まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.164 小豆島(1)・ジャンボフェリー

2015-06-19 11:50:05 | 旅行記
おはようございます。小豆島は今まで3回走ったことがあります、全部が南ルートばかりなのですが。その過去に走った記録をまたまた何回かに分けてお送りしていこうと思います。その第1回目は2013年に神戸から小豆島までをフェリーで渡った時の話、乗船したのは神戸港発、小豆島、高松までを結ぶジャンボフェリーです。







JR三宮駅から神戸港へ、写真はもうお約束でもある国道174号線、ご存知日本一短い国道(187メートル)です。この国道の終点にあるのが神戸港、案内員さんの指示に従ってフェリーターミナルへとたどり着くがそこはもう人がいっぱい。連休初日だから仕方ないか、とりあえず相棒を乗船口に置いて乗船券の購入へと向かう。
ターミナル内は長蛇の列、予約は改めてネットで予約しておいたのでここは順調に済ませることができた。さて、いよいよ乗船、自転車、バイクは一番最初に案内される。大型のバイクの集団が一斉にブルンブルンとエンジン音を響かせるがここは気後れするわけにはいかないところ、ツインターボ(古いなあ)の如く、機先を制して一番最初に乗り込んで行く。ここで相棒とはしばらくの間お別れだ。








瀬戸内海の島々を渡る時に使う小さなフェリーとは違って、まさに名前の如く大きなフェリー。豪華な造りの内部を通り過ぎて展望デッキへとたどり着く。少し薄い雲がかかった空の下、右側は神戸の中心街、左側はポートアイランド、背後には六甲山、下を見るとたくさんの列を為した車が案内に導かれて甲板へと入ってきている。徒歩で乗ってくる人たちも多い、連休初日の朝一番の便なのでこれは混雑しそうやなあ・・・と思っていると間もなく、展望デッキにもたくさんの人が繰り出してきた。みんな自分(一人称)と同じように写真を撮ったり景色を眺めたりしている。









さあ、いよいよ出航の時間、フェリーはゆっくりと港を離れて瀬戸内海へと繰り出して行く、と言ってもしばらくは神戸の風景に沿って行くことになる。さっきまでは人でいっぱいだったデッキだが、いつの間にかその数が減っていた、皆船室へと向かったのだろうか、自分(一人称)は風景を眺めていたいのでここに陣取ることにする。上空から聞こえる轟音は神戸空港から離陸していった飛行機、港の突堤に立つ灯台を間近に見ながらフェリーはだんだん神戸の街から離れて行く。
この先小豆島までは3時間弱の行程、初めのうちは明石海峡大橋や、淡路島などの風景を楽しむことができたが、瀬戸内海の真ん中に差し掛かるにつれて展望は360度海、海、海・・・これはさすがにあきてくる、と言って船内に入って行っても人がいっぱいで落ち着いて座る場所もない。仕方なくまたデッキへと戻り、瀬戸の海をぼ~っと眺めることにする、ああ、早く小豆島に着かないかなあ、早く走りたいなあ・・・、まあ楽しみはこれからと言うことで、次回はいよいよ小豆島へ上陸します。今回はここまでとしておきます。      まちみち

No.163 大仏鉄道遺構巡り(後編)

2015-06-18 10:01:01 | みち
おはようございます。前回の続きです。






まずは大仏鉄道遺構巡りの案内図、今回も貼っておきます。思えばこの案内図が載っているパンフレットさえ手にしていれば道を間違えることなどなかったのに、と言ってもこれは自分の責任だから仕方がない。さあ、気を取り直して先へ進んで行ってみましょう。






正規のルートはこの先薄暗い森の中を進んで行くと、二つに道が分かれている。右の道は上り坂、左の道は下り坂、その分岐点には雨が降った後は左の道へ進んでください、との表示がある。坂道は昨日の雨で少し濡れている部分はあるものの走れないことはなさそうなので右の上りへと進んで行く。しばらくは薄暗い森の中の道を走るが、やがて展望が開けた所で人の声が聞こえてきた。さっきのハイキングの団体だろうか、その人たちが立ち止まっている所が鹿背山橋台跡、さっきの二つの橋台と同じような造りである。






ここを少し行くと写真1枚目にある道が分かれる場所へとたどり着く、この写真は今走って来たのとは逆方向から撮ったもので、行きはここを左側へと入って加茂方面へ向かって行った。ここから少し行くと道が三方に分かれている、遺構巡りコースは左へと曲がって行くが、そちらの道は広くて先はニュータウンが造成中の広々とした風景が見えるだけで、このまま進んでも鉄道遺構がありそうな雰囲気ではない。真ん中の道はJR関西本線が沿っている行きしなに通った道、ここは線路の向こうに見える集落へと向かう右への道へと入って行くことにする。坂道を下って行くと写真2枚目にある道標が立つ地点へとたどり着く。






その道標がある所で道が左に分れていて、その道はさっきの三叉路を左へと分かれた道を見上げる様に沿っているが、緩いカーブになった所で突然のように次の遺構ポイントが現れた。写真1枚目にある梶ヶ谷隧道、赤煉瓦がアーチ状に組まれていて、自転車で行くにしても頭上に気をつけなければならないほどの小さなトンネルだ。まさかここを列車が走っていた、なんてことはないよな。
ここからほんの少し進んだ所にあるのが赤橋、道はこの橋のすっきりとした長方形の中をくぐって先へと続いているが、そのまま行ってしまうとまたとんでもない所へと向かいそうなので、橋の横にある上り坂を相棒を押し歩いて橋が通っている道へと出る。




その道はさっきの三叉路から左へ分かれた広い道の途中で分かれた旧道、今までの遺構はどれも列車が走っていた所を下から見上げた形だったが、この道に赤橋が架かっているということは、この旧道が大仏鉄道の廃線跡になると言うことか。
やがて道はさっきの広い道と合流するが、ニュータウンの造成地を過ぎると山の中の下り坂の道となり、やがて奈良と加茂を結ぶ府道44号線の梅谷交差点へとたどり着く。中途半端になってしまうが大仏鉄道遺構巡りはここで終了、この先奈良までにもいくつか遺構ポイントはあるのだが、それを巡るのはまた日を改めて別の機会にとする。まあ奈良から近いので行こうと思えばすぐに行けるので・・・今回はここまでとしておきます。     まちみち

No.162 大仏鉄道遺構巡り(前編)

2015-06-17 09:44:02 | みち
おはようございます。今回は前回もお知らせした通り、大仏鉄道の遺構巡りで走った記録について、前後編でお送りしていきたいと思います。





まずは大仏鉄道遺構巡りの案内図、これを記載したパンフレットがほしかったのだが手に入れることができず、今回のルートはこの地図を頭の中に叩き込んで進んで行くことになってしまった。まあそれが後々仇になってしまうだけだが・・・。






スタートはJR加茂駅前から、駅を東西にはさんで遺構ポイントが点在する。写真2枚目西側にあるのがランプ小屋、3枚目、東側ロータリーの一角にあるのが動輪モニュメント、その前には大仏鉄道を説明する看板があり、動輪の柵の横には大仏鉄道のかどうかはわからないが線路が2本転がっている。



さて、大仏鉄道とは一体どんな鉄道だったのか?それはこちらをクリックしていただくこととして、その鉄道が在りし日の加茂駅の様子、転載にはなりますが上に貼っておきます。





加茂駅近くの踏切から線路沿いの細い道を行くとすぐに写真1枚目、保存された蒸気機関車が威風堂々とした姿で出迎えてくれる。ここからJR線とは別れて遺構巡りコースとなる府道44号線へと出て、道端に立てられている道標をたどるようにして先へと進んで行く。






府道から分かれて集落の中へと入って行くと、一時離れていたJR関西本線の線路とまた出会うが、その場所にあるのが遺構ポイントである観音寺橋台。おっ、ちょうど電車が来たので1枚(写真3枚目)、なかなかなベストタイミングだった。






自分(一人称)と同じように遺構巡りが目的だろうか、ハイキングの団体が前方で狭い道を占領するようにとどまっている。迷惑やなあと思いながらベルでも鳴らそうかと思ったら、そこは次のポイントである観音寺小橋台、皆そこで撮影したりボランティアの説明を聞いたりしている。
そこから真っ直ぐ線路沿いを進むが道は未舗装になり、更に線路から離れていった辺りからは森の中へと入って行く道となる。ここはもちろん相棒は押し歩き、しかしその先は背の高さほどの草むらが目の前に立ちはだかって来た。道の痕跡はわずかにあるものの、進めど進めど草むらはだんだんひどくなってくるばかり、もう気分は川口浩探検隊、本当にこの道で合っているのか?嫌、絶対間違っているわ・・・すぐに引き返せばよかったものの、いつかは抜けられるだろうと思いそのまま進んでいたが、相棒のタイヤは草が巻き付き、前日の雨で道はぬかるんでいてもうこれ以上先へは進めない。わずかなスペースで相棒をUターンさせて、いま苦労しながら進んできた草むらを戻ることにする。



やっとの思いで・・・と言う感じで観音寺小橋台へと戻って来た。上の写真を見れば分かる通り、道標の矢印は左に向いているのに自分(一人称)はそれに気づかず真っ直ぐの方向へと進んで行ったわけである。ああ、これはしたり、さあ、もう過ぎたことは気にしないで先へと進んで行くことにしましょう。このお話は後編へと続くと言うことで、今回はここまでとしておきます。      まちみち





No.161 ざんね~ん

2015-06-16 09:57:39 | ふうけい
おはようございます。何年か前に ↑ と言うギャグが流行りましたが、ここで残念な旅の話をするわけではありません。何が残念なのかは後々分かるだろうと言うことで、今回は5月のとある日曜日、木津川市方面を走ったお話を、またまた続き物になってしまいますがお送りしていきたいと思います。







JR奈良駅前の旧駅舎を利用した観光案内所、大仏鉄道のパンフレットをもらおうと思って行ったのだが午前9時前でまだ開いてなかった、今までも何度かパンフレットをもらいに行ったが手に入れることはできず、早くも今回の走りに不安材料ができてしまった。まあいい、一応携帯には情報はブックマークしてあるし地図も頭の中に入れておいた、あとは感覚で進んで行くとしよう・・・と思ったがいきなり道を間違えてしまう。
京都府に入って梅美台のニュータウンの中を進むが、その途中で曲がる所を真っ直ぐ行ってしまい、ニュータウンの中を貫く広い道へと入ってしまう。写真2枚目はその途中にある木津城跡、木津に城があったなんて初めて知った。しかし間違いは間違いと言う現実、仕方ないので大仏鉄道遺構巡りの走りはJR加茂駅から始めることにする。






さあ、気を取り直して大仏鉄道遺構巡りを始めて行くことにしよう・・・と言うことだが、それについては次回にお伝えしていくことにします。まあ波乱万丈の走りとなりました、こないだの東海道の時の事故も大概だったが、今回も一歩間違えれば大事になりかねない、いや、もう間違えたんですけど・・・すみません、このお話は次回でと言うことで、今回は話が少し逸れてしまいます。写真はJR加茂駅、関西線では電車と『汽車』との境目になる駅、写真1枚目にある青いディーゼル車両、奈良に来ていた最後のディーゼル車両だったが、もう来なくなって久しい。






遺構巡りのコースの途中にあった道標に『残念石』の文字、この名詞、どこかで見かけたなあ、とりあえず興味をひかれたのでコースを外れて、木津川の支流が沿う道標が示す方向へと進んで行く。しばらく走って木津川の本流と合流する手前にその『残念石』の表示があった。
思い出した!それはつい昨日のこと、BSプレミアムの歴史番組で小豆島で大阪城築城のための石垣を昔ながらの製法で切り取るという実験をやっていた。巨大な石にいくつものくさびを打ち込み、それを叩いて割れ目を入れて切り取ると言うもので、見事に切り取られた石は大阪に運ばれて石垣に使われたわけだが、中にはその用途に使われない所謂残念な石もいくつもあったとのこと。その石がここに転がされていると言うことだが・・・







相棒を待たせてその表示に従って草むらの中、河川敷へと歩を進めて行くと、写真にあるように大きな石が十数個無造作に転がされていた。どれも結構な大きさで、昨日のテレビで見たように切断面にはくさびの跡が刻まれている。それにしてもこの光景は何とも不気味だ、いわば石の墓場と言ったところか。ちなみにこの残念石、大阪城の近くや淀川の河川敷でもいろいろな姿に変えて残されているとのこと、また機会を見つけて探しに行ってみよう。
さて、この後は本来の目的である大仏鉄道遺構巡りコースへと戻って先を進んで行くことにするわけだが、それについては先程も申しました通り、次回にお伝えしていこうと思います。今回はここまでとしておきます。      まちみち


No.160 明日香(7)・季節の中で

2015-06-15 10:55:31 | ふうけい
おはようございます。明日香を巡る走りも今回が最終回となります、早速行ってみましょう。








前回の最後にたどり着いたのが大化の改新の舞台ともなった飛鳥板蓋宮跡、明日香の中心となるべく場所からは360度その風景を楽しむことができる。さっき通って来た飛鳥寺から伸びる遊歩道、周辺には田畑が広がりその様子は季節によっていろいろと違った一面を見せてくれる。






その田畑の向こうに見えるのが甘樫丘、せっかくここまで来たのだからちょっと登ってみるとするか・・・と言うわけで写真3枚目、4枚目がその眺めを撮ったものですが、何か普通やな。まあ小高い丘みたいな所から見た景色だから左程遠望があるわけでもないし、飛鳥側は近くに山があって、少しの民家と緑の田畑だけで単調な風景、やはりここは目線と同じ高さで風景を楽しむのが一番いいってことで、丘を下りて行くことにする。








写真上3つはそれぞれの季節の明日香の風景、自分(一人称)が好きな季節と言うと、やっぱり秋ですね。沿道に咲き誇る彼岸花はもちろんのこと、上の写真にもあるようにその彼岸花をバックに高さのそろった稲穂や、それが刈り取られた後に縛り上げられた藁、1枚目にあるような雷丘と畝傍山をバックに咲き誇る秋桜など、秋の明日香は目に楽しめる風景が満載となります。
飛鳥バス停に近い飛鳥川に架かる石橋、その一角に石の道標が立つ場所がこの走りで最後に寄る場所となる所。ここを過ぎると西へは近鉄橿原神宮前駅、北へは天香久山から桜井方面へと行く道があるが、蹴りの道として飛鳥川に沿う北西へと伸びる道へと進んで行くことにする。この道が通常では斑鳩まで続く太子道となる道である(はず)。





写真1枚目はその途中にある石橋の袂にある石の道標、上の写真でもそうだったが行先が岡寺となっている。2枚目の写真は藤原京跡、川沿いの道からは少し外れた所にある、大和三山を臨むちょうどその真ん中に位置する場所にあった都は明日香からは少し離れた場所ではあるが、古代の雰囲気を十分に感じさせてくれている。
以上、何回かに渡ってお送りしてきた明日香の旅、今回で最終回となってしまいました。奈良からは近いのでいつでも行ける、と思いがちだが、天気や機会が合わないやら、他に行きたい所があって後回しになって結局ボツになるとかで、なかなか足を向けられる機会が設けられない現状。何とか機会を見つけてまたここで新作をお届けできることを次回への宿題として、今回はここまでとしておきます。     まちみち