まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.161 ざんね~ん

2015-06-16 09:57:39 | ふうけい
おはようございます。何年か前に ↑ と言うギャグが流行りましたが、ここで残念な旅の話をするわけではありません。何が残念なのかは後々分かるだろうと言うことで、今回は5月のとある日曜日、木津川市方面を走ったお話を、またまた続き物になってしまいますがお送りしていきたいと思います。







JR奈良駅前の旧駅舎を利用した観光案内所、大仏鉄道のパンフレットをもらおうと思って行ったのだが午前9時前でまだ開いてなかった、今までも何度かパンフレットをもらいに行ったが手に入れることはできず、早くも今回の走りに不安材料ができてしまった。まあいい、一応携帯には情報はブックマークしてあるし地図も頭の中に入れておいた、あとは感覚で進んで行くとしよう・・・と思ったがいきなり道を間違えてしまう。
京都府に入って梅美台のニュータウンの中を進むが、その途中で曲がる所を真っ直ぐ行ってしまい、ニュータウンの中を貫く広い道へと入ってしまう。写真2枚目はその途中にある木津城跡、木津に城があったなんて初めて知った。しかし間違いは間違いと言う現実、仕方ないので大仏鉄道遺構巡りの走りはJR加茂駅から始めることにする。






さあ、気を取り直して大仏鉄道遺構巡りを始めて行くことにしよう・・・と言うことだが、それについては次回にお伝えしていくことにします。まあ波乱万丈の走りとなりました、こないだの東海道の時の事故も大概だったが、今回も一歩間違えれば大事になりかねない、いや、もう間違えたんですけど・・・すみません、このお話は次回でと言うことで、今回は話が少し逸れてしまいます。写真はJR加茂駅、関西線では電車と『汽車』との境目になる駅、写真1枚目にある青いディーゼル車両、奈良に来ていた最後のディーゼル車両だったが、もう来なくなって久しい。






遺構巡りのコースの途中にあった道標に『残念石』の文字、この名詞、どこかで見かけたなあ、とりあえず興味をひかれたのでコースを外れて、木津川の支流が沿う道標が示す方向へと進んで行く。しばらく走って木津川の本流と合流する手前にその『残念石』の表示があった。
思い出した!それはつい昨日のこと、BSプレミアムの歴史番組で小豆島で大阪城築城のための石垣を昔ながらの製法で切り取るという実験をやっていた。巨大な石にいくつものくさびを打ち込み、それを叩いて割れ目を入れて切り取ると言うもので、見事に切り取られた石は大阪に運ばれて石垣に使われたわけだが、中にはその用途に使われない所謂残念な石もいくつもあったとのこと。その石がここに転がされていると言うことだが・・・







相棒を待たせてその表示に従って草むらの中、河川敷へと歩を進めて行くと、写真にあるように大きな石が十数個無造作に転がされていた。どれも結構な大きさで、昨日のテレビで見たように切断面にはくさびの跡が刻まれている。それにしてもこの光景は何とも不気味だ、いわば石の墓場と言ったところか。ちなみにこの残念石、大阪城の近くや淀川の河川敷でもいろいろな姿に変えて残されているとのこと、また機会を見つけて探しに行ってみよう。
さて、この後は本来の目的である大仏鉄道遺構巡りコースへと戻って先を進んで行くことにするわけだが、それについては先程も申しました通り、次回にお伝えしていこうと思います。今回はここまでとしておきます。      まちみち


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