった時
最後に言う「ありがと」と同じ情景のような気がする
彼女が
幼児のような純な状況にあると
知りまた愛おしさが増す



平成29年9月9日

出てきた体のむくみ

今朝
看護婦が
手が浮腫んできたねという
深く気に留めないでいたが
帰り間際に彼女の手をみると浮腫みそして白々としている白蝋のような手である

生気のない彼女の手
それをしっかり握る
握り続けているうちに
彼女の刺繍をする手
ポケモンgoでボールをはじく手
運転する時のハンドルを握る手
さまざまな彼女の手の仕草が思い浮かぶ
そのようなことが再びできないのだろうかと思うと不憫であり愛おしい



平成29年9月17日

反応がない

夕方 彼女に呼びかける
彼女は穏やかな寝顔であるが呼びかけにまつたく反応を見せなくなった
肩に手をかけ顔を近づけて名前を呼ぶが静かに寝息を立てている
以前は呼びかけに応えようと必死に目を開け
声をだそうとしていたが
今日はその気配がなく静かである
でも 表情に苦しそうな様子が全然みえないのが救いである

血圧は70台
酸素は75%
脈は図れないほど弱い

と看護師はいう



平成29年9月18日

自宅だよ

病院より
彼女が急変しましたという連絡があり
娘と病院に急行した

午後4時14分彼女は逝った

覚悟をしていたことだが辛かった
彼女の頬をさすりながら涙が止まらなかった
表情が穏やかだったことが救いだった

遺体は斎場へ直接行くことにしていたが
葬儀社の担当者が
長く病院生活だったのですから自宅に寄りましょうと言ってくれた
このことに気づかないとは 自分ながら情けないと思う
病院生活7ヶ月余
彼女は口には出さなかったが自宅に帰りたかったろうなと
その気持ちを想像すると胸が張り裂けそうになる
門を入り玄関に車を止め
「帰ったよ こんな帰り方悔しいね」と呟いた時
涙がどっと出てとまらなかった



平成29年9月22日

白骨(しらほね)

昨日(9月21日)は 
彼女の納棺 火葬 葬儀であった
火葬終了直後 
まず 喪主である私が彼女の遺体を確認した
彼女は生々しい白骨となって目の前にあった
台座に白々と四肢を広げている
生ある時の彼女とはまつたく別の世界の彼女である
彼女の魂が残っていて
変わり果てた自分のこの姿をみた時
どんなに嘆き悲しむだろうか
居るはずのない彼女の気持ちに思いを馳せ愛おしさと不憫さが込み上げてきた



平成29年9月22日

告別式

昨日21日は彼女の告別式
家族葬も考えたが彼女の交流の広さ深さから新聞へ死亡広告を載せながら一般葬とした
彼女の年齢は満73歳である
一線を退職して以来10余年の経過にも関わらず彼女を慕う参列者が多数いた
現職時代楽しく語りあいながらもリーダー的であった彼女の思い出を語る人
彼女の人となりを教えてくれる卓球の仲間たちやグランドゴルフの仲間たち

20日の通夜にも参列者が多かった
通夜ふるまいにも大勢の人が参加してくれて会話の端々に彼女の人となりを知ることができた
私が思っていた以上に彼女は人間的にも優れた人だったのだ
そんな彼女の新しい側面を知り誇らしい気持ちになった



平成29年9月24日

応えてくる遺影

葬儀の遺影は普段着の彼女のものを選んだ
微かな笑みで見つめ返している上半身の姿である
それが今遺骨と一緒に自宅の仏壇の前に飾られている
折に触れ線香を灯しながら彼女に語りかけている
「〇〇(娘)が残業で帰りが遅いって」
「洗濯はしたが干すのを忘れていた」
「弔問に来た〇〇さんが貴方を褒めていたよ」
「筑前煮というのはどのように作ればいい?」
「お前が居ないのは寂しいな」
その都度遺影が応えてくる
「〇〇も大変だね」
「なんで忘れるの」
「そうでしょう」
「インターネットで調べたら」
「━無言━」
普段着姿の遺影を選択したことよかった
彼女と会話ができる今日は初七日である
話しかけるたび切なさが募るがこれからも1日の出来事を報告しよう

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