千字のおもい


徒然のことを千字を超えずに載せていきます。

サギトワ選手と秋田犬「マサル」

2018年05月29日 | 徒然の記

昨日のテレビニュースで、平昌五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、サギトワ選手が秋田犬を贈呈され喜んでいる様子が紹介されていた。
日本の秋田犬は世界各国の著名人に人気があるようだ。

サギトワ選手が五輪前に新潟県で調整していた時、秋田犬の情報を知って母親にねだり、オリンピックの結果次第で上げることを母親が約束したという。
それを日本の秋田犬保存協会が聞き寄贈することになったようだ。

サギトワ選手は日本語の勝つという意味から「マサル」という名前に決めたという。

「マサル」とは私の名前と同じである。サギトワ選手は随分「マサル」を可愛がっているようだが、私も彼女のファンである。

よかった。????

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オペラの鑑賞がわからない

2018年05月27日 | 徒然の記

テレビの中継でオペラ「ジゼル」を観た。
オーケストラの生演奏とバレーでの舞台表現である。音楽はクラシックだが、ベートーベンやシューベルト等のような感動を得るほどではなかった。
バレリーナのすばらしい踊りは見ごたえはあるが‥‥‥。

事前に解説書を読んでいるので場面の転換は大筋で予想できるが、セリフとかナレーションがないので物語の展開がダイレクトに伝わってこない。臨場感のある物語として観賞できない。だから感動が湧かないのだ。

演劇、小説、映画等のように感動することも悲しむことも怒ることもなかった。
絵画や音楽の鑑賞でも感動することはできるのだが。

但し、私はオペラ座でも劇場でも生のオペラの観賞はしたことがない。
だから、上のような感想は当たらないのかもしれない。

いつか、オペラの鑑賞について学ぶ機会があったら参加したいと思う。

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般若心経を唱えている

2018年05月24日 | 徒然の記

以前より般若心経に関心があり、たまに経文を読んだりしていた。

1ヶ月ほど前からそれを唱える練習を始めた。スマホのアプリをダウンロードして練習することができる。
そして不完全だが唱えることができるようになった。
読経としての発声、イントネーション、息継ぎなどがよくわからないが文字面ではよどみなく声にだすことができる。

2週間ほど前から、妻の位牌の前で読経している。練習の気持ちもあり1日に2度3度の時もある。

普通、故人の位牌の前に手を合わせる時、故人の生前の様子を思い浮かべて懐かしんだり故人に話しかけたりするのが常であろう。

しかし、読経はそれとは違うようだ。文字を読み進める、発声に気を遣う、息継ぎを考える等々、文字面を注意深くなぞるようになる。

だから、読経するということは、故人との対話ではないような気がする。
それに集中することで故人を失った哀しみも含めて様々の苦しみ、煩悩を乗り越えるためにするものと考えた方がよいのかもしれない。

読経が終わった後、鉦を打ちながら妻に話しかけている。

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素直に答えてあげなかった悔しさ

2018年05月22日 | 徒然の記

 

今生の今が倖せ衣被   鈴木真砂女

 

今朝起きがけに俳句雑誌を読んでいるとき、上の俳句が載っていた。

3年ほど前の夜、生前の妻がベッドのはしに座り「私幸せだ」と呟いたことを思い出した。
私の方を向いて話したのでなく一人ごとのように。
その時は家を建てたこと、生活が落ちついていることに幸せを感じて私への感謝を呟いたのだと想像した。

私としてはなんとなく照れ臭くそれに答えないでいた。それでそのときはそのまま過ぎた。
今思えば、彼女は肺癌ステージ4であることを知っていた。
その思いもあって彼女の感慨もひとしお深かったのだろうか。

彼女の死後、その時の様子、彼女の言葉を思い出す時、どうしてあのとき答えてやらなかったのかと胸の締め付けられる思いがする。
彼女の言葉に応え、二人で幸せを共有し彼女と共に暮らした事を語り合えばよかったと。

思い出す度に胸に迫るものがあり切ない。

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取り残された感

2018年05月20日 | 徒然の記

今朝のテレビ報道で女優であり歌手の朝丘雪路が死去していたとの報道があった。最近、歌手の西城秀樹、元毎日新聞社主筆の岸井成格が前後して亡くなっている。

この人たちの年齢は一定していないが、テレビ等で活躍した人で、私の若い時からなじんできた人たちである。

この人たちが亡くなったことは、家族、親族を亡くした悲しさとは違う寂しさが残る。

それに取り残された感もある。

この感情は喜寿という年齢ゆえにおこるものだろうか。

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大仰に正義ぶる女性

2018年05月17日 | 徒然の記

句会の帰りバス停に備え付けの椅子に座りバスを待っていた。
椅子に座ることはバス待つ列に入っていない。腰痛のため立っていることが辛いのでそうしたのだが、最後に乗車しても座れないという時間帯ではない。

私の椅子の傍にもう一人おばあちゃんがいた。
バスが近づいてきたので、傍にいたおばあちゃんは列の後方に歩こうとした。

その時、列の前方にいた年配の女性が「おばあちゃん。烈の前の方に入りな」と大きい声で呼んだ。
おばあちゃんは「いいです。うしろから乗ります」と言っていた

すると女性は「いいから、前に並びな。途中から列に入っても誰も文句いわないから」と声高に話している。
おばあちゃんとしてはそれ以上固辞するわけにもいかず申し訳なさそうに列の前に並んだ。

それは望ましい光景に見えるが、年配の女性の堂々とした正義感を表に出した所作に違和感を覚えた。
列の後方に杖ついた老人、松葉杖の男性が並んでいたが、苦痛を堪えて列の後方にいるのかも知れない。

最近、電車の座席に座っている若い人の前に立ち、席を譲れと強要する老人がいると聞く。
自分に都合のよい正義感?だろうか。

バス停の年配の女性もこのような老人になるのかなあと頭をよぎる。

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私の使えるアイロン

2018年05月15日 | 徒然の記

以前、チノパンの洗濯について書いたことがあった。洗濯後、濡れたままの布地をひっぱつたり両手で叩いたりした後に物干しに掛けたことである。

フォーマルウェアーはクリーニング店に頼んでいるが、カジュアルなウェアーはノーアイロンの素材を購入している。が、簡易なプレスはあった方がよいと思っていた。

そんな時、アイロン掛けのできない男にうってつけのアイロンの紹介をしていたテレビ番組があった。テレビ通販である。

ハンガーにつるしたまま、すぼん、シャツにアイロン掛けのできるハンディなアイロンだ。

早速購入し、チノパンとシャツにアイロンを掛けた。年寄りの身だしなみのためのアイロン掛けとしては十分で、よい買い物をしたと思っている。

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ご飯を作ることとストレス

2018年05月13日 | 徒然の記

今朝、テレビのトーク番組で、若手俳優が「結婚するとしたらどの様な奥さんがいいですか」と問われていた。
それに対して「ご飯を作ることにストレスを感じない人がいいです」という答えだった。

現在、夕食だけだが私がご飯を作っている。妻が死亡して半年、同居人と私の二人分の夕食である。
夕方は炊事が仕事と心に決め時間を割り当てることでそれほどの抵抗もなく過ごしてきた。
むしろ誇らしい気持ちもあった。

しかし、最近、毎食の炊事が少しおっくうになってきた。炊事を始める時間が近づくと、怯む自分がいる。

ストレスを感じるとはこのことであろう。

生前の妻にしても、主婦であることから炊事はごく当たり前と思っていたが、そのストレスに打ち勝っていたのだと改めて思う。

さて、同居人は勤め人である。気分はどうであれ炊事は私がしなけれはならない。
そのためには、今芽生えているストレスをどのように逸らすか工夫が必要であろう。

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妻とグランドゴルフ

2018年05月09日 | 徒然の記

車を運転しているとき、河川敷でグランドゴルフをしているのが橋の上からみえた。

生前の妻もよくグランドゴルフをしていたことを思い出した。妻の中学時代の同級生の〇永さんに誘われクラブに入会し、週1回は楽しんでいた。
幅広の帽子と上着でなんとなく黒っぽい雰囲気だが、洒落た出で立ちの彼女の姿を思い出す。

大会などがあると、「優勝したよ」「ホールインワン、2回あったよ」などと話していた。「よかつたね」などと頷いてはいたが、もっともっと喜んでやればよかった。
もっともつと彼女の話を聞いて、頑張った結果を一緒に喜べばよかった。
そうしなかったことが悔やまれる。

車の運転をしながら彼女への思いが募りつらかった。

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忘れていた投句の締切

2018年05月07日 | 徒然の記

今日は7日。
10日必着の投句の締切があるのを忘れていた。
東京の事務局だが8日に投函すれば間に合うかも知れない。今日中に作ることに挑戦してみる。

題詠が「風光る」「燕」「春眠」各1首、それに当季雑詠が1首である。当季雑詠は作り置きがあるが題詠はない。今日1日で作り上げないと間に合わない。

取材は街ですることにして街をぶらついた。街を歩いている老人、親子連れ、若者などをみてイメージを膨らませようとしたが難しい。
3時間ほど街を散策し、俳句もどきを作ってみた。

家に帰って、夕食前、夕食後随分時間を割いて推敲した。
日を置いてから再度推敲すればよいのだが、明日投函しなければならないので終わりにした。

清書もし、封書に入れ明日投函する。

 

それが次の4句だが俳句になつてるか

    〇 覚つかぬ声で指差す軒燕

    〇 春眠や下車駅過ぐる最終便

    〇 新しき車椅子漕ぎ風光る

    〇 行く春や御堂の絵馬の緩き音

           「俳句を作る」へ

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